まっこと、有難き幸せ……!!拙作を、読んでくださった方に本当に土下座の感謝を!!
ユミルの過去と、単行本23巻以降のネタバレを含みます。ご注意ください。
時系列がバラバラです。わかりにくいですが、最後まで読んでいただければなんとなくわかるかしら、という作りになっております。
ご注意ください。
原作に忠実に沿っていくのですが、単純に時系列的に追っていくのは書いていて面白くなかった故に、こんな形に。。。
そして異常に長い。ビビるほど長い。
相変わらず、ウケも一切考慮しない文章ですが、よければ、楽しんでいただけますと幸いです。
そして何度も言いますが、本作はハッピーエンドを目指します。たぶん。
「クシェル!!」
上官のナナバさんが、地面に落ちていったその人の名を必死の形相で叫んだ。私は揺れる塔の上、クリスタを庇いながら、その小さな体がワイヤーの勢いを使ってくるりと反転し、着地する様をしっかりと見た。まるで黒猫のように体をしならせてギリギリのところで着地したのには、さすが調査兵団の歴戦兵、と口笛を吹きそうになったほどだ。
「後ろだ!」
ほっとした矢先、隣で叫んだのはコニーを抱えたヘニングさんだった。彼が叫んだのと、塔のヘリにいたリーネさんが彼女の名を呼びながら下に飛び降りたのはほぼ同時だった。
「クシェルさん!」
思わず、私は叫んでいた。喉からほとばしったその声が、切羽詰まっていて我ながら驚いた。彼女から手渡されたライフル銃を握る手だけが、怯えたように震える。
私の声に反応したわけではないだろうが、その黒髪の彼女が、上を見上げて、まあるい目を瞬かせた、その次の瞬間。
とんでもなく素早い動きの巨人が、ぱくりとその口に彼女を一口に収めてしまった。私たちの視界から、あの「女神様」の姿が消える。
「クシェル!!」
ナナバさんとゲルガーさんが悲痛な声で泣くように叫んだ。ああ、確か二人は彼女との飲み仲間だと言っていたか。
しかし、私たちの悲痛な声もむなしく、その5メートル級ほどの巨人は、ひとつ大きく口を動かして中身を咀嚼した。
ぼきり、と骨の折れるような音が、塔の上にいる私の耳にも、生々しく響いた気がした。
*****
日が沈み、ストヘス区の街並みはすっかり夜の底に沈み込んでいた。ストヘス区内にある兵団本部では、一帯に松明がたかれ、翼と一角獣のシンボルを背負う二兵団の兵士たちが忙しくなく走り回っている。
「ナイルの采配でなんとか憲兵団の数隊を援助に回してもらえることになった。それらの準備が出来次第、すぐに出発する。エルミハ区まで進んだ後、ハンジを班長として巨人出現のポイントへミケ分隊への援軍を出す。その後、本隊は憲兵団をつれてトロスト区まで南下。リヴァイ、お前は司祭の監視についてくれ」
机の上に広げられた壁内の地図を見ながら、淀みなく言った上官に、リヴァイはいつも通り「了解した」と返す。金色の男はウォール・ローゼに巨人出現の報を聞いても、特に大きく顔色を変えることなく、迅速かつ的確な指示を出した。
その指示はストヘス区長や憲兵団師団長への請願という形でもなされ、「人類存亡の危機」に対応することを優先するということで、エルヴィンへの責任追及は一旦保留となった。むしろ、彼の請願により、有事の際の調査兵団の影響力の大きさと、憲兵団の無力さが露呈した形となった。
――大した奴だ。
リヴァイは副官二名に指示を矢継ぎ早に出す上官を、横目で眺めながらひとりごちた。
「おい、エルヴィン。少し休め」
そうリヴァイが口を開いたのは、エルヴィンについている副官が二人とも退出し、大きな執務室に二人きりになった時だった。しかしエルヴィンは、「ああ、ようやく喋ったな。「了解」しか言わないものだから、てっきり寝ているのかと思ったよ」と似合わぬ冗談を、口の端に笑みを浮かべて言った。なぜか喧嘩腰に投げられたその言葉に、瞬間的な苛立ちがリヴァイを襲ったのは言うまでもない。
「お前が無駄な嫌味を言う時は決まって、頭がうまく回ってねえ時だ。いいから、少しだけでも休め」
「この非常時にか?リヴァイ兵士長らしからぬことを言う」
広げた地図を丸めてしまいながら、エルヴィンが鼻で笑った。そう言う碧眼は、一度もリヴァイを見ていない。だから、彼はリヴァイの眉間の皺がいつもよりさらに険しく刻まれたことに、全く気がつかなかった。
