我が愛しき少女(かいぶつ)達よ   作:トクサン

8 / 9
その素朴な景色が好きだった

 

 海岸から出発し六時間程、何度も休憩を挟んで山一つを越えた。幸い途中で獣に遭遇する事も無く、また人の姿も見かけない。元々人の少ない場所だった、ここ十年で拍車が掛かったのかもしれない。

 

「着いた……!」

 

 時刻は夕暮れ、日本の夕暮れは何となくノスタルジックな気分に浸れる。黒と青の混じった空に赤く染まる地平線、山々に沈む太陽が光を放ち水面が茜色に染まる。背の高い草々や茂みが黒く染まって空と世界が混ざり合った様だ。

 僅かに息を切らした悛が到着を告げると、後方に続いていたデザインド達が声を上げる。山を一つ越えた先にある場所、それがこの柏木である。東北の中で残っている数少ない村、その内の一つ。

 

 何を隠そう、この藤堂悛が生まれた場所――故郷であった。

 

 夕暮れに照らされた視界に広がるのは無駄に広いアスファルトの道路と田んぼ、土手に作られた木造の家、そして木製の電柱と切れかけの電灯。あの頃から何一つ変わっていない、何も無くて、何もかもがある。

 この場所だけ2000年から時が進んでいない。

 まるで時代に取り残された廃村。実際それは間違いでも無い、この村は悛が出奔した時点で殆ど死に絶えている。所々に建っている家々に電気は点いておらず遠目でも蔦や苔に覆われているのが分かる。

 既に捨てられているのだ。

 少子高齢化によって子どもの少なくなった日本は過疎化した地域を救う事が出来なかった、結果家を継ぐ者が居なくなり村の殆どの家は空き家になっている。悛が連邦の普通科高校に通い出したのが十五歳の頃――約十一年ぶりの帰郷。

 

 悛が村を出ると言った時、残っていた百人足らずの村人が見送ってくれたものだが、今は誰の気配も感じない。連邦の移住勧告に従ったのか、或は見切りをつけて去ったのか、孤独死したのか。

 この村を去った悛には分からない。

 

「……誰も居ないわね」

「暗くて、ちょっと不気味」

 

 光の無い薄暗さに恐怖感を煽られたのか、A-04が悛のシャツを掴む。悛はそんな彼女の頭を撫でながら、沈みかけの太陽に照らされた一軒の家を指差した。丁度村に通じる道路の傍に建っていて、それなりに大きな一軒家だ。幸い苔や蔦も致命的な程には成長してない。

 

「あれが俺の家、正確に言うと両親から受け継いだ家だよ」

 

 悛がそう言うと、デザインド達から「おぉ~」という声が漏れる。見た事が無い形式の家に興味がある様だった、皆がまじまじと家を眺める。築何十年の木造住宅だ、無駄に土地だけ有り余っている為広い事だけが誇れる点か。

 

「お、大きいですね」

「雰囲気ある」

「……少し古いわね」

 

 悛の指差した家は二階建てて、屋根は瓦が被さっている。この時代に残った家としてはC-34の言う通りかなり古い部類だろう、一度リフォームをしたと両親からは聞いているが建築業者からも再建を勧められていたと聞く。

 肩にかけた荷物を背負い直すと、悛は皆に向かって言った。

 

「取り敢えず疲れたろう? 一端家に入ろう、今日から君達の家にもなる、遠慮せずに上がってくれ」

「はぁ~い」

「お、お邪魔します」

「ふふっ、楽しみですね!」

 

 悛に続いてゾロゾロと家に歩いて行くデザインド達、土手を登って玄関に立つと悛は胸ポケットから古ぼけた鍵を取り出す。今時電子施錠でも無く、物理的な鍵を必要とする家だ。差し込んで回すと、カチン、と音が鳴ってロックが外れた。周囲を見渡せばかなり雑草が生え育っていて家を覆ってしまっている。

 鬱蒼と生え茂ったそれらを見て悛は苦笑する、明日からやる事が多そうだ。

 

「………ただいま」

 

