未来への進撃   作:pezo

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トロスト区の壁を破られてから、状況はクソだ。

 

 

 

しかし、そのクソな状況を打破するためにエルヴィンが立てた作戦は、かなり画期的であった。これならば、人間に混じっているであろう、巨人の野郎どもに一泡吹かせることは可能かもしれない。

 

 

だが、それ以上に、死ぬ予定の人間が多すぎる、クソみたいな作戦だった。

 

 

 

「リヴァイ。最近ちゃんと寝てる?また隈がひどくなってるよ」

 

 

 

朝の清々しい陽光のなかで、その女が気さくに笑った。古城に設けた女の個室だからだろうか、業務中の猫かぶりなすました顔は鳴りを潜めていた。

 

 

 

「お前も人のこと言えねえだろ」

 

 

 

そうかな、とその頬を触りながら鏡を見つめる様子は、何の変哲も無いただの女だ。町娘というにはそろそろ歳も怪しいが、街にいる女どもとそう変わらないように見える。

 

だが、こいつは心臓を公に捧げた調査兵。いつ絶えるとも知れぬ命だ。

 

 

 

否、こいつの命は次の壁外調査までだ。

 

 

 

「私のことは心配しなくて大丈夫だから、しっかり体調管理してくれよ」

 

 

「ああ」

 

 

 

まだ起き抜けの時間帯を狙って部屋に訪れたからか、兵団支給の白いスラックスに、無造作にシャツを羽織っているだけのラフな格好だった。エルヴィン同様、部下の前に出るときはその第一ボタンまで締め上げている姿とは程遠い。

 

鼻歌を歌いながら、机の上の書類を片付けている手が、小さな箱を手に取ったのを見て、俺はその箱をかすめとった。

 

 

 

「リヴァイ」

 

 

「痛むんだったら、俺がやる」

 

 

「……じゃあ、頼もうかな」

 

 

 

その箱の中には、もうすっかり見慣れた注射器が収まっていた。書類仕事のしすぎか、研究のしすぎか、この女は昔から手首をよく痛める。その治療のために注射器から薬を打つ姿は、初めて出会った時からのものだ。いつしか、その注射を代わりに打ってやるようになっていたが、それも最近はめっきりなかったことだ。

 

 

透明の清潔なガラス瓶を日にかざせば、宝石のようにきらりと輝いた。その細い右手首に鋭利な針を差し込み、ガラス管の薬を体内へ流し込めば、女の顔が苦痛に歪む。何度やっても痛みは慣れぬものらしい。

 

 

 

「エーミールの奴はどうだ」

 

 

「……私の前では普通だね。でも、半年前に二人目が生まれたばかりだし……酷なことになっちゃったな」

 

 

「仕方ない。エルヴィンの立てた作戦だ。エルヴィンはお前の班からエーミールを外す気はないみたいだしな」

 

 

 

一ヶ月後に控えた作戦内容を、エルヴィン直々に伝えられたのは昨夜、勧誘式の後のことだった。

 

 

エレンを囮に敵を誘き出し、巨大樹の森で捕らえるという突拍子もない作戦であったが、古参兵は一様にその作戦内容に同意を示した。古参兵は、その捕獲作戦実行のために、多くが荷馬車班や陣形中央付近に配置された。安全性の高い配置であったが、それは同時に、作戦内容を知らない兵士たちの生存率が格段に下がる配置でもあった。

 

右翼・左翼の索敵班は死ぬだろうと計算された。

 

 

問題は、巨大樹の森の中でのエレンの護衛であった。

 

 

中央後方の特別作戦班がポイント地点にたどり着くまで、どうしても護衛が薄くなる。そこを狙われてしまう可能性は非常に高かった。とはいえ、荷馬車護衛班を全てエレンの護衛につかせることは困難であるし、巨大樹の森の入り口で巨人をひきつける役も多くいなくてはならない。

 

 

そうした考慮の結果、巨大樹の森における護衛には、特別作戦班の補佐に回っているクシェルの班に任せることとなったのだ。

 

 

 

エルヴィンの冷徹な思考で計算されたクシェル班の生存率は、わずか30%にも満たなかった。

 

 

 

 

