未来への進撃   作:pezo

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オリキャラ同士の性描写があります。ぬるいですが、苦手な方はどうぞお気をつけくださいませ!


三章 切り裂きケニー


 

 

 

昔、あの男は「神の慈愛」をイリヤに説明したことがある。彼曰く、その慈愛とは「クソを等しくクソだと認識すること」だと言った。

 

 

その男の言語力は子供ながらにわかるほど乏しく、イリヤにその意味を解することはできなかった。後日、使用人長である父の目を盗んで屋敷の当主に問うたところ、その優しく澄み切った瞳をした当主は「彼の言う通りかもしれないな」と笑った。

 

 

 

イリヤはまだ、「慈愛」なるものを全く解していない。

 

 

 

否、それが実は空想上の概念で、決して現実の世界ではありえない無意味なものなのだ、と彼は身に染みている。そういう意味では、「慈愛」などないということを知っているのかもしれない。

 

 

 

そんな哲学的思考に逃避しながら、イリヤは豪華絢爛を尽くしたその空間で、こっそりとため息をついた。

 

 

 

そこは王都のダリス伯爵の屋敷であった。富を誇示するような豪華な内装の大広間で、見たこともないような美しく着飾った女と男が談笑し合っている立食パーティーなるものだった。

 

 

そこだけ見れば、一般的な貴族どもの豪華をつくした会合なのかもしれないが、奇人として名高いダリス伯爵の開いたそれは、一風変わったものであった。

 

 

参加する男女の顔には、それぞれに仮面が施されている。おそらくそこに集ったものは社交界のなかで顔の知れた者同士であろうが、それをつけている限りは、己の名を隠し、そして相手の名を知らぬふりをする。そんな趣向の会合であった。

 

 

 

数十人が集うその大広間の空間で、一様に仮面の下で笑う貴族どもに、イリヤとユディとは薄ら寒い気持ちを押し殺しながら、広間の隅で無口な壁に徹していた。

 

 

 

クルトが逃亡してから十日余りが経っていた。

 

 

 

上官の護衛の任でそこにいる彼らは、屋敷の当主曰く「無粋な」兵団の礼服を身にまとい、仮面をつけずにそこに立っていた。

 

 

 

イリヤが見る先には、薄墨の礼服を身につけた団長と、白いドレスで飾り付けたその副官がいる。仮面をつけていようとも、団長の朝焼けの色に似た金色の髪と、副官の夜の闇を固めたような短い黒髪はイリヤにとって馴染み深いものだ。

 

 

 

団長の相手役に、とドレスまで充てがわれて招待された副官は、箱馬車のなかで見せていた機嫌の悪い表情はひっこめて、仮面の上からでもわかるほど愛想のいい笑顔を浮かべている。

 

 

 

団長は、言わずもがな。仮面の下は、貴婦人方に見せる甘い溶けるような笑顔なのだろう。

 

 

 

「イリヤ。ごめんなさい。少し気分が悪いから、席をはずすわ」

 

 

 

不意にそう言ったのは、隣で壁と化していたユディである。護衛を嫌う貴族の意向を汲み取り、今回たった二人だけつけられた護衛のひとりだった。

 

 

イリヤが見れば、彼女は気持ち悪そうに顔を歪めている。どうやら人と香水と、酒の匂いに寄ったらしい。ローゼ内地の山奥で生まれ育ったという彼女には、この空間はどうにも慣れないものだろう。

 

 

 

「大丈夫か」

 

 

「ええ」

 

 

 

イリヤは彼女を介抱しようと手を伸ばしたが、それはあっけなく拒まれて、彼女はするりと逃げるように大広間の扉から外に出て行ってしまった。護衛などあってないようなものだから、持ち場を離れるのは大して問題ではないだろう。

 

 

 

それよりも、イリヤは彼女の介抱のため、という理由でその場から逃れる機会を逸してしまい、もう一度ため息をついた。

 

