東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

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D3.ひとたすけたいうぃしゅ

 わたしとあの河童の少女にはなんの付き合いもない。

 好きになるほど会話を交わしていない。気に入ってもらえるほど交流を重ねていない。

 さきほど初めて会って、ちょっと話しただけの関係でしかない。だからわたしが関わる義理なんてない。

 にとりちゃんは言っていた。しろもわたしが不用意に彼女の事情に踏み込もうとした際に、これは我々河童の問題なのだと。

 きっとこれも同じだ。たとえわたしのために彼女が花を取りに行ってくれたのだとしても、それは彼女が決めて彼女が行ったことなのだから、わたしに責任はない。

 だけど、そんなこと関係なかった。

 あの河童の少女はさっきまでわたしの目の前で楽しそうに笑っていた。わたしに優しくしてくれた。頭をぽんぽんと撫でてくれた。

 たったのそれだけだったとしても、じゅうぶんすぎる。この世界でわたしに優しくしてくれた他人なんて、まだにとりちゃんとあの少女しかいなかったから。誰も味方がいなかった孤独な世界で、唯一初めて感じた温もりだったから。

 死なせたくない。

 

「にとりちゃん」

「……あん、なに? わかってるだろ? 今忙しいんだよ。用なら後にしてくれ」

 

 にとりちゃんは滝壺に落ちてきた河童の報告を耳にして、悔しそうに、そして若干の憎しみを込めた瞳を携えて、ずっと難しい表情をしていた。

 わたしが話しかけても、にとりちゃんはこれまで以上に乱暴に返してくる。

 わたしのせいで、とは思っていないだろう。ただ、なにも警戒せずに彼女を一人で送り出したことを後悔していると感じた。どうにかして取り戻せないかと、必死に頭を働かせているのがわかった。その思考にわたしは今、邪魔でしかないのだ。

 にとりちゃんはぶつぶつと、思考をそのまま呟き始める。そして彼女自身、それに気づかないほど真剣に入り込んでいる。

 

「ここ最近だと、あいつは丸太を私に落としてきた。どう考えても嫌がらせ……いや、私を仲間からはぐれた場所で一人にしたかった……? 本当は今回みたいに一人になった私を攫いたくて、でもしろものおかげで早く起きられたから……」

「にとりちゃん」

「私は助かった。そして予定が狂ったあいつは、次の獲物を探して……その次の獲物も河童。偶然のわけがない。我々河童に恨みがある、もしくは……とにかく初めからあいつは河童の誰かが一人になる瞬間を待ってた。他の誰もいない、逃げられることなく確実に攫える瞬間を……だとしたら」

「にとりちゃんってば」

「目的はただ河童を一人だけ食べることじゃない。ただ食べるだけならわざわざ攫うなんてめんどうなことはしなくていいはずだ。それをする理由はおそらく、あいつは一人の河童を餌に、大量の河童をおびき寄せるつもりだってこと……つまりは罠。くそ……けど、それはまだあの能天気河童が食われてない、死んでないってことだ。どうせ罠だって初めからわかってるんだ。リスクはかなり高いけど、どうにかあいつを出し抜ければ……」

「に、と、り、ちゃ、ん、って、ば」

「あぁー! もうっ、うるさいな! 今忙しいって言ったろ! 静かにしてろよっ、みみっちいちんけな虫けら風情が!」

 

 ぎろり、と睨まれる。あれ、やっぱり思ってたの……? そう落ち込みかけたものの、今はそんな場合ではない。首をぶんぶん横に振って気を取り直す。

 にとりちゃんがいらいらしているのは見ればすぐにわかった。これ以上突っかかれば嫌われるどころか、攻撃されて追い返される可能性すらある。

 それでも、わたしの記憶には、まだ頭を撫でてくれたあの少女の手の温もりが残っていた。にとりちゃんの不器用な優しさも覚えている。ここで引き下がる選択肢は初めからしもろの中にはない。

 胸の前でぎゅっと手を握って、にとりちゃんの鋭い視線にも怯まず、一つの事実を彼女に告げる。

 

