未来への進撃   作:pezo

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諸々の雑事を済ませて古城に戻った頃には、夜の帳はどっぶりと落ち、堅牢な城の中には、暗い静けさだけが満ちていた。

 

 

ここを早朝に出た時には、十人はいた兵士たちも、帰って来たのはたったの四人だった。リヴァイ班は、班長である兵士長、そしてエレンを除き全員死亡。その補佐にまわっていたクシェル班は、班長とエーミール、イリヤ以外の二名が死亡した。エーミールは重傷のため、古城には戻らずにすぐに医療棟へと搬送されてそれっきりである。

 

 

リヴァイ班の任がエレンを守ることであり、クシェル班の任がそのために命を投げうつことであったことを考えるならば、半数近くが生き残ったことは奇跡にも近いと言える。

 

 

しかし、数字の上では良好な生存率も、実際の不在は重く生存者にのしかかる。

 

 

 

 

古城の中に満ちる「不在」という存在は、生存者の心を蝕むような闇だった。

 

 

 

クシェルは、部下であるイリヤとの簡単な打ち合わせを終えた後、上官であり古城の責任者たるリヴァイ兵長のもとへとあたたかな紅茶を差し入れた。

 

 

彼とクシェルはシガンシナ陥落前からの長い付き合いだ。その付き合いの中から、今日のような夜は、その上官がほとんど眠りを享受しないことを知っていた。

 

古城の厨房で紅茶を淹れるのは、もっぱらペトラの仕事だった。紅茶の味にうるさい兵士長殿が唯一、その喉を鳴らせた腕の持ち主であった。かの女性兵士が兵士長を眺める熱い視線は、それはもう、尊崇にも届くようなものだったことは、クシェルもよく知っている。努力家の彼女だったから、神経質なその上官のために、きっと何度も紅茶の淹れ方を学んだのだろう。

 

 

その兵士長の私室の扉をノックして、少し明るめの声を出して入室をしたが、その上官は椅子の上に座って腕を組んだまま、うんともすんとも言わなかった。

 

 

眠っているのかと、うつむく顔をこっそりと覗き込めば、薄く開けられた鋭い瞳と目があって、慌てて「紅茶です」と茶器を机の上に置いて顔を逸らした。

 

 

温かな茶をカップに注げば、上官は無言のままに、ひどく緩慢な動きで顔を上げた。部屋にはクシェルが持って来たランタンの灯りしかない。窓のない牢獄のような真っ暗闇のなかで、男はまるで死んでいるかのように、呼気すら響かせずにそこにいた。

 

 

クシェルがおそるおそるカップを差し出せば、それでも男はカップを手に取った。いつものような妙な持ち方で、一口味わって。

 

 

言葉なく、眉をひそめた。

 

 

口に合わなかったらしい。こんなことならば、ペトラからうまい紅茶の淹れ方を教わっておくべきだった、とクシェルは少しだけ後悔する。その兵士長が新兵として入団してから、幾度となく紅茶を淹れてきてやった彼女だが、一度たりともその彼の「うまい」という言葉を引き出せたことがない。

 

 

むしろ、気心知れた頃からは、「まずい」とばかり言われるものだから、ここ最近はどんなついでの用事があっても、彼にだけは紅茶は淹れないようにしていたほどだ。

 

 

 

「あ、足はどうです?」

 

 

「…………ひと月は動かせないそうだ」

 

 

 

それはひどく厄介な。調査兵団の主戦力がひと月も動かせないとなると、かなり厳しい。しかし、それ以前に次回の壁外調査など臨めないかもしれない絶望的状況だ。これからどうなるのか。全く想像だにできない。そんな道行きのなか、彼の怪我はどう影響するか。

 

 

 

「お前は」

 

 

 

ちらりと、睨むような鋭い視線のまま問われて、クシェルは頭の包帯に手をやった。

 

 

 

「中身は異常なさそうです。怪我も血はたくさん出ましたが、傷は浅い。すぐ治ります」

 

