「先輩」
マシュが帰ってきた。それはたぶん、すごく素敵なことだ。
「せーんぱい」
うん、いや、大丈夫。まだ大丈夫。俺は強い子負けない子。
「うふふっ、先輩」
いや、あの、ちょっ、えっ、えーっと。
「大好きですよ、先輩」
本当、どうしてこうなってしまったのだろう。いや、本当に。マシュの姿は、オルタ化したまま、髪の一部に銀色が残された。それがオルガマリーとの夢を語る上での欠かせない絆になる。オルタ化したと言ってもマシュはマシュ。優しい少女のまま――だと思っていた職員たちは驚かされた。
マシュが立花にものすごく積極的なのだ。
大好きなどという言葉は日常茶飯事で、体を触れ合わせるスキンシップも増えた。そんなマシュの変わりように、ドクター・ロマン(三十路童貞)は、「マシュが淫乱な女の子に!?」なんてムンクの叫びみたいな顔で驚いていた。ああ、ちなみにそんなセリフをほざきやがった童貞は、女性陣からキツいお説教を受けることとなってしまったが、同情の余地はないだろう。
今の女性陣の対応を知る限り、女性陣はこの変化を歓迎していた。なんせ、職員のなかにマシュの恋を応援していなかったものはいない。確かに以前のマシュからしてみれば、過剰な対応かもしれないが、恋する乙女はこれくらい普通だということを何度言われた。
ちなみに、研究職系についていた野郎で、女性に幻想を抱いていたような連中は、軒並み撃沈していた気がする。それを見て女性陣はまた、女をなめるなと言って笑っていたようだ。これでカルデアの男女の力関係がわかったような気がした。
しかし、そんなマシュの変化を複雑そうに眺める人たちがいる。
「ムー……」
「どうした魔女? そんなフグのような顔をして」
「っるっさいわねー、別にいいでしょ、なんでも」
立花のサーヴァントたちだ。第四特異点を乗り越えはしたものの、それ以降特に出番もなく、そのほとんどがマスターである立花の中で物語が完結していることに不満を感じている。唯一、どこ吹く風なのは巌窟王くらいなものだろう。
中でもそれが顕著だったのは、意外なことにジャンヌダルク・オルタだった。アルトリアは、もとよりだからなんだと引くつもりはない。そういうところは、圧政をよしとする王の性質が現れている気がする。メドゥーサは、もとより二人の幸せを願っている側の英霊だ。せいぜい、ちょっと摘まませてもらえればいいと思っている。
だが、ジャンヌはもとは村娘だ。特に聖女と呼ばれたジャンヌ以上に、復讐者であるジャンヌダルク・オルタはその人間的な性質が強い。
つまり、なんとなーく気に食わないというか……まあ、本人は絶対に認めないだろうが、ようするに嫉妬である。彼女の復讐心と比べれば、それこそ村娘のような可愛い感情だ。
「ふんっ、なんですか帰ってきてからずっと二人でいちゃいちゃして……いくら大変だったとはいえ、それには私たちも付き合ってあげたのだから、もう少しこう……労いというものですね……」
「嫉妬か?」
「違うわよっ!」
嫉妬である。
「あーもう、イライラします……」
とはいいつつも、彼女も彼女なりに理解はしている。彼女は“信じる”ということを邪悪だと捉えているが、気に入るものは気に入るくらいの情はある。少なくともマシュに関していえば、あの聖女様とは比較にならないほどに随分マシだと思っている。
以前の無垢なマシュに関してもそうだが、今の“人間らしさ”を全面的に出している人間的な彼女のような性質の持ち主は嫌いではない。以前との違いといえば、自分の感情の名前を把握しているかいないかであって、ジャンヌからしてみれば、この変化さえも可愛いものだと思っている。
思っているのだが……。
「せーんぱい」
「あの、マシュさん? 腕に、その、マシュのマシュマロの部分が当たっているといいますか……」
「せっかくだから食べちゃいますか? マシュマロ、きっととっても甘くて……柔らかいですよ、先輩」
視界の端で、そうあからさまにイチャつかれると普通に腹が立つのは万国は愚か、全世界共通である。
(そう、そうよ。これは嫉妬なんかじゃないわ。怒りよ。あからさまに砂糖が吐きたくなるような光景見せつけられて、腹が立っているだけなのよ! だからちょっと、そこ私と代わりなさいよ!)
