俺のエルフが、チート魔術師で美少女で、そして元男な件について。   作:主(ぬし)

9 / 11
大切なものを失うことで、初めて少年は『男』へと成長する。その一連の流れが『青春』なのだ。


その9 エルフとの別れ

 『残響』の拠点にて、俺は鉄鋼竜の返り血を浴びたままの姿で無心になって荷物をまとめた。アキリヤたちが帰ってくる前に準備を終わらせたかった。それからのことについて何か展望があるわけでもなかった。なにより、真っ白な頭では何も考えられなかった。自分が途方も無い間違いをしているのではないかという直感が金切り声を上げても、それを明文化できる理性も自分を制止する冷静さも俺にはなかった。そういう文明人的な面はアキリヤに任せっきりだったことを痛感する。ただただ自分が不甲斐なくて、情けなかった。このままでは未熟な己に対する怒りをアキリヤへぶつけてしまう気がした。そんな自分から逃げるように、アキリヤから逃げるように、俺は不安定な自分をひと目から早く遠のけたいという一心で革の背嚢(バッグ)に荷を詰め込んでいった。

 

「こんなものか……」

 

 驚き半分、虚しさ半分の呟きが自然に漏れ落ちた。俺の持ち物は自分でも意外なほど少なかった。それも最低限の野営道具だけだ。その少なさ、軽さがそのまま自分の積み上げてきたものの浅はかさにも重なって見えて思わず失笑した。もちろん、金には手を付けなかった。予備の武器もそのままにした。これを手に入れるための金を稼いだのは“黒衣のエルフ様”であってチンケな“トカゲ殺し”じゃない。現金を管理する出納帳がバサリと音を立てて床に落ちた。几帳面にギッシリと数字が並んでいて、アキリヤのしっかりした性格を表している。女物の着替えや下着も出てきて、バニラの花のような甘い香りが嗅覚を刺激する。アキリヤの体臭だとすぐにわかった。ムラと反応した節操のない下半身に嫌気が差した。とにかく自分自身に極大の嫌気が差した。

 

「カル!」

 

 拠点を飛び出して馬に跨がろうとしていた俺の背中に、もっとも聞きたくない愛しい声が投げかけられた。首だけで肩越しにそちらを振り返ると、見たこともないほど動揺したアキリヤがこちらに向かって駆けてきていた。ただでさえ体力不足の細い四肢を必死に振り乱している。そんなにまで俺を必要としてくれているのか。一緒にいてもいいのか。「馬鹿なこと言って悪かった」と謝って、また二人で旅を続けられるのか。

 そう期待したのもつかの間、地面から顔を出していた木の根に足を取られてアキリヤがバランスを崩した。あっと思ったときにはもう遅かった。「きゃっ」と悲鳴があがり、彼女の身体が急角度で地面に傾く。しかし、アキリヤが怪我を負うことはなかった。間抜けな俺が手をこまねいているあいだに、「おっと」と韋駄天のような身のこなしでジョーが彼女を受け止めたのだ。日焼けしたたくましい二の腕がアキリヤの腰に回されたかと思いきや、柳のような彼女の身体を軽々と抱き起こす。その光景は、俺には頬への平手打ちさながらに効いて、実際に打たれたように頬が赤く燃えた。

 俺の視線に気づいたジョーが「しまった」というように顔を顰めるも、カッと頭が熱でいっぱいになった俺にはその意味を察する余裕はなかった。アキリヤとジョーの息ぴったりの仲睦まじい様子をあてつけのように見せつけられて、和らぎかけていた俺の頭は再び衝動的に硬化した。これが世にも有名なみっともない男の嫉妬なのだと自覚して、自己嫌悪が最高潮に達した。

 

「二人とも、達者でな!」

 

 捨て台詞を吐き捨てる雑魚のようにそう言うと、俺は踵で馬の腹を思い切り蹴り上げた。非難の嘶きをあげながらも律儀に走り出す馬にさらに踵をくれてやって、俺はその場から遁走した。ドカカッと蹄が地を蹴るやかましい音が好ましかった。

 背後にいるアキリヤの様子が気になって仕方なかった。俺の名を叫んで「戻ってきて」と懇願してほしかった。俺にアキリヤの隣にいてもいいという甘えた許しを与えてほしかった。恥を(すす)ぐ機会を恵んでほしかった。一方で、「ああ、足手まといがいなくなって清々した」と鼻で笑ってほしかった。俺が彼女を護る騎士には値しないという事実を突きつけて、浅ましい未練を断ち切ってほしかった。だがどちらも聞きたくなかった。どちらを聞いても、きっと自分は真正面から受け止められないとわかっていた。振り返りたくても振り返れないジレンマに悶え苦しみながら、俺は馬に拍車をかけ続けた。こんな別れになるなんて想像もしていなかった。