「おい、金髪野郎。テメェは自分の状態もろくに把握できないデグの棒か?一体いつから水も何も口にしてない?そんな状態でエルミハ区まで行ってみろ。途中で脱水症状でもおこして干からびるのが目に見えてるぞ」
どん、と大きな音を立ててリヴァイが机の上に水差しを置いた。先ほど、通りすがりの憲兵に頼んで持ってきてもらったものだ。夕刻の区長たちによる聴取からこちら、アホみたいに喋り通しの上官に飲ませてやろうとしたのに、そのアホはアホらしく延々部下どもに指示を出し続けているから、すっかり水も生ぬるくなっていた。
「……金髪野郎とは懐かしい呼び名だな」
「テメェがそんな風になるのは決まって焦ってるときだ。しっかりしろよ、団長様」
下から睨みつけてやれば、しばらくの沈黙の後、エルヴィンは「参ったな」と困ったように笑った後、降参したようにソファに腰を下ろした。
「確かに昼から何も口にしていない。出発前に野戦食だけでも食べておこう」
「今食え。俺が見てる前で食え」
間髪入れずにリヴァイは言う。このアホが人の言うことなど素直に聞くはずないのだ。今まで何度、こうしたやりとりをしてきたのか分からない。でかい子供でもあるまいに、と思いながら、リヴァイはグラスに水を注いでやる。リヴァイの周りには、このアホのように手のかかる人間はやけに多い。ハンジも、クシェルも、そういう類の人間である。本人たちは世話されている意識がないのがまたタチが悪い。
「……そんなに焦るのは、クシェルのことか」
懐から出した野戦食の包みを開け始めたエルヴィンに、リヴァイはグラスを差し出しながら問うた。しかし、その金色の男は、ちらりと青くて大きな瞳をリヴァイに寄越しただけで、何も言わずにただ野戦食を口に運んだだけだった。
ーー難儀な奴め。
その女に関することだけは、決してリヴァイに本音を漏らそうとしない男に、リヴァイは舌打ちしたいのをこらえながら思った。
振り返って見上げた窓の外の空には、高く丸い月が昇っている。
それは、調査兵団主力部隊がストヘス区を出るほんの数十分前。ちょうど、ミケ分隊の生き残りたちが、ウドガルド城へと身を寄せた頃合いのことだった。
ウドガルド城へと身を寄せた調査兵団の武装兵たちが全滅するまで、あと数時間。リヴァイが話題にした団長付き副官の一人、クシェルを含んだ同僚が戦死したことを彼らが知るのは、それからさらに数時間後のことだった。
*****
話は少し遡る。場所は、件のウドガルド城である。
後に、ここでの攻防と、それに尽力して戦死した調査兵たちは、人類の英雄たる兵士として賞賛され語り継がれることとなるが、そのようなことはもちろん歴史上の物語であって、この時は誰も知る由のないことである。
それは、調査兵団の主力部隊が彼らミケ分隊を援護するため、シーナの突出地区のひとつ、エルミハ区まで来た頃である。ローゼ内に発生した巨人に遭遇したミケ分隊の生き残りは、捨て置かれた古城、ウドガルド城で休息をとっていた。
近隣の集落への避難勧告を終えた後、壁に空いたと思われる穴を捜索した南班と西班は、合流後にその古城へと身を寄せた。
巨人発生確認から、悠に半日は過ぎているだろう。夜も深まり、巨人どもが寝静まる安息の夜が、彼ら孤立した調査兵の心身を癒すわずかな時間を連れて来ていた。
ナナバ率いる西班にはユミルとクリスタが、ゲルガー率いる南班にはライナーとベルトルト、そしてコニーがいた。104期のなかでも10位以内の連中がこぞって生き残るとは、何かの因果か。そう思いながら、ユミルはロウソクに火をともして古城の中を物色している最中である。
104期の中でも特にかかわりのあったサシャ・ブラウスの姿を、散会してから見た者はいない。散会指示を出しながら、ひとり巨人のおとりとなって兵団施設に居残ったミケ分隊長の生存も不明確なままだ。さらに、コニーの故郷にいたという動けない巨人、空いた形跡のない壁。そして、昼間に発見してから一度も巨人に遭遇していないという状況。数多くの不自然な状況に、先輩方、歴戦の兵士もいくらか困惑しているようだった。
――まさか、ここで終わりとはな。