 悛は呟き、扉を開いた。

 すると中から何か懐かしい匂いが漂って来た、小さい頃に嗅ぎ慣れた我が家の匂いだ。少しばかり埃っぽいが、間違えなどしない。

 手探りで玄関の電気を点けると一応電球は生きていた様でちゃんと灯りを提供する。電気も供給されている様だ、この村は風力と太陽光による発電で電気を賄っている。無人でも電気を生成し続ける為有り難い、これでモーターを用意せずに済む。

 何か鼻がむずむずする感覚に靴を収納していた戸棚を指でなぞると、皮膚に大量の埃が付着した。

 

「――まぁ、だよね」

 

 最初にやる事は決まった。

 

 

 

 到着早々始まったのは大掃除、何せ十一年ぶりの帰宅である。此処の管理は誰にも頼んでいなかった為、埃が積もり放題だった。取り敢えず家全てを掃除するのは骨なので最低限必要な部屋だけ掃除する事になった。

 目下掃除が必要なのはトイレ、廊下、お風呂、居間、台所位だろう。

 それぞれ役割分担し、悛は居間の掃除を担当する事になった。各所基本は一人ずつで、廊下だけ二人掛かりでやって貰う。無駄に大きい家の為、廊下がとても長く多いのだ。今までシャワーしか知らなかったデザインド達が初めて風呂を見た時は、「なにこれ」と疑問符を浮かべていた、どうやら湯に浸かるという発想が無いらしい。

 きっと入浴する時は驚く事だろう、一度浴槽を味わえばシャワーだけでは満足できなくなる。

 

 居間は畳なので軽く掃除機をかけた後、雑巾で上を綺麗に拭いて行く。彼女達にとってはフローリングがデフォルトなので畳を見た時は中々驚いて貰えた。A-013などは、「これ草? 何で草が床!?」と中々に面白い反応をしてくれた、満足である。

 居間の大きさは二十四畳と中々に広い、中央に長テーブルと端にデジタルテレビ、後は本棚と収納棚程度。両親が他界し悛が高校に進学すると同時、殆どの物を手放してしまっていた。殺風景だが今はその方が安心する、立派な職業病だろう。

 

 畳を雑巾で拭きながら思う、研究所だったら清掃機に頼んだままだったろうなと。

 自分の家を自分で掃除する、それが妙に新鮮で少しだけ楽しかった。

 

「悛ぁ~、廊下、電気つかなぃ~、暗いよォ~」

「あぁ、うん、分かった、ちょっと待って!」

 

 掃除は進む。

 デザインド達の部屋は定期的に清掃機が巡回する為自分で自分の部屋を掃除する事は滅多にない、悛と同じだ。綺麗好きなC-34やA-013――意外な事に、彼女は綺麗好きである――などを除き、汚れを自分で落とすという事が楽しいのかデザインド達の掃除は妙に熱が入っていた。

 

 家に到着したのが午後六時頃、そして二時間程かけて最低限の部屋を綺麗にした悛達は持ち込んだ携帯食料で夕食と相成った。

 掃除したばかりの台所を使っても良かったのだが、そもそも食材が無いし包丁やまな板もすっかり使い物にならなくなっている。その為脱出艇から持ち出したサバイバルキットの中身や、研究所から持って来た食料を寄せ集めて少し豪勢な夕食にした。家の地下には幾つか缶詰や乾パンなどもあったので、これから先多少は凌げるだろう。

 

 しかし問題はこの後だ、こんな辺境の土地で商店などがある訳もなく、自分達の食事は自分達で都合しなければならない。幸いこの柏木村は山の麓にあるので山の幸を求めて歩けばそれなりには食っていけるだろう、しかし悛はソレでは駄目だと自分に言い聞かせる。藤堂悛という人間が居る以上、彼女達の食事を疎かにする気は無い。

 

 悛は日本に来ると決めた時から予め研究所の情報端末より幾つかの電子書籍を抜き出していた。ネットの海にある情報、それを自身の端末にダウンロードしていたのである。

 これから先些細なミスで位置を割り出される可能性がある、故に悛は脱出艇に乗り込む前に自身の端末を全て通信遮断状態にしていた。これから先の人生で悛が電子の海を頼る事は無い。

 所長から抜き出した端末は自身のカードを胸に下げた白衣と共に死体の中に放ってある、上手い具合に自身が死んだと勘違いしてくれれば万々歳だ。

 

