東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

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D3.ともだちあうはっぴー

 幽々子との交流は、わたしが当初想像していた以上に数多く行われた。

 多い。本当に多い。

 わたしとしては正直一週間から三週間に一回くらい会えたらいいなぁ、くらいの心持ちだった。人間は妖怪とは違う。毎日食事をきちんと取らなければ生きていけないし、一日一日を生きるのに忙しい。

 わたしだって毎日の生活が世知辛くはあるが、お腹がすいた状態がデフォルトのせいで飢餓にも慣れてきてしまったのか、食事に関してはおにぎり一つでニ日は保つ。それを過ぎても体力や気力が著しく低下するだけで、しばらくはなんとか活動できるだろう。

 それに、わたしの世知辛いは妖怪としての話だ。人間は夜中に比べれば少ないにせよ、昼間だって妖怪に襲われる危険にさらされている。いくら幽々子に類まれなる能力があるにしても、その辺をふらふら散歩している時間なんてそう多くは取れない。わたしはそう考えていた。

 それが今の状況はどういうことだろうか。幽々子と初めて会った次の日に試しに顔を覗かせてみれば、彼女は前日一緒におにぎりを食べた場所に座り込んで鼻歌を歌っていた。その次の日も、またその次の日も。さすがに吹雪の日に訪れることはなかったが、特別な用事でもない限りはほぼ毎日同じ時間にあの場所に来てくれていた。

 

「ねぇ、幽々子はこんな頻繁にわたしのとこに来たりしてて大丈夫なの?」

 

 両手で掴んだおにぎりをぱくぱくと口に運びながら、ずっと気になっていたことを問いかけてみる。

 初めて会った時にお腹をすかせていたのがよほど印象的だったのか、幽々子は会う時会う時いつもこうしておにぎりを持ってきてくれていた。それもこれまた出会った時とは違って、幽々子とわたしのきちんと二人分。入っている具が毎日異なっているので、わたしは幽々子と会う際にいつもおにぎりの中身を楽しみにしている。

 今日はどうやら焼き魚の身が入っているようだ。ご丁寧に小骨が一つ残らず取り除いてくれているようで、口の中や喉に骨が刺さる心配などせず安心して食べられる。味付けはシンプルに塩だけのようだけど、ご飯も焼き魚も塩とは相性が抜群なので、むしろその質素な味付けがそれぞれの魅力をダイレクトに引き出してくれていた。

 隣を見れば、幽々子も口元を緩め、頬に手を当てて幸せそうにしている。

 彼女とまた会う約束をした際に食べ物の話ばかりが出たように、彼女はどうやらお食事の時間が大好きなようだった。不本意ながら最近腹ペコキャラが定着してきてしまっているわたしとしても、たいへん同意する心境である。

 

「大丈夫って、どういう意味での大丈夫なのかしら」

 

 口に入っていたぶんのおにぎりを咀嚼し終えた幽々子が、そっと顎に手を添える。

 

「いつも暇そうにしているけど家の方は大丈夫かの大丈夫? こんな辺鄙な小道に毎日のように来て、妖怪に目をつけられたりしないかの大丈夫? それとも、おにぎりを毎回持ってきてくれているけれど、気を遣わせているんじゃないかっていう意味での大丈夫?」

「うぅーん、全部かな」

「あら。欲張りな答え」

 

 幽々子はくすりと笑うと、食べかけのおにぎりを竹の皮の上に置いて、雲の流れる青い空をぼうっと見上げ始めた。

 

「一つ目。私ってね、結構いいところのお嬢さまなのよ。そうねぇ、いわゆる深窓の令嬢ってやつかしら? ふふっ、自分で言うのもおかしいけれどね。でもそんな感じなの。そういうわけで生活の方は全然余裕があるから心配はいらないわ」

「じゃあ、妖怪に関しては? 幽々子は自分には妖怪を退ける力があるって言ってたけど、それでも、こんなとこに毎日来るのはやっぱりあんまりいいことじゃないよ」

「うーん……それ、うちの居候にも言われたんだけどねぇ」

 

 はぁ、と幽々子が物憂げなため息をつく。どことなく儚げな雰囲気も相まって、どこか絵になる仕草だった。

 

「というか、今日は出かけるの止められそうになったよね。いつも食べてるおむすびさんもその居候が作ってくれるんだけど、今日は頑なに作ってくれなかったし。もう、私が平気だって言ってるから平気なのにね」

「え、じゃあ今食べてるこれって」

「そうよ。私が作ってみたの。どう? おいしいかしら?」

 

