………ミューのキャラ崩壊が凄いです。思ってた以上に。ミューって、『憎い』以外の事を喋ったら、どんなキャラになるんですかね………?少なくとも、ノエルと一緒ではないと思うんですが。
第53話
――――落ちる。
『それ』は、赤い炎の海の奥へと落ちていく。随分と長い間落ち続けているというのに、『それ』は最初から、一瞬でも落下に抗おうとはしなかった。元から抗う気等無かったし、そもそも、体が無いのだ。抵抗などできる筈がない。
――――墜ちる。
紅蓮の炎が渦巻く海は、見た目は荒々しいにも関わらず、『それ』に一切干渉しない。押し上げることも、流される事もなく、『それ』はただ、下へ、真下へと、底の無い海へと沈んでいく。
――――オチル。
ただ延々と落下を続ける『それ』に名は無い。無かったわけではないが、『名』とは体があって初めて成立するものだ。既に体を失っている『それ』に名があるわけが無い。『それ』は既に、体があった頃の意味を失ってしまっている。………『それ』が、もう一度名乗れるとするのなら。有り得ない事ではあるが、『それ』が体に戻る以外に方法は無いだろう。
――――そして最後に、ふわり、と。
『それ』は静かに落下を止める。………有り得ないことだ。この渦巻く炎の海には、海面はあっても底は無い。落下が止まることは絶対に無い。ましてや、引き上げられる事など不可能である。………だというのに、『それ』は引き上げられていく。上へ、上へと上がっていき、誰かに優しく抱えられるような感覚に包まれて――――
◆
「――――え?」
目を開いたノエルの視界に映り込んだ光景に、ノエルは動揺の声を漏らす。そこは、統制機構の士官学校だった。ツバキが居て、マコトが居て、マイが居て。ノエルが、友達と楽しい時を過ごした空間。今はもう、戻れないはずの場所。こんな、存在する筈が無かった人形が、居てはいけなかった場所。
「………どうして、ここに?」
「ここが私にとって、私と向き合うのに一番良い場所だったから。」
返ってくる筈が無いと思っていた、独り言のようなノエルの疑問に、後ろから答えが返ってくる。ノエルが振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。金色の髪に、蒼い瞳。白いケープの下に体に密着するデザインの白い衣装を着ている少女。
「あなたは?」
「私は、あなた。次元境界接触用素体No.12、μ(ミュー)。」
ノエルの問いかけに、少女――――ミューは簡潔に答えを返す。それは、人形としてのノエルの名だ。全てを、世界を歪めた、人形の名前。
「どうしてここに居るの?あなたも、私も。」
ノエルはミューに問いかける。彼女は今世界を憎み、自分を憎み、この世界を自分ごと壊そうとしている筈だ。それくらいは、同じ体にいるノエルにも、知識として分かる。しかし、何故ミューがノエルの目の前に居るのか、もっと言えば、何故境界に落ちていた筈のノエルがここに居るのか、それが全く分からなかった。
「………どちらもあなたのお姉さんのせい。あなたを境界から引き上げて、あなたの魂を体に戻した。私はあなたに、自分に向き合う機会を与えてほしい、と頼まれたから、ここに居る。」
「………お姉ちゃんが?」
ミューの返答に、ノエルは独り言のように呟く。ミューの言葉はつまり、ノエルの姉――――イオが、ノエルに今起こっている、ノエルが理解出来ていないことを全てやった、ということで、イオは、ノエルが自分自身と向き合うことを望んでいる、ということだ。
「そう。あなたのお姉さんは、あなたが私と、自分と向き合う事を望んでいる。自分の感情を受け入れる事を望んでいる。」
ノエルの考えを読んだかのように、ミューはそんなことを言う。しかし、それにノエルは答えを返すことが出来ない。確かに、イオはそれを望んでいるのだろう。それでも、今まで目を背けてきたものに突然向き合え、と言われても、今のノエルには出来ないのだ。………イオはノエルを『強い』等と言っていたが、そんなことはないとノエルは思う。自分と向き合う勇気さえ、持つことが出来ないのだから。