 

 

 

「神の慈愛」など幻想だ。

 

 

 

だってそんなものが存在していたならば、なぜこんなにもこの場所には酒と甘い菓子と、そして分厚い肉が並べられているのかが説明できない。

 

 

この世界は理不尽だ。そしてどこもかしこも壁だらけだ。その壁の内側に入れば入るほど、多くの利を得ることができる構造になっている。

 

 

 

「おい。大丈夫か」

 

 

 

再び壁に徹して、思考に耽り始めていたイリヤに唐突にかけられた声に、彼は思わず背筋を伸ばした。

 

 

 

「リヴァイ兵長」

 

 

 

簡素な黒い仮面を律儀につけたその上官が、いつもよりも不機嫌そうに眉をひそめてそこに立っていた。彼もまた、黒い礼服に身を包んでいた。首元をきっちりと締めているクラバットだけが、いつもの彼であった。

 

 

 

「ユディは出たのか……。まあこんなクソみてぇな場所で仕方ねぇが……。おい、イリヤ。お前はあいつをしっかり見ておけ」

 

 

 

彼が顎で指し示した先では、白い羽の装飾が施された仮面をつけたクシェル副官がいた。露出は少ないものの、白く艶やかなドレスを身につけた彼女は、常の兵士然とした雰囲気はなりをひそめ、まるで妙齢の女性らしい色気を発しているのが、まだ若いイリヤにも見て取れた。まるで花嫁のように清楚な格好をしながらも、どこか手慣れた娼婦のような雰囲気すらある。単なる副官である彼女がドレスまで充てがわれて招待された理由の一端が、なんとなくわかった気がした。

 

 

 

「クルトの件だけじゃねえ。自分の女でもねえやつに服を充てがうなんざ、変態のやることだ」

 

 

 

仮面の下から、リヴァイ兵長は剣呑な視線を彼女の方へと向けた。そこには、当主であるダラス伯爵の子息が彼女に声をかけているところだった。ちょうど、彼女をエスコートしていたエルヴィン団長が、貴婦人たちに取り囲まれて彼女が手持ち無沙汰になっていた頃合いを狙っていたらい。子息は、ごく自然に彼女の腰に手をまわし、外に連れ出そうとしているようだった。

 

 

 

「リヴァイ兵長」

 

 

「自由の翼をお持ちの方かしら?」

 

 

クシェル副官の様子に焦ったイリヤの声は、可愛らしい柔らかな声によって遮られた。イリヤが呼んだ上官は、その声に振り返り、そばに寄ってきていたそのうら若い女性に向かい合った。言葉少なに彼が頷くと、仮面の下の頬を薄く染め上げて、その女性が歓声をあげた。

 

 

 

ここに集まった貴族たちは、どうやら調査兵団に悪い感情を持つものだけではないらしい。少なくとも、貴婦人たちは、団長や兵長に、まるで流行りの舞台の役者に向けるような眼差しを一心に注いでいた。仮面とはなんぞや、という具合である。

 

 

彼らがここにきた理由は金策である。ここで彼女たちを無下に扱うことは団長命令で禁じられていた故か、それとも元来の律儀さ故か、それともそれとも案外女好きなのか。リヴァイ兵長は彼女の発言に寄り添うように頷きを返してた。浮いた噂のない兵長の、兵団では決して見ることのできない姿である。

 

 

イリヤがその様子に背筋を固めていると、リヴァイ兵長はちらりと鋭い視線を彼によこしてきた。

 

 

――仕事をしろ。

 

 

 

そう言われた気がしたのは気のせいではないだろう。

 

 

は、と我に返ったイリヤが視線をむけた先には、クシェル副官と子息の姿はなかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ダリス伯爵からの社交場への招待状は、エルヴィン団長とリヴァイ兵士長宛に届けられた。その類の誘いは決して少なくない。ウォールマリア陥落以後、その役割を求められるようになった調査兵団をもてなすことは、貴族たちにとっても利となることが多いようだった。