 

『“愛する者は死んでも護る”、それが我が家の家訓だ』

 

 死んだ親父の遺した言葉が耳元で何度も何度も繰り返されていた。追いすがってくる父親の声を振り払うように、俺は無我夢中になって当てもなく馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 それから、二ヶ月(ふたつき)ほど経った。三ヶ月(みつき)になっていたかもしれない。もう日にちを数えることすら億劫になっていた。その晩も、俺は治安が良いとはいえない場末の酒場で麦酒(エール)を煽ることにした。『酒場』と打刻された真鍮のプレートをくぐり、汗臭い男たちの間を縫って空いていたカウンター席を見つけると、どっかと気怠そうに腰を落とす。アキリヤがいれば血色の悪い男まみれの酒場になんか絶対に来なかったし、見栄を貼って疲れた様子は意地でも見せなかったが、その必要もなくなった。

 冒険者ギルドの魔物退治で日銭を稼ぐその日暮らしにも慣れて、俺はすっかり落ちぶれていた。奇妙に顔色の悪い給仕の小僧が運んできたやけに苦いエールを味わう間もなく胃にかっこむと、無精ひげに染み付いた泡を指先で乱暴に払う。身だしなみに口うるさいアキリヤに言われて毎朝剃っていたことが嘘のようだ。ふと指を見ると、伸びた爪の間には土や泥が詰まっていかにも不衛生だ。「女を抱くにもせめて作法ってものがあるだろ」と口酸っぱく言われていたことが遠い昔のようだ。注意してくれる人間がいなくなるとこうもいい加減になるのかと、己の自制心の弱さにヒゲの下で苦笑が浮かんだ。今の俺が、ほんの数ヶ月前まで世のなかの男たちが夢に描く極上の美少女を好き放題出来ていたのだと吹聴しても誰も信じやしないだろう。

 

 『残響』の拠点を出て、馬がもう限界だと諸手を挙げて降参するまで俺は走り続けた。自棄に付き合ってくれた良馬に水と食事をたっぷり与えて休ませたあと尻を二度叩いて帰陣を許すと、今度は自分の足で歩みを始めた。目的地などなかった。ただ、アキリヤの活躍が耳に入らないようなところに行きたかった。

 地平の果てまで続く草原を踏破し、沈む夕日を背後に何度も見送った。保存食と水で腹を満たし、たまに猟をして滋養を得るだけの生活がしばらく続いた。煮炊きはしない。というより出来ない。日々の賄いはアキリヤがしてくれていた。

 

『オレに“あうとどあ(・・・・・)”の知識があってよかったな』

 

 細い腰のうえに載っかった豊満な乳房を反らしてアキリヤが自慢げに笑う顔を思い出す。“あうとどあ(・・・・・)”という聞き慣れない言葉について尋ね、解説を聞き終わった俺が「立派な家があるのにわざわざ屋外(そと)で食生活をするなんざ優雅なもんだ。偉そうなお貴族様みたいだぜ」と皮肉ると、「そんなことを言う奴にはやらない」と皿を取り上げられたものだ。アキリヤの作ってくれた料理は、大雑把だが男が好むガツンとした濃い味付けで美味かった。そういうところはやっぱり元は同じ男だったのだなと今さら気付いた。離れてから気付かされることばかりだと焚き火を見つめながら懐かしがった。

 その日は、焚き火の暖かさに包まれてウトウトとする彼女の肩にそっと布を掛けてやる夢を見た。ほっそりとした柔肩にさらさらとした銀髪が掛かっている。「綺麗だ」と自然に呟きが漏れた。自分の寝言で目を覚ますと霧雨が降っていて、焚き火はかき消されていた。煙だけが虚しく灰色の空に昇って散っていく様子を雨に打たれながらぼんやりと眺めた。胸にポッカリと穴が空いたようだった。アキリヤを失った自分がこんなに空っぽなのだとは想像もしていなかった。彼女の存在は俺にとって計り知れないほど重要だったと思い知らされる日々だった。

 

