俺のエルフが、チート魔術師で美少女で、そして元男な件について。   作:主(ぬし)

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何者でもなかった普通の少年が、恋する女の子を助けて、やがて世界を救う物語。これにTS要素を足したいと思って書き始めたのがこの小説です。


その11 エルフの喪失

昇る太陽の股下を10回ほどくぐってもまだ俺は走り続けた。疲れや衰えが肉体に忍び寄ることはなく、むしろそれらを振り払ってさらに俺は脚の回転を速める。さらに速く、次の瞬間にはもっと速く。俺が通ったあとには旋じ風が逆巻くほどだった。小峡谷だろうと急勾配だろうと、野兎のように飛び跳ねながら駆け抜けた。

 ひた走っている内に体内に溜まっていた安酒の(おり)が汗となって抜け落ちていった。軽くなっていく身体は春に息吹く若葉が乗り移ったように清々しかった。不摂生の灰汁が抜け落ちていく一方で、革靴は擦り切れて裸足になり、麻の服は破れて風に飛ばされ、いつの間にか下穿き以外何も身につけていない状態になった。腰蓑だけの薄汚れた野蛮人と成り果てても俺はひた走るのをやめなかった。自分の憐れな見た目なんか頭の片隅にも気に留まらなかった。

 

アキリヤ、アキリヤ、アキリヤ!!

 

 頭のなかはアキリヤのことでいっぱいだった。一刻も早く彼女の声を聴きたかった。白百合のように柔らかなあの肢体を潰れるくらい抱きしめて、キラキラと輝く艶やかな銀髪の甘やかな香りに鼻を深く(うず)めたかった。彼女のことを考えるだけで笑顔が溢れ、無限に思える力が湧いた。

 見たような灼熱の砂丘を走った。土砂降りの豪雨をかき分けた。雨雲と晴天の狭間を縫った。見覚えのある山脈の峰々、夜営した枯れた川底、霧雨に濡れた荒野を疾風となって昼夜問わず駆け抜けた。人間への敵意を剥き出しにする大自然の波を堂々と踏破しながら俺はアキリヤの名を何度も何度も叫んだ。

 

 太陽と月を頭上に見送ることさらに10回、周りがよく見知った景色になった。かつて鉄鋼竜を倒した岩山だとすぐにわかった。頭から浴びた鉄鋼竜の血の臭いはまだ鼻の奥に覚えていた。俺は犬のように息を弾ませ、鼻をひくつかせ、頭をキョロキョロと左右に巡らせながら、目的地───アキリヤのいる『残響(エコー)』の拠点を目指した。

 

「なんだ、こりゃ」

 

 拠点の全景がわかるほど手前にたどり着いて、松の梢越しに見えた光景に俺は思わず唖然としてその場に立ち尽くした。鼻を突く煙の臭いと、気を滅入らせる死の悪臭。黒い雑巾のようなカラスが死肉を求めて木立から見下ろしている。

 かつて一つの村のように活気に溢れていた拠点は見る影もなくなっていた。きちんと整備されていた深い堀や高い柵があったはずの外周は、乱暴に埋められ、なぎ倒され、ところどころに人間同士の戦闘の跡が残されていた。近づいてみれば、拠点の外壁は至るところが焼け焦げ、矢じりが突き刺さっていたり、窓板が壊されている。石灰岩の外壁におびただしい血痕が飛び散っているのが生々しい。かつて王族の城のように几帳面に磨かれていたバルコニーの錬鉄の手すりは、高熱にさらされてグニャグニャの鉄くずとなっている。

 

「そっちを持ってくれ───気をつけろ」

「それはもう使えん」

 

 杉材の立派な扉を備えていた入り口はバリケードで半分が塞がれて、残り半分を男たちが額に汗を浮かべて片付けているところだった。建物内への侵入までは防いだようだが、逆を言えばその寸前まで追い詰められるほどの激戦だったということだ。男も女も老人も子どもも、まるで働きアリになったように総出でもって復興作業に勤しんでいた。

 

「この臭い……火矢か」

 

 少し鼻で息を吸っただけで、木と石が燃えるいがらっぽい臭気が大気中に色濃く残っていることがわかる。火矢は人族の軍隊が城攻めをする際に好んで使う武器だ。ここも火攻めをされたのだろう。拠点の建物全体に火が回っていればさらに大惨事になっていただろうが、それは食い止めたようだ。さすがはジョーの率いるパーティーといったところか。ざっと視線を流してわかったのは、これが軍隊による一気呵成の攻略戦で、『残響(エコー)』は辛くもそれを撃退し、戦いが終わってからまだ数日と経っていないということだった。

 

『あとは人間に馴れたエルフを捕まえて陛下に献上するだけだ』

 

 ゾッド兵士長の冷たい声が耳元で再生された。甚大な被害を受けて変わり果てた『残響(エコー)』の拠点を前に、俺の剥き出しの背中を冷や汗が伝い落ちた。ゾッドの手勢がアキリヤの居場所を見つけて襲撃してきたに違いない。

