東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ
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S6.ごはんわかいでりしゃす

 わたしが泣き止んで落ちついた頃に、幽々子に誘われるがまま、わたしたちは屋敷に足を踏み入れていた。
 ちょっとばかり古ぼけた柱や壁や床は歴史を感じさせる。だからと言って埃っぽいというようなことはなく、よく掃除などは行われているようで、屋敷の中も外の庭と同様に風情を感じさせる雰囲気を漂わせていた。
 ぼうっ、と火を灯す行灯(あんどん)と、わずかに開けた障子から差し込んでくる月明かり。しろもは妖怪ゆえに月光を太陽の光と同等のものとして捉えることができるが、この和室でともにちゃぶ台を囲んでいる幽々子はそうではない。
 夜の闇は妖怪を連想させる。けれど住み慣れた家だからか、元来の性質からか。幽々子が不安がる様子は欠片もなく、むしろその頬は楽しげに緩んでいた。

「ふっふっふ……どう、幽々子。王手! 王手だよ!」
「そうねぇ、どうしましょう。このままじゃ負けちゃいそうだわ」
「次の一手で幽々子に勝っちゃうよ!」

 王手だとかなんだ言っているが、やっていることは将棋ではなくおはじきである。
 おはじき。小さな玉をいくつか持ち寄って机の上に広げ、一つずつ順に当てていって獲得し、最後に獲得数が多い方が勝利するという遊び。
 わたしと幽々子がやっているのは石弾きだ。ちょうどいい大きさの小石を並べておはじきを行っていた。
 戦況は上々。現在獲得数は互角ではあり、残っている小石はたったの二つ。ここでわたしが手元の小石を弾いて当ててしまえばわたしの勝利である。
 だというのに、幽々子はまるで焦った様子もなくのほほんと眺めていた。

「むぅ。ずいぶん余裕だね、幽々子。この状況でなにか手があるの?」
「そういうわけではないわ。でも、私はしろもちゃんのことをよく知ってるもの。そしてそのしろもちゃんのことをよく知っている私から言ってみれば、ここでしろもちゃんが勝利する可能性は限りなく低い」
「ふふん、そんな風に余裕ぶっていられるのも今のうちだよ! さぁ、最後の一手! 名づけて、しろもちゃんスナップデラックス!」

 我が渾身の一撃。ぴんっ! と指先で思い切り小石を弾いた。
 思い切り。余裕ぶる幽々子に敗北を突きつけ、かっけよく決めるつもりで普段よりも力を入れた。そしてだからなのだろう。

「あぁっ……」

 わたしが弾いた小石は明後日の方向にそれて、もう一つの小石には掠ることすらなかった。
 あと一歩で勝てたのに……。
 悔しがるわたしとは裏腹に、幽々子はさも当然と言わんばかりの様相をしている。そして近場の小石としろもが飛ばした小石の間に指で線を引くと、小石を弾く体勢を取った。

「はい。じゃあ私の番ね」
「む、むぐぐ……で、でも、強く弾いたから二つの距離は遠いし、そんな簡単には当てられ」
「あ。やった、当たったわ」
「ぐふ!」

 しろもちゃん完全敗北である。思わず力なくちゃぶ台に突っ伏し、額をぶつける。痛い……。
 ちょっとだけ赤く腫れた額を、しかたがなさそうな顔で診てくれる幽々子を、わたしは若干涙目になりながら見上げた。

「うー……幽々子はわたしが外すってわかってたみたいだったけど、なんで? どうやって? なにかの能力?」
「私の能力はそんな万能じゃないわよ。別に、絶対に外すって思ってたわけじゃないんだけどね。しろもちゃんってたぶん、調子に乗るとすぐ失敗しちゃう部類だから。自信満々に王手とか言ってきた時に『あ、しろもちゃん次外すわね』って思って」
「うぅ、そんなぁ」