 捨て鉢になって、ただ歩くために歩くような日々が過ぎ、人恋しさが芽生え始めた頃。不意に、土を掘り返しただけの休耕地が見えてきた。種まきを待つ広大な農地に踏み入り、革靴越しに堆肥の熱を感じるようになった。大地と牛糞の臭いが身体と服に染み付き、無表情な目で部外者を見つめる乳牛たちの視線にも慣れた頃、この僻地の街を見つけた。そこまで大きくなく、かといって顔馴染みしかいないというほど小さくもない。いかにも流れ者が住み着いて出来上がったというようなゴチャゴチャとした街並みが落ち込んだ気分に合ったし、周囲には魔物が出没するので腕が立つ冒険者が職に困らないという事情もあって、俺は深く考えるでもなくそこにしばらく腰を据えることにした。

 この時期は、何を見るにも何を思うにもアキリヤを思い出し、自分の至らなさを振り返るばかりだった。己の未練がましさ、不甲斐なさに打ち据えられていた。自分がこんなに女々しいなんて思ってもいなかった。どうすれば彼女とずっと一緒にいられたのかと足りない頭に問いかけてるも、「俺が脱走兵なんかでなかったら」「俺に特別な力や才能が備わっていたら」とないものねだりの堂々巡りに陥って、やがて酒に逃げる。そうして酒に溺れながら、これでよかったんだと無理やり自分を納得させる。納得したつもりになる。その日に稼いだ金はすべて酒となって胃に流し込まれ、安宿に戻って半ば気絶しつつベッドに倒れ伏せ、またその晩の酒のためにゲップを吐きながら力任せに剣を振るう。女を抱こうという想いは、奇妙なことにまったく湧き上がってこなかった。路端で娼婦から招かれたことも度々あったが、そちらになびくことはなかった。グール以上猿未満とは思えない禁欲生活を過ごしていた。とは言え性欲を失ったわけではなく、アキリヤと激しく身体を重ねる夢を見た翌朝に下穿き(ズボン)の前がこれでもかと汚れていて、年甲斐もないみっともなさに顔に手を当てて呆然自失した。

 

「アンタ、酒ばっかり呑んでないでさ、しっかりまともな飯を食べなよ。若いしそれなりに良い顔なのに、そんな生活してちゃ台無しだよ。早死にしちまう」

 

 すっかり顔なじみになった酒場の女主人が陶器の平皿を俺のテーブルにドンと叩きつけた。焼いた黒パンが皿の上で跳ねる。女主人のシルエットそっくりの胴太な黒パンにオリーブとパセリがこれでもかと盛り付けられている。添え物としてローズマリーとタイムとラベンダーの香りがするチーズまであった。いかにも健康に良さそうだ。この酒場に来ると、女主人は頼んでもないのにたまにこうしてまともな食事を持ってきてくれる。以前、酒場に因縁をつけた狼藉者の顔面に煉瓦のように固く握りしめた拳を叩き込んでやってから、恰幅と気前のいいこの女主人にすっかり気に入られていた。何一つ運任せになどしないと言わんばかりの気の強い女主人は、若くして世捨て人のようになった俺を息子のように気にかけて世話を焼いてくれた。

 

「黒パンか」

「黒パンだよ。他の何に見えるってんだい。まさか人様の善意に好き嫌い言おうってんじゃないだろうね」

「いや、違うよ。俺は好きさ。前のツレが苦手だったんだ」

「ふん。さぞかし良いものばっかり食べてきたんだろうね、そのかわい子ちゃんは」

 

 俺は“前のツレ”としか言っていないのに、どうしてか女主人にはバレていた。ヒゲで顔の半分が隠れているのに、存外、俺は見透かしやすい顔をしているらしい。

 アキリヤの世界のパンとこちらの世界のパンはまったく別物であるようだった。「黒パンは顎が割れるほど硬い」と口にするたびに彼女は文句を言っていた。パンとは本来、もちもちとして柔らかくて甘いものでなければならないのだと拳を振るって力説していた。そんな奇跡みたいなパンなど見たことないし、俺にはこれで十分に柔らかいと返すと、アキリヤは顔をくしゃっと顰めた。そうして黒パンの端っこに小さな前歯で健気に立ち向かっていた。小動物のような愛らしい表情を思い出して自然と微笑む。彼女の姿を二度とこの目で見られないのだと思うと、切なさで胸が締め付けられる。こうする他になかったのかと自問してまた酒に逃げるという悪循環に足を突っ込む。

 振られた女との思い出に浸っていることを察したのだろう。経験豊かな女主人はフンと鼻を鳴らすと「ちゃんと食べるんだよ」とだけ言って踵を返した。その気遣いに感謝して俺は陶器のグラスを持ち上げる。背後に目がついているらしい女主人は振り返りもせずにヒラヒラと手を振って応えてくれた。突き放すような気遣いが心地よかった。こういう自堕落な日々を送るうちに、だんだんとこの生活に馴れてきて、いつしかアキリヤとの日々が一夜限りの都合のいい夢だったのだと笑って懐かしめるようになるのだろう。