 

「アキリヤは……!?」

 

 ハッとして周囲をあらためて見渡せば、アキリヤによる大規模な破壊魔法が炸裂した痕跡はどこにもなかった。アキリヤが本気を出せば軍隊なんて屁でもないはずだ。それなのに、彼女が得意の魔法を行使した痕跡はったく無い。嫌な予感がひしひしと這い登ってきた。なぜ彼女は抵抗しなかったのか。アキリヤは無事なのか。

 

「どいてくれ───頼む、どいてくれ!通してくれ!」

 

 俺はまだ熱を持った石や尖った鉄を火傷も怪我も怖れず踏みしめると、驚く人々のあいだを掻き分けて拠点の内部へと突っ込んで行った。

 

「アキリヤ!アキリヤはどこだ!?」

「な、なんだ貴様は!?ここは貴様のような小汚い者が入っていいところではないぞ!」

 

 鉄鋼竜討伐の作戦会議に使われた大部屋の扉を叩き壊す勢いで乱入する。その俺の前に、跳躍するガゼルの如き俊敏な動きでララが立ち塞がった。その後ろには闖入者を警戒してさっと腰の短剣に手を伸ばしたジョーがいて、さらにその隣には何故か女僧侶までいた。どうしてそこに女僧侶がいるのかと一瞬だけ疑問が湧いたが、本当に一瞬だった。このメンツにアキリヤが加わっていないことへの不安が俺を突き動かした。殺気を隠さず剣を構えるララとの距離を一気に詰めるとその両肩をガッと握りつぶさんばかりに鷲掴む。

 

「ララ、アキリヤはどこにいる!アキリヤは!?アイツは無事なのか!?」

「な、なにをいきなり……!?」

 

 引き攣った顔と声で仰天するララの瞳には、埃まみれの髪の毛は伸び荒れ、口元は熊のような無精髭で覆われた見事な浮浪者が映り込んでいた。最後にララと会ったときとはまるで別人だ。今さらになって自分のみすぼらしい姿の弊害に気が付き、どうやって証明すればいいかとじれったさを感じた直後、勘のいいジョーがハッとしてララの腕を掴んだ。

 

「ま、待て、ララ。もしかして、お前……“ドラゴン殺し”か?カルなのか!?」

「は───はあっ!?カル!?」

 

 その場の全員が度肝を抜かれて飛び上がった。あらためて自分の姿を見下ろしてみる。靴も履いておらず、腰蓑のみで、ほとんど裸だ。おまけに延々と自然のなかを走り続けたせいで全身に泥色の土埃がこびりついている。なんとも本職の浮浪者からも憐れまれるような粗末な見てくれに成り果てていた。さすがにこれで気付けというのは無理があるだろう。

 しかし、羞恥心なんて贅沢な感情はまったく湧いてこなかった。アキリヤがいないことが気になって仕方がなかった。

 いち早く俺に気付いてくれたジョーが目を見張って俺の眼前まで歩み出てくる。

 

「“ドラゴン殺し”、死んだんじゃなかったのか!?ゾッドの奴がそう言っていたぞ。“毒で殺してやった、エルフの加護も王国最新の毒には太刀打ちできなかった”と。お前の容姿から死に様まではっきりと詳細を口にした。だから、俺たちはてっきり……」

「ああ、死んだ。たしかに毒で殺された。埋葬もされた。でも、アキリヤのおかげで生き返ったんだ。“エルフの加護”ってやつのおかげなんだ。この通りピンピンしてるぜ」

 

 死を乗り越えたことを平然と口にした俺にその場の全員が驚天動地とばかりに目を見開いた。

 

「なんと、“エルフの加護”とは死からの復活まで可能とするのか。それがわかっていればアキリヤ殿をみすみす(・・・・・・・・・・)……くそっ!」

 

 ジョーが額を抑えて唸る。悔しげに噛み締めた奥歯がギシッと音を立てた。もともと暗かった部屋の雰囲気がさらに物憂げに沈んだ。ジョーの表情に、俺が生きていることへの驚き以上の後悔が───取り返しのつかない慙愧の念が色濃く滲んでいて、俺の焦りは頂点に達した。

 

「そんなことはどうでもいいんだよ!ジョー、“みすみす”ってどういうことだよ!?アキリヤはどこに───(いて)ぇっ!?」

 

 女僧侶の杖に頭を思いっきり殴りつけられ、今度は俺が目を白黒させる番だった。オークやゴブリンの棍棒よりずっと弱いが、無視できない感情の重さが載せられている気がして、俺はヒリヒリする側頭部を抑えて女僧侶を見やった。そしてやはり、女僧侶は唇を震わせてふーふーと肩で息をしていた。張り詰めた瞳は悔しさで潤んでいる。

 

「アンタ───アンタねえッ!」

 

