俺のエルフが、チート魔術師で美少女で、そして元男な件について。   作:主(ぬし)

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 薄暮に支配された街外れの墓地区。緩やかな傾斜地に作られたそこのさらに外れで、たった今、間抜けな新顔が収められた棺が簡素な墓に放り込まれた。木と鉛の板で作られた大柄の棺。無言の葬儀のなか、棺の上に土が山盛りに被せられ、そこに男二人がかりで火成岩の墓石が無造作に載せられる。参列者のロウソクの火が墓石の表面に揺れる影を投げかけている。
 全ての儀式が終わったあと、一部始終を見守っていた酒場の女主人が珍しく頬に涙を伝わらせ、顔を手で覆った。その足元では給仕のルーサーが大泣きしながら「ごめんなさい」と土下座している。
 薄っぺらい石板にはこう刻まれている。『ドラゴン殺しのカル(カル・ザ・ドラゴンキラー)、ここに眠る。不死身ではないが、勇敢だった男』

「“愛する者は死んでも護る。それが我が家の家訓だ”。俺はお前にそう教えたはずだ、カル」

 俺はそれを、親父と並び立って、呆然と見下ろしていた。
 俺は、死んだのだ。


その10 エルフへの想い

 死んだはずの親父が隣にいることに不思議と違和感は抱かなかった。懐かしいという気分すら湧かなかった。肩が触れ合うほど近いのに、まるでいつもそこにいたかのように気配が馴染んでいた。体格は俺と瓜二つで、年齢は今の俺と10も違わず若い。日焼けした浅黒い肌に皺は少ない。最後に見た時からまったく歳をとっていなかった。その目の裏側に熱源はなく、この親父が生者ではないことを暗に物語っていた。

 ふと気がつくと、知らぬ間に景色が墓場からガラリと一変していた。周囲は鬱蒼とした背の高い森林。頭上には天高く昇った純白の満月。足元に転がっているのは殺されたばかりのグールの死体。

 

 

『行くぞ!』

 

 

 ド素人の斬り方で頭をかち割られたそれを大股で跨いで、痩せっぽっちのエルフの手を引いたガキが背後から迫る軍隊を避けて森へと逃げていく。それは俺がアキリヤと初めて会ったときの光景だった。暗闇へと溶けていく俺とアキリヤの後ろ姿をじっと見つめながら、親父が独り言を呟くように平坦な口調で言う。

 

「死ぬはずだった見ず知らずのエルフの娘をお前は助けた。お前が命を救ってやった。お前は、この時の選択は間違っていないと思っている。衝動的な選択だったが、何度生まれ変わって同じ場面に遭遇しても同じことをするに違いない」

 

 俺はすぐに頷いた。

 また景色が変わった。雨音が反響する洞窟だった。一本だけの松明の明かりがゆらゆらと揺れる薄暗い洞窟の奥で、全身傷だらけになった俺とアキリヤが寄り添っている。アキリヤが俺の背中の深い傷跡に指を滑らせて謝罪しようとする。俺は彼女の口から言葉が出て来る前に、その唇を自分のそれで塞いだ。アキリヤは抵抗もせず、俺を受け入れた。そのままアキリヤを押し倒す形で二人はゆっくりと傾いで、そして熱く絡み合い、交わった。

 

「お前はこの娘の全てを欲した。この世界の者でもなく、別世界の者でもない。人間でもなく、エルフでもない。男でもなく、女でもない。存在があやふやだったアキリヤを“この世界に生きるエルフの女”として定義したのはお前だ」

 

 俺は親父の言葉を噛み締めて頷いた。

 また景色が変わった。蝶の鱗粉のような星々と厳かな月明かりに照らされた平原を俺とアキリヤが静かに歩いている。

 

 

『なあ、元の世界に帰りたいか?』

『……うん、そうだな』

 

 

 そこで会話は止まり、葉擦れと虫の音色だけが二人の間に流れる。触れてはいけないものに触れてしまったような気まずさと息苦しさが二人の間に感傷的な狭間を作っている。

 

「前の世界に未練を残すアキリヤを、お前はこの世界に繋ぎ止めたいと思った。自分から離れて欲しくないと願った。お前はアキリヤに縋り付き、依存するようになった」

 