ユミルはため息をついた。推測の域を出ないが、彼女は今の状況を少しは把握しているつもりだった。要は、この壁の中の安息はもう長くはもたないのだ。マーレの国が、ついに憎むべき「悪魔の民」を滅ぼしに来た。そういうことなのだろう。
ならば、自分が生き残る術もそうそうあるはずもなかった。
「君が淹れる紅茶は少し薄いんだ」
ふと、古城の塔の中腹にあたる部屋で、仮眠を取っているはずの上官の声がしてユミルは振り返った。扉の向こうから、ナナバとクシェルが小声で話しているのが聞こえる。クリスタやコニー、ベルトルトが壁際でぐっすり眠りについているのが扉の隙間から垣間見えた。
「そう?」
「そう。ミケが言ってた。葉の量をけちってるだろ。だからリヴァイにマズイって言われるんだ」
「薄い」
「そう。それから私が見るに、蒸らす時間がとんでもなく短い。3分は蒸らさないと葉が開かない」
「蒸す。3分?」
「そう。3分。急いちゃダメ」
「ケチってもダメ。せっかちでもダメ」
「そうそう」
どんな話をしているのかと耳をすましてみれば、なんとも気の抜ける会話に、ユミルは目を瞬かせた。簡易カップに紅茶を入れてすすっているナナバは、昼間に見せていた凛とした表情ではなく、どこか優しげな笑みを浮かべている。男性然とした人だと思っていたが、こうしてみると、どこからどう見ても女性だ。隣で膝を抱えているクシェル副官は、何やら熱心にメモを取っている。どうやら紅茶の入れ方をレクチャーしてもらっているらしいと気づいたユミルは、盛大なため息が漏れるのを隠せなかった。
とんだ腑抜けた上官たちだ。
こんな死地の真っただ中、明日をも知れぬ現状で、そんな事を話しているだなんて。
否、だからこそなのだろうか。これが、何度も死地を潜り抜けてきた猛者どもの会話だというのだろうか。
ユミルは、自分が死を覚悟して最後の晩餐を探しているのが、なんだかばかばかしく思えてきた。あの上官どもは死ぬつもりなど一切なく、帰ってから淹れる紅茶について話しているのだから。はちみつ色の髪の女性兵士と、黒髪の女性兵士はひそやかにほほ笑みながら会話を続けている。それは、一見すれば、訓練兵団の可愛らしい少女たちのようにも見えた。ユミルがまだあの兵団にいた数か月前のあの頃、こんな風に屈託なく笑い合っていた少女たちが大勢いた。しかし、その多くがトロスト区で命を落としてしまって、今はもうほとんどいない。
ユミルが息をひそめながら、その上官たちの、まるで少女のような無邪気な会話に耳を傾けていれば、しばらくしてそれは静かな寝息へと変わっていった。
「…………」
ここで死ぬことに恐怖があるわけではない。一度死んだ人生だ。この気まぐれな運命に翻弄された自分の生きざまに、何か意味を求めているわけではない。もちろん、立派な死に際を願っているわけなどあるはずもない。
もともと、路上で家畜以下の獣のように死にいく生まれだったのだ。
――ただ……。
ユミルは扉の隙間から垣間見える、友人の寝顔に視線をやった。まるで童話の中のお姫様のように可愛らしい友人。ユミルにとっての、唯一無二の大切なクリスタ。
――ばかばかしい。
ユミルは首を横に振ってその考えを振りほどいた。マーレが攻めてきているとするならば、どうあっても自分は生き残ることができない。それを再度確認するように心中でかみしめて、再び食糧あさりに戻った。
「ユミル。何してんだ」
そんな彼女に不意に声をかけたのは、同期の104期訓練兵、ライナーだった。扉からするりと中に入ってきた男は、何を考えているのか、うすら笑みを浮かべている。面倒な奴に見つかった、と舌打ちしそうになるのをこらえて、いつものように冷笑を返す。
「……何だよライナー。夜這いか?驚いたな。女の方に興味があるようには見えなかったが」
「ああ。お前も男の方に興味があるようには見えんな」
「はっ。あたしはこうして腹の足しになりそうなもんを漁ってんのさ。たぶんこれが最後の晩餐になるぜ」
特に注意をしに来たわけでもないらしいと見て、ユミルは再び食糧あさりを始める。箱の中を無造作に漁っていると、それらしきものが姿を見せた。