――死ねと言われたら死ねるのか。

 

 

 

勧誘式でやつが言った言葉だ。

 

 

 

「うっし。ありがとうリヴァイ」

 

 

 

針を抜いてやれば、クシェルが嬉しそうに笑った。こいつも、死ねと言われたら死ねるクチだ。当然だ。それが調査兵だ。命の優先順位で言えば、この女のそれはそれほど高い位置にあるわけではない。

 

 

 

「イリヤ、昨日あなたのとこに行ってたんでしょ?エレンも不安定だし……。あの子たちは色々と大変だからね……。そろそろ精神状態が不安定になる頃だろう。……あの子たちのことは任せたよ」

 

 

「俺に子守はむいてねえ」

 

 

「私よりあなたに懐いてる二人だ。兵士だが……まだ子どもだ。支えてあげてほしい」

 

 

 

消毒液を手に、女が笑った。

 

 

 

俺は吹きすさぶような感情の波を抑えながら、その笑顔を記憶に焼き付けるよう、見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

勧誘式の絶望から一夜明けて、ジャン・キルシュタインは調査兵団の兵舎の共同部屋で目を覚ました。二段ベッドの下の段が、彼に与えられた就寝場所である。見慣れぬ上段のベッドの染みに、自分が調査兵団を選択したことが夢ではなかったのだ、と思い知って、朝からため息が漏れた。

 

 

 

「……ぅぅ、サシャ、そりゃ俺の足だ……」

 

 

 

上段で寝ているコニーが何やら夢うつつでうなされている。昨夜は一丁前に落ち込んでいたが、夢の中ではすっかりいつものお気楽バカに戻っているようだった。

 

 

まだ、起床時間は来ていないようである。

 

 

ジャンは顔を洗うために表の井戸へとふらりと出た。新兵たちが眠る部屋は静かであったが、食堂の方では人の気配があった。食事係の先輩方はもう起きているのだろう。外へ出れば、馬小屋の方へ駆けていく斑らの馬が一頭。確か、古城待機のはずのクシェル副官であった。上官たちはもうすでに仕事に取り掛かっているらしい。さすが、調査兵団は働き者が多い、とあくびを噛み殺しながら思った。

 

 

 

「……クルトが来たらしい」

 

 

「でも、本当に……」

 

 

「心配するな。あいつならきっと大丈夫だ」

 

 

「よう、ライナー、ベルトルト」

 

 

 

井戸の方から聞き慣れた声がして、いつものように寝起きの足を引きずりながら声をかけた。

 

 

呼ばれた彼らは、驚いたようにジャンを振り返り、その眠そうな顔を確認して、「ああ、おはようジャン」と笑って挨拶を返して来た。

 

 

 

彼らもまた、ジャンと同じく、憲兵団志望から調査兵団へと鞍替えした命知らずの人間である。自分よりも優秀な彼らの声を聞き、ジャンは少しだけ憂鬱な気分が晴れるのを自覚した。同期がいるというのは心強い。それだけ、あの訓練兵の頃と変わらないものに縋ることができる。

 

 

訓練兵の頃のくだらない記憶を思い起こしながら、それでも今は亡き親友のそばかすの顔が脳裏にちらついた。心臓がじくりと痛むような思いがして、ジャンはライナーの横にある桶の水を顔に思い切りかぶった。

 

 

 

「おいおい。豪快だな。風邪引くぞ」

 

 

「……っぷはっ。あぁああ。俺、やっぱり調査兵団にいるんだな」

 

 

「何だ、後悔してるのか、今更」

 

 

 

ちらりと見上げれば、余裕をかましたようなライナーの笑顔があって、「そんなんじゃねえよ」とジャンは舌打ちした。

 

 

 

「後悔なんてするかよ。これは俺が選んだ仕事だ」

 

 

 

「そうか」

 

 

 

井戸の水は皮膚を引き締めるかのように冷たい。もう一度丁寧に顔を洗い流したジャンに、ライナーがまだ清潔そうなタオルを差し出してくれた。この同期は、いつも頼れる上に、気がきく。だいたい全員のことを下手に見るクセのあるジャンからしても、ライナーだけは(ミカサは置いておいて)一目置く存在である。