 調子に乗ると失敗するタイプ。それではまるでお間抜けさんみたいだ。不名誉な言い草に、わたしの頬がぷくぅと不満げに膨らんだ。
 そしてそんなわたしの頬を、幽々子が面白がってつついてくる。ぷにぷに。妙に楽しげなその様子に、さらにわたしは口を尖らせていく。
 幽々子とはこの一か月でそれなりに親しくはなっていたが、ここまで気軽に触れ合えるほどではなかったように思う。これまではただ一緒に昼食を食べて、寒空に浮かぶ火鉢たる日の光にまどろんでいただけ。こんな風に遠慮なく触れ合えるようになったのも、玄関の前での一件があったからなのだろう。
 わたしは今、変化の術を解いて、蝶の妖怪の特徴を無造作にさらしている。わたしが机に突っ伏して、よく見えるようになったからだろうか。気がつけば幽々子の視線がわたしの顔よりもほんの少し上、触角と翅に向いていた。

「それにしても、しろもちゃんって本当に妖怪だったのね」
「本当にって、わかってたんじゃなかったの?」
「確率が高いかもって思ってただけよ。それに、わたしにとってはしろもちゃんがどんな存在でも変わらないから」

 心があれば皆同じ。すでに幽々子の価値観は理解している。
 触ってもいい? と、小さな子どものような好奇心を隠した表情の幽々子。しろもにとってはなんでもないものでも、人間たる幽々子にとってはそうではない。
 特に断る理由もなかったのでこくりと頷くと、幽々子はおそるおそると言った風に触角に触れてきた。初めはつんつんと腫れ物を扱うようにつつくだけだったそれは、次第にすりすりと感触を確かめるようになっていく。ちょっとだけ、くすぐったい。

「しろもちゃんは蝶の妖怪さんなのかしら」
「うん。二年くらい前に生まれたばっかりなんだ」
「そうなの?」

 本当はそれより以前にも生きていた記憶があるが、それは伏せておく。わたしを受け入れてくれた幽々子に未だ隠しごとをするのは忍びないけれど、前の世界については確信を持って聞かるようなことがない限り、わたしだけの秘め事にすると決めていた。
 妖怪は人が恐怖する限り悠久の時を生きる。幽々子としては、わたしはもっと長く生きていると思っていたのかもしれない。幽々子は目をぱちぱちとさせると、どこか背伸びした子どものように得意げに胸をそらした。

「それじゃあ私の方が歳上なのね。ふふ、お姉ちゃん、って呼んでくれてもいいのよ? 幽々子お姉ちゃんって。しろもちゃん、お姉ちゃんが欲しかったって言っていたでしょ?」
「んー……そういう幽々子は、妹が欲しかったりしたの?」
「そうねぇ。お姉さんでもいいけれど、やっぱり妹よね。私は誰かに甘えるよりも、甘えられる方が好きだもの。しろもちゃんは?」
「わたしは甘える方が好きかなぁ。頭撫でてもらえたりすると気持ちいいもん」
「そう言ってくれると思ってたわ。ほら、だからどうかしら? 試しにお姉ちゃんって、そう呼んでみてもいいのよ?」

 二度目の催促。両手を広げて、さぁ、と。今か今かと言葉を待ち受けている幽々子に、わたしはちょっと苦笑した。
 お姉ちゃん。幽々子の言う通り、お姉ちゃんがいたらなぁ、なんて思ったことはそれなりにあった。にとりちゃんたちはとてもよくしてくれるけれど、彼女たちはあくまで友達であって、家族ではない。わがままで欲張りかもしれないけど、無条件でわたしを甘やかしてくれるような。わたしはそんな優しくて温かいお姉ちゃんが欲しかった。
 幽々子も友達ではあるけれど、彼女をお姉ちゃんと呼ぶことはやぶさかではない。むしろ願ったり叶ったりというか、わたしにとって、よくわたしの頭を撫でてくれたり抱きしめてくれたりする幽々子は理想のお姉ちゃんとも言える。
 だから目を閉じて、夢想してみた。わたしが初めて生まれた時のこと。まだ右も左もわからなかった頃。たった一人で過ごしてきた日々のこと。そんなわたしの隣に、もしも幽々子がいてくれたら。
 そっと瞼を開ける。今浮かんだ感覚のままに、想像の中で抱いた気持ちのままに、屈託のない笑顔で、わたしはそれを言葉にしようと口を開いてみて。