 ダウンロードした書籍は主に農作業について、更に言えば管理機を使用しない人力での農作業だ。アグリビジネスとは違い、個人の食を満たす為の農作業。幸い悛の祖父と祖母は農作業を営む人たちであった、必要な農具の類は裏庭の倉庫に眠っている。

 田んぼもこう言っては何だが、既に廃れた村には腐るほどある。持ち主の無くなった田んぼだ、無断使用で悪いが使わせて貰うつもりでいた。

 肝心の種子は趣味で菜園をやっていた研究所の部屋から拝借してある、しかし残念ながら米の苗だけは手に入れられなかった。まぁ室内で米を育てる酔狂な奴はいない、手に入ったのはトマトやナスと言った類の物。

 面識もある、自然を愛する研究者だった。既にこの世にはいないFのデザインド管理官を務めていた女性だ。彼女は比較的マトモな人間だった――あくまで【比較的】ではあるが。彼女が何故あれ程に非合成野菜に拘っていたのかは分からない、だがソレが助けになったのは事実だ。

 

「わぁ~お腹いっぱい……そろそろ寝る?」

「その前にシャワーを浴びたいわ」

「うん、そうだね、片付けはしておくからお風呂に入って来ると良い、結構広いから六人でも大丈夫だと思うよ」

 

 居間のテーブルの上に並ぶ空の容器、畳が気に入ったのか転がる彼女達に向かって悛は入浴を勧めた。

 我が家の風呂は意味も無く大きい、祖父の代はそれなりに子沢山らしかったのだ。大きさで凡そ四畳程の広さがある、因みに浴槽だけでだ。浴室自体は浴槽含み八畳の広さ、この家を作った先代は余程風呂が好きだったのだろう。

 食事をする前に悛が湯を張っていたので入れる筈である、A-04がむくりと上体を起こし首を傾げた。

 

「……? 七人じゃ駄目?」

「あ、悛さんは入らないんですか?」

「あぁ、いや、俺は後から入るよ」

「一緒に入った方が楽しくて良いよぉ~?」

 

 入浴に楽しさを求めないで欲しい、切実に。

 悛は苦笑いを浮かべながら首を振る、しかし背後から誰かに抱き着かれ危うく畳に転がり掛けた。慌てて振り向けばB-21が悪戯をする子どもの様な顔で首にぶら下がっている。普段はこんな事をする子じゃないだろうに、そんな言葉が喉元まで出て来た。

 しかし悛が何かを言うより早く、彼女は顔を首元に埋めスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。

 思わず「うぉ!?」と驚きの声が出る、いや、今は汗臭いと思うのでやめて下さい、本当に。

 

「や、あの、B-21、ちょっと恥ずかしいからやめて欲しい」

「ん……貴方の匂いは嫌いじゃありませんが、やはり少し汗の匂いが強いです、入浴を推奨します」

「うん、だから俺は後で入るから――」

「あ~、B-21ずるいぃ~、私も嗅ぐ!」

「嗅がなくて良いから!」

 

 そもそも海岸から柏木村まで歩いたのである、汗を掻いて当然だろうに。前方からタックルしてくるC-01を必死に受け止めながら、何とか懐に顔を埋めるのを防ぐ。彼女を皮切りにA-04が無表情で悛に迫り、B-09も恥ずかしそうに頬を染めながら悛の足元に匍匐前進で進行する。C-34とA-013は如何にも『出遅れた!』という表情で体を揺らしている、隙あらば飛び付いてやると言う気配をビシビシと感じた。

 

 えぇい、散れ、散れ!

 男の匂いなど嗅いで何が楽しいのだ、やめてくれ!

 というかB-21はいつまで首に顔を埋めているのだ、いい加減離れて風呂に行ってくれ風呂に。

 

 悛がB-21とC-01を引っぺがし、突っ込んで来たA-04を迎撃、匍匐前進で迫っていたB-09を鎮圧し纏めて浴室に押し込んだ。その後にA-013とC-34が如何にも残念そうな表情で続く、どれだけ懇願されようと風呂には一緒に入れないので諦めて欲しい。

 こればかりは男と女の差である、彼女達の年齢はギリギリアウトコース、もう少し幼ければ父と娘の関係の様にもなれただろうが。

 

「……さて」

 