 だが、今はとにかく一人でいたかった。一人で心の整理をつける時間が必要だった。グラスに注がれたエールの水面を覗き込んで、目を据わらせた自分自身を睨め殺すように鋭く凝視する。一拍置いて、俺は心中に呟いた台詞を実際に口から発する。

 

「失せろ。今は一人でいたいんだ」

「それがそうもいかないんだなぁ、これが」

 

 取り繕うことに慣れた男の声が背後から跳ね返ってきた。軽薄そうなその語尾に重なるように10人分の足音が酒場に雪崩込んでくると、トネリコ材の床を無遠慮に蹴り叩きながら俺を取り囲む。すり減った鉄鎧と簡便な大量生産品の剣盾が打ち鳴らす耳障りな音楽には聞き覚えがあった。カウンターに座っていた他の男たちが血相を変えて席を立ち、酒場のざわめきが突如としてぷっつりと途切れた。鬱陶しげにゆっくりと振り返れば、見慣れた装備に身を包んだ兵士たちが11人、こちらに剣を向けていた。10人ではなくて11人だった。一人分の足音を聞き逃したことに俺が苛立ちを覚えたと同時に、女主人が声を荒らげて一人の兵隊に詰問する。それは最初に俺に話しかけてきた兵士だった。

 

「なんだい、アンタたちは!兵隊なんかがうちになんの用だってんだい!?」

 

 見てくれの良い顔面を囲う鳶色の前髪を革手袋の指先で撫で付け、兵士が厭味ったらしい笑みを浮かべる。他人を見下すことに馴れた笑み。背丈も年かさも俺とさほど変わらない。こいつ一人だけ装備も立ち振舞いも際立っているが、内面から滲み出る腐臭は隠せていなかった。実力ではなく権威でのし上がることしか能のない、何世代もかけて腐ってきた血筋の臭いだ。

 

「兵隊なんか(・・・)とは随分な物言いだな、バアさん。誰がこの国を守ってやってると思ってるんだ?」

「なにが“守ってやってる”だい!守る相手から食い物も金もヒトも搾取しまくって、どの口が偉そうなことを言うってんだい!先王様のときのほうがよっぽど守ってくれてたよ!王子さまが生きていれば今の王様なんか───」

「バアさん、それ以上はやめとけ。不敬罪で手打ちにしてやってもいいんだぞ?」

 

 「出来るものならやってみな」と女主人が威勢よく楯突こうとするのを手を上げて制した。この兵士は本当に殺すという予感があった。他の兵士たちは素人じみた闘志しか纏っていないが、この兵士だけは本物の殺気を放っていた。この一団の兵士長(リーダー)とみて間違いないだろう。自分より弱いものを殺すことに馴れた口ぶりは、軍隊にいた頃に新兵イビリを好んだ上官にそっくりだった。こういう手合が女主人を殺さないのは、規律正しいのではなく、後片付けが面倒くさいというだけの理由に過ぎない。眼前の兵士から目線を逸らさずに皿の黒パンとチーズを掴むと口に無理やり詰め込む。

 

「俺に用があるのか」

「そうだ。貴様に用があるのさ、“ドラゴン殺し”」

 

 パンとチーズをバリバリと乱暴に咀嚼しながら、大層な二つ名を呼ばれたことに複雑な心境を抱いた。“黒衣のエルフ”に並ぶほど有名になりたいとは思っていたが、知られたくない相手に知られてしまうとは。

 

「その二つ名を知っているくせに、ずいぶん舐めて掛かられたもんだな。この程度の人数で俺をどうにか出来ると考えてるわけねえよな?」

 

 おもむろに立ち上がり、背中の大剣を鞘から引き抜いて凄む。刃毀れしてノコギリのようになった大剣がいぶし銀ににぶく輝いて、兵士たちのあいだにあからさまに緊張が走った。脱走兵を捕まえに来たのかと疑ったが、それにしては様子がおかしい。誰も捕縛のためのロープを持っていない。では見せしめに首を()りに来たのかと思いきや、兵士たちはおっかなびっくりといった様子で俺に剣先を向けて威嚇するばかりだ。兜の下の怯えた表情が透けて見えるようだ。まるで人数合わせで無理やり連れてこられたような低い練度に呆れすら覚える。事態を穿って気配を探ってみても、酒場の外に後詰めがいる様子はない。この程度、普通の人間には狼の群れに見えるかもしれないが、俺には豚の群以下でしかない。酒に溺れて耄碌していようと、一瞬で殺せる。だが、面と向かったままの軽薄な兵士長は何故か勝利を確信していて、その態度は一向に揺らぎもしなかった。

