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人は誰しも、何かの奴隷として生きている。
そう言ったのは、屋敷の主人の侍衛であったケニーだった。
でも、それはおそらく違う。少なくとも、俺にとっては違う。
人は誰しも、自分自身の主人になることができる。
己の手綱を、他人に譲り渡すことなく、自分自身で握りしめることができるのだ。
――オレたちは知るべきだ。自分の命をどう使うのかを。
そう言ってエレンを問い詰めていたのは、104期の新兵だった。そうだ。その通りなのだ。
俺は、この能力を知る必要がある。己の手綱を、兵団へと明け渡さないために。自分の命がどう使われるのかを、知るために。
喉からせりあがる呼気が荒くなる。なぜか涙がこみあげる気配がして、俺は走りながら首をふった。
クルトとの約束の時間は、刻一刻と迫っている。俺の力についてあいつは「知っている」と言った。ならば、そこに向かう必要がある。
知った後、どうするのか。それまで考えはまとまっていないが、それでもこみ上げる焦燥にも似た感情に突き動かされて、俺はひたすら足を前へ前へと動かした。
人目をさけて、兵舎の裏手に広がる小さな森から本部を抜ければ、誰にも見られずに内門へと向かうことができるだろう。そう考えて、必死に、愚直に、その森の中を駆けていた。
だからだろうか、その人の気配に、声をかけられるまで全く気付くことができなかった。
「オイ、イリヤ」
高いようでいて、低く落とされたその声に、動かしていた足が石のようにびたりと地面にはりついた。
「……リ、リヴァイ兵長」
「イリヤよ……。そんなに急いでどこに行く。クソでも漏れそうなのか?」
おそるおそる振り返った木の陰から、その兵士が姿をあらわして、ゆっくりとした口調で問うてきた。ほとんど真っ暗闇にも近い森の中でも、彼の鋭い眼光がまるで獣のように俺をとらえているのがわかり、ぶわりと身体中から汗が噴き出る。
「そ、そんな、ところです」
「ほう……。それにしちゃ、方向が違うがどうした。便所は向こうだぞ」
「へ、兵長こそ、どう、したっていうんですか……」
喉から出た声が、からからに乾いてかすれている。
獣の眼は、獲物をまっすぐにとらえて離さない。さしづめ、俺は蛇に睨まれたカエルのように、肩を震わせるのを抑えて、精一杯平常心を装うことしかできなかった。
にじり寄ってきた兵靴が、森の地面を踏みしめる。半歩下がりながら、ようやく俺はその人に聞いた。
「どうして、そ、そんな……フル装備で、い、いるんですか」
木陰からにじり寄ってきた彼の両腿の横には、刃の格納箱が、両脇のホルスターには立体機動装置のグリップが収まっている。彼の背には、おそらくあの空を飛ぶための装置が備えられているのだろう。
「気にするな。ちょっとした狩りだ」
「か、狩り?」
「ああ」
一歩、狼の眼をした男が、俺に近づく。逃げるな、と思いながらも、本能的な恐怖が思考をくゆらせて、思わずまた半歩下がってしまう。
鋭い眼光はそのままに、男はいつもよりゆっくりとした口調で話し始めた。
「地下街では一風変わった「狩り」がある」
「え?へ、?」
「拾ってきた猫や犬を使った狩りだ。自分の分け前を与え、従順に飼いならしたそいつらに、獲物を獲らせる。ネズミでも迷い込んだ鳥でも、死にかけの人間でもいい。なんでもいいから獲らせる。そして、そいつらが大物をとって戻ってきたところで狩りは終了だ」
「…………」
そりゃあ、そうだろう。狩猟民のなかでも、自分は一切動かずにパートナーたる猟犬などに獲物をとらせるスタイルで狩りをする者も少なくないと聞く。それが何だ、とその話の意図を探る。
人類最強たる彼の話は、少し迂遠なところがあるが、彼自身は決して意味のない会話を好む人ではない。
「とってきた獲物と、その犬やら猫を同時に締め上げて殺す。そうすりゃ一石二鳥ってやつだ」
「……はっ。そ、そんな狩りが地下ではあるんですか。そ、そりゃあ、面白いですね。ただ、もったいねえ……です、ね。せっかく仕込んだやつを、」
