未来への進撃   作:pezo

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単行本未掲載のネタバレが含まれています。

最新話未読の方は、ご注意ください。


六章 マーレの戦士


本部で拘束されていた巨人二体が何者かに殺されたのは、明け方近くのことだった。駐屯兵団の見張りが気付いたときには、犯人は立体機動ではるか遠くに逃げおおせていたという。

 

 

二人以上の兵士による犯行であると推測された。

 

 

 

「ソニー!!ビーン!!嘘だろ!嘘だと言ってくれぇええええええぇ」

 

 

 

 

巨人二体の死体から蒸気が上がるなか、ハンジ分隊長の取り乱した泣き声が大きくこだましている。

 

 

 

「見ろよ。ハンジ分隊長がご乱心だ」

 

 

 

オルオの皮肉るようなつぶやきに、すかさずペトラが叱咤の肘打ちをかます。相変わらずの先輩兵士のやり取りを横目に、イリヤは息をのんだ。

 

 

 

「貴重な被験体なのに……一体どこのバカが……」

 

 

 

泣き叫ぶハンジ分隊長は、副官であるモブリットの制止をものともせずに、その場で泣き崩れている。彼らの傍では、昨夕本部へと戻っていたクシェル副官が、何やら憲兵団と話していた。

 

 

 

「一体誰が……」

 

 

 

呟いたのは、イリヤだったか。それとも、隣で同じように息をのんでいたエレンだったか。しかしその呟きは、突如かけられた声によって遮られた。

 

 

 

「エレン……君には何が見える?敵は何だと思う?」

 

 

 

 

振り返れば、そこには青く、全く揺らぎのない瞳。

 

それは、エルヴィン団長だった。

 

瞬きすらも許さないようなその視線に、エレンは言葉をつまらせた。

 

 

 

「敵……?」

 

 

 

その問いかけの意味に戸惑い、イリヤが呟く。

 

エルヴィン団長はその迷いなき視線を、イリヤにもまっすぐと向けてきた。

 

 

数秒。エレンとイリヤは息をするのも忘れて硬直していた。呪いにでもかけられたように固まった空気をほどいたのは、問いを発したエルヴィン団長その人だった。

 

 

 

「……すまない。変なことを聞いたな」

 

 

 

その声は、問いかけの低く抑えられたそれとは違い、厳格さの中に柔和な響きを宿した、いつもの団長の声だった。

 

 

 

「エルヴィン団長」

 

 

 

エレンとイリヤの後ろからかけられた声に振り向けば、団長付きの副官、クシェルが記録用紙を片手に立っていた。兵士にしては小柄なその女性兵士に、団長がひとつ頷く。それを見て副官は、心得たとばかりに彼の隣へと歩を進めた。

 

 

優れた屈強な体格のエルヴィン団長の斜め後ろに並べば、副官の身体の線の細さが際立つ。団長を挟むように、リヴァイ兵長もその脇に並んだ。

 

ちらりと兵長がエレンたちに視線を投げたが、団長と副官は、エレンたちを振り返ることなく、そのまま現場をあとにした。

 

 

イリヤが隣にいるエレンを盗み見れば、彼もまた、困惑したような、何とも言えない表情で突っ立っていた。

 

 

 

 

「敵って……なんだよ……」

 

 

 

 

イリヤが誰に言うでもなく呟く。

 

 

その周囲では、駐屯兵たちが、「貴重な被験体を殺してしまったバカ」について、噂していた。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

「五年前だな」

 

 

 

リヴァイの呟きに、エルヴィンは「ああ」と同意を示して頷いた。トロスト区内の本部にある、団長室である。

 

 

執務机に両ひじをついた姿勢で、目線だけ動かして、エルヴィンは腹心のミケとハンジにも同意を促した。

 

 

 

「もちろん。異議なしだよ」

 

 

「妥当だろうな」

 

 

 

腹心たちが全員同意を示したのを確認して、エルヴィンは顔を上げた。それが合図であったかのように、クシェルはリヴァイたちがくつろぐソファの間のローテーブルへ、その手元に持っていた書類を広げた。

 

 

 