 皆を浴室に押し込み洗い物を済ませた悛――水回りは特に不備も無く、水道管も生きていた――数分後には浴室からワイワイ、キャッキャと楽しそうな声が聞こえて来た。浴槽に身を沈めると言う行為もそうだが、誰かと裸の付き合いをした事もないのだろう。彼女達にとっては全てが新鮮な筈だ、人との触れ合いも異文化も。

 故に悛はやましい心などこれっぽちも、本当にもう微塵も持ち合わせずに彼女達の声を聞いていた。

 

 胸の大きさの話など耳に届いていない、毛が生えているとか生えていないとか全然分からない、ちょっと今は耳が遠い時期なのだ。

 

 悛は何となく嬉しい気持ちと羞恥の気持ち、ついでに僅かな罪悪感を覚え数分程彼女達の会話を聞いた後、裏庭の畑を見に行く事にした。

 窓から外を覗けば既に空は暗く、切れかけの電灯が玄関先を照らすだけ。悛は持ち込んでいたポーチの中から小型電灯を取り出しスイッチを入れる、充電は十二分でソレを片手に外へと踏み出した。

 一歩家の外に出るとカエルや鈴虫の声が夜空に響いている、辺境特有の合唱だ。悛は虫には詳しくないものの自然と心が落ち着くのを感じる、この音を聞いて育ったからだろうか?

 

 裏の畑は玄関から直ぐの場所にあり、家の外壁をぐるっと回れば直ぐに見つかった。流石に雑草が伸びすぎて少々歩き辛かったが明日にでも全て抜いてしまおうと決める。こういう時だけは疲れ知らずの黒足が有り難かった、デスクワーク主体の自分では恐らく、海岸からこの家に到着するまでで一日は掛かっただろう。

 

 畑はやはり家の周りと同じく雑草に覆われ中々に酷い惨状である、これらを全て抜いて作物を育てられる環境を整えるとなると中々どうして重労働に思える。しかしやらなければならない、食料は貴重なのだ。

 

「……研究所から除草剤を持って来れば良かったな」

 

 畑を電灯で照らしながら呟く、あそこなら植物を枯らす薬品の一つや二つあっただろうに。この事を予想出来なかった自分を悛は責める、やはり自分は万能ではない。

 悛は畑をぐるっと見て回ると明日の仕事を脳裏に描き、静かに玄関へと戻った。

 

 扉を開けてふと背後を振り向くと、月明かりに照らされた淡い村の景色が視界に入る。点々と存在する街灯は僅かに視界を明るくするだけで、寧ろ周囲の暗さを際立たせるだけであった。周囲の家々に目を向けても光が灯る事は無い、本当に誰も居ない、脱出艇の中で散々人との関わり方を説いた悛であるがアレは不要だったのかもしれない、悛はそう思った。

 

 人が少なくなっているだろうとは思っていた、しかしここまで誰も居ないとは。村の住人は殆どが老人であったが、中には若い世代も残っていた。

 彼等はどうしたのだろうか、自分と同じ連邦の学校に進学したのか、或は――いや、姿の見えない人物に思いを馳せるのはよそう、今は一日を生き延びる事だけを優先しなければならない。

 そう思って悛は玄関を潜り、扉を閉めようとした。

 

 

「悛………?」

 

 

 その声は背後から、闇夜の中に響いて聞こえた。

 虫達の大合唱に掻き消されぬ聞き覚えのある声。悛は思わず足を止め、後ろ手で閉めようとした扉をそのままに振り返る。

 悛と同じ電灯、旧式の懐中電灯を手にした一人の女性。日に焼けた健康的な肌、僅かに伸びた黒髪を一つに縛り肩に回している、整った顔立ちと言うよりは愛嬌のあるパーツ。玄関先の街灯に照らされた人物は悛の良く知っている女性(ひと)で、悛は思わず口を開いた。

 

「……優枝(ゆえ)

 

 その名を告げると同時、目の前の女性――優枝がじわりと涙を瞳に滲ませた。悛は一瞬思考に空白が生まれる、突然の旧友との再会、先程まで全く人の気配が無かったのに何故、いやそれよりも。

 悛は思わず両手で自身のズボンを掴み、足が露出していない事を確認した。

 

