東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

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調べました。
おむすびは主に東日本での言い方で、おにぎりは西日本で呼ばれることが多いそうです。
すごいですね。


Z2.とんじきおいしいりらっくす

「はむっ! はむぅ! うぅー、えへへ……」

「ふふっ、あなた、おいしそうに食べるわねぇ。こっちまで楽しくなってきちゃうわ」

 

 なんてことはない、枝に積もっていた雪が落ちた枯れ木の下。着物の女性と並んで座って、彼女が持ち歩いていたおにぎりを二人して食べていた。

 わたしの好物はあくまで花の蜜ではあるが、人間の抱く恐怖然り今食べているおにぎり然り、それ以外のものが嫌いで食べられないわけではない。むしろこのおにぎりはただの米の集合体のくせして絶品と言えるほどだ。塩が適度に効いていて、いくらでも食べられそうである。

 早々に一つ目を食べ切ってしまって、無意識に、着物の女性が持っている食べ途中のおにぎりに目が行ってしまう。ずっとわたしをにこにこと眺めていたらしい彼女は目ざとくわたしの視線に気づくと、すっとそれを差し出してきた。

 

「食べる?」

「食べっ、い、いや! た、食べ、食べないですっ。恵んでもらった身で、そこまで厚かましいこと……」

「そんなこと気にしなくてもいいわよ。おいしそうに食べているあなたを見てると、私も幸せな気分になれるんだから」

 

 にこにこ。とてつもなく眩しい笑顔である。

 こんないい人が本当に存在するのだろうか。もしかして幻だったり……。

 思わず袖で目元をこすっていた。だけどなんと夢ではないようで、変わらず彼女はそこにいる。突然目元を拭い出したわたしにも小首を傾けるだけで、一向に眩しさが散る気配はない。感無量だった。

 そしてだからこそわたしは再度首を横に振る。受け取れないと押し返す。そして、言うのだ。

 

「こ、こんなにおいしいもの、独り占めなんてできません。食べたくはありますけど……それより、その、わたしもあなたがおいしそうに食べてるところみたいです。そっちの方が、今は幸せになれる気がします」

「あら、おんなじこと言われちゃった。ふふ、小さいのに優しいのねぇ。いい子いい子」

「ふにゃぁ」

 

 頭を撫でられて格好を崩す。優しく温かい手のひらに、わたしの心は完全に弛緩していた。しろもちゃんちょろすぎである。

 そんなこんなで食事を続けることしばらく。気がついた時には、おにぎりはとっくになくなってしまっていた。それも当然であろう。元はこの着物の女性のぶんしかなかったものを二人で分けて食べたのだ。

 それにしてはそれなりの大きさのものが四つあった気もするのだが……。

 おにぎりを食べ終わっても、わたしと着物の女性は食事直後ということで樹木の下に座ったままでいた。食べている間も、こうして食べ終わった後でも、すぐそばの道を誰かが通ることはなかった。今のところわたしが見かけたのは隣りに座るこの着物の女性くらいである。

 聞けば、ここは人里から少し離れた位置の道であり、その道の先にも大したものがあるわけでもないので、ここは人通りが少ないのだという。わたしは妖怪の山の自分が住んでいる付近の事情しか知らなかったから、当然そんなこと知るよしもなかった。

 人が通らないところで人を待ち伏せするという意味不明なことをやっていたという事実に、ここに至ってわたしはようやく気づく。着物の女性が通りかからなければ、あるいはいつまでも待ち続けて餓死か凍死でもしていたかもしれない。本当に本気で感謝感激雨あられな気分だった。

 

「あれ? でもそれなら、なんであなたはこんなところを歩いてたんですか? この先にはめぼしいものなんてなんにもないんですよね」

「ただの散歩よ。暇つぶしのね。というか、それを言うならあなたもよ? 聞きそびれちゃってたけど、あなたみたいな小さな子どもがこんなところでなにをしてたの?」

「うぐっ、わ、わたしはそのー、えーっと」

 