「五年前。シガンシナ陥落のあの日以前からの兵士は全体の三分の一にも満ちません。こちらがその名簿になります。……ミケ分隊長、ハンジ分隊長の分隊は、結構生き残っていますね」

 

 

「名簿?もう準備してたのかい?さすが、仕事が早いね」

 

 

 

ハンジたちがそれぞれ、クシェルの用意した名簿を手に、その人員を確認する。

 

 

 

「そこに名前のない兵士は、「敵」である可能性がある。……おそらく、今回被験体を殺害したのも「敵」であろうと考えられる。それをふまえて、今度の壁外調査では大きく編成を組み替える必要があるだろう」

 

 

「……多いな」

 

 

 

エルヴィンの言葉に、小さく呟いたのはミケである。彼が率いる直属の班員たちは、全員が五年前からの仲間である。問題は、リヴァイ率いる特別作戦班と、その補佐にまわっているクシェル率いる研究班であった。

 

 

 

「俺の班は全員ダメだ」

 

 

「私の班はエーミール以外ダメです」

 

 

 

書類を片手にリヴァイが、直立不動の姿勢で立つクシェルが、それぞれ言った。

 

 

 

「エレンを囮にして敵を誘き出す作戦だと言ったな、エルヴィン」

 

 

「ああ。そうだ」

 

 

「なら、エレンを守るためにある俺たちの班員はどうなる」

 

 

「リヴァイとクシェルの班は引き続きエレンの護衛に回ってもらう。しかし、彼らもまた「敵」である可能性は考慮しておいてくれ」

 

 

「……つまり、命をかけてエレンを守るあいつらにも、エレンを狙う敵を誘き出すための作戦は話せない、と」

 

 

「その通りだ」

 

 

 

リヴァイの確認に、エルヴィンはためらいなく頷いた。

 

 

 

「クシェル。イリヤもだ。彼も「敵」である可能性はゼロではない。気をつけておけ」

 

 

「……わかりました」

 

 

 

リヴァイやクシェルは、その答えにほとんど抵抗も動揺もあらわにしなかった。ほんの一瞬の沈黙の後、彼らは同時に、承諾の頷きを返した。

 

 

ミケもハンジも、その厳しい判断に異論を唱えることはない。

 

 

「敵」は何なのか。一体どこから来て、何が目的なのか。

 

 

彼らもほとんどわかっていない。ただ、五年前、シガンシナを侵攻した「敵」が今、動きだしたことは確実であった。

 

 

 

トロスト区は守りきれたが、おそらく次の攻撃もそう遠くないはずだ。

 

 

 

今、人類は、その喉元に研ぎ澄まされた剣の切っ先を突きつけられている状況なのだ。

 

 

 

しかし、それを正しく理解しているのは、ごくわずかな数の人間だけだろう。そしてそのなかでもエルヴィンは、誰よりも深く、広く先を見出している。

 

 

それだけは、その場の誰もが分かっていた。だからこそ、彼らは兵団の多くの兵士を「敵」と想定した厳しく、非情な判断を下すエルヴィンを信頼している。

 

 

 

「ハンジ。君は巨人拘束用の資材の準備をすすめてくれ。知性巨人でも捕まえられるやつをだ。ミケは私と陣形の再構成だ。各分隊の兵士を一兵卒まで性格と名前を教えてくれ。リヴァイ。お前は引き続きエレンの護衛を。ハンジと協力して彼とイリヤの能力についての調査も続けろ。ハンジには仕事が集中して申し訳ないが……」

 

 

「問題ないよ!エルヴィンの抱えてる仕事に比べればどうってことないさ」

 

 

「エレンとイリヤに関する報告書の作成と、本部と古城の連絡事項の伝達は私が行ないましょう。ハンジ分隊長の実験も私ならある程度理解していますし、事務仕事は私が」

 

 

 

クシェルの提案に、エルヴィンがひとつ頷いて承諾した。

 

 

 

「ああ。そうしてくれ。君には一日のうちに何度も古城と本部の往復をしてもらうことになるだろうが……。そうなればハンジの仕事もはかどるだろう。リヴァイも……」

 

 

「ああ。掃除がはかどって助かる」

 

 

「まぁた言ってるの?リヴァイ。あなた待機中、ずっと掃除でもしてるつもり?」

 

 

