ならば、歪んで捻じれていようともに添い遂げるのが、女の花道か。
第六特異点が誰にとっての試練かと尋ねれば、カルデアにいたメンバーは誰しもがこう口をそろえる。あの特異点、あの物語は間違いなくマシュから始まっている、と。
誰よりも純真な心を持っていたはずの彼女は、折れて曲がり、歪な形を持っている。
結論から言えば、マシュ・キリエライトの霊器であるギャラハッドは、そんな彼女だからこそいまだにその霊器を託していると言っても過言ではない。誰よりも穢れなき騎士とまで称された彼が、なぜ歪んでしまった存在である彼女とともにあるのか、それを紐解いていこう。
「先輩、ありがとうございます」
「ん、何が?」
「いえ、私がギャラハッドのデミサーヴァントだと知って、失望しないでくれて」
サーヴァントであるシャーロック・ホームズの協力を得て、マシュは自身に力を貸してくれている英霊の真名を知ることができた。しかし、その事実に最もショックを受けていたのは彼女自身だった。自分の弱さゆえに、その在り方までも歪められてしまった英霊になんと詫びればいいのか……彼女はずっとそのことばかりを考えていた。
なんせ、相手はかの騎士だ。アーサー王伝説、あるいは聖杯伝説において、聖杯を見つけ、最も穢れなき騎士として天に召された英雄。その名を汚してしまったと、マシュはそう考えていた。
だが、マスターである立花の反応は違った。
彼は、いつもと変わらず、いつものようにマシュに接している。あのとき、マシュがアヴェンジャークラスに身を落としたときと同じように、マシュをそのまま受け止めてくれている。それがマシュには不思議だったのだろう。だから、彼女は不思議に顔で訊ねた。
「どうしてですか? どうして先輩は、こんな私に優しくしてくれるんです? 私は、一度はあなたを裏切り、そして私に力を貸してくれるかの騎士すら汚してしまった……アルトリアさんもそうです。彼女も私の霊器には気づいていたはずなんです。でも、いつもと変わりませんでした」
この場にいない円卓の王、アルトリア・ペンドラゴンは、マシュを受け入れていた。だが、彼女が気づかないはずがないだろう。それはどうしてか、マシュにはわからない。
立花は頬を搔きながら、その質問に答える。
「んー、そういうの考えたことはないからなー」
「考えたことがない? そんなはずはないです。普通、裏切られたら疑念の心が残るはずでは?」
「マシュー、それを言うなら俺はマシュに裏切られても信じ続けた男だよ? それなのに今更疑ってどうすんのさ?」
立花は子犬を撫でるように、マシュの頭をなでる。
「ん、先輩、私今真剣な話を――」
「真剣さ。そうだなー、俺にはギャラハッドの気持ちまではわからないけど、まあ、マシュに力を貸す理由はわかるよ?」
「ほ、本当ですか!? 教えてください! それを知らなければ、私は前に進めません!」
「マシュが可愛いから」
絶対零度、まさかマシュ自身もこんな視線を愛しの先輩へと向けることになるとは思わなかっただろう。しかし、よりによって出した答えが可愛いなどという俗物的なものだとは思わなかったのだ。さすがのマシュでも、これはお怒りである。
「先輩、もう一度言いますね? 私、真剣に聞いているんです」
「ああ、俺も真剣だって言ったろ? 別に俺が言ってることは何も容姿を褒めているわけじゃない。マシュの生き方は尊くて可愛いって言いたいのさ」
「生き方?」
「ああ、まるで小鹿の成長を見てるみたいだよ。えっちらほっちら不格好に歩いて、ようやく立ち上がったかと思うと支えてあげないといけなくて――――でも、伝わるんだ。まっすぐな生き方が。歩き方は慣れないまま、ふらふらって感じで時折甘い道に誘われるけど、マシュの一生懸命さには関係ない。道が逸れようと、歪んだ砂利道だろうとマシュはマシュだから――――マシュは、自分が変わったなんて思ってるかもしれないけど、違うよ。マシュは歩き方が変わっただけで、マシュ自身は何も変わってない。俺は、そんなマシュは可愛いくて仕方がないんだ」