 

 

答えに対して、その上官は何も言わなかった。暗い夜の底で、ただうずくまって体を強張らせているだけである。彼が動いたのは、そろそろ退出したほうがいいだろう、と彼女が踵を返そうとした時だった。背を向けようとした彼女の腕を無遠慮につかんで、ただ一言「また淹れろ」と命令した。

 

 

お気に召したのか、と問えば「まずい」とだけ返ってくる。

 

 

 

「いつもお口に合いませんね。イリヤに淹れさせますよ。あの子の方が私より上手い」

 

 

「…………まずいとは言ったが、「淹れるな」と言ったことはない」

 

 

「…………おぉ…………?」

 

 

 

まただ。上官の言葉の難解さに、クシェルは困惑しながら首をかしげる。長い付き合いにもかかわらず、いつまで経っても彼女は彼の言葉をうまく変換できない。

 

 

しかし、

 

 

 

「知った茶が飲めるのは悪くない」

 

 

 

その意味だけは、妙にあっさりと心の中に落ちてきた。

 

 

クシェルはそれに「ああ」とか「うう」とかよく分からない返事をして、逃げるようにその部屋を後にした。そのまま、早足で地下牢へと向かう。今日のエレンの監視の当番は、グンタだった。彼亡き今夜は、その役はクシェルが担うことになったのだ。

 

 

地下への階段を降りながら、クシェルは顔を手で覆った。

 

 

心臓の音がうるさい。

 

 

早鐘のように鳴るそれに合わせて、体の底から熱がせり上がってきて、涙がひとつだけ落ちた。

 

 

 

どうやら自分も、上官も、等しく弱りきっているらしい。彼が言わんとしたことは、つまり、彼女が生きていて良かった、という旨のことだ。死ぬ覚悟でいた彼女は、この半月あまりそのつもりで彼に接していた。それがどれだけ彼の優しい心根に傷をつけていたのか、今になってようやく彼女は察した。

 

そして、彼女が生き残ったことに安堵しながらも、それに浸れない英雄の暗鬱さに、胸が締め付けられた。こういう時、彼の力強い翼が死者によって作られていることを、嫌というほど思い知らされる。

 

 

 

生き残ったことを素直に喜べるほど、この「不在」は小さくない。

 

 

 

クシェルは長く細い息を吐きながら、地下牢へと続く扉を開けて、お目当の少年のもとへと足を向けた。この古城の中で、もっともその「不在」に胸を痛めているであろう少年は、既に眠りについたようで、ベッドの上から規則正しい寝息が漏れていた。

 

 

ランタンの明かりを小さなロウソクへと移し、火をしぼって彼の寝台の側まで寄る。覗き込めば、その目元が赤く腫れていて、ひどく泣いたことが伺えた。眠りこけた寝顔は、あどけない少年そのもので、クシェルはきゅうと胸がしぼられる。

 

 

貧乳な自分にはこれ以上、しぼる胸もないぞ、と思いながら、崩れかけた心を立て直す。

 

 

 

「エレン」

 

 

 

小さく呼んだ。反応はない。

 

 

エレン。エレン。エレン。エレン。

 

 

その名は、記憶の底から湧き上がるように、口元をつく。

 

 

否、それは実際に沈殿していた記憶だ。

 

 

 

「エレン・クルーガー…………」

 

 

 

少年の前髪をすきながら、少年とは異なる者の名を呼ぶ。

 

 

 

「あなた、なのか?……まさか、ね」

 

 

 

その呟きを聞く者は、誰もいなかった。自嘲気味に笑ったその女の表情の意味は、ただただ「不在」が占める古城の夜に、沈んで消えていった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

翌日、あいもかわらず、地上に生きる人間どもの憂鬱など素知らぬといった顔で、太陽は朗らかにあたり一面を照らしていた。

 

うららかな秋の日差し。涼しげな気持ちのいい昼さがりに、イリヤ・ツェランは苛立ちながら古城の中を右往左往していた。

 