「――お、おねぇちゃんっ。その、えっと……あ、あたま、なでてほしいなぁ、なんて……」

 幽々子がもしわたしのお姉ちゃんだったら。妄想の中ならうまく甘えることができたのに、いざ口にしてみると顔から火が出そうになるくらいこっ恥ずかしかった。
 らしくない縮こまった態度だったからか、幽々子が瞠目し、硬直する。そんな反応がまたこそばゆくて、わたしは耳まで真っ赤にして顔を伏せてしまった。
 くすり。小さく笑うような声がした後に、下を向いたわたしの視界に影が差す。

「はい、いい子いい子。よくできました」
「んぅ……」

 そっと、髪をくすぐるように。
 むずがゆくもあったが、それ以上に気持ちがいい。ふにゃり、と。勝手に頬がだらしなく弛緩してしまった。
 ずっとこの瞬間が続いたらいいなぁ、なんて。そんな風に思いかけてしまうくらい、居心地のいい時間。幽々子もきっと、そんなわたしの気が済むまで手を動かし続けていてくれただろうと思う。
 だけどそういう気分のいい時間ほど、終わりというものは思っていたよりも早く訪れる。
 とんとんとん。床を鳴らす足音。この屋敷に今いるのはわたし自身と、わたしが見知った二人だけ。だとすれば幽々子が目の前にいる今、廊下からするこの足音の主の正体なんて一つしかない。
 幽々子の手がわたしの頭から離れていく。きっとわたしは名残惜しそうな顔をしてしまっているのだろう。幽々子はくしゃりと最後に少しだけ強くわたしの頭を一撫ですると、「また今度ね」とウインクをした。わたしは、まだ残っているわずかな温もりと、少し乱れた髪の感覚を意識しながら、絶対だよ、と。こくこく。小さく首を縦に振った。

「――幽々子。夕餉が仕上がった。入ってもよいか」
「ええ、どうぞ」

 ふすまが開き、盆を両手に持つ一人の青年――妖忌が姿を見せた。
 玄関の前で相対し、刀の切っ先を向けられた時のことを思い出し、無意識に体が強張ってしまう。
 そんなわたしを妖忌は一瞥するが、今はもうその目に剣呑な雰囲気は宿っていない。かと言って友好的な感情が込められているかと言われればそういうわけでもなく。
 思考の読めない瞳を携えたまま無言で佇む妖忌と、なにを言ったらいいのかわからず硬直するわたし。そんな微妙な空気を断ち切ったのは、こつこつと幽々子が指先でちゃぶ台を叩いた音だった。

「こら、しろもちゃんをいじめないの。ご飯できたんでしょう? だったら早く食べましょ」
「……そうでござるな」

 敷居を越え、妖忌が部屋に踏み入ってくる。わたしの横を通りすぎ、盆をちゃぶ台の上に置くと、幽々子と、わたしのぶんの食事を並べていった。
 ご飯と汁物と、高菜の煮付け。それからこれは、イワナの焼き魚だろうか。焼き魚が入ったおにぎりならお昼にも食べたけれど、幽々子が作ってくれたらしいあれは本当に絶品だった。同じようなものだからと言って飽きるようなことはない。
 そしてなによりもわたしの目を釘付けにしたのは汁物である。ただの汁物ならそこまで過剰に反応はしないが、中に入っている具が一段とわたしの興味を引いた。