「黙れクソメガネ。あの古城の汚さは異常だ。壁外調査までに綺麗になるかどうかもわからねえほどだ。それを放っておけと?」

 

 

「え!?本気かよ!?めんどくさいなぁ……」

 

 

「何言ってやがる。俺の班のやつらは全員、やる気だ。何しろ、兵団のなかで一番掃除の腕があるやつらだからな。おいクシェル。お前らの班もだ。分かってるな?」

 

 

 

うげぇとカエルが潰れたような声をあげながら天井を仰ぐハンジを横目に、リヴァイが隣で席に座らず立っている彼女に問えば、その副官はにこやかな笑顔で頷いた。

 

 

 

「ええ。イリヤとエーミールにはよく言っておきます。私は伝達係があるのでご一緒できませんが、彼らならきっと兵士長殿のお眼鏡に叶う働きをすると思います。イリヤは成績優秀の優等生、エーミールはあなたもよくご存知のとおり、優秀な兵士ですから」

 

 

 

猫を百匹でもかぶっていそうなその笑顔に、リヴァイが舌打ちしたのは言うまでもない。ミケは鼻を鳴らして「なるほど。逃げられたな、リヴァイ」とにやりと笑った。

 

 

 

「さあ、今日はここまでだ。五年以上の兵士を集めての作戦会議については、また追って連絡する。それぞれ仕事に戻ってくれ」

 

 

 

リヴァイたちによる、喧嘩の体をしたささやかなじゃれあいを中断させて、エルヴィンは立ち上がった。

 

 

シガンシナ陥落以前から生き残っている調査兵は、それ以降に入団した者とはまた違う絆がある。今では、調査兵団は、鎧や超大型などに対抗するための唯一残された人類の矛として、ある程度の支持を得ている。入団者の多くも、あの惨劇を繰り返すまいと、巨人と戦おうという崇高な理念をもった若者ばかりである。

 

 

それに対して、シガンシナ陥落以前ーー調査兵団が完全に世論から見放されていた時代ーーの入団者は、崇高な理念ばかりではない、何らかの「妙な部分」をもっている。

 

 

その「妙な部分」を持つ兵士たちを、自虐的に「飛び出し野郎」「英雄気取りの勘違い野郎」などと揶揄したのはクシェルである。誰も出て行こうとしない地獄の地へ、誰にも求められていないのに出て行こうとする古参兵は、やはり「妙」なのだろう。

 

 

しかし、エルヴィンにとっては古参兵こそ、信頼に足る優秀な兵士であり、誰よりも尊敬する兵士たちであった。

 

 

この団長室に集う者は、その兵士たちのなかでもとりわけ優れて「妙」な者である。

 

 

だからこそ、彼らの信念は鋼のように強く、絶望的な状況下でも決して折れることがない。

 

 

 

そんな信頼する兵士たちが部屋を出て行くのを見送りながら、エルヴィンは己の副官を呼び止めた。

 

 

ハンジやミケ、そしてリヴァイが退出するなか、最後に扉をくぐろうとしたクシェルが振り向いた。

 

 

 

「クシェル。君には話がある」

 

 

 

 

壁内では珍しい、漆黒の瞳が、きらりと窓から入る陽光に反射した。黒曜石のような、心中の読みにくい瞳だった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

憲兵団による立体機動装置の取り調べを終えたアニ・レオンハートは、兵舎へと戻る道中、一人鬱々とした気持ちを胸に、ひそやかに嘆息した。

 

 

 

――アニってさ。実は結構優しいよね。

 

 

 

同期の少年の声が頭の中で反芻する。胸焼けがして、苦々しくその薄い唇を噛み締めた。

 

 

ふざけるな、とあの愚鈍でありながら根性のある少年に言ってやりたい気持ちだった。もちろん、「兵士」であるアニに、それは許されない。

 

 

 

「……アルミン」

 

 

 

あんたは、私の正体を知ったらどんな顔をするんだろうね。

 

 

 

まるで女の子のように無垢で優しい笑顔を思い出す。嫌いじゃなかった。虐げられた弱者で、臆病で、実際に身体能力も劣っているくせに、自分で道を選ぶ強い精神は、決して嫌いじゃなかった。あんな心の在り方は、自分の故郷にもそうそう見ることのなかったものだとアニは思った。