 俺は反射的に抗弁しようと口を開きかけ、すぐに閉じてゆっくりと頷いた。

 また景色が変わった。陰惨な館の地下で、俺とアキリヤが卑劣漢の黒魔術師を壁際に追い詰めている。

 

 

『頼む、カル。オレの代わりに、そいつを、殺してくれ』

『わかった。俺たち二人で、こいつを殺そう』

 

 

 押し殺しても殺しきれない感情を揺らしながら、アキリヤがそう頼んで、俺がそう返した。拳が振りかぶられ、黒魔術師の頭骨を真正面から穿ち砕いた。グシャッと瓜が潰れるような音が地下に響く。アキリヤは目を逸らさなかった。

 

「お前はアキリヤを護りたいと誓った。一方で、護れなかった時のことを考えて不安を覚え始めた。護りきれない自分の弱さを想像し、自分の限界を勝手に規定し、怖気づいた。浅はかなお前は、アキリヤを幸せにすることが───幸せに出来るかもしれない強くて賢い誰かにアキリヤを託すことが自分の使命だと考え始めた。本人の意見も聞かずに」

 

 俺はかなり長いあいだ黙ってから頷いた。反論できなかった。

 また景色が変わった。『残響(エコー)』の拠点で俺とアキリヤが口論している。

 

 

『俺なんかより自分の心配してろ』

『“俺なんか”ってどういうことだよ?そんな言い方、今までしなかったのに』

『うるせえな。別にいいだろ。死にはしなかったんだから』

『そういう問題じゃ……おい、待てよ!逃げるな!』

 

 

 俯向いた顔でアキリヤにそっぽを向く俺を見て、親父が言う。

 

「お前は成長著しいアキリヤに劣等感を感じていた。自分より優れたジョーという男に劣等感を感じていた。その気持ちを直視することを恐れ、お前は彼女を避けるようになった。意気地の無いお前はアキリヤから逃げたんだ」

 

 カッと額が熱を持ち、頭が持ち上がる。血が昇った俺が「逃げてなんかねえ」と牙を剥こうとして、また景色が変わる。鉄鋼竜の死骸の前でアキリヤが俺の胸ぐらを掴んでいる。俺が彼女の手を無理やり払い除ける。

 

 

『俺たちは相応しくない。わかるだろ。俺がいなくてもお前はやっていける。俺なんかいらないじゃないか』

 

 

 親父は変わらず無言だった。だが、その無骨な横顔がより硬質に張り詰めたように見えた。無表情のなかに静かな怒りが滲んでいた。

 俺は何も言えなかった。口を付いて出ようとしていたガキ臭い悪態が掻き消され、地面を見つめて押し黙ることしか出来なかった。消えてしまいたいほどの情けなさに打ちひしがれていた。

 親父が畳み掛ける。

 

「お前が命を救い、お前が存在を定義し、お前がこの世界に繋ぎ止めた。だというのに、お前はアキリヤを置いて逃げ出した。相応しくないと言い訳して、自分自身の劣等感から逃げ出した。他人(ひと)任せにして何もかもを身勝手に放り出した」

 

 一語一句、事実だった。事実だからこそ心を深々と穿った。俺は取り返しのつかない失敗をしでかしたのだとようやく自覚した。岩を丸呑みしたような重みを胃に感じ、死の直前に味わったものより酷い強烈な寒気と吐き気に苛まれた。

 また景色が変わった。宵闇が肩に降り落ちるなか、俺の墓に給仕の小僧(ルーサー)が縋り付いて泣いている。虚しい旅は終わり、最初の景色に戻っていた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!他にどうしようもなかったんです……!」

 

 涙と鼻水まみれになりながら謝罪を繰り返すルーサーの背中を見下ろして、心にもたげたのは憤怒ではなく申し訳無さだった。少し前の俺なら「意気地無しめ」と怒りに任せて罵っただろう。「よくも殺しやがったな」と乱暴に腕を振り上げただろう。だが、誰よりも意気地無しなのは己だったと思い知った今、そんなことをしようとは露とも頭に登らなかった。

 女主人はルーサーを責めることも慰めることもせずに傍に立つだけだ。情深く経験豊富な女主人はそれが罪悪感に苦しむ者への最善の処置だと知っていた。

 