 実は妖怪で人間を襲おうとしていた、なんて言えるはずもない。

 ど、どうやって誤魔化そう……。

 言いにくそうに口ごもってしまうわたし。しかし着物の女性は無理に聞くつもりはないようで、わたしが答えに窮していることを察すると、小さく肩をすくめた。

 

「まぁ、いいんだけどね。でも、本当に注意しなきゃダメよ? こんなところで一人でいたら妖怪に襲われたって不思議じゃないんだから」

「そ、そそそそうですよねっ!? よ、妖怪に襲われるかもしれませんもんね! こ、ここ、これからは気をつけますぅっ!?」

 

 めちゃくちゃ狼狽えながらの返答ではあったが、着物の女性は割と脳天気なようで、特に疑うような様子は見せなかった。むしろ急に大声を上げたわたしを「元気になってきたわね」と微笑ましそうに眺めてまでいる。能天気すぎた。

 それでも今にも疑われかねないと勘違いしていたわたしは、自分に向いている話題をそらそうと必死に思考を巡らせる。なにを言えば自分のことから話をそらせられるのか。考えに考えた結果たどりついたのは、同じ質問を返すことである。

 

「わ、わたしもそうですけど、あなたも気をつけた方がいいと、思います。えっと、その。がおーっ! って妖怪に襲われたりしたら、人間なんてひとたまりもありませんし……」

 

 襲おうとしていた自分が言うことじゃない、と思いつつも。

 ちらちらと、わたしは着物の女性の様子を窺う。誤魔化すために返した質問とは言え、ここまで優しく接してくれたこの女性が襲われるのはわたしにとっても好ましいことではない。八割くらいは本気で心配していた。

 しかし着物の女性はなぜか不敵に笑いながら、心配ご無用とばかりに、つんとわたしの鼻を突いた。目をぱちぱちとさせるわたしに、女性はその豊満な胸を張りながら言う。

 

「大丈夫よ。私にはちょっとした力があるから。低級妖怪くらいならそれで簡単に追っ払えちゃうわ」

「力、ですか? えっと、それって……?」

「ふふ……まぁ、あんまり大きな声で言えるような清潔な力じゃないんだけどね。教えてほしい?」

 

 もちろん気にはなる。低級妖怪を払える力、つまりわたしくらいは容易に退けられるほどの力ということになる。

 ……あれ? ってことは、もしもあの時転ばずにこの人を襲っちゃってたら、もしかしなくても……。

 ありえたかもしれない未来を想像し、ぶるり、と全身が震える。

 あ、危ないところだった。あの時転んでてよかった……そうじゃなきゃ、今頃わたしは未だ雪の中にいた。

 わたしくらいどうとでもできただろう着物の女性の力。気にはなる。気にはなる、が。

 

「いえ、言いたくないことなら、別にいいです。たぶん会ったばっかりのわたしにそう簡単に言えることじゃないはずなので……」

 

 わたし自身、妖怪であることを隠している。それでいて他人の秘密だけを暴こうだなんて、いくらなんでも身勝手がすぎるというものだ。

 着物の女性は目をぱちくりとさせていた。わたしのような子どものことだから、すぐに知りたいと言い出すと思っていたのかもしれない。

 

「……気を遣ってくれたのかしら。聡明なのね」

 

 そう言った着物の女性の口元がわずかに緩む。

 

「でも、なんだかちょっと残念かも」

「残念、ですか?」

「せっかく『ひ、み、つ』っておでこをつついてあげる準備をしてたのに、無駄になっちゃったもの。ぷくーって頬を膨らませちゃうあなたが見たかったんだけどなー」

「秘密って……むー、最初から教えるつもりなかったってことじゃないですか」

「うふふ、ごめんなさいね。でも私のことを思ってくれたご褒美に、本当のことを一つだけ。私に力があるって言ったのは嘘じゃないの。それこそ、住職さんみたいな人たちには絶対に言えないような力がね」

 