なんとか答えて言ったとき、彼が大きく一歩踏み出して俺のすぐ目の前まで迫ってきた。思わず息をつまらせてしまう。心臓の音だけが、静かな森のなかでひどく荒々しく響いてうるさかった。
「そりゃあ、地上の……、安全な場所に生きているやつが思うことだ。地下の奴らのように、明日をも知れねぇ命のやつはそうは思わねぇよ。もうすぐ死ぬのに、大きな獲物をみすみす見逃すことなんざできやしねぇ。……そんなバカげた狩りだ」
つまり、俺はその、仕込まれた獣だというわけなのか。
目の前の三白眼が、俺を獰猛に睨みつけたまま、立体機動装置のグリップへと伸ばしたそのとき。
「そのバカげた狩りを横からかっさらうのが、あなたのやり方ってわけだ」
背後から、高めの、しかしそれとすぐわかるほど苛立った刺々しい声が背中を叩いた。跳ね上がるような心臓をおさえて振り返れば、やはりそこには先ほど別れたはずのクシェル副官がいた。
無造作に乱れた黒髪。その隙間から垣間見える大きな黒曜石の瞳が、見たこともないくらい険しくリヴァイ兵長を見据えていた。
「ここで何してる、リヴァイ」
「素行の悪い部下への躾だが」
「……何のつもりだ」
まるで地獄の底から響くような、低く感情を抑えた彼女の声は、明らかに怒りを孕んでいる。
いつもとってつけたような笑顔と、崩さぬ礼儀正しさは、見る影もない。彼女は、上官であるはずのリヴァイ兵長をにらみ見据えたまま、聞いたこともないような乱暴な口調で言った。
「話にならないね。さっさと古城へ戻れ」
「お前こそ戻れ。わざわざお前の手を煩わせるほどのことじゃねぇ」
俺を挟んで、上官二名の静かな攻防が行なわれる。あからさまに舌打ちをして苛立ちをあらわにするクシェル副官に対し、リヴァイ兵長は鋭い眼光であるが、声の響きはゆっくりとひとつひとつを確認するようなものであった。
こんなに感情をあらわにするクシェル副官は珍しいが、真っ向から彼らが対立する様など、誰が予想しえただろうか。なんだかんだ言いながらも、深く信頼し合う様子は、常の業務の合間からも感じられるはずであったのに。
彼らがにらみ合う中で、俺はその視界から逃れようと、一歩後ずさった。このまま彼らのもとから逃げる道をちらりと確認したが、人類最強と女神様はその鋭い眼光から俺を逃してはくれなかった。
「イリヤ。あなた、どこに行くつもり?」
「は、いや。く、クソが漏れそうで」
「ならここで漏らせばいいだろう?」
なにを言うのか。
クシェル副官はリヴァイ兵長に向けていた体を、俺の方へと向けて、その懐から無造作に黒い小銃を取り出した。
それは、兵団を害する者を彼女が裁く際に用いるものだ。
その銃口が、俺の額へと容赦なく向けられた。
「な、何を……!?なんなんですか、クシェル副官!!」
「あなたは可愛い部下だ。私は結構あなたのこと気に入ってるんだ。だからもう一度聞いてあげよう。……どこに行くつもりだ?」
「お、俺はどこにも行くつもりありませんっ!!」
必死に上ずる声で叫んだとき、耳元を轟音が通り過ぎた。次の瞬間、焼けるような痛みが左耳に走った。
思わずその千切れそうな痛みに膝をつけば、暗い森の地面に、真っ黒の液体がぼたぼたと流れ落ちた。
左耳が撃たれたのだ、と悟った瞬間、その上官であるはずの女性への恐怖が心を侵食する。何がどうなっている。
「オイ、クシェル。可哀想じゃねえか」
「口出しするなよ、リヴァイ。内部統制の権限はあんたにはないはずだ。
……イリヤ。質問の意図が分からないなら教えてあげよう。……「誰に」、「何のために」会いに行こうとしていた?」
見開かれた黒い瞳が、まるで狂気を孕んでいるかのように、らんらんと輝く。燃えるような熱い痛みを放つ左耳からは、大量の蒸気が上がり始めていた。
回復するそのバケモノの耳を押さえながら、俺はとっさに答えていた。
「し、知りません!なんのことですか、クシェル班長!!」
「イリヤ……」
「イリヤ。狩りの話だが……。お前はどっちだ?」
不意に背後で、場違いなことを尋ねてきた兵長に、「はあ?」と俺は無礼も気にせず振り返った。その姿に、思わず絶句する。
