東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

6 / 11
今話から第一部となります。
時系列ですが、西暦で大体1100とか1200とかその辺です。割と近代です。
今後もどうかよろしくお願いいたします。


Part One.Lucid Dreaming
E1.ふゆぎらいでぃすぺあー


 時は巡る。

 わたしが今の世界に生まれ落ちて、すでに一年と半年ほどが過ぎ去っただろうか。

 一年。悠久を生きる妖怪にとっては一瞬にも等しい時間ではあるが、それだけの期間を経てわたしも多少は強くなった……と思う。少し前までは木を殴っても「ぺちっ」って感じだったけれど、今は「とんっ」と小気味いい音が鳴る。

 身長も少しだけ高くなったのではないかとも感じる。七歳程度だったものが八歳程度になったくらいの本当に少しではあるものの、今の世界に生を受けた以前の記憶にある姿に近づいていく感覚はそう悪いものではなかった。このまま順調に成長していけたらな、と思っていた。

 にとりちゃんや他の河童たちの盟友となり、体の調子が戻った後は、わたしは普段過ごしている麓の森へ戻っていた。

 あれから変わったことと言えば、河童たちから盟友のよしみでたびたび花を贈られるようになったことだろう。にとりちゃんたち河童の住処付近は蟲の妖怪も少ないようで花などいくらでも取れるそうだが、わたしが住む辺りは競争率が高い。あいかわらずわたし一人では食糧を確保し続けるのは困難だったりするので、たまにと言えど花の贈り物をしてくれる彼女たちには感謝してもし切れなかった。

 そんなに餌が取れないなら別のところに住処を移せばいいのに、とはにとりちゃんの言だが、まったくもってその通りである。ただ、すぐにはそうできない事情がわたしにもあった。

 まずそもそもとして、わたしはこの妖怪の山の勢力図を詳しく把握できていない。鬼が頂点でその一番の配下が天狗、そしてそんなヒエラルキーの比較的上の方に河童がいることは理解しているが、それだけである。

 意図せずして他の強力な妖怪の領域に不用意に入ってしまい、排除の対象になんてしまったらたまらない。

 たとえば、盟友になった今こそ親しい関係を築けているが河童とは実際はかなり排他的な種族だ。その排他的を突き詰めれば、他とは一切の不干渉を望む山姥(やまんば)という妖怪だっているという。そしてその山姥はにとりちゃんいわく、住処に足を踏み入れたものは誰であろうと――たとえ相手が鬼や天狗であろうとも――排除しようとするというからたちが悪い。

 わたしはこの一年ちょっとの時間でようやく自分の住む辺りの事情に精通してきたくらいだ。そこから急に住処を移すとなると、未知数の危険がはびこる中で一からまたその危険を紐解いていかなければならなくなる。ちょっとした隠し玉はあるものの、わたしなんてしょせんは新米の弱小妖怪に過ぎない。未知の危険に自ら飛び込んでいく無謀な度胸はなかった。

 たとえひもじい生活が続くのだとしても、今の住処で一生懸命生き続けること。それが大した力のないわたしにできる一番安全な未来の選択なのだ。

 ……なんだけど……。

 

「おなか……すいた……」

 

 ふらふらー、と。時折倒れそうになりながら、わたしは森を歩く。

 一歩一歩と足を進めるたびに、ざくざくと耳ざわりのいい効果音がともに響くけれど、とっくに聞き慣れてしまったわたしにとってはただ単に歩きにくいだけだった。

 冬。木々の葉は秋のうちにほとんど枯れ落ちて、今は代わりに雪が枝に集っている。視界いっぱいに広がる銀世界は美しいと言われれば美しいかもしれないが、それを味わったわたしが覚える思いは感動なんかよりも絶望の感情が圧倒的に濃かった。

 わたしは蝶の妖怪である。花が好物なのである。木の実も好きである。とにかく甘いものが好きなのである。

 それがこの森の無残なありさまはいったいどういうことなのだろう。花なんて大体雪に埋まってるというかそもそも咲いてない。樹木に蜜なんてあるはずもないし、その枝には実どころか葉っぱすらない。