「ルーサーを許してやっておくれ。この子は母と妹をゾッド兵士長に人質にとられて、仕方なくアンタに毒を盛ったんだ。このことをバラしたら二人とも拷問されて殺されると言われて、仕方なかったんだよ」

 

 そうだったのか。ならば、怒りを向けるべきはルーサーではなくゾッドだ。ルーサーはなにも悪くない。素直にそう思えた。

 日没とともに冷え込む空気のなか、引き締めた唇を怒りと悲しみに震わせながら女主人が墓石にとつとつと語りかける。

 

「アンタの死体はね、本当は今頃、兵隊たちの馬に引きずられて晒し者にされるはずだったんだよ。それを酒場の皆で取り返したんだ。ルーサーの母と妹も皆で取り戻した。荒くれ者ばかりだからね、なんとかなったよ。軍隊に抵抗したせいで大怪我をした奴らもいる。ゾッドの奴に斬られたんだ。でも後悔はしてないって強がってるよ。“街を魔物から守ってくれた英雄を助けられたなら孫の代にも誇れるぜ”ってうそぶいてさ。もう二度と歩けないかもしれないのにね、やせ我慢してるのさ」

 

 そこで一度言葉を区切り、静かに続ける。

 

「アンタが街に来てくれて、魔物から守ってくれて、みんな助かってたんだよ。女にフラレて傷心のアンタは気付いてなかったろうけど、みんなから頼られて好かれてたんだ。アタシも、バカみたいに硬くて誰も食べたがらない黒パンをバクバクよく食べてくれるアンタが好きだったよ。まるで死んだ馬鹿息子にそっくりで……」

 

 「これから寂しくなるねぇ」。それを最後に女主人の独白は終わった。涙が墓土にポタポタと落ちる。

 

「……すまねぇ」

 

 俺は後悔に歯を食いしばり、唇を噛み千切った。口のなかに鉄の味が広がる。握りしめた拳から血が滲む。俺が逃げ出さなければ、善良な人たちにこんな理不尽な苦しみを背負わせることはなかった。生き返って全てをやり直したいと心から望んだ。アキリヤに謝りたいと心から願った。

 今頃、アキリヤはどうしているだろうか。死の直前に耳に滑り込んだ、「エルフを捕まえに行く」というゾッドの台詞を思い出す。おとぎ話を信じた現王が、賜れば不死身になれるという“エルフの加護”を欲してゾッドを遣わせたとも言っていた。人間嫌いのエルフのなかで、珍しく人間好きなエルフであるアキリヤなら自分にも“エルフの加護”を与えるはずと画策したに違いない。

 アキリヤはきっとジョーのパーティーの拠点にまだいるはずだ。あの連中ならアキリヤを放り出したりはしないだろう。ジョーの率いる凄腕ばかりの『残響(エコー)』は軍隊より軍隊らしく精強だが、さすがに本物を相手にできるほどの規模はない。だが、アキリヤの魔法の破壊力があればどんな敵でも跳ね除けられるはずだ。そう結論付けて自分を安心させようとしても、ハラハラとした胸騒ぎは消えてくれなかった。アキリヤの傍に駆けつけたかった。結果がどうであろうと、彼女がどう思おうと、傍にいたかった。

 

「俺は、大馬鹿だ。肝心なときに役立たずだ。猿以下、グール以下だ。こんな奴、死んで当然だ。そうだよな、親父……」

 

 後悔しても遅い。何もかも遅すぎる。なぜなら、俺は死んだのだから。死人には何も出来ない。死後、愚か者の魂は後悔に悶え苦しみながら無力感に浸るしかない。親父はそれを伝えに来たのだと思った。『愛する者は死んでも護る』という家訓を破ったことを咎めるためだと。この一連の記憶の断片を巡る旅は、俺を罰するためのものだったのだと。

 

「いいや、違う。そうじゃないぞ。未来はお前次第なんだ、カル」

 

 その時初めて、親父の声に人間味が宿ったように聴こえた。ハッとして顔を向ければ、親父もまた俺を直視していた。肉親の情に満ちた双眸が俺をじっと見つめている。そこに罰を与えるような意志はなく、むしろ真逆の希望の光があった。

 

「俺次第?」

「そうだ。お前は今この世にただ一人、“エルフの加護”を与えられた守護者で、神の使徒だからだ」

 