 力があると口にした時と同じように、不敵に微笑む着物の女性。要領を得ない『本当のこと』とやらに、わたしはひたすら首を傾げていた。

 能力。そうまで呼ぶべき力をわたしのような妖怪ならばまだしも、この女性のように人間が保有していることは非常に珍しい。

 なぜならそれは、人間は妖怪のように特別な『いわれ』を持たないからだ。天狗のように、風を操るとされているわけではない。鬼のように、怪力を誇るとされているわけでもない。河童のように、水を自在に操っては自由自在に泳ぎ回るとされているわけでもない。

 というよりも、そもそもとして普通の人間には到底持ち得ない人から乖離した力こそを能力と呼ぶべきなのだから、基本的に人間が能力を持たないことも逆説的に当然の話である。

 わたしが誇る能力。空を飛ぶこと……は大体の妖怪にできるから微妙か。でも、虫の妖怪ならではの触角の超感覚なんかはじゅうぶんに能力の範疇と言える。そして翅に宿る《(クタイ)》の力や、わたしにしか使えないわたしだけの本当の意味での特別な『能力』も。

 

「……そういえば、私、あなたの名前まだ聞いてないわ」

 

 唐突に着物の女性がそんなことを言い出す。すっ、と立ち上がって少し前に出て、後ろ手に両手を繋ぐとくるりと踊るように半回転した。

 散りきって雪の積もった寂しい木々と、赤髪がかった空、その向こう側からちょっとだけ覗く太陽の光。それを背景にわたしを覗き込んでくる彼女を、まるで冬に咲く桜木のようだ、とわたしは思った。

 木枯らしに舞う桃色の髪、優しげな微笑みと、楽しそうに細まったやわらかい瞳。女性らしい細い体つきに儚げな着物を纏った彼女の姿は、なんだか今にも散って飛んでいってしまいそうで。

 絵画のように。いや、そんな確かなものではなくて、ずっと昔の思い出のように懐かしく、美しい。

 まるで、いつかどこかで見たことがあるような感覚。知っていたかのような感覚。

 そしてそれはきっと気のせいではない。なにせ、わたしはすでに確信していた。

 

「わたしの名前の前に……ふっふっふ、あなたの名前を当ててあげましょう」

「私の名前を?」

 

 自信満々と言ったわたしの言いように、着物の女性が訝しげに小首を傾ける。

 今の彼女の姿をこの目で見た時に、わたしはふいと思い出していた。

 わたしはこの女性のことを知っている。これまでは頭の片隅の方に追いやられていただけだった。

 だが今はもう完璧である。ゆえにこそ名前を当ててみせると宣言する。大胆不敵に、今度はこちらが狼狽えさせる番だと。

 ふぅー、と息をはいて。すぅー、と思い切り息を吸って。わたしは大きく口を開いた。

 

「ずばり、ゆーこ!」

 

 きりっ。どや顔で告げる。

 決まった……。

 名前を叫ばれた着物の女性は当然、なぜ知っているのかと困惑したように目線を彷徨わせて。

 

幽々子(ゆゆこ)ですけど……」

 

 誰にでも間違いはあるものだ。

 大事なのは間違いを認めることなのだ。

 皆それをわかっていない。

 でもしろもちゃんはわかっている。偉い。

 わたしは素直に頭を下げた。

 

「知ったかぶりました……」

「え、ええ。大丈夫、大丈夫よ。惜しかったじゃない。当てずっぽうなのにすごいわ」

 

 なんかフォローされる。単に記憶違いというか、思い出し切れていなかっただけなのだが、それを言うとどういうことだとつっこまれてしまうので、さすがに口を噤んだ。

 前の世界のことについてはにとりちゃんにだって話していないことだ。いくらわたしに優しくしてくれた女性とは言っても、会って一日すら経っていない相手に明かそうとは思わない。

 けれども、名前の方はもちろん別である。

 