「聞いて、にとりちゃん。わたしなら、あの時一緒にいた河童の女の子を追える。あの子が攫われた場所を見つけ出せる」

「……なんだってっ?」

「蟲の触角は敏感なんだよ。空気の振動で、音の反響で遠くの地形まで把握できる。においの残滓を追っていける。妖気のかすかな痕跡も探知できる」

 

 蝶の妖怪としての特性。普段は事前に危険を察知し、それを避けるために使用している。下から数えた方が圧倒的に早いほどにか弱いわたしがこれまで一人で生きていくことができたのも、これの恩恵が大きかった。

 触角があれど、わたしはにとりちゃんたち河童に危害を加えているという妖怪のことをよく知らない。だから単純にそれを探し出すことは難しい。

 だけど、一時でもわたしと一緒にいたあの河童の少女のにおいと妖気の感覚を、わたしははっきりと覚えている。目的の妖怪を探せなくとも、その妖怪が攫った彼女の居場所を突き止めることは不可能なことではなかった。

 

「にとりちゃん、行くならわたしも連れて行って。にとりちゃんたちにとっては、わたしなんてその辺の目障りな虫けらのうちの一匹くらいの存在かもしれないけど……それでも、わたしはにとりちゃんたちが優しくしてくれたのが、本当に嬉しかったんだよ」

「……お前」

「お願い、にとりちゃん。連れてって。こんな泥を啜るくらいしかできないちっぽけな虫けらでも、少しくらいならあなたたちの力になることもできると思うから」

 

 にとりちゃんをまっすぐに、力強く見つめる。そんなわたしの視線ににとりちゃんは静かに両目を閉じ、少ししてから大きく息をついた。

 再び瞼を開いたにとりちゃんの表情に、さきほどまでの敵意混じりの剣幕はない。それどころかわたしを正面から見つめ返しては、ばっと腰を曲げ、頭を下げる。

 

「わかった。頼むよ、しろも。あいつを取り戻すために、私に……私たち河童に手を貸してくれ」

「うん、もちろん」

 

 立ち上がる。いや、立ち上がろうとして、転びそうになった。

 それをにとりちゃんが支えてくれる。至近距離でお互いに目が合って、あははと笑い合った。

 

「……しろも。体力が回復し切ってないところ悪いけど、今すぐあいつの痕跡を追えるか?」

「今すぐ? にとりちゃんの仲間をもうちょっと集めた方が……」

「いや、それじゃ時間がかかりすぎる。確かに他の仲間を集めてからならどんな罠が来ようと柔軟に対応できるけど、それじゃたぶん……何人か死人が出る。一人を助けるのにそれ以上死んでちゃ本末転倒だ。今行くことが重要なんだよ。まだあいつが罠を張れてないだろう、私たちが来るだなんて思っていない今が」

「でも、そのあいつっていうのはにとりちゃんたち河童を狙って来たんだよね。だったらたぶんだけど、河童の水を操る力とかはあんまり通じないんじゃ……わたしたちだけで行っても、ミイラ取りがミイラになるだけかも」

「わかってる、わかってるさ。けど、私たちはなにも戦いに行くわけじゃないだろ。あいつの虚を突いて仲間を取り戻せればそれでいいんだ。そうすれば、あとは天狗さまに報告するだけでいい」

 

 この妖怪の山の支配種族たる鬼の一の配下とされる種族、天狗。さまざまな種類が存在するが、もっとも有名なのは鴉天狗だろう。彼らの飛行速度は全妖怪でも群を抜いて速く、振るう葉団扇は容易く竜巻を引き起こす。鬼は横暴かつ気まぐれなため、山の雑事は基本的に彼らが担当しているという。たとえば、山の秩序を乱す乱暴者の退治とか。

 天狗に報告をすれば、にとりちゃんの仲間を攫った妖怪は確実に駆逐できる。だがそれには少し時間が必要だ。とりわけ天狗は種族内でも上下関係を重視する。下っ端――それでも並みの妖怪では歯が立たない――たる白狼天狗に報告し、その白狼天狗へ提供した情報がさらに上の立場のものへ渡った後に、にとりちゃんたち河童を襲った妖怪の排除に躍り出る。さすがにそれを待っていては攫われた河童の少女は食われてしまう。