 こくこくと迷わず首を縦に振る。確かにいつもよりちょっと大きい気はしていたが、味の質はなんら変わりなかった。無論、握り飯なんて具材を入れて味付けしただけであることはわかっているのだけど……。

 わたしの反応に、幽々子はふふんと得意げにしていた……ように見えて、ほっとしたように息をついたのがわかった。

 案外、と思う。想像でしかないけれど、もしかすれば幽々子はいつもは食べる専門で、今日初めてこうしてなにかを作ってみたのかもしれない。それはもちろん自分のためだけじゃなくて、一緒に食べるわたしのために。

 そう考えると、手に持っているこれがとてつもなく価値があるものに思えてきた。心なしか、味もまた一層際立って感じられてくる。なんだかちょっとだけ、食べるのがもったいない。

 口に運ぶのを躊躇して、だけどすぐにぶんぶんと首を横に振った。

 違う。幽々子はわたしに食べてほしくてこれを作ってくれたのだ。だったら、食べないと逆に失礼に当たる。

 一粒一粒噛み締めて、きちんと味わおう。そう心に決めて、わたしはおにぎりにかぶりつき、咀嚼する。

 幽々子もまたそんなわたしを見ると、竹の皮に置いていた自分のおにぎりを手に取って、再び口に運んだ。

 

「この寒い冬空の下で、お友達と一緒にお昼を食べる。最近、そういうのが私の中でのはやりなの。いくら妖怪に襲われる危険があるからって、これだけはやめる気になれないわ」

「えへへ、そう言ってもらえるとすっごく嬉しい、けど……わたしのせいで幽々子が危ない目に合うのは、その」

 

 不思議な気分だった。初めは襲おうとしていた側だったくせに、今はまるで逆。

 自分のせいで幽々子の身が危険にさらされるのは、ちょっと嫌だ。

 

「……明日からはここに来る頻度を減らそう、って考えてる?」

「うぇっ!? そ、そんなことは……」

「わかるわよ。もう一か月近くの付き合いになるもの。あなたの純粋な心からの優しさも、寂しさも。他にもいろいろと」

 

 再び遠くを見るように空を見上げる幽々子。わたしはなにかを言おうと口を開いては、どうしてか言葉が出てこなくて、すぐに閉じる。お互いに、すでに自分のぶんのおにぎりは食べ切ってしまっていた。

 ……な、なにか言った方がいいのかな……。

 沈黙。会っても毎回座って話しているだけなので、会話がないことは珍しいことではない。けれど今回のこれはいつもののんびりとした空気とはまた違った、どこか気まずさを感じさせる微妙な雰囲気に満ちていた。

 そんな中、幽々子が唐突に息を大きく吸って。それを思い切りはいて、すっくと意を決したように立ち上がった。

 

「ねぇ、しろもちゃん」

「ふぁ、ふぁいっ?」

 

 気まずい空気を破った幽々子の一言に、びくりと肩を震わせる。

 それから、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 次に彼女が言い放つ一言が、今のわたしと幽々子の心地のいい関係を少し変えてしまうような予感がして、ちょっとだけ怖かった。

 平静を装おうとしながらも、わずかに怯えを含んだ表情をする。そんなわたしに、すっ、と。幽々子はその華奢な白い手を差し出した。

 

「しろもちゃん。今日はこれから、私の家に遊びに来てみない?」

「え、幽々子の家に?」

「ええ」

 

 目をぱちくりとさせる。てっきりわたしは「お互いのためにも私たちはもう会わない方がいい」くらい言われるんじゃないかと戦々恐々としていただけに、なんだか拍子抜けした気分だった。いや、もちろん幽々子がそんなことを言い出す理由がないことなんてわかってはいるけれど。

 

「さっきも言ったけど、最近出かけすぎてるせいか、うちの居候が居候のくせにうるさくてね。今日は抜け出してきちゃったのもあるし、実際、しろもちゃんが気を遣ってくれなくても次こうして会うのを明日明後日すぐにってわけにはいかなさそうなのよ」

「そ、そうだったの?」

「今日はね、最初からこの話をするつもりだったの。せっかくだからこの機会にしろもちゃんを私の家に招待するように……違うわね。ごめんなさい、嘘をついたわ」

 

 言葉の途中で、幽々子がふるふるとかぶりを振る。どことなく自嘲でもするかのように。

 

「嘘……」

「そう、嘘。本当は、ここに通える頻度が少なくなることだけを言うつもりだったの。しろもちゃんは私のことを心配してくれたけれど、それ以上に、しろもちゃんみたいな小さな子がこんなところに毎日通ってるだなんて、絶対よくないことだから」

 