 冬にも花は咲く。そんなことを言ったのは誰だったか。確かにその通りかもしれない。

 でも考えてもみてほしい。わたしは春や夏と言った植物が盛んな時期ですら食糧難に陥っていたのだ。かろうじて枯れかけた花とか未成熟の木の実とか、腐りかけの木の実とか……。

 そんなわたしが過酷な冬において貴重な冬の花を確保できるのか。当然答えはノーである。いいえなのである。

 

「おなかぁ、おなかがぁ、ぐぅぐぅ鳴ってぇ、あぅあー」

 

 自分がなにを言っているのかもわからなくなりながら、あえぐように空腹を叫ぶ。

 今ならば冬眠をするクマの気持ちがよくわかる。餌もなんにもないこんな季節、まともに活動していて生きていけるはずがない。どこか温かい場所でくるまって、ずっと眠って空腹の悪夢を乗り越えたりだとか、温かいうちに確保した食糧をちょびちょびと消費しながら乗り越えるのが一番正しく、賢い選択なのだ。

 わたしもそうしたい。切実にそうしたい。温かい場所で毎日花を愛でながら植物の心のように過ごしたい。

 けれど何度も言うようにわたしは春や夏でさえ食べるものに困るほどのひもじい生活が(デフォ)である。冬を乗り越えられるだけの体力を保持して眠り続けたりだとか、大量の食糧を確保しておいたりだとか、そんなことできるはずがなかった。

 

「やっぱり……もう、あれをやるしかない……」

 

 ぼうっ、と。わたしの力ない瞳にわずかに火が灯る。

 わたしには実はとっておきの策があった。

 そんなものがあるならさっさとやっておけという話だが、この策には少なからずリスクがあるのだ。他の妖怪の領域をおかしたせいで報復される、というほど強烈なリスクではないものの、似たような危険がある。

 ずるずると体を引きずるようにして、わたしはいつもは向かわない方向、妖怪の山と逆の方向へ歩き始めた。

 わたしは一年と半年を越える時を生きてきた。それはつまりすでに一度冬の辛さを経験し、今が二度目ということである。

 一度目の冬もかなりきつかった。にとりちゃんたちの支援がなければ飢え死にでもしていたかもしれないくらいに。

 だからこそわたしはこの二度目の冬が来るまでの間、ずっと考え続けていた。いったい次の冬はどうやって乗り越えればいいのかを。

 そうして出した結論がこれだ。

 

「もう、人間を襲うしかない……!」

 

 森を抜け、林に入り。林を抜け、人が通った跡のある道の近くの茂みまで。

 一度目の冬を経験してから必死に練習してきた変化の術を行使し、自身の妖怪としての特徴たる翅と触角を保護色で消す。

 

「ふっふっふ、これで準備万端……」

 

 わたしは花や木の実などの甘味が好きなのであって、別にそれ以外のものが食べられないわけではない。妖怪の主食とされている人間も食べようと思えば普通に喰らうことができる。

 ただ補足しておくと、今回わたしは別に直接人間を食べようとしているわけではなかった。というか、そんなことを繰り返していてはわたしなど陰陽師にたやすく退治されてしまう。

 陰陽師。人間でありながら妖怪を倒す術を持つ者。鬼や天狗のような強大な妖怪にかかれば歯牙にもかけない程度の存在に過ぎないかもしれないが、わたしのような弱小妖怪にとっては畏怖すべき対象だ。

 わたしは今回、人間が抱く恐怖という感情を食べるつもりである。妖怪であれば、誰しも自身へ抱かれる恐怖の感情を食べることのできる力を持っている。わたしも例外ではない。

 わたしの計画はこうだ。この茂みの前にある道に人間が一人で通りかかったところに弱ったふりをして歩み寄り、この幼い体躯を駆使して目一杯油断させる。そしてわたしを完全に信用し切ったところで、妖怪としての力を、こう、ばーんっ! どかーんっ! と見せつけてやるのだ。当然相手は気絶する。