「コニーの村の件だが、お前わざとはぐらかしたよな。できればその調子で続けて欲しい。あいつが家族のことで余計な心配しねえように……」
ほとんど確証めいた口調で言うライナーを背後に、ユミルは素知らぬふりで箱を漁り続ける。
「何の話だ?お、こりゃいけそうだ。ニシンは好みじゃないが……」
「他にもあるか?見せてくれ」
ライナーの言葉に、ほらよ、よ手渡した缶詰。箱の中には他にもいくつかの食料と思しきものがあるが、どれもこれも、ユミルの好きなものはない。最後の晩餐にしても味気ないじゃないかと思うものの、こんな状況でわがままは言っていられない。
「こりゃ缶詰か……ん?何だ……この文字は……」
驚愕の声を漏らすライナーに、ユミルはぴたりと箱を漁る手を止める。
「俺には読めない。ニシンと書いてあるのか?お前……よくこの文字が読めたな……。ユミル、お前……」
ライナーの言葉に、身体中から一気に汗が噴き出るのがわかった。冷たい汗が背中をつう、と落ちるのを感じながら、その男を振り返る。ライナーが、何か言おうと口を開きかけた時、
「そこで何してる」
胡乱な低い声がして、二人がはじかれたように振り返る。小部屋の入口で、腕組みをしてけだるそうに体を預けて立っている人物がいた。
「ク、クシェル副官」
「ライナー・ブラウンとユミルか。何してる。今すぐ答えなさい」
ひそめられた声は低く、先ほど少女のようなやりとりをしていた人とは同一人物とは思えない鋭さを持っていた。ユミルのロウソクの炎が揺れて、真っ暗闇の中に彼女の鋭い視線がきらりと輝く。
「し、食料が他にないか探していたんです。明日の分もなければ壁の穴の捜索は難しいでしょう」
ユミルが口を開くより先に、汗を浮かべながらライナーが早口で述べた。が、クシェル副官は冷たい表情のまま、ふうん、とけだるげに答えただけである。彼女は長く、兵団の中にいる異端者を探し出す仕事をしてきた人物だ。調査兵団に敵対する者を炙り出すことに長けた観察眼に、下手なウソは通用しない。下手にごまかそうとすれば、それこそ処罰を受けかねない。
「最後の晩餐かもしれねぇって思ったんで、なんかいいもんないか探してたんすよ」
「ユミル!」
「ライナーさんよ。変にウソついて誤解されちゃ、あたしらも困るだろう?ここはきちんと話してお許し願わねえと」
「……仲間全員腹をすかしてるのは変わりないってのに、あなたは自分の分だけ最後の晩餐を探してたってわけだ」
冷たい声。よくよく見れば、副官はその細い背中にライフルを背負っていた。「女神様」とはよく言ったものだ。部下の粗相にライフルを持ってくるやつがあるか、とユミルは心中で舌打ちする。思った以上に、この上官は気性が激しいのかもしれない。
「あたしはこのライナーやクリスタみてえに良いヤツじゃないんでね。仲間の為にとか人類のためにとか、そういう崇高な精神持ち合わせてないんすよ」
ぶんなぐられるだろうか、とも思いながら、虚勢をはり冷笑すれば、以外にもその副官は目を瞬かせただけだった。
「……調査兵団にはとことん向いてない人間だね。どうしてこの兵団に?」
「まあ……そうなんでしょうけどね。別に、誰かに言われてここにいるわけじゃない。あたしにとっちゃ、「人類」のためより、「自分」のためっていう方が説得力があるっていうだけですよ」
「自分のため……?」
「お前の場合、クリスタのためだろ」
冷や汗を流して、視線をそらしながらライナーが口出しした。ユミルは「同じことだろ」と舌打ちする。
そう。結局それは同じことだ。「クリスタのため」だなんて、きっと当のクリスタはひとかけらも望んじゃいない。ならばそれは、つまるところ自分勝手な「自分のため」の行動なのだ。しかしそれが何のためであっても構わない。ウソ偽りがなければ、ユミルにとってそれが何よりも価値あるものなのだ。
「……まあ、そういうこともあるのかもね」
絶対怒鳴られる。そう思って半ばあきらめていたユミルだったが、クシェル副官は予想外にも、気の抜けた感じで彼女に同意を示した。
「はは……。懲罰房行きじゃないんすか?」
「こんな状況でどの房に入れるんだよ……。それに……まあ、あなたの言う意味も分からなくもないよ。……私もそう変わらないのかもしれないし」
「副官が?」