 女僧侶の全身に、矢を放つ寸前の弓のような爆発寸前の怒りが形として見えるほどだった。非難の怒り。この非難は正当なものに違いなく、きちんと受け止めなければならないものだ。そう察した俺は、すっと居住まいを正して女僧侶に向かい合った。今までのように殴られたらすぐ反射的に怒ったりしようとはまったく思いつかなかった。

 

「私、言ったわよね?“幸せにしてあげなさい”って。アキリヤを幸せにする義務がアンタにはあるって。それが、それが何をどうすればアキリヤを捨てて出ていくことになるわけ!?アンタに置いていかれたあの娘がどんなに塞ぎ込んだか……!」

 

 胸に刺すような痛みが走った。悲しみに沈むアキリヤの表情を思い浮かべて、みぞおちに重いしこりが生まれる。否定しようのない事実だった。項垂れる俺の隣からジョーの沈んだ声が投げかけられる。

 

「僧侶殿は俺が呼んだんだ。昔、彼女とはちょっとした縁があってな。アキリヤ殿と知り合いだと知って、彼女を元気づけられればと思って呼び寄せたんだ。お前たちに不和の亀裂を走らせた遠因の一つは俺にあると思っている。それに、アキリヤ殿は、ひどく……言葉では表せないほどにひどく落ち込んでしまっていたから」

 

 “元気づける”。ということは、アキリヤは俺が去って悲しんでくれていたということだ。俺を……こんな俺を心から愛してくれていたということだ。死から救ってくれるほどに愛してくれていたということだ。自分に注がれていた彼女の想いをあらためて痛感し、熱くなっていた俺の頭は一気に冷静さを取り戻した。あんなイイ女を放っていくなんて、俺は世界最悪の大馬鹿者に違いなかった。自分の情けなさに寒気すら覚えた。早くアキリヤに会って謝りたかった。土下座だってなんだって、許してもらうためならありとあらゆる全てのことをするつもりだった。そして許しをもらったら三日三晩休む暇なくアキリヤを抱くつもりだった。

 

「すまなかった。迷惑をかけた。俺が馬鹿だった」

「ど、ドラゴン殺し?」

 

 腹の底から迸る申し訳無さを言葉にして、俺はジョーに深く頭を下げた。その場しのぎなんかではなく、本心だった。今までの生意気さから一変した殊勝な態度にジョーとララが目を白黒させる気配がするが、俺は頭を下げたまま口を動かし続けた。

 

「俺は……俺はガキだった。図体ばっかりデカくなって、頭ンなかはガキのままだった。ジョー、俺はアンタが嫌いだった。でもそれはアンタが嫌な奴だからじゃなくて、その逆だからだ。アンタに勝手に嫉妬して、勝手に張り合って、勝手に負けたつもりになってた。アキリヤをアンタに盗られるって思いこんでた。アイツは俺のことをずっと好きでいてくれたのに。疑うなんて本当に馬鹿だ。『残響(エコー)』には迷惑をかけた。アンタたち全員に謝りたい。本当にすまなかった」

 

 謝罪の言葉を発すると、不思議と心が澄んでいくような気がした。他人に謝ることも、頭を下げることも大嫌いだったのに、今は自分の失態を認めることが前進の第一歩なのだと素直に認めることができた。“大人になった”という手応えに指先が触れた気がした。俺はスッキリした面持ちで頭を上げて、部屋を見渡す。

 

「それで、アキリヤはどこに───?」

 

 言い終わる前に、横合いから俺に向かって黒い何かが叩きつけられた。花のように甘い匂いがした。見なくても、匂いと手触りでアキリヤが肌身離さず羽織っていた黒衣だとわかった。黒衣を抱きしめて、それを投げつけてきた相手───女僧侶に顔を向ける。女僧侶は唇をただならぬ憂いにわなわなと震わせていた。

 

「立派よ、カル。あなたは大人になれた。でも、大人になるのが遅すぎたわ。そう、遅すぎたのよ……」

 

 そう言って女僧侶は膝から崩れ落ちてさめざめと泣き出した。俺はゾッと頭の芯が冷める感覚に襲われた。前の世界からアキリヤが持ってきた唯一の品で、絶対に手元から離したりしなかった黒衣。俺にすら触れることを許さなかった黒衣。それが、それだけ(・・)が、ここにある。アキリヤがいなくて、黒衣だけがある。

 

「アキリヤは、もういないわ。ゾッドに連れて行かれたのよ」

 

 強烈な目まいに襲われて、女僧侶の姿があやふやになった。肉体を直立させるための芯が揺らいだ感覚に全身が支配された。自分をこの世界に根付かせるための芯が揺らいだ感覚。口のなかが一瞬で砂のように乾いて、舌が喉に張り付く。現実を認めることを拒む脳みそが世界との繋がりを自ら断ち切り、言葉を失わせた。

 アキリヤが、奪われた。

 俺は、間に合わなかったのだ。




続きもけっこう書き進められてるので、たぶん、すぐに更新できると思います。

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