 

 

しかし、そのダリス伯爵の誘いは、他の貴族のそれとは少し違っていた。

 

 

そのひとつは、クルト・ウェルナーが情報を漏らしていた貴族、というのがこのダリス伯爵である可能性が高いということ。

 

 

そしてもうひとつは、エルヴィン団長の相手役として、クシェル副官が指名されており、さらには彼女宛に白いドレスまで招待状とともにあてがわれていたことだった。

 

 

 

前者はエルヴィン団長にこの誘いを受ける大きな理由となった。我らが団長様は、敵地に策を弄して揚々と乗り込むような性質の男だ。

 

後者は、リヴァイ兵長の機嫌を損ねさせる要因となった。その潔癖な男は、「気持ち悪ぃ」と苦々しく言い放っていた。

 

 

 

ーー確かに、気持ち悪いな。

 

 

 

クシェルは腰回りを撫で回るその男の手に、他人事のように思った。大広間から外れた、薄暗い廊下の端である。廊下の壁に等間隔に備えられたあかりから逃れるように、男は彼女を影の中へと連れ込んで白いドレスの上から、その兵士らしく鍛え上げられた身体を撫で回していた。

 

 

 

「ご子息。こんなところでは」

 

 

「クシェルさん。私のことはテオと」

 

 

「テオ様」

 

 

長いドレスの裾をまくりあげて、太ももに直接触れてきた細く長い指に、思わず彼女は手を添えてそれ以上の侵攻を防止しようとした。男の荒い息が首元を襲って、悪寒に思わず目を閉じた。

 

 

 

「テオ様」

 

 

「どう、しましたか」

 

 

 

彼女には、仕事がある。

 

 

 

「このドレス。貴方が見繕ってくださったの?」

 

 

 

「……ええ。とても似合っている。以前、王都に来ていらしたときに貴女に目を奪われてから……この時をどれほど夢に見たか」

 

 

 

ぐ、と身体を寄せられて、思いの外強い力で、左足を持ち上げられた。高いヒールで片足で立つバランスの悪さに気をとられた一瞬に、男の無遠慮な左手がいきなり下着の中に侵入してきて、思わずひとつ上ずった声をもらした。

 

 

仕事をせねば。

 

 

そう頭の中で強く声をあげ、彼女は焦る気持ちを押し込めようとする。そうして冷静さを保とうとする一瞬が、男の指を彼女の中に許し、首元をにちりりと焼ける口づけを甘んじた結果を招いた。

 

 

 

――情けない。

 

 

 

彼女はぎゅ、と目をつむり、気持ちに反してわずかに漏れる女としての声に、彼女の想う男の顔を思い浮かべて心底泣きそうな心持ちになった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

イリヤはその情景に、思わず絶句したまま、しかし全く目をそらすことなくしっかりと目に焼き付けるように見ていた。

 

 

 

廊下の脇、屋敷の奥へと続く曲がり角の先で、女の声が甘く漏れている。窓の外から廊下を照らす月光と、壁にかけられた炎の光がわずかに届かないその暗闇の中で、男の背に隠されている女が嚙み殺すようにわずかに鳴いている。

 

 

持ち上げられた白い足が、規則的に、蠱惑的に揺れている。男の手が、彼女の中心を揺さぶって、徐々にイリヤの耳にもその情事の音が聞こえてくるようだった。

 

 

 

「あ、」

 

 

 

ひときわ大きな女の声が、ひとつの頂の瞬間をイリヤと、その男に教えた。女と、男の荒い息遣いがはっきりと耳に届いて、イリヤはつい鼻息を荒くした。10代も後半の盛りのついた彼にとって、それはなんとも言えない蠱惑的な時間だった。

 

 

初めて見るその情景にうっかり釘付けになっていると、男は抱えていた女の足を下ろし、己のベルトに手をかけながら、

 

 

 