 

 

 

あれも、あのバカの影響なんだろうか。

 

 

 

優しい相貌の彼と一緒にいた、空気も女の子の気持ちも読めないバカを思い出して、アニは再び小さく、しかし深くため息をついた。

 

 

周囲の訓練兵たちの喧騒が遠い。

 

 

 

焼け落ちそうな胸の重みに耐えかねて視線を落とせば、足元をアリの行列がちろちろと行進していた。

 

 

その行進の真ん中に、無遠慮に足を踏み降ろす。踏みにじったアリの命はいくつだったか。小さすぎて、踏みしめた感触すらなかった。

 

 

行進を遮られたアリは、うろたえて右往左往していた。

 

 

 

五年前、あの街を破壊したとき、壁の上からベルトルトが見た景色もこんなものだったのだろうか、と何となく思った。

 

 

 

 

「アニ・レオンハート」

 

 

 

不意に呼びかけてきた声に、一瞬にしてアニはぼんやりとした思考を引き戻した。それは、この数年間全くと言っていいほど聞いていなかった声だった。

 

 

 

「顔はあげないで。周りの人にバレてしまう。そのまま、顔をふせたまま聞いて」

 

 

 

声に従って、顔を伏せたまま、アニは意識を集中させた。声は、兵舎の物陰から聞こえてくるようだった。視線だけその方向に寄せたが、声の主の姿は見えなかった。

 

 

 

「あんた……まさか」

 

 

「ああ。久しぶりだね、アニ」

 

 

「私たちが訓練兵団に入って以来だね。調査兵団にいることは知ってたけど……音沙汰がなかったから死んだんだと思ってた。生きてたんだね」

 

 

 

その声の主が少しだけ笑った。ひそめられたその声の主は、「色々と大変だったな」と労わるような優しい声で言った。

 

 

 

「トロスト区の壁をやぶったこと、ハンジ分隊長の被験体の巨人を殺したこと。とうとう動いたんだな」

 

 

「ああ……遅すぎたくらいだ」

 

 

「うん。長かった」

 

 

 

沈黙が続く。アニはそのまま、足で土をいじるふりをしながら、その続きを待った。

 

 

 

「もうすぐ望月だ」

 

 

 

ぴくりとアニの眉が動いた。

 

それは、約束の日だ。

 

 

 

「報告のために戻る。エレン・イェーガーのこと、そしてこの作戦のことだ」

 

 

「一人で戻れるのかい」

 

 

「わからない。けどやらなきゃダメだ。援軍を要請してくる。お前らの力を見くびってるわけじゃないが、調査兵団もそう甘くはない」

 

 

「………そう」

 

 

「戦士長を呼んでくる。次の満月の夜までに、必ずだ」

 

 

 

力強く続けられた言葉に、アニはもう一度、「そう」と頷いた。

 

 

 

「もう行くの?」

 

 

「……いや。エレンの奪取はお前たちに任せるが……、もう一人、連れ帰りたい奴がいる」

 

 

「は?」

 

 

「あの、「出来損ない」の末裔がいる。それを連れ帰る」

 

 

 

その言葉にアニははっと顔を上げた。まさか。

 

 

 

「あんた、ちょっと……」

 

 

 

焦ったように声のする物陰の方へと足を進めようとしたとき、

 

 

 

「おい、アニ。何してんだ?招集かかってるぞ」

 

 

 

不意に背中に投げられた声に振り向けば、同期のコニー・スプリンガーが首をかしげてアニを見ていた。

 

 

 

「何でもないよ」

 

 

「早く行こうぜ」

 

 

 

迫り来る兵団選択の時期を前に、流石のコニーもいつもの覇気はない。しかし、鈍感なところは相変わらずで、アニは自分が「仲間」と会話していたことを悟られなかったことに、心中安堵した。

 

 

素知らぬふりで、コニーの後をついていく。

 

 

アニがちらりと背後を盗み見たときには、物陰にはもう、人の気配はすっかりなくなっていた。

 

 

 

 

ふと見下ろした足先では、アニが踏みにじったアリの行進が、再び綺麗な列を作り、淀みなく歩き出していたところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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