けだるげな雰囲気の副官が、ユミルの問いに初めて、少しだけ微笑んだ。その人はそのまま、何も言わずにライナーの持っている缶詰を彼の手からかすめ取り、
「美味しいそうなものはあった?」
と缶詰に視線をやって、目を丸めた。それは、まさに驚愕を表した表情だった。その驚きの表情に、ユミルは違和感を覚える。
「副官、どうしたんですか」
ゆっくりと、ライナーが問う。それは先ほど、ユミルに缶詰の文字を問おうとしたときに似た、訝しむような声だった。
「その缶詰が、何か、おかしいんですか」
探るように、ゆっくりと。ライナーは冷や汗を滲ませながらその女性に問うた。
壁の中の住人にしては珍しい、黒い瞳がロウソクの炎をうつしてきらりと光った。
「……あなたたち、まさか」
「全員起きろ!!屋上に来てくれ!!すぐにだ!!」
彼女がひとつ、言葉を口にした瞬間。塔の上から、女性兵士のせっぱつまった声が聞こえた。ユミルが腰を浮かせるより早く、何か言いかけたその副官は、はじけたように扉から外に出て階段へと走っていく。
「巨人だ!!」
屋上で監視を勤めていた女性兵士、リーネが叫ぶ。仮眠をとっていたナナバたちが熟練兵よろしく、凄まじい速さで階上へと駆け上がっていく。その後ろにつくクシェルに、ユミルは気づけば叫んでいた。
「副官!あんたなんで!?あれがおかしいって分かったんすか!?」
場違いな質問に、ユミルの後ろを駆けあがっていたコニーが何やら叫んでいる。クシェルは少し振り返り、
「……生き残ったら答え合わせしよう。お互いに」
とユミルを目をまっすぐ見つめてそう言った。
やはり。彼女は壁の外を知っている。「ニシン」の缶詰を見て、驚愕の表情を浮かべたのは、その文字が読めたことと、「ニシン」という壁の中にはいない海水魚の存在を知っていたことの証左だ。
なんだ。どういうことだ。どうして壁の外を知っている人間が調査兵団をやっている。なぜ、彼女がいるのに、調査兵団は壁の外を知らないでいる!?
考えられる可能性はひとつだ。
――クシェル副官は、調査兵団の裏切者。
屋上に出たユミルの髪を、冷たい夜風がすいていく。目の前の黒髪の女性は、明るい月光に照らされながらも、妙に落ち着いた表情で周囲を見渡していた。
月光が照らす城の周り。
十数体の巨人が、無数に動き回っているのがはっきりと見えた。子供のように遊びまわる小型の巨人。ぬらりとした目を屋上にいる人間からそらさずに、まっすぐに塔に向かってくる大型の巨人。
大小さまざまな形の巨人が、周囲を包囲していた。夜には巨人は動かない。そんな「常識」を覆す奴らが、食事を求めて塔にいっせいにむかってきていた。
先輩方の表情が厳しくゆがめられるなか、クシェル副官だけは、冷めたような視線でそれを見つめていた。
「おい……ふざけんじゃねえぞ……。酒も飲めねぇじゃねえか俺は。テメェらのためによお!!」
ゲルガーが叫んで刃を抜いたのを皮切りに、他の兵士たちも塔のヘリへと駆けながら刃を抜いた。その中で、ナナバがユミルたちを振り返る。
「新兵!下がってるんだよ!……ここからは立体機動の出番だ……!」
彼女が抜いた刃が、月光に照らされて銀色に輝く。迷いなく死地へと向かう様は、まさに命知らずと名高い調査兵団だ。
「おいクシェル!その背中の荷物早く捨てろよ!!」
「わかってるよゲルガー!!」
黒髪の細い背中が、言いながら不意に振り返った。
「ユミル。これ、頼むよ」
「お、おぉ!?」
ぽい、と無造作に投げられたライフルを慌ててユミルが受け取る。それを見届けた副官は、
「ユミル。生きてるうちに最善を尽くせよ。誰のためでもいいからさ」
と、なぜか笑って言った。
「行くぞ!!」
ナナバの掛け声で、五人の兵士が一斉に塔の上から飛び降りる。それが、ユミルが見たクシェルの最後の立体起動の姿であった。
その戦いの矢先、塔から身を乗り出したコニーが誤って落下したのを助けたクシェルが、巨人に襲われて空中でバランスを崩した。なんとか持ち直して着地したその場所で、奇行種と思わしき小型の巨人に一口に呑まれたのは、ほんの一瞬の出来事だった。その後、彼女の姿は巨人と共に夜闇に消えていった。
クシェルは、ウドガルド城の戦場から、巨人に食われて離脱した最初の犠牲者となった。