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ありがとうございます!!!
単行本最新刊、未収録のネタバレを少し含みます。
ご注意ください。
相変わらず時系列が飛び飛びです。ご容赦ください。
また、少々残虐な描写があります。苦手な方はご注意ください。
ベルトルトには夢がある。
自分の意思もなく、ただ周囲に請われるまま、戦士候補生へと志願し、晴れて超大型巨人を継承した。故郷にいた時は、周囲が自分に抱く期待に応えるためだけに努力し、それを疑いもしなかった。
夢というものが、際限のない希望に満ち溢れたものだと知ったのは、パラディ島の訓練兵団に潜入してからのことだった。復讐心に駆り立てられていた少年ですら、壁の外への景色に夢を抱いていたのだから、ベルトルトは驚いた。最初はマーレの収容区にいるエルディア人は苦しい思いをしているのに、このパラディ島へと逃げた悪魔の末裔どもは、なんともお気楽なものだと苦虫を噛み潰すような気持ちがしたものだ。
しかし、今はというと、そんな感情は薄らぎ、お気楽な少年たちに感化されたベルトルトは、夢を抱くようになっていた。
彼の夢は、故郷に帰ることだ。
彼の仲間。ライナーとアニと一緒に、三人で帰ることだった。それは、壁を破って中に潜入したあの時、避難所で肩を抱き合って三人で交わした約束でもある。
この悪魔の島から逃げ出して、彼らは彼らの故郷に帰るのだ。そして、最後の日までを穏やかに家族と仲間たちと一緒に過ごすのだ。
そんな、夢を抱いていた。
−−おっさんになったら一緒に酒を飲もう。
一方で、少年たちと交わしたその夢は、まさに眠る時に見る夢だった。それこそ、単なる泡沫。目を開けては見ることのできぬ、白昼夢にもならぬ淡い夢だった。その夢は居心地がよく、彼に生まれてはじめて「自由」を教えてくれた。
皮肉なことに、「自由」を求めて壁の外から出ようとする人間の隣で、ベルトルトははじめて「自由」を身にしみて感じたのだ。それは、彼にとって屈託無い時間だった。
生きていくために、訓練をしなくてもいい。
生きているだけで、貶められることもない。
生きているのに、ゴミにように扱われることもない。
ただ生きていることが、楽しかった。それはベルトルトにとっての、紛れもないはじめての少年期だったと言えよう。
「……お前さあ、疲れてんだよ」
細かな雨を降らす曇天の下で、そう言ってライナーの肩を叩いたのはエレンだった。ウドガルド城から壁の上へと移動した時のことである。夜はすっかりと明け、壁の異常を確認できなかった調査兵団が、トロスト区までの撤退と待機を決めた頃だった。それは、ウドガルド城から拉致されたクシェルに、ジークが提案した「タイムリミット」を悠に数時間は過ぎた頃合いである。
トロスト区まで戻るために、壁の上を歩き出した調査兵団の一人、エレン・イェーガーの背中にライナーが突然声をかけた。ベルトルトの予想をはるかに超え、ライナーは突然、エレンに自身の正体を明かし、故郷への同行を提案しだしたのだ。
ライナーはこの壁の中の人類にとっての敵、鎧の巨人である。ベルトルトに至っては、その厄災の象徴として人類に記憶されている、超大型巨人。そんな自分たちに、人一倍巨人への憎しみを抱いているエレンが応じるはずがない。
しかし、ライナーにはそんな簡単な判断すらできずにいるようだった。
ベルトルトは曇天の下、風が唸り声を上げるのを聞きながら、会話の進行を息を飲んで見守ることしかできずにいた。震える喉と、額から不自然なほど滲み出る冷や汗は止めることができない。
「なあベルトルト。こうなってもおかしくないくらい大変だったんだろ?」
「あ、ああ。ライナーは疲れているんだ!!」
どうやらエレンはライナーの言葉を真に受けていないらしい。ベルトルトはエレンの言葉に大きく頷いた。ちらりと周りへと目を向ければ、アルミンやサシャ、そしてミカサがこちらを怪訝そうな表情で見つめている。さらにその近くでは、クルトとイリヤという先輩兵士が何やら口論をしているのが見えた。