 今すぐには天狗の手は借りられない。だからこそ、にとりちゃんの言っていることは一理あった。今行けば、きっとまだ罠は完成していない。まだ来ないと思っているだろう相手の隙を突ける。河童の力が通じづらい相手かもしれなくとも、河童の少女を救出して即離脱するくらいならできるかもしれない。

 かもしれない。そう、かもしれない。できなければいったいどうなってしまうのか、にとりちゃんならわかっているはずだ。

 もっと他に方法はないのか、と。それを考えるくらいはいいんじゃないか、と。そう提言しようとして、言葉が止まる。

 支えてもらっているにとりちゃんの手が震えていた。

 

「……わかった。行こう。にとりちゃんの言う通り、今すぐに」

「よしきた!」

 

 歓喜の声、嬉々とした表情。見てすぐにわかった。虚勢だ。誰にも、それこそ自分の心をも騙すように、恐怖を誤魔化そうとしている。

 乱暴な言葉づかいをするくせに、仲間のためになら危険な選択ができるくせに、その心はどうやら結構な臆病者らしい。

 

「私はしろもと一緒にあいつを追う。お前は他の河童たちと、あと天狗さまにあいつのことを知らせてくれ。それから絶対に集団で行動するようにって」

「え!? まさか二人だけで行く気なの!?」

「んなわけないじゃん。途中で会った仲間も拾ってくよ。会わなかったら……まぁ、その時はその時ってことで」

「でも……」

「無茶はしないってば。心配するな。私だって自分が一番かわいいからな。薄情だけど、いざとなれば見捨てるさ。しろももいるし」

「……本当に、無茶はしないでね」

 

 にとりちゃんに報告をしに来た河童の少女が飛び去っていく。にとりちゃんもまたわたしに背中を向けて、わたしを背負った。

 今のわたしでは満足な飛行がままならない。だからおんぶしてくれたことに対してお礼を口にしようとしたけれど、にとりちゃんの視線がそれを静止する。手伝ってもらっているのはこっちだ、危険な場所に連れて行こうとしているのはこっちだ。彼女の視線がそう言っている。

 だからわたしは、口を開くのをやめて、そっとまぶたを閉じた。そうして触角の超感覚に意識を集中させる。にとりちゃんに期待に答えられるように、わたしはわたしのやるべきことをなす。

 

「にとりちゃん。飛んで、谷の上に」

「了解」

 

 攫われた河童の少女のにおいと妖気を追って、指示を出す。谷の上へ。草むらをかき分けて、先へ。広がる木々の奥へ。

 不用意に木の上に飛んだりということはしなかった。わたしとにとりちゃんがやろうとしていることは奇襲からの離脱である。これ見よがしに空を飛んでいては意味がない。

 ぴくぴくとわたしの触角が反応する。この先のにおいが濃い、ここから妖気が二種類混じっている。ここで彼女は攫われた。

 それをにとりちゃんに伝えると、彼女がごくりと唾を飲み込んだ。それでも立ち止まることはせず、足早にわたしの指示通り進んでいく。

 河童の少女を攫ったと思しき妖怪の移動速度はそう速くなかった。どんどんと距離が詰まっていることが、においや妖気の濃度、そして音の反射による独特の距離感覚で理解できる。

 にとりちゃんに背負われて行動し始めてからどれくらい経っただろうか。おそらく四半刻も経っていない。わたしの触角がこれまでにないほど、ぴくっぴくっ、と大きく反応する。

 

「にとりちゃん、ちょっと速度落として。あと木の影に隠れるように移動して」

「あ、ああ……もうすぐなのか?」

「たぶん。正確な距離は……ちょっとわからない。この先に池みたいなものがあって、そこでにおいが途切れちゃってるし。妖気の濃さからして、たぶんあの子を攫った妖怪はその水の中にいるとは思うんだけど……」

「池? こんな薄暗くてじめじめしたとこにそんなもんあったか……?」

 