 

 

 

「しかし、巨人殺しの達人集団は、一体どんな訓練をやるんだろうな。なあ、ベルトルト」

 

 

 

ライナーに突然話をふられた大男、ベルトルトは、その体格に似合わぬ小さくうろたえた声で「さあ?」と返した。

 

 

 

「ジャンはどう思う?」

 

 

「別に何だっていいさ。どんな訓練だってこなして、絶対生きて帰るんだ。それより俺は、あの死に急ぎ野郎に言いてえことがあるからな。早くあいつに会ってあのツラぶん殴りてぇぜ」

 

 

 

乱暴にタオルで顔を拭って、息を吐きながら空を仰いだ。

 

 

 

光に満ちた空は青みを増して、いよいよ一日の始まりを告げている。のどかで、美しい一日の始まりを象徴するかのような穏やかな空だが、地獄はこんな日にこそ到来する。

 

 

解散式のあの日も、こんなよく晴れた、気持ちのいい一日だった。

 

 

 

マルコが死んだのも、こんな良い日だったのだ。

 

 

 

死んでたまるか。

 

 

 

ジャンはもう一度頭を振って、拳を握りしめた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

ジャンの「死に急ぎ野郎」に会いたいという願いは、その日のうちに叶うことになる。その日、21名の新兵たちは、教育係のネス班長により、自分の相棒となる馬をあてがわれた後、長距離索敵陣形の座学を受講するという行程で一日を終えた。

 

 

その日の夕方、本部付近で訓練を行なっていた特別作戦班の面々と会した際、上官の許可を得てエレンと彼らの時間が設けられたのである。

 

 

許可を与えたオルオの判断を、リヴァイは特に咎めることはしなかった。だが、エレンに迫る女性兵士の鬼気迫る表情や、エレンと話す目つきの悪い少年兵の切羽詰まったそれに、見張りの必要性を感じた。

 

 

 

「クシェル」

 

 

 

側にいた同僚へ目配せすれば、彼女はリヴァイの意をすぐさま悟って、ひとつ頷いた。

 

 

 

「イリヤ、来なさい」

 

 

 

エレンと新兵たちが数人連れ立って倉庫の方へと歩いていくのを確認して、クシェルはイリヤを伴ってその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あまり、こういうの良くないような気がするんですが……」

 

 

「そうだね。バレたら嫌われそうだし、バレないようにね」

 

 

 

本気なのか冗談なのか。クシェルは倉庫の一角に身を隠して床に腰をおろし、しぃっと人差し指を立てた。ちらりとエレンを囲む104期生の数と顔を確認した後、柱に背を預けて目をつむった。イリヤもまた、その近くに腰をおろして、息を殺す。

 

 

しばらくして、ジャンという目つきの悪い少年と、ミカサという少女が言い合う声が聞こえて、イリヤは滅入ったように頭を抱えた。

 

 

 

新兵たちはやはり動揺している。それはそうだろう。今まで訓練を同じくしていた同期が、いきなり人類の希望とやらになって、しかもそれを守るために死ねと言われているようなものなのだ。

 

 

今まで死ぬ気で命の優先順位を叩き込まれてきた既存の調査兵とはわけが違う。

 

 

 

 

「ジャン……今ここでエレンを追いつめることに、一体何の意義があるの?」

 

 

「あのなミカサ。誰しもお前みたいになぁ……エレンのために無償で死ねるわけじゃないんだぜ?」

 

 

 

厳しくも的を射た確認に、イリヤは息をつめて柱の影からジャンと呼ばれた彼を盗み見た。

 

 

 

「知っておくべきだ。エレンも俺たちも。俺たちが何のために命を使うのかをな……。じゃねえといざという時に迷っちまうよ。オレ達はエレンに見返りを求めてる。きっちり値踏みさせてくれよ。自分の命に見合うのかどうかをな……」

 

 

 

エレンの顔色がみるみる蒼白になっていくのが、遠目で見てもよくわかった。なるほど、とイリヤの隣でクシェルが小さく頷いた。

 

 

 

「だから……エレン。お前……本当に……頼むぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新兵らしい会話だったね。……これなら特に問題はないかな」

