未来への進撃   作:pezo

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愛と平等、そして平和を唱える者が集うその屋敷の中で、彼は異色そのものだった。彼は暴力を信じ、それを実行してきた男だった。その薄汚れた長い外套も、くたびれた革靴も、道化のように釣り上げられた口角も、そしてその口から紡がれる汚い言葉も、全てが異色だった。

 

 

 

屋敷の使用人の多くは、突如として現れたというその男を恐れ、遠巻きにしていたようであるが、まだ幼い子供だったイリヤは、周りの退屈な大人と違った彼にひどく惹かれた。彼は彼とて、存外子供の扱いに慣れていたようだった。今なら笑い話にもなろうが、実は結構他愛もない話をしてくれたことは昨日のことのように覚えている。

 

 

 

ただその男は、ふとした気安さを許さないような壁をしっかりとイリヤの間に張り巡らせていた。イリヤが甘えるように彼のもとに駆け寄れば、悪口雑言の嵐を浴びさせられた。また、稀に、子供でもわかるほど濃い血の匂いをまとって揚々と鼻歌を歌いながら屋敷をうろつくこともあった。

 

 

イリヤにとってケニーというその男は、単なる屋敷の従者の一人、というにはあまりに大きな存在であり、そしてあまりに全てが遠い存在でもあった。

 

 

 

「オイ。お前、ツェランの息子じゃねえのか」

 

 

「え、ケニー?どうしてここに」

 

 

「イリヤさん?お知り合いですか?」

 

 

 

三人三様の質問に、その場に沈黙が落ちた。

 

 

 

男はイリヤの記憶とは異なり、小綺麗なスーツを身につけ、長い髪を後ろに流すようにしっかりと整えていた。いかんせん、その粗暴の悪さは表情にしみついているようであるが、その豪華絢爛な屋敷の中でも、異色さはなりを潜めているようだった。

 

 

 

男はその鋭い野生動物のような視線を、床に転がった伯爵子息にむけた後、「こりゃ、いったいどういう状況だ?」とクシェルに詰問するように問うた。

 

 

 

「例の場所へ案内してくださると言ってくださったのですが……どうやら飲みすぎたらしく、倒れてしまわれたのです。そこで彼が、イリヤさんが通りかかったもので……」

 

 

 

「……アンタは何だ。ここに紛れ込んだあの死に急ぎ集団の仲間か?」

 

 

 

「死に急ぎ……?いえ、私はテオ様に招待された者でございます」

 

 

 

まるで、「調査兵団とは関係ありません」といった淑女然とした顔で事もなげにそう言った上官に、イリヤは心中で管をまく。先輩方が「全ての女は女優だ」と飲みの席で再三言っていた意味が何となくわかった。

 

 

 

ケニーはクシェルのその言葉に大げさに笑った後、

 

 

 

「このクソ子息の遊び女のひとりかアンタ!ハッ!!可哀想になあ。いいぜ。俺がこの汚物の代わりに案内してやる」

 

 

「え?え?ケニー?」

 

 

「テメェは来るなよ。こっから先は大人の時間だ。そんなダセェカッコしてる奴は入れねぇんだよ」

 

 

 

言いながら、テオを軽々と担ぎ上げた男は、イリヤに顔を近づけてにやりと笑った。しかし、クシェルはそのイリヤの腕にしなだれるように寄り添って、

 

 

 

「駄目ですか。テオ様もそんなことになってしまって……私、一人では心細いのですが」

 

 

「何だ、姉ちゃん。そいつぁ兵士だぜ。あの場所には不釣り合いだ、が……」

 

 

 

途中で何かに気づいたのか、ケニーはまじまじとその鋭い視線を彼女の頭のてっぺんから足の先まで遠慮なく向けて、再びにやりと笑った。

 

 

 

「なるほどな。アンタも運がねぇな。えらく辛そうじゃねぇか。オイ、イリヤ。お前その服捨てろ。そんなダセェ兵服なんざ脱いでこい」

 

 

「は?兵服を?」

 

 

「オイオイオイオイ。何度も言わせんじゃねえぞクソガキ。そのご淑女様はお前をご所望なんだよ。わかるだろ?盛られた薬は相当きつそうじゃねぇか。趣味がいいぜ、このクソ子息も」

 

 

 

え、と腕にすがりつく上官を振り返る。

 

 

盛られた薬とは。

 