「そのまま苦しみながら飼い主に殺されるか。それとも必死に尻尾ふって命乞いするか。どっちだ」
がちり、と聞きなれた硬質な音が冷たく響く。その人は、俺に向かって対巨人用の刃を二本、情け容赦なく抜いていた。
後ろには刃を抜いた人類最強。
前方には銃口を向ける女神様。
なんだ、この状況は。
喉から、恐怖で胃液が逆流してくるような感覚に襲われる。巨人と対峙したときよりも、恐ろしい。
何を考えているのか分からないもの。理解できないものは、何よりも恐ろしいのだ。
「お、俺は、死にたくない、です」
「まだそんな甘っちょろいことを……」
苛立ちに満ちた声で、女神さまがその美しい顔をゆがめる。俺は、もう、ただただ思いのままに、叫んでいた。
「何が悪いんですか!?俺は人間だ!人間なら死にたくないって思って当たり前だろ!?死ぬために俺は生きてるんじゃないんだ!!」
「それが戦場で通用しないとお前は十分わかったはずだろ?!」
「だからって、死ねと言われて死ぬなんてバカなことあるか!!俺の命は俺のモンだ!」
「っ!!口を慎め!イリヤ・ツェラン!!」
驚くほど大きな声で怒鳴った彼女が、やおら俺の胸ぐらをつかみあげて、鬼の形相で言った。
「その発言を撤回しろ。お前のそれは、今まで死んできた調査兵たちに対する侮辱だ……!皆、「人類」のために健気に命を差し出してきたんだ……!!お前はなんだ!?自分の命がそんなに可愛いならなんでこんな兵団に来た!!?」
知っている。
そんなことくらい、知っている。
俺が俺の命可愛さに生きたいと。そんなささやかな願いは、この兵団で命を賭している多くの人間の生き方を否定する願いだ。
そんなことくらい、とうにわかっている。
それでも俺はやっぱり生きたいし……。
――クルト。
三年間、苦楽を共にした同期の顔が浮かぶ。きっとあいつは兵団とは方向性が違うが、何か、俺にはない目的を背負っている男だ。
それが何かは分からないが、俺はあの臆病でいながらも、必死に戦場に立っていた男が、俺はうらやましかったんだ。
自分よりも劣る、あの男が。
俺は、やっぱり死にたくないし……。死なせたくもないんだ……。
クルトの顔が浮かび、置いてきたはずの訓練兵の頃の懐かしい思い出に胸が焦げ、死んでいった同期たちの声が蒸気を上げる耳の奥で聞こえた。
結局のところ、臆病だったのは、俺だったのだ。
勇敢な兵士は、あの死んでいった同期たちに違いない。
そう気づいた矢先、両の目からとめどなく涙があふれてとまらなかった。嗚咽がこぼれて、夜の森に情けなく響くが、そんなことももはやどうでもいいと思えるくらい、俺は情けなさに歯を食いしばった。
後ろで、兵長がクシェル副官を呼ぶ声がする。
彼らがいったい何を目的としてここにいるのかはよく分からない。ただ、俺ができることは、クルトのことを話さないというだけだった。
あの、勇敢な友人のために。
俺ができるのは、俺の力のことを知る機会を、手放す事しかなかった。
かちり、と頭の上で冷たい金属音が響いて顔を上げれば、真っ暗な小さく丸い銃口とぴたりと目があった。
「殺されるか、命乞いするか、か……。選ばせることすら勿体ないね。イリヤ。試してみようか。お前の頭をぶちぬいても、再生するのかどうか。どっちにしろ、お前のような兵士はただのお荷物だ」
冷たく黒い瞳が、そう言って、場違いに少し笑ったのが、涙に滲んだ視界のなかでもはっきりとわかった。
背後で、兵長の声が聞こえたような、気がした。
*****
満月の夜は、彼らマーレの戦士にとっての約束の夜だ。
マガト隊長率いるエルディア人の戦士とマーレ兵は、パラディ島の海沿いに建てられた壁の上にいた。
何度目かの夜だった。
今夜、壁の中へ侵入した戦士たちに動きがなければ、調査のために二人の戦士が送り込まれることになっていた。
その戦士のひとりであり、幼い戦士たちの長でもあるジークは、夜行用の双眼鏡から目を離して、隣に立っていたマガト隊長へと進言した。
「クルト・ウェルナー諜報員が戻りました」