 

 

エレンたち104期生の新兵たちの会話は、それからほどなくして終わりを迎えた。彼らが倉庫から出て行ったのを確認し、イリヤとクシェルも裏口からその場を去った。

 

倉庫脇にともる松明の炎のもと、クシェルは何やらぶつぶつと言いながら懐から取り出した紙にペンを走らせていた。

 

兵士たちの監視。ヨゴレ仕事をするのが彼女の班のもうひとつの任務であると、イリヤがクシェル班に配属になったとき、教えてくれたエーミールの言葉を思い出す。

 

とんでもない仕事内容だ、とわきあがる嫌悪感をおさえながら、イリヤはその上官の細い後姿に続く。

 

 

外は夜のとばりが落ちており、トロスト区の籠の中の世界は、まるですっぽりと夜の藍色をかぶせられたように暗い。ふと見上げれば、空のはしっこ、壁との境目は、藍色と橙色がせめぎ合っていた。

 

 

きっと、壁の外にはまだ夜は到来していないのだろう。

 

 

本部にほど近い内門は、ここから数十分ほどで着く場所にある。約束の時間までは、まだ二時間ほどあるか。

イリヤは、昨夜のクルトの言葉を思い出す。

 

 

――お前、真っ先に死ぬぞ。

 

 

「じゃあ、イリヤ。私は団長に報告してから戻るから、先に行っててくれるかい?」

 

 

 

振り返った上官のくるりとした大きな瞳に、思わずイリヤは言葉を詰めた。この上官は、めったに柔和な笑みを崩さない。新兵たちへの監視も、「女神様」と評判の、人好きのする笑顔を浮かべたままに行なうことのできる人物である。

 

 

そんな上官が何を考えているのか、自分をどのように「使おう」としているのか、イリヤには分からない。

 

 

「イリヤ?」

 

「あ、いや。失礼しました。はい。先に戻ります」

 

 

ほんの一瞬の空白だったが、その上官はイリヤの返答を流すことなく、観察するようにその真っ黒な瞳でじいっと彼を見つめてきた。後ろめたいような心持に襲われて、うぐ、と息をのんだイリヤに、彼女はわざとらしく呆れたような溜息をもらす。

 

 

「何を悩んでるのか知らないけど、そんな顔するくらいなら、好きなように動いてみたらどう?」

 

「はい?」

 

 

松明の炎が揺れて、彼女の黒い瞳がまるで熱をもったようにきらりと輝いた。その瞳のまま、ぐい、と彼女がイリヤに近づく。

 

 

「悔いの残らないように。そうだろ?」

 

「いえ……。しかし、俺はめったなことでは死にそうにありませんし……」

 

 

目の前まで顔を近づけてきた上官に、思わずのけぞって言えば、その黒い瞳が再び呆れたように細められた。あ、と思った瞬間には、胸ぐらをつかまれて、片方の手でうなじをがっちりと掴みこまれていた。さすが、熟練の調査兵。細いようでいて、思わぬ強い力に、首がごきりと嫌な音を鳴らした。

 

 

「巨人でもここを削げば死ぬ。お前もここを削いだり、頭をぶちぬけば死ぬかもしれない。違うか?」

 

「あ……」

 

 

ぎりりとうなじに女の細かな爪が立てられる。痛みに呻けば、ようやくその小さくも強い手から解放された。

 

 

「そんな顔するくらいなら、思うように動きなさい」

 

 

どんなひどい顔をしていたのか。イリヤが思わず自分の顔をさすっていると、その上官は小さく笑った後、背中を向けて兵舎の方へとさっさと姿を消してしまった。

 

あっという間に小さくなるその背中は、どうやら自分を心配していたらしい。そう解して、イリヤは踵を返して足早にその場所を去った。

 

ぐずぐずしている暇はない。

 

クルトとの約束の時間は、こうしている間にも迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあ、こちらが、思うようにさせるかどうかはまた別の話だけど」

 

 

イリヤが立ち去った後、兵舎の陰で、そう呟いたのはクシェルである。

 

彼女が懐に隠し持つ、愛用の小銃の安全装置を外して動作確認をしたのを、もちろんイリヤは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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