クルト。
その背中に助けを求めようとしても、彼はイリヤという兵士との口論に夢中になっている。共に壁内へと潜入した仲間であり、唯一巨人化の能力を有していなかったクルト・ウェルナー。斥候としての役割を担っていた彼は、調査兵団のクシェル副官に正体を見破られかけて、そのまま身を隠していた。指名手配されていた彼が、ひと月前に死を覚悟して海を目指して発ったことを、ベルトルトはアニから聞いていた。
彼がこうして戻ってきたということ、そしてウドガルド城に現れた獣の巨人。このことはつまり、マーレ軍が上陸していることを指していた。本格的な攻撃がないこと、クルトが必死にあのイリヤという「出来損ない」の能力者のそばから離れないようにしているところを見ると、今回の上陸は、壁内の威力偵察と、能力者の拉致だろうか。
今なら、帰れる。
ベルトルトはゴクリと喉を鳴らした。
「大体なあ、お前が人類を殺しまくった鎧の巨人なら、なんでそんな相談を俺にしなくちゃなんねえんだ?そんなこと言われて、俺が、はい行きますって頷くわけねえだろ」
エレンのもっともな発言に、ライナーが息を飲む。その音が、ベルトルトの耳にやけにはっきりと届いた。しばしの沈黙が落ちる。その間、ベルトルトの耳に響いていたのは、ライナーの乱れた息と、風の唸る音だけだった。沈黙が怖い。そう、ベルトルトは震える手を握りしめながら涙をこらえて思った。
「そうか……。その通りだよな……。何を考えてるんだ俺は。本当におかしくなっちまったのか?」
ライナーの呟きに、エレンが汗を滲ませた様子でため息をついて、促すように背を向けた。
「とにかく行くぞ」
いつしか、曇天の切れ間から空がのぞいている。そのさらに向こうに、陽の光が射してきていた。
雨は止んだ。
雲の切れ間からのぞいた陽光を見た時、ベルトルトは強く「帰りたい」と願った。もう、こんな生活から逃げたい。こんな優しい世界で、世界の滅亡について計画を練るのはごめんだ、と涙に滲む空を見て切実に思った。
「そうか……。きっと……ここに長くいすぎてしまったしまったんだ……」
差し込む陽光に辺りが明るくなる中、ライナーが顔を俯かせたまま、小さく呟いた。
「バカな奴らに囲まれて、三年も暮らしたせいだ。俺たちはガキで、何一つ知らなかったんだよ。こんな奴らがいるなんて知らずにいれば……、俺は、こんな半端なクソ野郎にならずにすんだのに……!」
涙を双眸ににじませながら、険しい表情でライナーが右腕を吊るしていた布をとる。その腕から蒸気が上がるのを見て、ベルトルトは目を見開いて拳を握りしめた。
「もう俺には何が正しいことなのかわからん!ただ、俺がすべきことは……、自分がした行ないや選択に対し、戦士として最後まで責任を果たすことだ!」
「ライナー!!やるんだな!?今、ここで!!」
「ああ!勝負は今ここで決める!!」
沈黙の時は終わった。
そしてここに、ベルトルトの「自由」な少年期は終わりを迎えた。その「自由」は、故郷では味わうことのなかった、呪いのない、ただの少年としての友人たちの時間だった。
「エレン!逃げて!!」
終わりは、エレンの背後から現れたミカサの斬撃によってあっけなく訪れた。彼女はその柔軟な体をしならせてライナーの右手を切断した後、返す刃でライナーの隣にいたベルトルトの首を切りつけた。身をつんざくような痛みに叫んだ時には、視界一面に空が広がっていた。ミカサに押し倒されたのだ、と気づいた瞬間に、その彼女の体がライナーの体当たりで壁の下へと押しやられる。
「ベルトルト!!」
ライナーが呼ぶ声に、体を起こした時にベルトルトが見たのは、エレンの驚愕の表情だった。それは、いつも強気な彼に似つかわしくない、今にも泣きそうな顔だった。
その友人の絶望を載せた表情は、ベルトルト自身の巨人化に伴う閃光によってすぐに遮られた。しかし、その表情は、閉じたまぶたの裏に焼き付いてしまっていた。
****
――お前が来なければあの人は殺される!見殺しにしたくなければ俺と来い!!