マシュ・キリエライトの人間として活動した時間は、とても短い。しっかりしているように見えて、抜けているし、どこか大人びているように見えて、少女未満な感性だって持っている。人間としていまだ不安定な彼女、だけど――――彼女は人間としてとても魅力的だと立花は語る。
「ねぇ、マシュ、人間のいう正しさってなんだと思う?」
「…………信じること……でしょうか?」
「マシュらしい答えだね。でも、俺はこう思うんだ。人間の正しさなんて生きること以上のものはないって」
「ですが、それは獣の考え方です。生きていればいい、それでは悪事も許容してしまいます」
「それは
「正しすぎるくらいには」
「うん、そうだね。彼女は正しすぎるくらい正しい。でも、そんな彼女も人を殺したことがあるんだぜ? 彼女の指導によって多くの人が幸福にも、不幸にもなった。それはどう思う?」
「それは……」
それは、仕方のないことだ思う。彼女がいなければ、幸福を掴めなかった人は多いだろうし、何より、特異点に刻まれ、現代まで語り継がれるほどに彼女はのちの世に大きな影響を与えている。だが、そのために何かしらの犠牲があったのも事実だろう。
「マシュ、俺たち人間に生きること以上の正しさはない。だけど、それで重要になるのはどう生きるかなんだ。人間にできるのは選ぶこと。やることができるし、やらないことができる。耐えることも、叫ぶこともできる。獣は感情には素直だ。楽しいと思ったら止まらないんだよ。だって仕方ないさ、楽しいんだから。でも、俺たちは楽しいことを楽しまないことができる」
「楽しむことを楽しまない……それには、どういった意味があるんですか?」
「人を殺さないことができる」
「――――ッ!?」
「人殺しは快楽だよ。憎悪は甘美だし、他人の不幸は蜜の味だ。だから、獣が染まってしまったら終わる。だけど、人は違う。いや、違うべきなんだ。人間は自分の醜さを許容しなければいけない。だけど、獣はそれを否定する。己が正しく、己がすべてだと語る。でも、それだけじゃダメなんだ。面の皮はぎ取ったって、醜さは隠せないさ」
それはなんという試練だろうか。誰だって己を醜さを否定したいはずだ。しかし、立花はそれを人の強さだとも弱さだとも語る。そして、それがマシュの強さだと。
「だからマシュはすごいんだ。マシュは選んでここにいる。一緒に俺と戦ってくれる。裏切った? 違うんだよ。あれは俺とマシュの初めての喧嘩だ。まあ、いいとこは全部所長に取られちゃったけど、でもそういうのもいいと思うんだ。言いたいことがあったら言って、秘密にしたいことがあったら秘密にして。でも、それでも一緒にいたいんだよ、俺は」
「――――私もです。私も、先輩と一緒にいたいです」
――――――…………
「醜いな、その盾は。いや、醜いのはお前自身か?」
「くっ」
ランサー獅子王は、目の前に現れた醜悪なる少女をそう断定する。彼女は女神だ。その魂の本質を見抜く。目の前の少女は、かの騎士の盾を担いながらもそれを歪め、醜くそこにあった。獅子王は、人が好きだ。だが、そこには好ましい人間と好ましくない人間がいる。
そして、少女は彼女にとって害悪にも等しい醜さだった。
「人間。この場に唯一いる人の子よ。なぜその少女を隣に立たせる? その少女は歪んでいる。その盾を持つ資格などないほどに汚れている。それをわからないわけではないはずだ」
獅子王には不思議だった。少女の隣に立つ少年は、少女がふさわしくないほどに合格点を上げられる。彼は英雄にはなれない。だが、彼は人間として美しいものを持っている。ここで失うのはもったいなくはあるが、だからこそ、彼が少女を支えていることが理解できない。
「感性の違いだろうな。俺は生粋の日本人でね。わびさびっつー歪みが好きなんだよ」