 完璧な作戦である。我ながら末恐ろしい。

 あんまり派手にやりすぎるとやはり陰陽師が出張ってくるかもしれないが、実害さえ出さなければ大した実力者は来ないはずだ。

 ……来ないはずである。来ないでほしい。

 とにかく、陰陽師が来たのならばさっさと逃げてしまえばいい。わたしも仮にも妖怪だ。大した実力がない相手ならそれくらいはできる。たぶん。

 そういうわけで、木陰に身を隠して準備万端となったわたしは、早速そっと小道を覗き込み始めた。

 

「…………誰も来ない……」

 

 冬の風が木々を揺らす。少し遠くの方で、どさりと枝に積もった雪が落ちたような物音がした。

 ぐぅー。お腹の音が鳴る。もはや聞き慣れすぎて、それに落ち込むことすらない。

 とっくに空腹は限界に達していたが、人が通るまでの我慢だと言い聞かせて耐え続けた。

 そうしてどれほどの時間が経過しただろうか。あいかわらず、ひゅぅひゅぅと寒い風だけがずっと吹きすさぶ中、ふと、なにやらわたしの体調に変化が訪れてきた。

 

「なんか……ぼーっとしてきた……」

 

 くらりくらりと頭が揺れる。それに、なんだか眠くなってきた。ずっと寒かったはずなのにいつの間にか全身がぽかぽか温かくなってきたような感覚もあって、意外な心地よさにえへへと笑みが漏れてくる。

 心の中のにとりちゃんが「寝るな! 寝るなー!」と叫んでいるような気もしたが、うつらうつらとしてしまうことは避けられなかった。

 そんな時だ。すたすたと、人の歩く足音がわたしの耳に届く。

 びくりっ、と体が震えた。そして堕ちかかっていたわたしの頭が覚醒する。変わらずぐぅぐぅと空腹を訴えるお腹の欲求が、しかし今回は途切れかけたわたしの意識を繋ぎ止めてくれた。

 そうだ、思い出せ。今日は何日かぶりのまともな食事の日だぞ。こんなところで眠気に負けてすやすやしてる場合じゃない。

 わたしの瞳にわずかながら再び火が灯る。ぐっ、と手を握って、わたしの潜む木陰の近くをやってきた人物が通りかかるまでじっと待ち続けた。

 そうしてその人物がわたしの存在に気づかず、すぐそばまで足音がやってきたところで、わたしはふらふらと弱ったふりをして道へ一人躍り出た。

 

「うぅ……誰か……」

 

 弱ったふり、弱ったふりだ。決して本当に弱ってなんかない。

 木陰から突如姿を現したわたしを見て、その人物は足を止めたようだった。なにぶん弱ったふりのためにお腹をおさえて顔を伏せているからよく見えない。ただ、足元の辺りを見て、女物の着物を纏っていることだけはわかった。

 

「えっと……あなた、一人なの? こんなところでどうかした? なにかあったの?」

 

 尋常でないわたしの様子に、着物の女性が心配そうな声とともに近づいてくる。さすがしろもちゃん、迫真の名演技。

 演技、演技だ。何度も言うが本当に弱ってなんかない。ないのだ。

 まだ早い。もう少し、もう少し……。

 女性が近づいてきてくれたとは言っても、まだ距離は開いていた。わたしははやる気持ちをおさえつけて、その間隔をおぼつかない足取りを意識して自分から少しずつ詰めていく。

 

「困ったことがあるなら言って。力になれるかもしれないわ」

 

 心配そうな声。わたしの視線に合わせるように、女性が自らの手に膝を置いたのが見える。

 この瞬間だ、とわたしは感じた。

 

「それなら……一つだけお願いします。どうかわたしに――――」

 

 脅かすために着物の女性に飛びかかろうと、ぐっ、と足に力を入れた。

 そうしてさらに足を前に踏み出して、変化の術を解こうとしたところで。

 ずるり、なんて。

 

「――へぶっ!?」

 

