7話
私が体調不良を感じ初めてから少し経ち、季節はもうすぐ梅雨に入り洗濯物が乾かなくなる時期になってくる。部屋干し生乾きの匂いは好きじゃないが、乾燥機を使うと服が痛むんだよなぁ。
瑞鶴の地上での発着艦訓練中、頭を悩ませながら彼女の様子を見ているといつもの様に話しかけて来た。
「うーん……加賀さん、今のどうだった?」
「……そうね。特にもう直す所はないと思うわ。この訓練もそろそろ終わりかしら」
「あ、ありがとう。でも、私的にはまだ少し足りないのよね」
「そうなの?」
「なんか加賀さんが見せてくれたお手本と違うのよ。もっと、こう、何というか、凛々しさと美しさが足りないと言うか……」
「何よそれ。私はそんな凄そうなものは出してないわ」
「出てるの! 加賀さんは私の理想なんだから。 私も出来るようになりたい!」
「理想って……あなたは翔鶴の妹なんだし、練度を見ても目指すのは翔鶴でしょう」
「確かに翔鶴姉も理想だけど、私が目指すのは加賀さんなの!」
「そ、そう。それ翔鶴には言わない方が良いわよ」
「もう言った。拗ねられて大変だった」
「あなた達本当に仲良いわね」
「でしょ? でも、何で出来ないんだろうなぁ……」
「私から見ればもう出来てるんだけど」
「うーん………」
「そろそろ次の訓練を始めても良さそうね。よく分からないけど、足りない気がするのなら平行してやっていきましょう。基礎訓練はやればやるほど為になるから」
「分かった。次は海上での発着艦訓練だっけ?」
「ええ。海上の移動訓練と地上の発着艦訓練の成果が試されるわね。今の瑞鶴には余裕だと思うけど」
「そう、かな? そう言ってもらえると嬉しいけど……でも気は抜かないわ。慢心するのはダメだもの」
「よく分かってるじゃない」
正直、今の彼女ならすぐに終わってしまう訓練だと思う。最初こそ慣れが必要だが、それさえつかめれば苦労しないはずだ。
始めても数日で終わってしまうだろうし、今の内に赤城さんの訓練に関しても少し説明しておこう。
「瑞鶴、この訓練が終わったら執務室に行くわよ。今後の指導内容について改めて説明しておくわ」
「……分かった」
その後、訓練時間いっぱいまで彼女は発着艦訓練を行なっていた。
今私は執務室で瑞鶴と向かい合っている。
窓の外は雨が降り出し、少し先がぼやけて見える程だ。私は部屋干しが決まった事にゲンナリしながらも瑞鶴に今後の指導の説明をしていた。
「以上が明日から始まる海上での発着艦訓練です。慣れればすぐに終わる訓練だから数日で終わると思うわ」
「分かった。慣れればいいのね」
「それと最初にも説明したと思うけど、その訓練が終わったら私は指導役から外れます。その後の訓練は赤城さんが指導役となって、海上での索敵や航空戦などの訓練が始まるはずです。近い内に彼女から訓練についての説明があると思うわ」
「赤城さんが指導役に……」
「何か質問はある?」
「………ねぇ、加賀さん」
「なに?」
「……なんで加賀さんが指導してくれないの?」
「えっ?」
「なんで指導役が加賀さんから赤城さんに変わるの?」
「それは最初に説明したでしょう。もともとそういう予定だったのよ」
「でも、わざわざ指導役が変わるって事は何か理由があるんでしょう?」
「………知ってどうするの」
「私に原因があるのなら、治すように努力する。私は最後まで、加賀さんに指導して貰いたいから」
「悪いけど、それは出来ないわ」
私は瑞鶴の目から視線を逸らして言った。
「私は最後まであなたの指導をする事はできない。赤城さんが指導役になる事は決定事項よ」
少しキツい言い方をしてしまったかもしれない。
しかし、私も出来る事なら最後まで瑞鶴を指導したいのだ。ただ、私の欠陥がそれを許さない。
本当の理由を言えない事に罪悪感で潰れそうになる。いや、それは違うな。言えないのではなく、言いたくないのだ。
ーーー本当の私を瑞鶴に知られる事が怖い。
彼女は欠陥がある私を受け入れてくれるだろう。今まで彼女を見てきて、それくらいの事は分かる。彼女は優しいし、そんな事で付き合い方を変えるような性格ではないだろう。
それでも、それでもやはり、私は怖い。
私を慕ってくれる彼女に。
私に懐いてくれる彼女に。
私の料理を美味しいと言ってくれる彼女に。
私を理想として目指すべき目標としてくれる彼女に。
ーーー失望され、距離を置かれる事が、私は堪らなく怖い。
いつから私はこんなに臆病になってしまったのだろうか。
彼女の目が見れなくて、今度は顔ごと逸らしてしまう。
「……なんで? せめて理由を教えてよ」
「理由は言えないわ。これは私だけの判断ではありません」
「それじゃ納得できない!」
「わがままを言わないで。私からは言えません。でも、いずれはあなたも知る事になります」
「私は! 今!! 知りたいの!!」
「落ち着きなさい」
「じゃあ教えてよ!!」
もし、もし私に欠陥がなくて正規空母として戦えたとしよう。それでも彼女の事を考えるのならば、私が指導するべきではない。
彼女は艦娘としてとても優秀だ。とても優秀なのだ。私なんかとは違うのだ。
「今日はもう部屋に戻りなさい」
「……なんで……どうしてよ……私が優秀じゃないから? 私の事が気にくわないの?」