「とりあえず改めて……幽々子。西行寺(さいぎょうじ)幽々子。それが私の名前よ。さ、あなたの名前を教えてくれる?」

「わたしはしろもです。仮縫しろもって言います。仮に縫うで仮縫、それにひらがなでしろもです」

「じゃあ、しろもちゃんね」

「しろもちゃん、ですか」

「嫌?」

「いえっ、全然嫌じゃないですっ。むしろそう呼ばれる方が好きですっ」

 

 慌てたように答えるわたしに、幽々子はくすくすと笑った。

 

「うーん、そうねぇ……しろもちゃん、その敬語」

「はい?」

「私には敬語を使わなくてもいいわ。なんたって一緒におむすびさんを食べた仲なんだもの。私たち、もうお友達でしょう?」

「友達……ですか?」

「ええ、友達。私と友達は嫌?」

「そんなことないですっ!」

 

 ばっ、と素早く立ち上がる。

 むしろ大歓迎だ。この世界にうまれ落ちてから、わたしの友達は未だ河童の彼女たちのみである。他の親しくしてくれる相手ができるのならば是非もない。

 幽々子はあいかわらず口元に笑みを浮かべながら、すっ、とわたしの唇の前に人差し指を置いた。

 

「それなら、敬語」

「……じゃあ、その……こ、これからよろしくね、幽々子。えっと……こ、これでいい?」

「ええ、合格。まだ拙いけれど、それはきっと、あなたがまだ私を目上の相手だと思っているからね。あなたがご飯をいただいたと認識しているから。でも、きっといずれそれも時がほぐしてくれるでしょう。だから今はそれでいい」

 

 そう締めて、幽々子は西の空を見つめた。すでに太陽は沈みかけ、空には気の早い一番星が浮かんでいる。

 妖怪にとって月の光とは太陽のそれとなんら変わらない。だから妖怪には昼も夜もない。だけど人間は当然違う。

 ろくな明かりのないこの時代において、人間にとって太陽が沈むということは一日の終わりと同義である。

 

「そろそろ帰らなくちゃいけないわね。あなたは、一人でも大丈夫? もしよかったら送ってくわよ?」

「いえっ、わたしはその、い、家が近いので大丈夫ですっ。心配いりません」

「敬語」

「あ、えっと、家が近いから大丈夫だよ! 心配してくれてありがとね!」

「……そう。でも、ちゃんと暗くなる前に帰るのよ。夜は妖怪の時間だもの。いつどこから襲われるかわかったものじゃないから」

 

 その妖怪が自分なのだけど、なんて後ろめたい気持ちを抱きつつも、こくんと素直に頷いてみせる。幽々子もまたそんなわたしに、よろしい、と満足気に首を縦に振った。

 そして幽々子が背を向けた去り際にちょっとだけ不安になって、ただ一つだけ、質問を投げかける。

 

「また、会えるよね?」

 

 幽々子は振り返ると、やはり、優しげに小さく微笑んで。

 

「もちろん。だから約束しましょう? 私たちはまた何度でもここで会う。そうして次は好きな朝食の話でもするの。その次は好きな昼食、その次は好きな夕食」

「た、食べ物ばっかりだね」

「でも、素敵だと思わない?」

「……うん。とってもいいと思う」

「じゃあ約束ね。はい、指切りげんまん」

「えぇっと、嘘ついたら針千本のーます」

 

 幽々子は交わした小指を顔の前に持ってくると、少し残念そうに眉を落とした。

 

「うぅーん、私もさすがに針千本はおいしくいただけそうにないわね……」

「じゃあ、ちゃんと約束守らないとね」

「ふふっ、そうね」

 

 ばいばい、と。お互いに手を振って、今度こそさよならをした。

 ひゅー、と。冬の風が吹く。

 一人残されて、少し寂しかった。暗くなっていく空がまたそれを助長しているようで。

 だけど、普段はお腹が空くだけで恨めしかっただけの雪景色は月の光に照らされていて、久しぶりに、なんだかちょっと美しく思えた。


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