「………でも、少し早すぎたのかもしれない。あなたはまだ、自分と向き合う決意が出来てないから。私だって、あなたと向き合えないから。だから、今は私が下がる。あなたが私と向き合えるようになるまで、私が、あなたに向き合えるようになるまで、私は眠っているから。」
「――――え?」
突然、言い聞かせるようにそう言ったミューに、ノエルは呆けたように声をあげることしか出来ない。彼女は、ノエルの決意が出来ていないから、というだけで、自分からノエルに体を返す、と言ったのだ。………誰よりも世界を、自分を憎んでいる筈なのに。世界を、自分を壊したいなら、ノエルの体を使わなければならない事など、誰よりも理解している筈なのに。
「どうして………そんなことを言えるの?」
ノエルの問いかけに、ミューは考えるように目を伏せる。………元より、明確な理由など考えてもいなかった。ただ、そうするのが正しいし、そうしよう、と思っただけ。世界は憎いままで、それ以上に自分が許せない、というのは変わらない。こんな事を言い出すなんて、ミュー自身が一番馬鹿だと思っている。………それでも、何か、こんな事を言い出した、言い出してしまった理由をつけるとするなら――――
「それも、あなたのお姉さんのせい。………私は害悪でしかない人形だから、人形として扱ってくれれば良かった。なのに、あの人は私を、人形でも、他の誰でもなく、『ノエル』として扱ってくれた。………そんな人は、他にはいなかった。」
「そんな事無い!マコトだって、ツバキだって………」
ミューの言葉に反論しようとしたノエルは静かに首を横に振るミューに言葉を途切れさせてしまう。
「あなたの友達なら、あなたを人形扱いはしない。人として、友達として、『ノエル』として扱ってくれると思う。でも、私はそうじゃない。彼女達にとって、『ノエル』はあなただけだから。私は、あなたの体を奪った邪魔者、という認識をされるか、そうじゃなくても、私は『ノエル』とは絶対に呼ばれない。」
ミューの言葉に、ノエルは何も言い返せない。ミューの言っていることは、的を射ている。確かに、ミューがマコトやツバキの前に現れたとして、事情を説明されて、二人は、ミューをノエルとしては扱わないだろう。彼女達の認識では、ノエルは彼女達の目の前にいる少女ではなく、記憶の中にある『ノエル=ヴァーミリオン』なのだから。
「でも、あの人は違った。あなたのお姉さんは違った。私を見て、私を知って、それでも私を『ノエル』と呼んでくれた。接してくれた。私は、あなたが抑えていた感情だって、同じノエルなんだって言ってくれた。………私は、あの人に憎しみは抱けないし、あの人が護りたいものは壊したくないと思う。それが例え、私が一番憎んでるものでも。だから、私はあなたが自分と向き合うまで、眠る事に決めた。」
ミューがそう言い終わると同時に、ミューの体は桜の花が散るように、爪先から消えていく。それを見ながら、ミューは考える。………結局、自分は『ノエル』という存在として自分を認めてほしかっただけなのかもしれない。なんて皮肉だろう。一番憎かったものに、自分がなりたいと思っていたなんて。――――あぁ、それでも。未練、と呼べるようなものは、本当に、何一つとして無いが、やりたい事があるとすれば――――
「………一度だけでいいから、呼んでみたかったな。」
もうすでに、腹の辺りまで消えてしまった自分の体を見つめながら、ミューはそう呟く。………残念と言えば、それだけが残念かもしれない。結局、ミューは自分を『ノエル』と言ってくれた少女を「お姉ちゃん」と呼ぶことも、出来なかった。
「大丈夫。まだチャンスはあるよ。今は無理だけど、出来るだけ早く、私はあなたと向き合えるようになるから。その時に呼んであげて。………きっと、お姉ちゃんも喜ぶよ。」
考えを読んだように掛けられたノエルの言葉に、ミューはもう首から上だけしか残っていない顔を上げる。………そんな言葉を掛けられるとは、思ってもいなかった。少しだけ、『ノエル』に期待してみるのも悪くないかもしれない。
「………少しだけ、期待して待ってる。」
最後にミューはそうとだけ言って小さく笑みを浮かべると、その姿を消した。