 

 

「班長!!はんちょう!!はーんちょうーーーー!!」

 

 

 

広い古城の中、たった四人の住人。大声でその一人を探しても、誰にも顔を合わせることがない。調査前ならば、きっとオルオかエルドあたりが「うるさい」とそのイリヤの愚行をたしなめるところだが、今は彼の行動を諌めるものは誰もいない。

 

否、今はもういない先輩方よりもさらに口うるさく諌めてくるであろう者を、彼は探していた。

 

 

彼はその直属の上官である女性兵士の姿を、朝から全く見ていない。それはおそらく、日の登る前からいきなり部屋を襲撃してきた兵長のせいだと思われた。

 

 

 

「掃除だ」

 

 

 

まるで巨人を討伐した直後のように殺伐とした雰囲気で、三角筋を頭と顔に巻いたお掃除兵長がベッドの上で寝ていたイリヤの腹を蹴り上げた恐怖は、今もなお体にしみついている。

 

 

そのあと、二人でエレンのいる地下牢へ、その監視をしているであろうクシェル班長のもとへと足を向けたときには、既に彼女の姿はなかった。座っていたのであろうベッド脇の椅子はまだ暖かかったので、兵長曰くは、「逃げやがった」とのことだった。

 

クシェル班長は、兵長の掃除のときだけ、何故かすぐに消えてしまう。彼女自身は綺麗好きで、どちらかというと掃除もマメに行なう人間なのだが、どうやら昔、兵長と掃除の件で大揉めしたらしい。

 

 

 

兵長とエレンは今、地下牢で昨日の調査の際のことを取りまとめている。エレンと女型の巨人との交戦についての報告書をまとめるためだ。

 

 

だからというわけではないが、怒られる心配もせずにイリヤは先程から、消えた班長の姿を探している。先程見れば、馬は小屋に繋がれていた。ならば古城のどこかにいるはずなのだ。何が悲しくて昼間から上官とかくれんぼをしなければいけないのか、とイリヤがふと森のほうへと視線を向けたとき。

 

 

 

「あ」

 

 

 

森の脇から、煙が一筋上がっているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

「クシェル班長!!探しましたよ!あんた何やってんですか!?」

 

 

 

古城の庭の隅っこ。森との境界線付近で、その黒髪の上官が大きな焚き火を行なっている姿が見えて、イリヤは無作法にも怒鳴りながら近づいた。

 

上官は胡乱げに彼に視線を寄越して、「なんだイリヤか」と失礼な言葉をぼそりと呟いた。

 

 

 

「なんだじゃありませんよ。何やってるんですか」

 

 

 

近づいて見れば、予想以上に大きな焚き火である。赤くまるで生き物のように蠢く炎の中で、ちりりと丸まりながら炭へと化しているのは、どうやら本や紙の塊のようだった。

 

 

 

「何、燃やしてるんですか……」

 

 

「研究班のみんなもいなくなっちゃった。これももう必要なくなった」

 

 

「は!?これ、研究報告書ですか!?何やってるんですか!?団長の許可をもらったんですか??!」

 

 

 

巨人や壁成立の歴史ついて、文献をもとに研究を進めていたのが彼女率いる研究班だった。彼女の研究成果は、エルヴィン団長考案の長距離索敵陣形や、ハンジ分隊長の巨人捕獲作戦の立案の素地にもなっていると聞く。それをあっけなく燃やす彼女の脇には、大きなリアカーがあった。もしかすると本部の研究室の書類をすべて火にくべているのかもしれない。

 

 

 

「これで最後だ」

 

 

 

彼女が懐から出した小さなノートを手に、小さく呟いた。それをあっさりと火の中に投げ入れようとしたので、慌ててイリヤはその手からノートを奪い取った。

 

 

 

「ダメですよ!!これはあんたたちの研究成果でしょう!?」

 

 

「……必要なくなったんだよ。もういらない」

 

 