「違います」
「でも私には言いにくい事なんでしょ!? はっきり言いなさいよ!!」
いつの間にか瑞鶴は泣いていた。
彼女はどこまでも私に対して正直で真っ直ぐだ。
今はそれがとても羨ましい。私は誰かに対して彼女ほど正直になれない。
「……私はあなたみたいにはなれない。一緒にしないで」
「っ!! もういい!!!」
瑞鶴は泣きながら執務室を出て行ってしまった。
乱暴に閉められたドアを見て、私はため息をついた。
はぁ……………やってしまった。
こんなつもりじゃなかったのに……。今から謝りに行こうか。いや、今行っても冷静に話し合いは出来ないだろう。
感情的になってしまうなんて私もまだまだだ。
瑞鶴、泣いていたな。
大丈夫だ、彼女には姉の翔鶴がいる。
嫌われてしまっただろうか。
大丈夫だ、彼女はこんな事で人を嫌いになったりしない。
……ああ、ダメだ、さっきから胸が痛い。
どれだけ自分に言い訳をしても、この痛みは消えてくれないらしい。
なんだか疲れた。何もしたくない。今日の仕事全然終わってないのに。
いつも執務に使う机に座り、寄り掛かるように体勢を崩す。このまま寝てしまおうか。
そのまま目を閉じようとした時だった。
鎮守府内に警報が鳴り響く。これは緊急避難警報だ。出撃が認められていない者は地下に避難する必要がある。
緊張が体を駆け巡ると同時に執務室の電話が鳴り響き、私はそれに応答する。
「はい、秘書艦の加賀です」
ーーーーー
私は出撃する準備を整えて、ドックに立っていた。第1艦隊と第3艦隊は既に出撃している。私は入渠中の子がいる第2艦隊の穴を埋める形で出撃する事になった。かなり昔に自分で開発して良く使用していた副砲を、今日久しぶりに装備した。敵へのダメージは少なく意識を逸らす事くらいしか出来ないが、無いよりはマシだ。異常がない事を確認し、左手に装備した副砲の背を撫でながら、私は先ほどの連絡を思い出していた。
この辺りにある鎮守府一帯に、複数の深海棲艦の艦隊が攻めて来ている。
その一部を隣の鎮守府の艦隊が遠征任務の帰りに偶然発見した事がきっかけだった。連絡を受けた司令部はすぐに長距離索敵を開始、かなりの数の敵艦隊がこちらに向かって来ている事が判明した。大本営はすぐに緊急事態を宣言し、離れた場所にある各鎮守府から増援を送ってくれているが、到着までは時間が掛かるだろう。
それまでは自分達のみで鎮守府の防衛をしなければならない。
準備が出来て集まって来た第2艦隊の子達を見ながら、私は先ほど泣かせてしまった瑞鶴の事を思う。
瑞鶴はまだ出撃が認められていない。彼女はちゃんと地下に避難が出来ただろうか。第1艦隊が出撃する前に翔鶴から聞いたが、瑞鶴が出撃すると聞かなかったので翔鶴が気絶させて地下に避難する子達に任せて来たらしい。なんともバイオレンスだが、そうでもしないといけないくらい瑞鶴も必死だったのだろう。
ダメだ、こんなに気持ちが沈んでいたら、戦闘どころではない。
いつも通り余計な事を考えよう。しかしそんな急には思いつかず、思考はまた瑞鶴の事を考えようとする。よし、分かった。無事に帰れたら瑞鶴に先ほどの事を謝りに行こう。ここでフラグを建てておく。こんな時にフラグを建てたら本当に帰ってこれなくなる気もするが、先ほどよりはマシだ。
私が沈んだ気持ちを無理矢理高めていると、第2艦隊の旗艦である神通が話しかけて来た。
「加賀さん、みんな揃ったのでそろそろ出撃しようと思うのですが」
「まだ卯月がいないみたいだけど」
「彼女は先ほどから榛名さんの後ろに隠れています」
「分かりました。私はいつでも大丈夫です。あと卯月、私に何か悪戯したら気絶するまでくすぐります」
「そ、それはもう勘弁だぴょん。この間みたいにみんなの前で喘ぐのは恥ずかしいぴょん……」
「あの時の卯月は超セクシーだったネー! 思わずドキドキしてしまったデース!」
「あの時の金剛お姉様、顔が真っ赤でした」
「それは榛名も同じデース。川内も見てましたよネ?」
「見てた見てた。あれは瑞鶴が着任した時だっけ。周りの子達もみんな顔赤くしてたよ。加賀さんも容赦ないよねー」
「あれは新人を騙した事に対する罰則です。神通も何かあったら同じ事をすると良いわ」
「今度から何か悪戯された時はそうします」
「うぅ、しばらくは何も出来ないぴょん……」
「それにしても、加賀と出撃するのは久しぶりネー!」
「那珂が着任する前は良く一緒に出撃してたけどね。加賀さんを守りながらの夜戦は緊張感あって良かったなー」
「私は生きた心地がしなかったわね。夜戦なんてもう一生したくないわ」
「そんな事言って、その副砲で援護してくれてたの覚えてるぴょん」
「私と金剛お姉様が中破した時ですね。懐かしいです。あの時は卯月ちゃんがいて助かりました」
「昔話もいいですが、そろそろ出撃します。みなさん、用意はいいですね。……第2艦隊、出撃いたします」
久しぶりの出撃で少し緊張していたが、彼女達との会話で大分緊張がほぐれた。もしかしたら卯月はその為に悪戯をしようとしたのかもしれない。
私は艦載機の代わりに積んである弾薬と魚雷を確認しながら、彼女達の後に続いた。
「一航戦、出撃します」