 またその話かと思った。しかも神の使徒とは大げさ過ぎる。“エルフの加護を受けた者は不死身になれる”なんて、なぜ現王がそんな眉唾話をすんなり信じる意味がわからなかった。エルフと一緒にいただけで超人になれるなんて都合が良すぎると子どもだってわかる。そもそも、それが本当なら、俺はどうして幽霊(ゴースト)となって自分の墓を見下ろしているのか。そうやって眉をひそめて訝しげる俺の心の声を正確に聞いた親父が応える。

 

「お前の心がアキリヤから離れたからだ」

 

 親父が尚も続ける。

 

「“エルフの加護“とは、エルフが自分にとって便利な単なる護衛を生み出すためのものじゃない。加護を得れば超人になれるというように勘違いされているが、伝承が後世に伝わるなかで改変された結果だ。今ではごく僅かな者にしか正確に把握されていない。当のエルフたちですら種族内に引き篭もるあいだに忘れている。生まれながらのエルフではないアキリヤに至っては知る由もないことだ。だが本来は、神の血を引くエルフが自らの伴侶(・・)となる他種族に与える神の奇跡(・・・・)のことなんだ。長命種のエルフが、生涯共に暮らしたいと心から願う短命種のために、己の内に眠る祖神の力を行使することだ。しかし、それは一方的では駄目なんだ。片思いでは成立しない。お互いの一途な想い(パス)が繋がっていなければ、“エルフの加護”は真の効果を発揮しない」

「は、伴侶って」

「エルフは恋をすることで成長が止まる。それは永遠に変わらないはずの魂の形が想い人に合わせて変質するからだ。高熱に晒された鉄のように、恋の熱によって変形するのだ。エルフがいつまでも若い姿なのはそのためだ。アキリヤの成長がとっくに止まっていたことに気づかなかったのか?もうだいぶ前から背が伸びなくなっていたろう」

 

 即答できない俺に、親父の片眉が跳ね上がる。

 

「この唐変木のエロガキめ。乳と尻ばかり見ているからだ」

「う、うるせえな!いいだろ別に!」

「いいわけがあるか。だから女心が分からずに傷付けるんだ」

「……アイツはもともと男だ」

「それが言い訳になると思ってるのか?」

「………」

 

 むっつりと頬を膨らませて黙った俺に親父はやれやれと腰に手を当ててため息を吐く。父親に呆れられて責められているのに、俺はなんだかくすぐったい心地良さを覚えていた。親子で素直な会話を出来ることが嬉しかった。もしかしたら、親父もそうだったのかもしれない。ふっと鼻息一つ落とすと、「やっぱり俺の子だな」と温かみのある苦笑いを浮かべた。

 

「薄くなっていても神の血をひくことに違いはない。神の末裔といってもいい。その奇跡を得るということは、すなわち“神の使徒”になるということに他ならない。魔物や黒魔術や闇魔法はお前を害することはできない。覚えがあるだろう?」

 

 意識が記憶の棚を探り、すぐに思い当たった。捉えられた女僧侶を救出する際、黒魔術師に呪いを掛けられそうになったことがあるが、奇妙なことに俺にはまったく通用しなかった。魔物による打撃もそうだ。その原因がようやくわかって合点がいったと同時に、その後に女僧侶が俺に伝えようとしてもったいぶった話についても理解できた。女僧侶が「この幸せ者め」と額に手を当てていたのは、俺に“エルフの加護”が備わっているということ───アキリヤが俺を心から想ってくれているということ───を察したからだったのだ。各地を転々として知識豊富な女僧侶は、“エルフの加護”の本当の意味を知っていたのだ。

 目を見開いて、自分の手のひらを見つめる。俺は本当に“エルフの加護”を与えられ、知らないうちにその恩恵に救われていた。アキリヤに、想われていた。

 

「神の使徒が、一度殺されたくらいで死ぬわけがない」

 

 親父が自分のことのように自信を含んだ声で言う。だが、そう言われても現に俺は棺のなかだ。そう口にしようとして、親父に遮られる。

 

「言ったろう、“お互いの想いが繋がっていなければ”と。今は、お前がアキリヤへの想いを無理やり抑えつけたせいで繋がりが弱まってしまっている。もう一度アキリヤと気持ちを通じ合わせれば、再び加護を取り戻せる」

 

 それは確かにその通りかもしれない。親父はこうも言っていたじゃないか。“一方的では駄目だ。片思いでは駄目だ”と。

 