 触角の超感覚を研ぎ澄ますのもほどほどに、視界や聴覚にも意識を向ける。

 少し足場が湿っているようで、振り返れば、にとりちゃんの足跡が通り道に残ってしまっている。枝や葉っぱが覆い隠すようにして空の光を拒み、その影響か、虫や動物たちの気配は極端に少ない。あるとしても生き物の気配からはほど遠い、生命としてのにおいよりも死のそれが濃い、忌避感を覚えるおぞましい気配だけだ。

 薄暗く、命の気配が希薄で、不気味なほどの静寂。わたしが目的の相手が近いと言ったことも相まって、にとりちゃんも緊張しているようだった。

 じりじりと木の陰を、先になにもないことを確認しながら慎重に進む。わたしの触角が池の周辺には敵がいないことを教えてくれはしたが、それを過信し油断をして足元をすくわれてはたまらない。わたしもまた、真剣な面持ちでにとりちゃんと同様に辺りを警戒していった。

 

「これは……」

「池、じゃなかったね」

 

 にとりちゃんとわたしがたどりついた場所。そこはほんの少し開けた場所にある、光の差さない小さな沼。

 それも、ただの沼ではない。窪地に満たされている水はもはや水ではなく、わずかすら透き通る性質を失った、単なる泥。それでいてその泥すべてから来るまでにところどころで感じたおぞましい死の気配と同種の妖気が充満していることを感じ取り、ぞっと怖気が走る。

 ただの沼ではない、ただの泥ではない。この沼の泥すべてが、河童を狙っているという妖怪が生み出した力の塊だ。

 

「なるほどな……うちら河童にちょっかいかけてくるなんて土蜘蛛かとも思ってたけど、相手は泥の妖怪か。私たち河童の水を操る能力は、水を吸収できる泥が相手じゃ確かに分が悪い……それに、泥は土が混じってるからまともに操ることだってできない。河童の天敵ってわけだ」

「……大丈夫? 結局誰にも会わずにここまで来ちゃったけど……」

「平気だよ、問題ない。なんにもな」

 

 声が震えていた。全然平気じゃないことは明らかだったが、指摘することはしない。それがにとりちゃんの選んだことなら。

 

「それより早くあいつを探そう。この辺に囚われてるはずなんだろ?」

「そのはずだけど、沼の中にいたりなんてしたら……」

「いや、たぶんそれはない。河童はどんな妖怪よりも息が長く続くけど、別に水の中で息ができるってわけじゃないのよ。普段は地上で暮らしてる。気絶した状態で泥の中になんていたら死亡一直線だ。それじゃ、うちらをおびき寄せる餌にできない。この沼の近くのどこかに縛りつけられるなりなんなりしてるはずだ」

 

 なるほど、と相づちを打つ。にとりちゃんはちらりとわたしの、正確にはわたしの触角を見やってきた。

 

「なぁ、その触角であいつの場所を見つけることはできない?」

「ごめん、ここまで別の妖怪のにおいや妖気が濃いと他のそれはかき消されちゃって……役に立てなくてごめんね」

「や、ここまで連れてきてくれただけでじゅうぶんだよ。あとは私の仕事だな。しろもはここでちょっと隠れててくれ。私があいつを探して、連れ戻してくる」

 

 そう言ってわたしを下ろそうとしたにとりちゃんの背中に、慌ててぎゅっとしがみついた。

 

「ま、待って待って! ひ、一人で行くつもりなのっ? さすがに無謀だよ!」

「いやだって、しろも戦力にならないし……第一、戦いに行くわけじゃないってここに来る前に言ったろ? 泥の妖怪に見つからないよう、攫われたあいつを見つけ出して救出できれば私たちの勝ちだ。それ以上は望まなくていい」

「で、でも、あの河童の子を攫った泥の妖怪のにおいはこの沼で途切れてるんだよ? こんなに色が濃くちゃどこに潜んでるかもわかんない。こんなんじゃ見つかったって気がついた時点でもう手遅れになっちゃう……」

「や……この泥の沼の主は、今はたぶんこの沼にはいない」

「えっ、けど、においはここで途切れて……」

「泥の妖怪ってことは泥の中を自由に動けるはずだ。で、それを前提に足元を見てみてよ。こんなに湿ってる。これも泥だ。おそらくなんだけど……あの泥の妖怪はこの湿った地面の下を移動できる。たぶん、普段はそうやって移動してるんだよ。じゃなきゃ、こんなに妖力の気配が強いくせに他の妖怪に容赦なく襲いかかるような凶暴なやつが、これまで天狗さまたちに見つからず生きてこれるはずがないし」