いや、だからそれが嫉妬なんだって。
――――――…………
「もきゅもきゅっ」
「おい、卑王。貴様何をしている?」
「ごきゅっ、巌窟王、見てわからないのか? 食事をしているんだ」
「いや、それは見てわかる。オレが言いたいのは、その圧倒的なまでの量のことだ」
巌窟王は引いている。小柄な少女とも言うべきアルトリアが、一つのテーブルを埋め尽くすほどに存在するデカ盛り料理をガツガツと食らっていることに、見ているだけで満腹になりそうになるほどドン引いている。
「ふんっ、あの馬鹿が何日も料理を作らなかったから、我慢していたが、もう限界だ。とにかく食う」
ああ、ストレスによる過食症か……。巌窟王はそんなことを思った。何せ、アルトリアの食事の仕方と言えば、立花とマシュがイチャイチャしているのを、睨みながらがっつき食らうというマナーもあったものではない食べ方だからだ。
「それはマスターが作った料理か?」
「……………………いや、あいつは一応、今は療養中だ。さすがに私から作ってくれというのは憚れる。だから、その、電子レンジでチンするタイプのもの並べて……」
巌窟王は涙をこらえた。これがあの騎士王と呼ばれた少女の側面だとでも言うのか。なんだこの哀愁をそそる食事風景は。下手な独り身の三十路女性より悲惨な気がする。だって、気に入った男が他の女の子とイチャついているのをエネルギーに変えて食事をしているんだぞ? もはや、慰めの言葉すら思い浮かばない。
「まあ、その、なんだ。おいしいか?」
「………………貴様に優しくされると鳥肌が立つな」
恩讐の業火で焼き尽くしてやろうか、この女!? のど元まで出かかった言葉を何とか堪えた。大丈夫だ。こっちが大人になれ。こいつを相手にするのはおそらく、同じ土俵に立っている馬鹿の所業だろう。ああ、そうとも、こんな状況でこの女に喧嘩を売るような奴など――――。
「あら、冷血女が寂しい食事をしているわ? 何それ、冷凍食品? いやねー、これだから料理のできない女は」
「よし、今すぐ斬る、斬り捨てる」
ああそういえばいたなぁ、そんな馬鹿が!
「おい、待て。こんな食堂で聖剣と業火を出すな」
「っるさいわね、陰険男は黙ってなさい!」
「そうだ、いい年して中二病を患っている患者には用はない!」
よし、燃やそう。
「貴様ら覚悟しろ、その身その魂まで焼き尽くしてやる」
「だから、そういうところが中二病なのよ。もう少し大人になりなさいな」
「第一、冷暖房完備とは、カルデア内で外套を着るな、暑苦しい。そうまでしてアイデンティティを確立したいのか、この中二病は」
「……………………そういえば貴様ら、少し太ったか?」
「「!?!?!!?!?!?」」
なんだ? サーヴァントは太らない? 知っているとも。だが、それとこれとは別だ。ああむろん、中二病と言われたからと言って挑発をしているわけではない。巌窟王は、こんな脳内桃色な馬鹿に付き合えるほど、子供ではないのだ。
「な、なななななに言ってるの? さ、サーヴァントが太るとかありえないです!」
「そうだ! 第一、私はもともと食べても太らない体質だ! なんせ、聖剣を抜いたからな!」
「………………なにそれ、あんたそれズルくない?」
「いや、ズルいもなにも、貴様の言う通り、サーヴァントは太らない……いや待て、おい貴様まさか……」
「――――――知ってる? あいつの料理って、女神系サーヴァントが求めるくらいおいしいのよ。そして、最近なんか料理の質自体が上がってる気がするのよね。具体的には、霊基に干渉しそうなレベルで。ねぇ、霊基そのものの私たちがそれを食べたら――――どうなるのかしら?」
いや、ちょっと待て。いくらあのマスターの料理スキルが向上の一途を辿っているとはいえ、魔術の深淵の一つたる英霊の霊基に干渉するなんて……。しかし、ジャンヌの顔はどこか遠い空を眺めていた。そういえば、昨日、たまたま女子更衣室の前を通ったときに、悲鳴が聞こえたような……。
「増えたんだな!? 増えたんだな、貴様!?」
「いや、まだ大丈夫。ちょっとよ、たかが五百グラムくらいなら……」
「なんだ、驚かせるな。誤差の範囲内じゃないか」