「……俺、アイツにひでえ態度をとったし、放り出したんだぜ」

「愛想を尽かされたんじゃないのかと?」

 

 俺は項垂れ、諦めの言葉をこぼして顔を曇らせる。そんな煮えきらない俺に、親父が頬を掻いて尚も苦笑う。

 

「お前たちがすれ違うのも無理はない。片方の男は、色恋沙汰を教えるはずの父親がさっさとおっ()んじまった。もう片方のエルフは、もともと年若い別世界の少年。お互い、心を素直にぶつける術を知らない。どうせ、“愛してる”の一言も交わしたことがないんだろう?男ってのは総じて不器用だからな。世界が違ってもそれは変わらないんだろう」

 

 今度は記憶の棚のどこを引っ掻き回しても発見できなかった。言われて始めて、俺はアキリヤに“好きだ”と口にしたことがないことに気が付かされた。こんなに好意を抱いているのに、あんなに身体を重ねたのに、言葉にして伝えたことがなかった。それはアキリヤからも同じだった。アキリヤも元は男だったから、自分の感情を言葉にすることが苦手だったのかもしれない。だから俺たちは自分の気持ちをハッキリ口にして相手に伝えたことがなかった。でも、俺に“エルフの加護”が宿っていたということは、俺たちはずっと……。

 

「愛想を尽かされたのかどうかは、生き返ってみればわかる。無事に生き返れたら、今度はちゃんと言葉にして伝えてこい。後悔しないようにな」

「もしも生き返れなかったら?」

「あの世で俺からの説教だ。永遠に」

「冗談じゃねえな」

「ああ、まったくだ。冗談じゃない」

 

 どちらからともなく笑った。ひとしきりくっくっと喉を鳴らした後、親父は俺の肩に手を置いてまっすぐに俺の目を見据える。親父の目は熱っぽく潤んでいた。それで、この旅ももう終わりなのだと悟った。

 

「……恨んでるよな、俺のことを。家族を護れと偉そうなことを言ったくせに、帰らなかった」

「正直、恨んだこともある。けど、今は恨んでねえ。それに、親父の言葉に突き動かされたこともたくさんある。まあ、その、なんつーか、」

 

 素直になろう。気持ちを言葉にするんだ。心を伝えるんだ。俺は親父の手に自分の手を重ね、俺とそっくりの色をした目を見つめ返して、言った。

 

「……ありがとう、親父。何もかも、ありがとう」

 

 親父の唇が小刻みに震え、一筋の涙が角張った顎を伝い落ちた。地面に落ちた涙から波紋が生じ、それを起点として世界に白い光が満ちていく。視界がまたたく間に月下の新雪のような純白に染まっていく。親父の姿が穏やかに掻き消えていく。微笑みが霧がかかるように薄れていく。寂しいとは思わなかった。これからも親父は近くにいてくれるとわかっていた。視界すべてが白くなり、自分が目を開けているのか閉じているのかもわからなくなる。不安を感じることなく、俺は意識を無にして肌に感じる温もりを身のうちに受け入れた。柔らかな暖かさ───人肌の温もり───アキリヤの温もり。永遠に魅入っても飽きない、俺の愛する女。

 

「アキリヤ」

 

 大切な彼女の名をそっと口にした途端、一気に自分が浮き上がる感覚に包まれた。自分が泡となって水底から急浮上していく感覚。目覚めの感覚。覚醒の感覚。真の力を手にした感覚。そうして俺は、

 

 

 

 思い切り突き出した拳が何か重くて硬いものをぶち抜いた。木と鉛の板のようだった。暗闇のなか、穿たれた穴から大量の何かが怒涛のごとく流れ込んでくる。土くれの湿った音と臭いがした。すぐに自分がとても狭い木箱に横たわっているとわかった。このままでは生き埋めになると慌てた俺は、とりあえず脱出しようと力任せに立ち上がった。バキバキメキメキと木板と金属版をへし曲げて、ドサドサと土を跳ね除けて、俺はその場に仁王立ちした。

 

「………」

「………」

 