 

 目を細め、冷静に分析をするにとりちゃん。それは、危機の察知を触角の感覚のみに委ねてきたわたしにはできない、超越的な感覚能力を持たないからこそ培われてきた鋭い観察眼、そして知恵と知識。

 瞠目するわたしをよそに、「でも」とにとりちゃんが続けていく。

 

「今回は、河童を一人攫ったから地上を移動せざるを得なくなった。で、そのおかげで私たちはこれまで誰にもばれたことはなかっただろうあいつの巣までたどりつけた。はっ、いい気味だな。すぐ食わずに欲張るからこうなるんだ」

「にとりちゃん……」

「……あの泥の妖怪は自分の住処がばれるだなんて欠片も思ってないはずだ。今はたぶん、地面の下を通って沼の周辺に罠を仕掛けに行ってる。そう、私たち河童が仲間を取り戻しに来た時にそれを捕まえるための罠を。しろもは、頭のそれでなんかそういう気配は感じなかったか?」

 

 ここに来る途中で感じたもの。ところどころにあった、死の濃密な気配と妖気。思い返してみれば、あの時覚えた忌避感は確かに泥の沼から感じるそれと酷似しているように感じた。

 

「その様子だとあったって感じだな。なら行ける。安心してくれ。来る前にも言ったろ? 私は自分が死ぬつもりなんて毛頭ない。いざとなれば見捨てて逃げるさ」

「……わかった。どうせ私じゃ足手まといになるもんね。ここで泥の妖怪の気配を探りながら、待ってる。もし危険を感じたらすぐに大声で叫ぶから」

「あぁ、助かる。それじゃ行ってくるよ」

 

 ひらひらと手を振りながら一人で沼へ向かうにとりちゃんを見送った。彼女が本当は誰よりも怖がっていることはわかっていたが、今のわたしでは彼女の力にはなれない。せめてまともに飛べる程度の力は取り戻さなければ。

 いや――今のわたしでも、力になれる方法はある。

 ちらり、と自分の翅を見やる。月や星々を映した湖のように美しい淡青色の模様。その上から幾筋もの穢れた線が走った蝶の翅。

 わたしに宿る能力と、それを初めて使用した瞬間より生まれた副産物の力を解放しさえすれば、今のわたしでもにとりちゃんの役に立つことはできる。

 だが、能力の方はともかくとして、副産物に関しては、おそらく今のわたしではその負荷にそう長くは耐えられない。解放するにしても、それが可能な時間はほんの数秒程度。それもその後すぐに気を失ってしまう可能性が高かった。仮に使うにしても、使いどころを見誤るわけにはいかない。

 ……や、そんな心配はいらないかな。なにせわたしの能力にかかれば、使いどころを見誤るなんてことはありえない。

 普段は使用を制限している能力。本当に必要な場面でのみ使うこととしている力。そして、にとりちゃんを死なせないこと、攫われた河童の少女を助けること、わたしが生き残ること。そのどれもはわたしにとって大事なことだ。必要なことだ。

 だからこそ、決めた。この救出劇において、わたしは能力の使用を戸惑わない。

 必ず救い出す。能力を躊躇なく何度でも行使して、副産物の力を確実に、使うべき場面で的確に解放する。わたしにはそれができる。わたしの能力にかかれば、それがわずかにでも可能な未来の可能性が存在する限り、どんなことでも。

 すっ、と顔を上げる。にとりちゃんが沼へ行ってしばらく経った。そろそろ帰ってきてもおかしくない頃合いだ。触角には未だ泥の妖怪の反応はない。大きな物音もなかったので、おそらくは無事だとは思うけれど……。

 心配でそわそわと沼の方に視線を送っていると、木々の隙間から、にとりちゃんが一人の少女を抱えてこちらに向かって飛行してくるのが窺えた。背負われている少女は当然、わたしも見たことがある河童の少女だった


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