「ふぅん。今日は野菜と花の吸い物なのね」

 花。わたしの大好物である。知ってか知らずか、妖忌はこの夕餉にそれを作ってきてくれていた。正確に言えば花の蜜が一番好きなのだけれど、花が素材に使われている時点で些細な問題であると、わたしは主張したい。

「魚は一人一匹しかないの?」

 不満そうな幽々子の疑問に、妖忌はこれ見よがしに肩をすくめてみせた。

「元は拙者と幽々子のぶんしかいらぬと思っていたゆえにな。いや、本来ならばそれでも幽々子に二匹は用意できたはずなのでござるが、どこかの誰かが漬けていた魚を勝手にこっそり焼いて握り飯に入れていったせいで」
「あーあー聞こえないー。口うるさい居候の嫌味なんて聞こえないー」
「まったく……今回は何事もなかったからよいものを、普段料理のりの字もやっていない幽々子が一人で火を扱うなど、下手をすれば火事になっていてもおかしくなかったのでござるぞ。幽々子ももう年頃の女子(おなご)なのだ。そろそろ普段からの身の振り方というものを考え」

 言い聞かせるような妖忌の言葉を遮って、「もうっ」と幽々子が両手で耳を塞いだ。手のひらで塞いでいるのではなく指の付け根辺りで塞いでいるので、きっと外の音は聞こえている。きっとその仕草は単に、妖忌の言葉をそれ以上聞きたくないという意思表示なのだろう。

「あなたは口を開いたら、がみがみがみがみ、いっつも説教ばっかり。この堅物、石頭。そんなんだからいつまで経っても女の人の一人も寄ってこないのよ」
「拙者は剣の道を行く者だ。未だ未熟者な身の上で色恋沙汰にうつつを抜かすつもりは端からない。そもそも、色気より食い気を地で行く幽々子にそれを言われたくはないでござる」
「ふんっだ。私にはしろもちゃんっていう新しいかわいい妹がいるからいいのよ。しろもちゃんはお姉ちゃんのこと大好きだものねー」
「あ……う、うん」
「ほら、妖忌あなた今の聞いたっ? 顔を俯かせて、もじもじしながら恥ずかしいそうにそうにうんって。かわいいわぁ。妖忌もしろもちゃんを見習いなさいよ。あなたもこれくらい可愛げがあったらもっと……もっと……」

 一旦言葉が止まる。途端に無表情になった幽々子が、ふるふると静かに首を横に振った。

「いや……ないわね。ないわ。絶対ない。さすがにそれは気持ち悪いだけね……ごめんなさい妖忌。謝るわ」
「拙者の扱いがいつもよりひどく感じるのだが……」
「私の大事なお友達にいきなり斬りかかるような辻切りバカにはこれくらいがちょうどいいわよ」
「……はぁ。そうか」

 幽々子はまだ怒っているらしい。幽々子の言いぶんに妖忌は言い返すことはせず、代わりにすっくと立ち上がった。
 そうして幽々子とわたしに背を抜けた立ち去ろうとする妖忌を、ちょっと、と幽々子が呼び止める。

「なに、どこに行くつもりなの?」
「どこもなにも、拙者がここにいては邪魔でござろう。幽々子とその妖かしものは、友人、なのだろう? ならば拙者は別の場所で夕餉をいただくとする。それくらいは空気が読めるつもりだ」
「ふーん。まぁ別にどこでなに食べようがあなたの勝手だけど、自分の料理の感想くらい聞いていきなさいよ。ほら、しろもちゃんこんなに待ち遠しそうにしてるじゃない。こんなに楽しみにしてるのにもしもまずかったら、文句の一つを言える相手くらい欲しいでしょう?」
「……まぁ、拙者は構わぬが」
「しろもちゃんはどうかしら? 妖忌がいても平気?」