その内容を問うまでもなく、彼女が子息にされていたこと、そしてその彼女の表情を見て、経験のないイリヤでもすぐに察しがついた。

 

 

 

興奮剤によって高められた体をもてあそぶ彼女の頬が、先ほどよりもさらに赤らんでいた。地下牢でも冷静にクルトを尋問していた上官が、微かに息を乱していた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

エルヴィンが言っていたことはつまり、こうだ。

 

 

 

ダリス伯爵は、調査兵団の機密情報を入手し、そこで得た情報を流して貴族どもに売っていた。調査兵団の情報は、様々な意味で高く売れる。兵団を良しとしない者にとっても、彼らを支援する者にとっても、それは有益なものだった。

 

 

 

それは超大型巨人の出現により、壁内の平和が崩されたことによって、唯一壁の外の巨人と戦う術をもつ調査兵団に、人類の矛と盾となることを望む声が高まったからだ。

 

 

 

自由を求めて翼を得た彼らに、壁の中の民のために死ねと人々が叫びだしたのは、まるで穏やかで波風すら立たなかった湖面に、大きな波紋が広がる様子にも似ていた。

 

 

 

今のところ、ダリス伯爵によって売られたと思われる情報によって、兵団に特別な損失は発生していないように思われる。しかし、それは今だけのことだろう。このまま捨て置けば、いずれ、兵団の損害となる事態は免れないだろう。

 

 

 

しかしエルヴィンは邪魔なものを切り捨てたりするような単純な男ではない。彼は、ダリス伯爵を己の手駒にすることを思いついた。

 

 

 

ダリス伯爵は、貴族を集めては違法な酒宴を催している。そんな暗い噂をどこで手に入れたのか。そのネタでゆすって、パトロンにさせる。そんな計画を嬉しそうにリヴァイと私の前で話した彼の表情は、なかなか忘れられるものではない。あんなに無邪気な笑顔で、人を貶める計画を練る人間など、私は彼以外に知らない。

 

 

 

人を人とも思わぬような行ないを、「人類のために」という名目でやり遂げるような男だ。彼らしい選択だった。

 

 

 

そして私は、どうやらその限られた貴族だけが招待されるという酒宴の場に無事たどり着くことができたというわけだ。

 

 

 

ケニーという胡散臭そうな男の案内で、私と兵服を脱いだイリヤは、地下の大広間に案内された。大広間の入り口の給仕は、ケニーの顔と、彼に無造作に担がれたテオ子息を一瞥して、即座にその扉を開いた。

 

 

 

ケニーというこの男。

 

 

 

見るからに堅気ではなさそうだが、かといって貴族にも兵士にも見えない。ゴロツキというにはあまりに風格があるだろう。

 

 

 

腕を貸してくれているイリヤをちらりと見上げれば、彼は緊張のためか完全に目が泳いでいる。この少年兵と男は知り合いのようだった。訓練兵を首席で卒業した優秀かつ品行方正な彼のことだ。おそらくは、訓練兵になる前の知人となるだろう。

 

 

 

数週間前に見たイリヤ・ツェランの履歴書を記憶の中でもたどる。彼の出自は確か、どこぞの貴族の使用人一家であったか。

 

 

 

地下に設けられたその大広間は、暗く怪しげな光に包まれていた。そこかしこで揺れるランタンの炎が、その酒宴の妖しさと、集う人間の昏い欲望を誘う。

 

 

 

どうやら広間の前方には舞台が設置されているようだった。見れば、数人の奴隷と思わしき人間が競りにかけられていた。人身売買だ。

 

 

 

いくつかのテーブルが備えられており、参加者たちはそこでそれぞれ酒を飲みながら、競りに参加したり、舞台に飾られたその商売品を眺めて楽しんでいるようだった。

 

 

 

ケニーはその舞台から最も遠い位置にあった空いたテーブルにどかりと座り、テオをそこいらの給仕に適当に預けた後、私を隣の席に座らせた。

 

 

 

「さて。身体の調子はどうだ」

 

 

「悪いです。これは何の薬でしょうか」

 

 

 

率直に問えば、男はぐい、と私の顎を右手で持ち、乱暴に顔を上げさせた。

 

 

 

「地下街で一時期流行したヤベェ薬だ。量を間違えば死んじまうようなやつだが、うまく飲めばすぐに天国見れるような麻薬だ。男ならすぐおっ勃てちまうし、女ならアソコからぐずぐずに溶けちまうようなヤツだぜ。テメェがそんな冷静に俺と話せてる方がオカシイってくれぇに、頭の底から湧いちまう即効性のあるやつだ」