そう言って手を伸ばしてきた友人は、敵だった。四年間、苦楽を共にした友人は、人類の敵である巨人どもの仲間だったのだ。
イリヤはその事実に心臓が焼けるような思いに襲われながら、身を起こした。その瞬間に、地響きと突風が身体を襲う。恐る恐る目を開ければ、身体中から蒸気が立ち上っているのが見えた。どうやらまた怪我をしたらしい。
両手を地面につき、半身を上げて見上げれば、すぐそこで鎧の巨人とエレン巨人が戦っているのが目に入った。その様子に、ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーが巨人化した際の光景を思い出す。そう。イリヤがクルトに正体を明かされ、共に来るように言われた時、彼らはエレンを攫うために、そろって巨人化したのだ。その時、爆風の中、超大型の巨大な手が自分とクルトを壁の外へと放り投げたことを思い出した。
「イリヤ」
「うああああアァッッァアアア!!!」
頭上から声が降ってきたのと、両手を焼き切るような痛みが襲ったのは同時だった。再生するごとに鈍化していた神経ですら耐えきれない痛みに、喉から断絶魔のような呻きがほとばしる。
くゆる視界を凝らせば、両手の平から、立体起動の刃が生えていた。
「しばらくここで大人しくしてくれ」
冷静な声に顔をあげれば、そこにはクルトが立っていた。調査兵団の双翼を背負いながらも、鎧や超大型と仲間であった裏切り者だ。
「クルトぉぉお」
「動くな」
冷たい声で一言放ったクルトが、イリヤの両手を地面に縫わせている刃をぎりりと少し回転させる。手のひらの肉をえぐるように動く刃に、イリヤが絶叫した。
「こうしてると再生できないだろ。あまり動くなよ。お前の足まで刺したくない」
ガチ、と硬質で冷たい金属音がして、涙に滲む目をイリヤが向ければ、クルトはさらに新たな刃を取り出していた。動けば、今度は足を貫通させるということだろう。
その表情はひどく冷たい。今まで、壁外で臆病風に吹かれながら行軍していたクルトの姿はそこにはなかった。それはもはや、イリヤの知らない人間だった。
イリヤの両手の平から際限なく蒸気が上がる。しかし、刃を貫通させたその傷は、当然のことながら治る気配はなく、ただ苦悶の痛みをイリヤに与え続けるだけである。見れば、イリヤがいる場所は壁からかなり離れた場所であり、壁の上の調査兵たちはイリヤとクルトの存在に気づいていないようだった。
体を動かそうと身悶えした瞬間、全身の血を凍らせるような咆哮と、突風、そして大きな衝撃音が、さらに近くで地鳴りとともに響いた。
それが鎧の巨人とエレン巨人の交戦によって巻き起こった衝撃だと気づいたのは、すぐそばでエレン巨人が地面に叩きつけられた時だった。
「エレン!!」
「イリヤさん!!?」
エレンの劣勢に叫んだとき、自分を呼ぶ声がしてイリヤは顔を上げた。鎧の巨人のそばを、鳥のように翔ぶ人の影があった。その影は近くの木を支点にくるりと空中で回転し、ひらりと草原の上に着地した。
まるでリヴァイ兵長を思わせる、いや、兵長よりもしなやかに舞う姿は、見覚えがある。
「ミカサ!!」
「イリヤさん!今助けます!」
刃を構えながら、彼女がこちらに足をむけるのを見て、クルトが舌打ちをしながら彼女を睨みつけた。それを見て、イリヤは思わず叫ぶ。
「ミカサ!俺はいい!今はエレンを!!」
再び地響きと突風が彼らを襲う。鎧の巨人に、エレン巨人が完全に抑え付けられている。劣勢は変わらない。
「エレン!!」
「ミカサ!行け!!」
ミカサは一瞬ためらいを表したものの、クルトを一瞥したあと、そのままエレンに向かって再び空を駆けて行った。その姿を見ながら、イリヤはほっと息をつく。
「殊勝なことだな。イリヤ」
冷静な声が言う。クルトは刃を構えたまま、鎧の巨人たちの交戦を見守るだけだった。
「お前はいつも勇敢だった。巨人にも怯まず立ち向かって……。俺にはできなかった。いつもすごいと思ってたよ」
「どの口が言ってんだ……!!この裏切り者が……!」
「お前には来てもらいたいんだ。俺たちの故郷に。ここにいてもお前は死ぬだけだ。前も言っただろ?」
「誰が行くか!!俺は調査兵団だぞ!」
感情のまま叫ぶも、その声はクルトには届いていないようで、彼は素知らぬ顔で話を続ける。
「クシェル副官が生きている」
その言葉に、イリヤは言葉を失った。イリヤの脳裏に、いけ好かない黒髪の女性の顔が浮かぶ。彼の苦手とする、しかし、直属の上官だ。
「お前はただでは来てくれないと思ったから、彼女をさらった。あの人が助かる道は二つだけだ。お前が俺たちと来るか。それとも、壁の中の情報を提供するか。どちらかだ」
「はあ!?お前、それは」
「あの副官が、兵団の情報を売ると思うか?」