 妖忌はわたしをいきなり殺そうといてきた相手だ。確かに、少なからず苦手意識はある。だけど今の彼からは敵意を感じないし、幽々子の言うことはきちんと聞くようだから、今ここで襲いかかってくるようなことはまずないだろう。
 まだちょっと怖い気持ちはあるが、こくり、と頷いて肯定を示す。妖忌はそんなわたしに少し驚いたように目を見開いていた。
 改めて料理に向かい合い、手を合わせる。

「それじゃあ、いただきます」
「……いただきます」

 初めに箸が向かいかけたのは当然のごとく食用花の入った汁物だったが、一番楽しみなものは後に取っておこうと、どうにかその手の動きを抑制した。代わりに向かわせるのは、塩漬けにしていたイワナを調理したと思しき焼き魚。昼間にも米混じりに食べたそれを、今度は純粋にそれのみの味を舌で味わう。

「ん……」

 幽々子はまずかったら遠慮せず言っていいとわたしに言ってくれたが、そんなこと冗談でも言えないくらい、素直においしかった。お昼に食べたおにぎりとはまた違う、魚単体での味の深さに舌が踊る。塩加減は濃すぎず薄すぎず、絶妙に焼き魚の魅力を引き出していた。
 高菜の煮付けも負けず劣らずいい味を出している。普段は森で過ごしているために人の手が入った料理と呼べるものを口にする経験は少ない。わたしからしてみれば、これもまた口が裂けてもまずいなんて言えるような代物ではなかった。
 そしてやはり最後は食用花の入った吸い物に帰結する。おそるおそる、けれどそれまでの焼き魚や煮付けのおいしさもあって、その実は楽しみでしかたがない。箸を置き、椀を口元まで持っていって、傾けて汁を啜る。

「ふぁぁ……」

 いつも食べているような蜜の甘さとはまた違う、花の香りを保ちながら自然の味を最大限に引き出した、ぽかぽかと体中に染み渡っていく温かさ。それはさながら日向ぼっこで浴びる日差しのように心地よく、わたしの心を微睡ませる。
 気がつかないうちに、しばらく椀を手に持って放心してしまっていた。意識を取り戻し、そのことに気がついたのは、くすくすと幽々子の静かな笑い声が聞こえてからだった。

「この様子じゃ、まずいだなんて一言も出てきそうにはないわね。まぁ、妖忌の料理の腕は私も認めてるもの。当然よね」
「……幽々子はまずいならまずいと言えと言っていたでござろう」
「そりゃ、まずいならね。本当にまずいだなんて私は一言も言ってないわ」
「調子がいいでござるな、まったく……」

 少しだけ嬉しそうに、わずかに頬を緩ませて。穏やかに目を細めた妖忌がふと、すっとわたしの隣に立った。
 突然近づかれてびくっと震えて、手に持っていた椀をこぼしそうになりかける。けれどこぼれる直前で、妖忌がそれをそっと支えてくれた。
 そんな妖忌を呆然と見上げていると、彼は椀を台の上に戻した後、私の隣に腰を下ろした。それは隣り合うようにではなく、わたしに体の正面を向けるような姿勢で。
 彼はその両手を畳の上につくと、かしこまった動作で、すーっと畳に額をつけるように腰を曲げていった。

「――……すまなかった」
「えっ、と……」

 妖忌がしているのは、不器用ながら一心に謝罪の念を伝えるような、一寸の乱れもない土下座だった。
 えぇっと、これはいったいどういう状況……?
 突然の謝罪に困惑の意を隠し切れないわたしに、妖忌は頭を下げたまま、真剣な声音で続ける。

「幽々子が人や妖かしの枠を越えて心を通わせることのできる、異彩ながら美麗な価値観を持っていることは知っていた。拙者のこの身もまた半身は人なれど、もう半身は人ならざるもの。人にも妖かしものにもなれぬ半端者の拙者を認めてくれた幽々子には返し切れぬ恩義がある」
「人ならざるもの?」
「妖忌は半分は人間だけど、もう半分は幽霊なのよ。半人半霊ってやつね。普段は隠してるけど、本当は体の周囲をふわふわした白い気質の塊(幽霊の証)が浮いてたりするわよ」