 目の前で、ルーサーと女主人が呆然と突っ立って俺を凝視していた。ポカンと口を開けたまま二人とも何も言わない。どうやら無事に生き返れたのだとわかった。俺は事情を説明するための言葉を探したが、“エルフの加護”やらなにやらは説明が難しく、短くまとめたり気の利いたセリフが思い浮かばなかった。だから、俺は顔中をグチャグチャに汚したルーサーをキッと睨んでこう言った。

 

「黒パンだ!!」

「……は?」

「バアさんの黒パンがたまたま口に合わなかっただけだ!おおかた、誰も食べたがらねえからちっと腐ってたんだ!誰がてめえなんかのチンケな毒で死ぬもんかよ!!」

 

 言って、さすがにキザ過ぎたかと気恥ずかしくなった俺はフンと鼻息一つ吐いて自分の墓石を蹴っ飛ばすとズンズンと棺の残骸を跨いで歩み出す。ルーサーは相変わらずポカンと呆けたままだったが、ヘナヘナと安堵したようにその場に手足をついた。そんな俺を見て、自失から立ち直った女主人が男のような胴間声で笑った。墓場の死人たちがビックリして一斉に起き上がるかと思うような笑い声だった。

 

「それは悪かったね、今度は新品の黒パンを準備しといてやるよ!」

「そうしてくれ。ガチガチに硬いやつを頼む。それと、」

「連れには柔らかい白パンだね?」

「ああ、頼む。必ず来る」

「待ってるよ。だから、ほら!」

 

 女主人の手のひらが風を切って俺の背中をしたたかに叩いた。図体のでかい俺すらたたらを踏むほどだった。全身にビリビリと心地のいい痺れが走り、呑気に眠りこけて鈍っていた筋肉をバッチリと刺激してくれた。

 

「早く彼女のところに行ってあげな!“カル・ザ・ドラゴンキラー”!!」

 

 俺は力強く頷き、そして勢いよく駆け出した。どこにどうやって帰ればいいのかという当然の疑問は、湧き上がってくる本能にすぐに上書きされた。ただ心の向くままに走ればいいという熱い確信が俺を突き動かした。墓場をひとっ飛びに後にし、街の大通りを全速力で突っ切っていく。ピンピンして颯爽と走る俺を見て街中の人間にどよめきが広がる。

 

「不死身って本当だったのかよ!?」

「軍隊なんかぶっ飛ばしてくれ、カル!」

「行け、カル!行け、ドラゴンキラー!!」

「カル・ザ・ドラゴンキラー!!」

 

 みるみる増えていく声援に俺は拳を突き上げて応えた。わあっと膨れ上がった歓声に背を押され、俺はさらに脚を早めた。疲労の気配は微塵も訪れない。筋肉のなかに爆発寸前の力が満ちている。まだまだ速く走れる気がした。

 あっという間に街を駆け抜けると、休耕地だった広大な畑が一面の小麦畑となっていた。背の高い小麦が海原のようにサワサワと凪いで、そこを地平線に向かって一筋の(わだち)が貫いていた。数ヶ月前に傷心の俺が踏みしめた箇所だけ小麦の生育が阻害され、そのまま並木道となったのだと気が付いた。俺が辿ってきた道が俺の道しるべになってくれていた。

 突然、走り続ける俺の網膜を煌々とした光が差した。日の出だ。小麦畑を覆っていた暗いベールが剥がされ、見る見るうちに黄金の海原と化して煌めいていく。赤く燃え上がっていく地平線から真っ直ぐに伸びたピンク色の眩い陽光が並木道を彩り、俺の行く手を輝かせる。まるで太陽に手招きされているようだと思った。俺は俺の太陽を───アキリヤを目指して休むことなく走り続けた。

 

「アキリヤ!!愛してる!!アキリヤ───!!」

 

 地平線を超えてアキリヤまで届けと、俺は全身で咆哮した。相応しいとか、相応しくないとか、そんなことは関係なかったとようやく気が付いた。ただ傍にいるだけでよかったんだ。アイツは俺の女だ。誰にも渡さない。もうこの手から離さない、もう二度と離れないと硬く誓って、俺はさらに手足を振り乱してどこまでも加速を重ねた。自分の限界は、もう感じなくなっていた。




LINE漫画で『JKドラゴン(著︰ピーナッツさん)』を読んでます。TS要素があるんだけど、そのラブコメが甘酸っぱくて最高なんですよこれが。TSラブコメって……いいよね!!(満面の笑み)

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