 それは無用の心配だ。そう、心の中で否定する。

 だって、わたしは妖怪なのだ。自分の住処周辺の勢力図だってここ一年で大体把握した。事前に危険を回避するための触角の超感覚もある。ここに通うくらいのことは危なくもなんともない。

 だけどそれを伝えることはかなわない。だってわたしは、まだ幽々子に自分が妖怪だとは打ち明けていないのだから。幽々子と会う時は、いつも必ず変化の術を行使して人間のふりをしているから。妖怪とは人間に忌まれるべき存在だから。

 まったくしろもちゃんのへたれめ、なんて。

 後ろめたい気持ちを抱くわたしと同様に、幽々子もまた、やましいことでもしてしまっているかのような。そんな表情で、差し出した自分の手を見下ろしていた。

 

「でも、私ったらダメね」

「ダメ?」

「最初はね、こんな毎日会うつもりなんてなかったのよ。しろもちゃんにも都合があるだろうから、そんなこと無理だって思ってた。でも初めて会った次の日に試しに行ってみたらしろもちゃんも来て、また次の日もなんとなく行ってみたらしろもちゃんも、そのまた次の日も……そんな日がずっと続いたせいかしら。なんだか名残惜しくなっちゃったのよ。ほんの少しの別れでも」

「……そんなのわたしも同じだよ。そうじゃなきゃ、こんな他に誰もいないとこ、毎日来たりしないもん」

「ええ、知ってる。あなたが私に会いたいと思ってくれていることを、おんなじようにここに通っていた私は、よく知っているわ。だからあなたをうちに招待しようと思った。これは私のわがままだけれど……これからは思った風に会えなくなる。だからあなたに私の住む場所を知って、これからもしも暇があったら、あなたの方からそこに遊びに来て欲しい。そんな風に思っちゃったの」

 

 傲慢ね、なんて幽々子は自重した。

 でもその傲慢は、わたしにとってなによりも嬉しいものだ。大切なものだ。かけがえのない思いだ。

 すべての絆と関係がリセットされ、今の世界では未だにとりちゃんたち河童しか良いと言える交流を築けていないわたしにとって、自分を思ってくれる相手というものはなにものにも代えがたい。他に比肩するものなんてない。

 だから迷う要素も、その必要すらもなかった。

 わたしはまっすぐに手を伸ばして、幽々子の手を取る。強く、強く。自分を責める友達を、ありがとうと温めるように。

 

「友達の家に遊びに行くくらい、なんてことないよ。それくらい友達なら当たり前のことだもん」

「……ふふ、ありがとう」

「でも、楽しみだなぁ。幽々子って結構いいところの生まれって言ってたよね。幽々子のお家ってどれくらい大きいのかなぁ」

「うーん、そんなに期待されても大したものはないのだけどね……行きましょうか」

 

 幽々子に手を引かれて、歩き出す。幽々子とこうして逢引じみた付き合いをし始めて一か月近く経つが、この道端からともに離れるのは初めてのことだった。

 幽々子が立ち上がって、こちらに手を差し伸べてくる際に覚えた感覚。二人の関係が少しだけ変わってしまうかのような予感。あれが正しかったのだと、今更になって知る。

 わたしと幽々子の関係はこの道端で停滞していた。ただ待ち合わせをして少し話すだけの間柄でしかなかった。それが今日、その家を訪れるまでになる。

 ……でも、と思う。

 わたしを家に招待してくれると言ってくれた幽々子は、嘘をついたことを謝って正直にすべてを話してくれた。彼女は友達であるわたしに対して、どこまでも誠実だった。

 でも、わたしはまだ幽々子に嘘をついている。

 いや、広義ではついていないと言えるかもしれない。わたしはただ、言っていないだけ。聞かれていないから、自分が妖怪だと伝えていないだけ。

 けれどそんなものどちらでも変わりなんてない。わたしが幽々子を騙していることに違いはないのだ。

 

「……しろもちゃん、寒いの?」

「え? や、別にそんなことは……」

「うーん、でも震えてるし……あ、しろもちゃん、ちょっと手を緩めてくれる?」

 

 絡むように繋いでいた手が一瞬だけ解かれて、今度は大きい方の手が、小さい方の手を包み込むようにして結ばれる。

 幽々子はやはり優しげに微笑んで。

 

「はい。気休めだけどね。どうかしら」

「……あったかい」

「ふふ、よかった」

 

 本当に、温かい。

 このやわらかい手のひらも。人の心も。人の思いも。

 それはまるで嘘を明かせないわたしの惨めささえ、醜ささえも甘く優しく包んでくれるみたいで、涙が出てしまいそうなくらい、どこまでもひたすらに温かかった。


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