 

 

 

男の長くて骨ばった指が私の耳をさすって、頬を撫でる。明らかに私の欲望を誘うような触れ方のわりに、その狼のように真意のつかめない瞳は、欲望を宿さず、試すような光が灯っている。

 

 

嫌がらせだ。

 

 

私の隣で、イリヤがたじろいだのを、手で制してやれば、男は面白がってそのかさついた指を私の口につっこんで、舌をなであげてきた。

 

 

そんな鬼畜じみた行為にも、薬がまわりきった身体がうずいて、頭が沸きそうになる。

 

 

 

「っと」

 

 

 

腹立ちまぎれにその汚い指を噛み切ってやろうとしたが、年の割に反射のいい男は即座に指をひいてしまう。舌打ちすれば、彼は心底嬉しそうに笑い声をあげた。

 

 

 

「なあ。おめぇの名前はなんだ。所属は?貴族じゃねえな。やっぱりこのクソガキと同じ、調査兵団か?」

 

 

 

ぎらりと狂ったような瞳に射すくめられ、生理的な恐怖が背中を走る。まるで、初めて巨人に遭遇したときのような、明確な生存の危機を察した恐怖だ。

 

 

 

「俺、リヴァイ兵長を、」

 

 

「イリヤ!座っていなさい」

 

 

 

怖気付いて愚かにも助けを呼ぼうと席を立ちかけた部下を静かに一蹴すれば、男はさらに嬉しそうに笑った。

 

 

 

「リヴァイ。人類最強ってやつか?やっぱり調査兵団か。役職は?」

 

 

「クシェル。団長付きの副官だ」

 

 

 

一瞬、その狂気じみた笑みが凍りついたように見えた。ゆっくりと手が離れていく。

 

 

 

「クシェル。姓は」

 

 

「さあ……。特に。今はない。ただの、クシェルだ」

 

 

 

ケニーというその男は一瞬、表情をなくしたが、そのあとすぐに可笑しそうに、そしてどこか嬉しそうに大声で笑い転げた。周囲の貴族が鬱陶しそうに彼を見つめるのも気にしない素ぶりだ。いい年こいた壮年のおっさんのくせに、この人はどうにも言葉も悪ければ、動作もいちいち大仰だ。

 

 

 

「調査兵団のクシェル副官か。覚えておいてやるぜ。なあ、クシェル。お前はこの場所が好きか?」

 

 

「は?」

 

 

「俺は俺のご主人様の犬としてここに来てる身だがな、この悪趣味なパーティーとやらは反吐が出そうな気分だ。お前もそうだろう?違わねぇよなぁ」

 

 

 

ずい、とにやにやと得体の知れない笑みを浮かべて身を近づけて来た彼に、思わず身をひいてまあ、と頷く。

 

 

 

「ならこうしようぜ。俺はお前の正体をこの豚共にはバラさない。お前はお前の仕事をしろ。俺は俺の好きなようにして、お前を見逃してやる。だが、その代わりお前は俺を楽しませろ」

 

 

「ケニー!!」

 

 

 

咎めるように声をあげたのはイリヤである。ケニーは血相を変えた少年に、「どんなエロい想像してやがんだよ」とからかった。イリヤは顔を悔しそうに赤らめて口を開閉するばかりである。彼に、この男の相手は荷が重いようだった。

 

 

 

「秘密をひとつ。打ち明ける。これはどう?」

 

 

「ほぉ。俺が楽しめるような秘密か?」

 

 

「さあ。でもあなたも私に何か秘密を打ち明けてほしいな。私ばかり楽しませるというのもね。あなたも私を楽しませてくれないの?」

 

 

「エロいことでもいいのか?」

 

 

「やぶさかではないよ」

 

 

 

答えれば、男はほ、と目を丸くした後、苦い顔をして「俺は人の女には手を出さない主義だ」となにやら持論を展開した。その持論に首を傾げれば、

 

 

 

「とっておきの秘密を打ち明けてやろう。だが、忘れるな。俺はお前の生殺与奪を握ってんだ。お前が調査兵で、ここに身分を偽って入って来たなんて知れたら、お前だけじゃねぇ。上でブタ共の相手をしてるてめぇの飼い主や男も分が悪くなる。よぉっくそのお利口そうな頭で考えろよ、人類の翼」