 

「私はゾッド。国王陛下直属の部隊の兵士長をしている」

 

 呑気に自己紹介まで始めた。近づきすぎて、俺の間合いに入っていることに気が付いていないのか。二つ名を知っているということは俺の実力に察しもついているだろうに。いったいどこに勝機を見出しているのか、まったくわからなかった。

 合点がいかずに眉をひそめる俺を見て、ゾッド兵士長がほくそ笑む。

 

「“エルフの寵愛を受けた者は不死身となる“。こんな逸話を聞いたことはないか?」

「ある。眉唾ものだ。そんな都合のいい話があるもんか」

「そうかな。貴様を見ているとあながち嘘とも言い切れない。少なくとも現王陛下はそうは思っていない。王家秘蔵の文献曰く、霊的に神に近くとも肉体的に貧弱なエルフは強靭な他種族の庇護を求め、“守護者”とする。その報奨として神代の恩恵を授けるという。それを授けられることで、守護者は長命なエルフと共に生を全うできるだけの寿命を得るのだとか。高慢と偏見に固まったエルフが他種族と契りを結ぶなど滅多にないが、歴史上、たしかにあったことらしい。それを耳にされた陛下は大層興味を抱いておられる」

 

 確信を言わずに小難しく遠回しにする口の聞き方に腹立ちしか覚えない。「だからなんだ」と口を開きかけた俺に、ゾッドは指を一本立てて得意満面にニヤリと笑いかけた。

 

「ところで、だ。たしかに貴様はこの私より強いのかもしれない。ドラゴンを殺すほどだ。腕が立つのだろう。しかし、私には勝てない。私は貴様より上手(うわて)だ。なぜなら、すでに私は勝っているからだ」

「下手くそなお喋りに付き合ってやる暇はねえ。俺に酔いが回るのを待つ時間稼ぎのつもりなら無駄だ───」

 

 そこで、ゾッドの目線が俺から逸れたことに気がついた。注意深くその先を追って、女主人の傍らに行き着く。この酒場で働いている給仕の小僧が肩を小刻みに震わせながら頑なな視線を床に落としていた。たしか名前はルーサー。今日はやけに顔が青ざめていると思ったことを思い出す。ザワザワとした違和感が腹の中で募っていく。いや、いつもの違和感とは様子が違う。胃の腑が痙攣している。痙攣があっという間に肉体の表層にまで伝わってきて指先までガクガクと震えだす。ハッとしてエールのグラスに目をやり、やけに苦いと思ったことを思い出す。頭のてっぺんから血の気が引いていく俺を嘲笑い、兵士長がわかりきったことを囁く。

 

「即効性の劇毒だ。貴様はすでに、あの裏切り者の小僧に殺されたのさ」

 

 瞬間、胃の内側の皮がベリッと剥がれ落ちたような薄ら寒さに貫かれ、全身に鳥肌が立った。取り返しのつかないことになったという悪寒を伴う確信が肌を泡立たせ、冷や汗が頭頂部から一気に噴き出る。真っ赤に焼けた鉄の棒を突き立てられたような激痛を腹の内側に感じて、俺は身体をくの字に曲げて床に倒れ伏した。胃液が逆流する感覚が喉奥からマグマのように這い上がってくるが、派手に飛び散ったのはどす黒い鮮血だった。

 

「“ドラゴン殺し”もこうなっては呆気ないな」

 

床一面に広がっていく血の水たまりを踏みしめて、ゾッドが俺を見下ろしながら嘲笑する。

 

「これで“黒衣のエルフ”の守護者は片付いた。あとは、人間に馴れたエルフを捕まえて陛下に献上するだけだ」

 

 「片付けておけ」と吐き捨ててゾッドの後ろ姿が去っていく。勝ち誇った高笑いが聴こえる。行かせてはならないとわかっているのに、肉体は言うことを聞いてくれなかった。女主人の悲鳴が耳をつんざいたと思いきや、急激に遠のいていく。大洪水のあとの水のように痛みが引いていく。意識を連れて引いていく。沈んだら二度と戻れない水底(みなそこ)に引かれていく。

 

「アキリヤ」

 

 声にもならない呟きが漏れた。それが俺の最期の息吹だった。




ビンゴ脳さん(@VGr6bAPjiL23aph)のTS漫画がマジで最高だからみんな見て。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。