クルトが初めてイリヤの目をまっすぐに見つめてきた。そんなこと、聞かれなくとも分かるだろう、とイリヤは歯を食いしばる。あの人が、まさかそんなことをするはずがない。エルヴィン団長への忠義心に溢れ、ルール順守のリヴァイ兵長と肩を並べるあの副官が、そんなことを自分に許すはずがない。
「……この卑怯もんが……!!」
「お前が来なければあの人は死ぬ。なあ。イリヤ。お前、死ぬとわかっている人間を見殺しにできるのか?お前が来れば、クシェル副官は死なずに済む。エレンとお前が来てくれれば俺たちも故郷に顔が立つ。晴れて壁の中の平穏はひとまずの間保証される。悪くない取引だと思わないか?」
どんな取引だ、とイリヤは奥歯を噛み締めた。どっちにしても、壁の中の人類にとっては不利なことばかりだ。どうすればいい。
イリヤの脳裏に、上官の顔が浮かぶ。彼女が残したメモは胸ポケットに入っている。これは、彼女の努力の証だ。壁の中の矛盾を解き明かそうとしていた彼女の仕事の成果だ。今なら分かる。壁の中の歴史文献などを漁っていたのは、彼女がウォール教をはじめとした、壁の中の体制に不信感を抱いていたからだ。彼女は、その謎に迫るために必要な人物だ。
そして、イリヤにとってはいけ好かなくとも、イリヤの敬愛する上官たちにとっては、かけがえのない仲間なのだ。彼女と話すときのリヴァイ兵長の表情が、イリヤの瞼に浮かぶ。
どうする。どうする。何が正しい選択だ。
−−助かる命の数を数えろ。
ここにはいない上官の声が、イリヤの耳を打った。
瞬間、エレン巨人と鎧が走って行く振動と突風が再びイリヤを襲う。その後ろに、飛ぶしなやかな舞姫の姿。
その黒くて細い影と目があった。
「ミカサァアああああ!!!斬ってくれぇええええ!!!!」
彼女が近くの木にアンカーを打ち込んだ瞬間、イリヤは必死に大声で叫んだ。彼女がその黒い瞳に迷いを浮かべたのは、ほんの一瞬だった。瞬きを一つしたその後には、その黒い瞳は険しく研ぎ澄まされて、あっという間にイリヤのそばまで最大出力までガスを噴射させて近づいていた。
ミカサのその突進に、クルトが身をかわすように近くの木にアンカーを放ってイリヤから離れる。その瞬間に、ミカサは鋭利なその刃の両刀でイリヤの手首を切断した。
クルトの刃によって虫のように地面に縫い付けられていたイリヤは、その両手を諦めることで、解放された。両手から鼓動の数に応じて吹き出る血を物ともせずに、ミカサがイリヤを抱えてクルトから距離を取る。一瞬のうちに、クルトの姿はガスの噴射煙の中に隠れて小さくなっていった。
「み、ミカサ!お前、すごい力!」
「黙って!!」
壁の近くまでミカサに抱え上げられたイリヤは痛みと驚きに困惑したが、ミカサに一蹴された。地面に転がされるように着地したが、彼女の視線はエレンに釘付けで、イリヤに一瞥すら加えない。両手を切断しておいて、その冷たさはないだろう、とイリヤが思ったとき、やおら彼女が振り返った。
「いつ再生するの!?早く!エレンが!!私はエレンを守らないと!」
その役目は俺が言付かった任務だと思いながらも、彼女も彼女なりに僅かながらイリヤを気にかけているらしいと気づき、
「5秒だ!!」
イリヤは叫んだ。全身の神経を両手に集中させる。痛みで朦朧とする頭の生き残った理性を全てその再生につぎ込む。それはまるで体中の細胞をかき集めるような感覚で、頭の中に大量の麻薬をブチ込んだような圧倒的な開放感すらあった。
数えること、4つ。
「生えた!!」
驚きの速さで、爪の先まで回復させたイリヤは、もう1つ数えるうちに、両脇のホルスターから立体機動装置のグリップを取り出した。
「ミカサ!!何が何でもエレンを守るぞ!!」
イリヤは選んだ。
そう叫んだ声は、少しだけ掠れていた。涙は流さない。そう決めて、イリヤは空を駆けた。
彼は選んだ。全部守ることができない自分の無力さを呪いながら、上官の命を捨てることを選んだのだ。
−−命の数を数えろ。
それは、あの黒髪の女性の上官が言っていたことだ。より多くの命が助かる方を選べ。それが戦場での選択肢だと。その選択基準に異を唱えていたイリヤは、このとき切実に己の無力さを実感した。ただ、彼女の命を諦めてしまった代わりに、エレンだけは必ず守ろうとグリップのトリガーを引いた。
しかし、イリヤの決意も虚しく、調査兵団と超大型、鎧の巨人との戦闘は、調査兵団の敗北という形で幕を閉じた。
ハンジ分隊長率いる調査兵団の多くは怪我により戦闘不能。イリヤたち調査兵団は、鎧と超大型、そしてクルト・ウェルナーを取り逃がすばかりか、エレン奪取を許すこととなった。
それは、太陽も天高く上がった頃のこと。すでに、クシェルに与えられていたタイムリミットも切れて久しい時間のことだった。
ベルトルト……彼のことは…つらい……。
彼にも安息があれば…。