「それを決めるのはあんたじゃないでしょう!?第一、死んだ先輩方の苦労はどうなるってんです!?燃やすってんなら、俺が持ってます!!」

 

 

 

クシェルがいらないと判断しても、他の者が見れば必要かもしれない。そう言って、ノートのページを開いて、イリヤは絶句した。

 

 

 

「読めないと思うけど」

 

 

 

そこには、びっしりと文字が羅列されていた。しかし、その文字は彼の知るものではなく、暗号なのか、それとも古代文字なのか。全く読解できなかった。

 

 

 

「い、いいんです!俺が持ってます!燃やさんでください!」

 

 

 

彼女は少し驚いたように目を丸めたが、すぐに興味をなくしたように「ふぅん」と呟いて手にしていた木の棒で、火のなかで炭になっていく本たちをつつき出した。

 

 

仲間たちとの努力の結集を燃やすその姿に怒りを感じながらも、イリヤは、彼女の表情にいつもとは違う暗鬱がのっていることに気づく。普段から、あまり笑顔以外の表情を出さない彼女だ。変わるときといえば、その案外短い堪忍袋の尾が切れた時くらいなのだ。その彼女の、落ち込んだような表情に、思わず同情心がイリヤの心に去来する。

 

 

 

「なに。メソメソしてるんですか」

 

 

「メソメソしたくもなりますよ〜。いいじゃん、たまにはメソメソ」

 

 

「いい年こいて気持ち悪いんで「メソメソ」とかやめてもらえませんか」

 

 

 

言えば、舌打ちが返ってきた。それ以上の追求がないところ見ると、やはり相当弱っているらしい。珍しい上官の姿にイリヤは驚きを隠せない。

 

 

 

「で、何か用?」

 

 

「あ、すみません。新聞社の方が朝、お見えになっていたんです。記事の催促の件、だそうです」

 

 

 

言った瞬間、はた、と暗鬱な表情を一変させて、奇声を発した彼女が、弾けるように立ち上がった。

 

 

 

「ロイさん!?」

 

 

「あ、はい。そういうお名前の方でした」

 

 

「まずい!連載の記事の件だ!ああああ!原稿燃やしちゃったよ!イリヤ、ごめん、あれ、あの中の燃えてる本に挟んでる!ちょっと取ってよ!!」

 

 

「は?」

 

 

 

どうやら彼女は、本当に研究室のものをなりふり構わず火にくべたらしい。中身はよく知らないが、その連載記事の原稿とやらもまた、一緒に燃やしたことを思い出して頭を抱えて発狂している。

 

 

 

「イリヤ!早く!」

 

 

「いや、火傷しますよ!無理に決まってます!」

 

 

「治るでしょ!?いいじゃん、減るもんじゃないんだ!」

 

 

「減るわ!!なんて事言うんだよ、この人でなし!!」

 

 

 

イリヤの腕を掴んで火にくべようとするとんでもない上官を、必死で抑えながら抵抗するイリヤ。やんややんやと騒いでいた時、森の中から一人の兵士が馬に乗って現れた。

 

 

イリヤとクシェルが大きな焚き火の前で取っ組み合いしている様を見て、その兵士は一瞬虚をつかれたように固まったが、すぐにクシェルに向かって敬礼した。

 

 

 

「クシェル副官!団長から召集命令が下りています。すぐに本部へ戻ってください」

 

 

「リヴァイ兵長は?私一人か?」

 

 

「リヴァイ兵長は引き続きエレンの監視にあたるように、とのことです。副官のみの召集です」

 

 

 

クシェルはその伝令を聞き、イリヤの腕を放して厩のほうへと駆けていき、すぐに馬を引っ張ってきた。

 

 

 

「イリヤ、兵長への報告頼むよ」

 

 

「ハッ!」

 

 

「焚き火、兵長に見つからないように片付けといてね!」

 

 

「ハ、はあぁ!!!?」

 

 

イリヤが抗議の声を上げた時には、その上官は、伝令兵と共に森の中へと消えてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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