島の内地から、一頭の馬が駆けてきていた。それは、エルディア人であり、戦士候補生でありながらも巨人継承者たちと共に壁内へと侵入したクルトであった。
「背が伸びたね」
水を飲みながら、船内の一室で体を休めていたクルトに、そう言ったのはピークである。長い髪をけだるげに耳にかけながら言った彼女の隣では、ひげを蓄えた丸メガネの男、ジークが座していた。
「ああ……。ピークは……、綺麗に?なった、な?」
「あら。おばさんになったってはっきり言っていいのに」
まだ16歳の少年然としたクルトと、五年ぶりの再会。彼の帰還で、壁内にいるアニ・レオンハート、ライナー・ブラウン、ベルトルト・フーバーの作戦と状況を知った彼らは、現状で壁へと向かうのは得策ではないと判断して、マガト隊長の指揮のもと、帰還の航行の中にいた。
「壁の中も、いろいろと厄介そうだねぇ。帰ってくるのも大変だったでしょ?苦労したんじゃない?」
「……はい」
言葉少ない仲間の応答に、ジークが首を傾げる。その戦士長にクルトは言った。
「壁の中は予想外のことばかりでした……。ここへ戻るとき、あの「出来損ない」の一族を見つけたので、連れ帰ろうと思いましたが無理でした。……すみません。俺は結局何もできないまま、のこのこと帰ってきてしまいました……」
「「出来損ない」?まさか。眉唾もんだと思ってたけど」
「ええ……。巨人研究の一環で作られたとされる一族。人間態のまま、巨人の再生能力を持った不死の戦士を作ろうとした結果生まれた「出来損ない」です」
ジークとクルトの話に、ピークはふぅん、と興味があるのか、ないのか分からないけだるげな口調で相槌する。椅子の上でしなだれる様子は、まるで獣のようである。
「でもアッカーマン一族ならまだしも、あの「出来損ない」ならそんなに脅威じゃないね。だって、ただ「再生する」だけの人間なんて、戦場では何の効率性もないんだもの。それこそ、一個旅団全部が「出来損ない」でもなければ、ね」
その通りだ、と頷いた戦士長に、クルトは友として四年間を共にした「出来損ない」を思い出す。結局、彼を壁の中の地獄から救い出すことは叶わなかった。「出来損ない」は、約束の場所へは来なかったのだ。
「アッカーマン一族がいたらちょっと怖いよね。どう?クルト。そんな奴はいた?」
「さあ……。俺の知る限りではいませんでした。まあ……とんでもなく強い兵士がいたことはいましたが、たった一人ですし……。そいつもまさか戦士長やアニたちの脅威になるとは思えません」
それに応じる二人の戦士の声は間延びしていて、緊張感に欠ける。この二人は昔からそのマイペースを崩さない。変わらぬ二人の様子に、クルトは帰還を実感しつつ、頷いた。
壁の中の元上官たちのような、緊迫感に満ちた声とは大きく違うな、と眠気に襲われる思考のなかでぼんやりと思った。
規則的なエンジン音が船内にとどろくなか、クルトは夢の中で、いつしか巨人に食われかけたところを救ってくれた、黒く小さな影が空を飛ぶ様を見ていた。
クルトは、この時もちろん、その小さな影の姓を知る由もなかった。
その壁の中に、「アッカーマン」と「出来損ない」がいることに、彼らマーレの戦士が気づいたのは、それから数カ月先。
敗走の船の中であった。
散らかし放題です。わけの分からないところも多かったと思いますが、ここまで読んでくださった方……感謝!!とっても感謝!!ほんと感謝!!
ばばーっと欲望のままに猪突猛進に書いただけで、なかなか読みづらいことも多いと思いますが……。
次章から、散らかしまくったお話を閉じていこうと思います。
第一幕で書きたいことが、ようやく書ける段階にまで来た、のかもしれない。
原作を読んで、自分の中でもやもやしていたものを解消するために書き出しただけの、自己満足満点のこの本作……。
第一幕で書きたいのは、「英雄」。
第一幕と言わず、第二幕でも一貫して書きたいのは、「夢」。
原作がある物語なのに、書くことのむずかしさを感じます。
目指すは、えぐい進撃世界の中でも、登場人物ひとりひとりに少しでも救いがあるようなハッピーエンド!!