 

 

 

不意に広間に歓声があがる。見れば、舞台の上の綺麗な黒髪の少女が、一人の貴族の男に買い占められたところだった。じわりと、身体の奥から熱がこぼれ落ちる。はぁ、と息を吐けば思いの外それは色めいていて、どうにも興奮がじりじりと精神を蝕んできている気がした。

 

 

気づけば、私もまた、彼ににやりと笑いかけていた。

 

 

 

「秘密だけじゃない。せっかくだ。ここであなたが楽しめる余興もしてあげる。これでどう?今夜は楽しめるんじゃないか?」

 

 

 

なんだよ、そりゃあ。わくわくするじゃねぇか。

 

 

 

 

そんなことを言いながら、その口汚い男は口角を上げた。どこかその口調と笑い方に既視感を覚えながら、さあ、と催促する。

 

 

 

「俺の秘密はな。俺は、都の大量殺人者の切り裂きケニーだ」

 

 

 

両手をぐわりと広げて、もったいぶってそう言ってきた男に、あんぐりと口を開けてしまう。

 

 

ん?と両手指をわきわきと動かしながらケニーは首をかしげた。

 

 

 

「ごめん。イリヤ。切り裂きケニーってなに?」

 

 

「え?知らないんですか?!有名な都市伝説じゃないですか。二十年以上前に、王都で憲兵ばかり何十人も殺した殺人鬼の話!」

 

 

「都市伝説?」

 

 

「だからそれが俺だって」

 

 

 

うぅん、と唸る。都の大量殺人鬼。なるほど。頭のネジがぶっ飛んでいるのはそのせいか、と妙に納得がいった。

 

それならこの男の奇々怪界な雰囲気も、妙な既視感も、全て得心がいく。

 

 

 

「驚かねえな」

 

 

「ごめんなさい。世間知らずで。そういえばそんな話も聞いたことある気がしなくもないような気がするわ」

 

 

「おいそりゃ、ほとんど知らねえじゃねえか。お前な、俺があの時どんっだけ苦労して憲兵のブタどもを綺麗に削いでやったと思ってンだ。あのな。まず、」

 

 

「いや、うなじの削ぎ方を知っているので結構です」

 

 

「巨人と一緒にすんじゃねえぞ。人間はな、そりゃあ、ちっせえんだぞ。ちょっと加減を間違えりゃ、ナイフが一気に向こう側まで突き抜けちまうんだ。しかもな、巨人と違って蒸発しねぇし、憲兵どもは脂が乗りすぎてる。毎回ナイフを綺麗にクリーニングしてやらねぇとすぐその脂で錆びちまう。おめぇ、その苦労がわかるか?あ?」

 

 

「なるほどね。そんな苦労してでも必要な殺しだったわけだ」

 

 

「あぁ!?」

 

 

言えば、それまで馬鹿みたいに口を滑らせていた男が怪訝そうに眉を歪めた。

 

 

「大量殺人が「必要」だと?」

 

 

「必要な殺人もあるわ」

 

 

 

言えば、都の大量殺人鬼はその気持ちの悪い笑みをひっこめて、鋭い視線で私を睨みつけてきた。咎めるような眼差しではない。ただ、恐ろしく研ぎ澄まされていて、まるで私を獲物のように見つめるそれだった。その冷たい視線を流して、黙っていれば鋭利ではあるものの、存外整った顔立ちのおじさんだな、と熱でうだる思考でぼんやりと思った。

 

 

都の大量殺人鬼。その話は知っている。でも、殺人鬼の後の話は知らない。私が知っているのは、その殺人鬼の何でもない馬鹿みたいな話ばかりだ。そんな殺人鬼が、今、貴族の小間使いと成り果てている話など、聞きたくもない。

 

 

面白くない話だった。

 

 

 

「私のとっておきの秘密を教えてあげる。切り裂きケニー」

 

 

 

 

そんな物語より、よっぽど私の物語の方が面白い。

 

 

この壁内には絶対にあり得ない、危険な物語。

 

 

 

 

「私はね、ケニー」

 

 

 

 

耳打ちするように、そっと声をひそめてケニーに言う。

 

 

 

 

「私はね、壁の外からやってきたの」

 

 

 

 

自由を奪われた女が、自由を求める気狂いの王子様に助けられて命を与えられ、英雄たちと巨人に立ち向かう。そんなお話。

 

 

 

 

それが、私のとっておきの物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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