 どうやら気合いを入れすぎたらしい。足を滑らせ、ぼふんっ! と雪が積もった地面に顔を打ちつけた。

 ひゅぅー。冬特有の冷たい風が木々の合間を吹き抜ける。それが原因か、それともわたしが倒れた衝撃か。偶然にもわたしの近くにあった樹木の枝がわずかに揺れ、そこに積もっていた雪が一気に落下した。

 当然、それは倒れていたわたしを押しつぶすかのように。

 

「え、だ、大丈夫!? えっと、えっと……と、とりあえずこれをどかしてあげないと……!」

 

 真っ白なものに包まれて真っ暗になった雪の中で、くぐもるような音質で女性の声が響く。

 わたしは体を動かそうと頑張ってたが、全身を包む冷気の塊をどかすことはかなわなかった。弱小かつ蟲の妖怪ゆえに元々筋力はそんなにないうえに、空腹でそのそんなにない力さえ十全に発揮することはできない状況だったのだ。それもしかたがないと言える。

 着物の女性の奮闘もあって、どうにか、短時間でわたしの顔の辺りだけは雪を取り除くことに成功したらしい。日差しが目に入り、光度の変化に目を細める。だがそれ以上に雪の中では困難だった呼吸が解放されたことで、わたしははぁはぁと一気に荒い息を繰り返した。

 

「あ、あり、ありがとう、ござい、ます……」

「ええ。少し休んでて。残りの雪もどかしてあげるから」

 

 女性はわたしに積もった雪を、しかも素手でのけようとしてくれる。その手が少なからずかじかんでいるのが見ただけでわかった。

 そんな懸命に尽くしてくれる姿と、彼女がいなければこのまま寒さと呼吸困難で死んでいたかもしれないという事実が、わたしの心にじんじんと響く。なんだか今にも涙が出てしまいそうな気分だった。

 

「はい、もう安心よ。全部どけちゃったわ。どう? 体は大丈夫?」

 

 わたしを心配する言葉をかけながら、いそいそと羽織を脱いだ女性が、そっとわたしにそれをかけてくれた。自分も寒いはずなのに。

 何気ない、だけど確かな温もりを感じるやわらかな心遣い。もう耐えることはできそうになかった。「うぅ」と感極まったわたしの目から、塩を含んだ雫がこぼれ落ちる。

 それに着物の女性が、やはりどこか打ったのではないかと気遣ってくれることが、またわたしの心を揺さぶってきて。

 

「うぅ、ぐすっ……あり、ありがと、うみゅ、ござ、ございますっ……」

 

 もうわたしには、この女性を怖がらせようという考えは微塵もなかった。ただひたすらに感謝と好感だけが胸のうちに存在し、その気持ちと騙そうとしていた罪悪感がとめどなく涙を溢れさせる。

 それにまた、辛いことがあったのね、なんて。よしよしと頭を撫でてくれる。こんなに誰かに優しくされたのは、にとりちゃんたちと盟友になって以来初めてのことだった。

 だからなのだろう。誰かを脅かそうとわずかに緊張していたわたしの心が完全に解されて、余裕のできた心が、今日まで常々抱いてきたある一つの願望を、わたしの意思にかかわらず外界に訴えようとし始める。

 それはわたしとしては非常に馴染み深く、着物の女性にとってはあっけにとられるような、なんてことはない現象だった。

 ――ぐぅー。

 わたしのお腹の音が、二人の間で鳴り響く。

 

「えっと……」

「あぅ、ぐすっ……」

「……お腹、すいてるの? その、おにぎり持ってきてるんだけど……どう? 一緒に食べる?」

 

 困ったような、それでいて、優しい声音。

 おに、ぎり? おにぎりって、あのおにぎり? おこめがいっぱいの? しかも、それをわたしに?

 呆然とする。そしてまた大粒の涙がとぼとぼと流れてきた。

 どうやらこの着物の女性はわたしにとっての、まさしく女神さまだったらしい。

 未だ体の前面を雪に埋めた態勢のまま、わたしは心の中で、この女性の存在をまるで本物の神さまのように崇めたのだった。




西暦1100とか1200とかにはおむすびさんなんてないでしょうが、そこはフィクションということでどうかお許し下さいませ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。