 半人半霊。それは確かに、この時代においては非常に生きづらい境遇であるかもしれない。
 人外たる性質を持つゆえに人間とは馴染めず、それでも人であるがために妖怪ともまともには付き合えない。半分が幽霊であることを明かしたりしてしまえば、きっと人間からは鬼子とでもされて忌み嫌われ。普通の人間と違って妖怪とは多少交流できるかもしれないが、半分が人であるせいでいつ食われそうになってもおかしくはない。
 わたしが知る未来の幻想郷、人間と妖怪が共存することのできる時代にでもなればかなりマシになるはずだけれど……。
 たとえ未来がどうであろうと、今の時間に生きる妖忌にとって、この世界は厳しく辛いものである。それをこうして幽々子がなにも気にせず居候として住まわせてくれているというのなら、なるほど、大恩があると言って差し支えない。妖忌が幽々子の言うことには粛々と従うのも頷ける話である。

「幽々子の思想ははっきりと理解していたし、受け入れてもいた……だが、どうやら拙者は、それと同じ願いを妖かしものが抱いていることがあろうなどとは信じていなかったようだ。幽々子が信頼し、連れてきたはずのおぬしを敵と決めつけ、話も聞かずに斬りかかった……本当にすまなかったでござる。この通りだ」
「あ……」

 そこでわたしはようやく妖忌が頭を下げている意味を知る。これは突然攻撃してきたことに対し、彼なりに精一杯の誠意を込めた謝罪の態度だったのだ。

「必要であれば切腹でもなんでもしよう。腕を斬り落とせというのならそうしよう、この腰の白楼剣を渡せと言うのならそうしよう。貴殿が望むのであれば、貴殿の気が済むまで拙者をこき使ってくれようと構わない」
「え、い、いや、その、ちょ、ちょっと待って、待って。わたしも普通に殺そうとしちゃってたし、そんな本気で謝られても、その」
「そうよ妖忌ー。せっかく気分よく夕餉を嗜んでる最中なんだから、そういうお固いのは一人でやってよね。しろもちゃんも困ってるじゃない」
「いや、拙者は剣士でござるゆえ。このような幼子に剣を向けたとなれば剣士の恥。容易く許してもらえるなぞ思っておらぬでござる。たとえしろも殿が気にせずとも、この恥は一生の教訓としてこの胸に――」
「あーもうほんとこいつバカね」

 幽々子は呆れ果てたと言わんばかりに両肩を上げ、どうする? としろもを見た。

「あとはしろもちゃんに任せるわ。許すも許さないもあなた次第。どっちでも構わないけど……まぁ、しろもちゃんだものね。どっちになるかはわかってるわ」

 そう言うと、幽々子は箸を手に取って食事を再開した。焼き魚を口に運び、ご飯をすくう。わたしが話しかければすぐに反応してくれそうではあるが、同様に、未だ土下座し続けている妖忌もわたしがなにか言わなければ一切動きそうもなかった。
 しかたなく、妖忌の方に向き直る。謝られているはずなのに正直大分気まずいというか、対応に困るというか……とにかく、わたしはこの気まずさを解消するために動くため、意を決して口を開く。

「その、とりあえず顔を上げてくれる?」

 ……反応はない。
 ちょっと泣きかけたが、なんとか我慢して、次の言葉を考える。

「えっと……さっきも言った通りわたしも本気で応戦しちゃったし、たぶんあのままやり合ってたらどっちも無事じゃすまなかったし……だからその、今回はおあいこってことでどうかな」
「しかし、先に手を出したのは拙者だ」
「いやでも、その、ほら。わたしは妖忌の長い方の刀を台無しにしちゃったし」
「刀なぞあとでいくらでも打ち直せよう。しかし人の行動はなにをしようとも決して覆すことはできぬ。拙者がおかした過ちが消えることはない」