脂汗。獅子王のプレッシャーは、サーヴァントたちを縫い付けるほどだ。唯一、人間というカテゴリーであるはずの立花は、ひきつった笑みを浮かべてそう答えを返した。
「なるほど、確かにそれなら納得だ。私は女神で、お前は人間。だからこその違いだろう。ならば、私がその醜さを許容できないのも重々承知なのだろう?」
「冗談を言うな、お前が許容できないのは女神だからじゃない。お前が何よりも歪んでいるからなんだよ! 俺はお前の醜さが許容できない! 何もかも諦めたような人形みたいな面で、悟ったように見下しているお前の醜さをだ!」
「ほう、私を醜いというか、人間」
獅子王は目を細める。
「ああ、お前は無垢だ。真っ白でまっさらで、そんな純粋な悪に見える」
「私が悪か……では、そこな娘はなんだ? 歪み折れ、染まっているその娘はどうだ? 私には、その娘が醜悪に見える。おぞましいほどに、嫌悪する」
「あのさ、獅子王。それは女神としての言葉か? それとも私情か?」
「――――私情だろうな。私には、その盾が歪んでいる事実が許容できない。その盾は高潔なものだ。その盾は無垢なものだ。ああそうだ、私はそこの娘がその盾をかざしている事実に耐えられない。だから、消えろ。お前にその盾を持つ資格はない」
獅子王は、聖槍をかざす。星を繋ぎ止める嵐の錨。その真実は塔であり、宝具のなかでも最上位の一つに数えられるであろう対城宝具――その一撃は、この場にいる一人の少女にしか防ぐことができない。
「マシュ!」
「はい、防ぎます! 防いでみせます! 私が、無垢な
「やってみせろ!」
聖槍が振られる。マシュの霊器の真名は、ギャラハッド。しかし、彼女は本来あるべきだった宝具を使うことはできない。歪んでしまった彼女は、その純粋な宝具を使用することはできない。彼女はアヴェンジャー。ならば、その盾の刃は飾りではない。
「それは全ての疵の始まり、それは綻び去った彼方の理想――狂い貪れ、『
刃だ。盾に仕掛けられた刃が聖槍の一撃に向かい、食らいつくように飛び出た。
「そんなもので――――何?」
歪む。歪む。歪む――刃はまるで嵐のように突き立つ一撃に触れ、それを次々に狂わせていく。そして、その矛先は跳ね返ったように獅子王へと向かう。
「ふんっ」
獅子王は、自身の放った一撃を同様にしてかき消す。だが、そこで動きは止まる。彼女は訊ねなければならないからだ。この宝具の意味を。
「おい、小娘。これはどういうことだ?」
「ジャンヌ・オルタさんは贋作です。聖杯によって願われたあるかもしれない、あるいはあるべきだった可能性を願った末の存在。そして、本来、ギャラハッドの霊器にはアヴェンジャーのクラスは適応しません。だけど、歪めることはできます。私も魔術王が歪めただけのただの贋作なんです。かの騎士は何よりも穢れなき騎士として今もあります。だけど――誰よりも穢れがない? それだけで穢れる可能性は十分でしょう?」
ギャラハッドは望まれて生まれた存在ではなかった。ギャラハッドは、ランスロット卿とペレス王の娘エレインの子供。エレインは魔法によってランスロット卿を騙して結婚し、ギャラハッドが産まれた。しかし、エレインは正気に戻ったランスロットにより捨てられ、ギャラハッドは修道院に預けられた。
そんな過去を持つ人間が、すべての可能性において穢れなき存在であるはずがないだろう?
「では、貴様は!?」
「はい、ギャラハッドはマーリンの予言通りの才能を有し、円卓へと迎えられました。だけど、憎いんです。円卓が!
マシュ・キリエライトオルタの能力は、円卓特攻。彼女は、決して弱くない。普通の少女を卒業した彼女は、人間として大きな一歩を踏み出したのだ。そんな彼女の意思は、ベディヴィエールとともに獅子王を砕き、第六特異点を修復した。
フォーウ。
どこか、遠い世界で獣の鳴き声が響いたような気がした。
ここではない、遠いどこかで……。