「あんた、女子の体重なめてんの? 五百グラムあれば、コンクリに足が埋まっちゃうじゃない!」
「どんな五百グラムだ! そしてどんなメンタルしているんだよ、貴様!」
「一般的な女性はこんなものなのよ、男女!」
あーだこーだとぴーちくぱーちく怒鳴り散らす馬鹿二人を見て、なんとなく遠くに来た気持ちになった巌窟王は、その場を去る。なんというか、非常に馬鹿らしくなったのだ。いや、というか、あの二人はきっと馬鹿なのだろう。喧嘩するほど馬鹿らしいとは、よく言ったものだ。
――――――…………
「おい、貴様何をしている?」
「ああ、巌窟王。いえ、リツカとマシュの記録をしておこうかと」
関わりたくない。関わらない方がいいと思いつつも、念のために声をかけておいたのは、メドゥーサだった。そしてその直感は当たっていた。メドゥーサは壁の隅から、盗撮をするようにリツカとマシュの映像を撮っていた。…………いや、完全に盗撮だった。
「どうしました、巌窟王? 頭を抱えていますが、打ちましたか?」
「頭を打ったのは貴様らの方だろうが。どうして、揃いも揃って馬鹿ばかりなんだ」
「? よくわかりませんが、人を馬鹿にするのはいけませんよ?」
いや、どう考えても馬鹿の所業だろう、それは。
「貴様、それを撮って一体どうするつもりだ?」
「おかしなことを聞きますね。思い出を記録残すのは、将来見たいときに見つめなおすためでしょう?」
案外、まともな理由のようだった。なるほど、彼女もこのカルデアで変わった反英霊の一人なのだろう。
「それに、これってとっておけば、いざというときに脅迫……いえ、寝とり案件に使えそうで」
「よーし、今すぐそのカメラを処分しろ」
ギルティだった。これ以上なく、というか訂正の必要すらないほどの有罪案件だった。
「貴様はあの二人の仲を引き裂きたいのか?」
「いえまさか、そういうプレイに使えるだろうなと思っただけです。それこそ、意外ですよ、巌窟王。あなたはあの二人の幸せを願っているのですか?」
「――――――オレはオレを呼んだから来ただけだ。それ以上、余計な干渉をするつもりはない」
あのマスターには、正確にはその妹にはお互いに借りがある。それを放棄するのが面倒なだけで、それ以上でもそれ以下でもない。だが、目の前の女は別の勘違いをしたようだ。
「なるほど、今はやりのツンデレという奴ですか」
「なんだ? 貴様らは全員、死にたいのか?」
本当、なんでこんな奴らが人理修復を行おうとしているのだ。
「あっ、ここにいましたか、二人とも。今日は久々に先輩が料理を作ってくれるそうなので、一緒に食べませんか?」
「いいですね、彼の料理は本当に久々です。腕が落ちてないか、一緒に確かめましょう、マシュ」
「はい! あっ、もちろん、エドモンさんも来てくださいね?」
「――――――どうせ言っても聞かないのだろう? あのマスターは」
「はい、先輩は料理に関しては手は抜きません!」
どうやら一番期待しているのはマシュのようで、早く早くとせがんでいる。
「くっ、大丈夫よ、このあとちゃんと運動すれば!」
「うぷっ、さすがにあの量は厳しかったか……? いや、だがリツカの料理は別腹だ。どうせあいつのことだ。胃にいい料理を振舞ってくれるはず!」
巌窟王は見た。英霊も何も変わらず、女も男も老いたのも若いのも、誰しもが立花の料理を楽しみにしている光景を。これが、本来のあるべきカルデアの姿。
ああそういえば…………。
(オレがマスターの料理を食べるのは、初めてだったな)
まあ、たまにはこういうのもいいだろう。
次の日、女性陣にとって体重計は悲鳴の元だということを知った。
アヴェンジャー マシュ・キリエライト・オルタ
いっぱい悩んで、たくさん反省して、そうしてたどり着いた結論は、好きな人と本気で向き合おうという真剣な思い。都合がいいと言われても、卑怯だと罵られてもいい。だって、この気持ちにはもう嘘がつけないんだ。だから、少女は本気の恋をする。きっと、嫉妬もするだろうし、喧嘩もするかもしれないけど、それは彼女の成長の証だと信じて。
託してくれた人の思いだけじゃない。私がしたいからそうするんだ。
だから、先輩。私は先輩が大好きです!