「クシェルさん」

 

 

 

女の名を呼んだ。

 

 

その聞き慣れた名に女の正体を知ってしまい、マズイ、と彼がその場を立ち去ろうとしたのと、ごつりと鈍く寒気のするような音がして男がゆっくりとその場に倒れたのはほぼ同時だった。

 

 

 

「……クッソ……」

 

 

 

甘い声とかけ離れた、女の悪態が廊下に響く。その右手には、男のこめかみを殴ったと思われる黒い小銃が握られていた。

 

 

 

「ん?」

 

 

 

ずるりと倒れた男を鬱陶しそうに蹴り上げたその白いドレスの女性が、ふと廊下の先にいるイリヤに気づいて顔を上げた。その上官のと視線があって、イリヤは青ざめて己の不遇さに心の中で盛大に泣いた。

 

 

 

「クシェル副官!断じて俺は!そんな盗み見ようとなんて!!」

 

 

「イリヤ。声大きい。怒らないからこっちおいで」

 

 

 

敬礼をしながら後ずさったイリヤに、彼女は手を招いた。おそるおそる近づいてみれば、どこか独特の甘い香りが鼻腔をさした。それが何の匂いか考えるより先に、イリヤはどん、と強く胸を拳で殴って、再度敬礼で己の煩悩を殺した。

 

 

 

「つい殴っちゃった。まあ、大丈夫かな。よく酒を飲んでいたようだし。適当に口裏合わせてくれるかい?」

 

 

「もちろんであります!」

 

 

 

冷静に言った彼女の顔を見ながら言って、イリヤは思わず息をのんだ。彼女の頬には、すいたような茜がまださしている。潤んだ黒い双眸が闇にゆるりと光って、思わずごくりと唾を飲み込んだ。

 

 

イリヤは決して年上は好みではない。しかも彼女はかなり年上だ。決してそんな趣味は彼にはない。しかし。

 

 

 

「イリヤ。少し向こうを向いていてくれる?」

 

 

 

は、と気づいたときには、彼女はドレスをまくりあげ、その白くて細い太ももに備えられたホルスターに小銃を戻しているところだった。

 

 

 

「……下着を、直したいんだけど」

 

 

 

「大っへん申し訳ございませんっ!!!」

 

 

 

再度敬礼をして、即座に彼女には背中をむけた。ここにクシェル副官だけでよかった。兵長や団長がここにいたならば、自分はただではすまなかったかもしれない。そう思いながら、心の中で自分の不憫さと男としての悲しい性に涙を流した。

 

 

 

「……情報を聞き出す前に思わず殴ってしまった。あなた、例のあれ、聞き出せた?」

 

 

「いえ、まだ自分も何も……」

 

 

 

衣擦れの音がしたあと、彼女の許可が降りてからイリヤは振り返って答えた。

 

 

 

「兵長と団長は大広間でご婦人のお相手をなさっています。ダリス伯爵の姿は広間にはありませんでした」

 

 

「となると、やはりあれは……」

 

 

「可能性はあるかと思います」

 

 

 

そうか、と彼女は言ったのち、わずかに背中を丸めて口元を手で覆った。その様子に思わずイリヤが体の不調があるのか聞けば、彼女は顔を朱にそめたまま、黙って首を横にふった。

 

 

その男の声がイリヤの頭の上から降ってきたのは、その時だった。

 

 

 

 

「死に急ぎのクソ野郎がここで何してやがんだ?あ?クソがしてぇならこっちじゃねえぞ」

 

 

 

 

幼い頃にイリヤに「慈愛」について説いた声、そのものだった。怪訝そうにクシェルがその瞳を細める。

 

 

 

おそるおそる振り向いたそこには、長身の初老の男が月の光を背負って立っていた。

 

 

 

 

「……ケニー」

 

 

 

 

それは、イリヤが幼い頃に仕えていた一族の当主、ウーリ・レイスの近侍の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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