 幽々子の言っていた通り本当に無駄に固い。こちらとしてはさっさと元に戻ってもらって食事に戻りたいというのに、この調子ではご飯が冷めてしまいかねない。
 さきほど口にした花の入った吸い物の味が口内によみがえる。日差しのように温かく心地のいい味。冷めてしまえばそれも味わえなくなってしまう。
 そう思うと、こうやって余計に無駄なところで粘る妖忌に、わたしは段々といらいらとした気持ちが溜まってきた。なにを口にしても「いや」とか「しかし」とか。まるで終わる気配はない。いい加減こんな無駄なやり取りはさっさと終わらせてしまいたいのに。
 そういう無駄な押し問答が一分くらい続いただろうか。ふといつの間にか吸い物からすでに湯気が出ていないことに気づいてしまって、わたしの我慢も限界に来た。

「もう、もうっ! 許すって言ってるじゃん! いい加減もう頭上げてってば! これ以上謝られたって全然こっちは嬉しくないんだよっ!」
「だが、なにか詫びでもせねば」
「だがもなにももないの! お詫びっ? だったらこの汁物もう一回あっためてきて! あと妖忌のぶんのこれもちょうだい! あとお花もちょっと単品で一輪くらいっ……あ、あとできれば今度また別の花料理も――」
「いらない風だったのに、言い出したら意外にたくさん出てきたわね」

 食べ終わった幽々子がちゃぶ台を挟んだ向こう側でなにやらつっこみを入れていたようだったが、激昂しているわたしの耳には入らなかった。

「とにかく! そういうわけだから頭を上げて! わたしはもう妖忌のことは全然恨んだりとかしてないから! だからっ……そろそろ夕餉に戻らせてよー……うぅ……」

 ぐぅー。タイミングよく、お腹の音が鳴る。まだおかずを一つずつ、一口食べただけ。それに今は《(クタイ)》の力を行使した直後なのだ。あれはちょっとの解放でもわたしの体力や力を激しく消耗する。お昼に食べたおにぎりだけでも数日は保ったはずが、もうすでにお腹ぺこぺこになっていたのだった。
 お腹が鳴った音を聞かれたことで、ちょっとだけ頬を紅潮させたわたしに、わずかに顔を上げた妖忌は目を瞬かせていた。その反応にさらに熱がのぼるのも自覚しつつ、きっと睨みつけるようにすると、妖忌は微笑み混じりに小さく息をついて、ようやく頭を上げてくれる。

「ふ……了解した。しろも殿の今言った望みをお詫びとし、拙者の全力をかけて取り組もう。拙者から言うのもおかしいが、それで今回の件はとんとんと。それでよいか?」
「ふんっ。さっきからそう言ってるじゃん。あと、殿なんてつけなくていいから。しろもでいいよ」
「あいわかった。では、しろも。先ずはその椀をちょうだいしようか。温め直してこよう。それから望み通り、拙者のぶんの吸い物も持ってくるでござる」
「妖忌もどうせならもうこっちで一緒に食べちゃいなさいよ。しろもちゃんもそれでいいかしら」
「別に、どっちでも」
「そうか。礼を言うでござる」
「うーん……いつもの甘えてくれるしろもちゃんもいいけれど、つんつんした態度もなかなか新鮮ねぇ」

 ちゃぶ台に肘をついて楽しそうに傍観する幽々子と、つんいと顔をそらすわたし、ちょっとだけ堅苦しさが抜けた妖忌。妖忌が夕餉を持ってきた時に流れ出したちょっとだけ気まずい雰囲気はとっくになくなっていた。
 人も妖怪もない、夕餉の一時。一人で月を見上げて眠るだけのいつもの夜とは違う賑やかな時間は、なんてことはない当たり前の日々のように過ぎ去っていった。






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