 見れば裾はちゃんと下まで伸びているし、何処も肌を露出していない。良かったと悛は安堵する、あの両足を彼女に見られたらと思うと、ゾッとしない。

 友人から化け物を見る様な目で見られるなんて、ごめんだった。

 

「悛、いつ帰って来てたの!? 私、ちっとも気付かんかった!」

 

 優枝は悛の動揺に眼もくれず、凄まじい勢いで詰め寄って来る。悛はズボンを掴みながら気押され一歩後退り、答えた。

 

「あぁ、いや、その……さっき村に到着したばっかりで」

「さっき!? さっきって何時!?」

「夕方の、ろ、六時頃」

 

 つっかえながらも何とか答える悛、優枝の目には涙が滲んでいて頬は僅かに紅潮している。最後に顔を見たのは十一年前の出奔の日、その日から彼女は大分大人びた様に見えた。自分も変わっただろうかと考えてみるが、そもそも両足は別物になって人ですらなくなっている。変わったどころの話ではないだろう。

 しかし何というか、十一年前までは同じ村の馴染み程度にしか思っていなかったが、こうして逢ってみると素朴な良い女性に育ったと思う。同年代として彼女を見るのならば、少々上から目線が過ぎるだろうが、事実は事実だ。

 一通り質問責めが終わると、優枝は胸を撫で下ろして笑みを浮かべる。きらりと目じりから落ちた雫は見なかった事にした。

 

「そっか、そっか、帰って来たばっかりだったんか……いや、驚いた、何ね、帰って来たなら連絡の一つ位寄越してくれればよかったのに」

「いや、ごめん、落ち着いたら連絡しようと思ったんだ、こっちも急に、その――休暇が決まってね、折角だから帰省しようかと思って、家の方も心配だったし」

 

 我ながら咄嗟の嘘が上手くなったと思った、帰省、言い訳としては十二分だろう。この村を去ると決めた時もう一度この土を踏み締めるなどとは思っていなかったが、悛の心境など誰にも漏らした事が無い。故に目の前の優枝は嘘を見抜けない、現に彼女は笑顔を浮かべたまま何度も頷いていた。

 

「突然来て、誰も居なくて驚いたっしょ? 此処の皆、もう本州の方に移っちゃったんよ、高田の爺ちゃん達は京都に、御蔭の祖母ちゃんは東京に、何でも連邦さんが移住の色々全部負担してくれるって言うて、残ったのは私のトコと宮下さん家、後は村長の樫木さん家だけ」

「そうか、皆も移住勧告に……優枝は何で移住しなかったんだい? 学校も、向こうの方が色々選べただろうに」

「私?」

 

 悛の問いかけに優枝は目をぱちくりとさせ、そのままだらしなく表情を崩した。「いやぁ、あはは」と笑う彼女は何と言うか照れているのだろうか、良く分からない。実際この村を出れば新しい生き方など幾らでも見つけられただろう。

 

「私は、何て言うかホラ、待つのも嫌いじゃないし、帰って来た時に誰も居らんかったら寂しいと思うて、ね?」

「……?」

「もう、相変わらず鈍感やねぇ!」

 

 笑いながら悛を小突く優枝、悛はズボンを掴みながら困惑の表情を浮かべた。良く分からないが、村が廃れるのが嫌だったという事だろうか。

 兎も角、どうやら村に誰も居ないと言うのは誤りだった様だ。殆どの住人は本州の方に移り住んだ様だが数軒だけ移住をしなかった人達も居るらしい。

 悛は故郷が廃村にならなかった事を喜びながら、同時にデザインド達の存在を危惧した。彼等に何と言い訳したものかと、東洋の地で見るには彼女達の容姿は異常の一言に尽きる。この展開を予想して何度もシミュレーションを行ったと言うのに、実際その場面に出くわすと心臓の音が煩い。

 

「悛、高校に進学してからは連絡一つ寄越さんと何してたん? 今は、何しとるん?」

「あぁ、うん、一応就職しているよ、連邦の普通学校だからそのまま専攻の大学に進んだんだ、其処の研究室で書いた論文が評価されて連邦の研究施設にそのまま就職して、つい先日大きなプロジェクトが成功してね、四年も働き詰めだったから長い休暇を貰った」

「へぇ、連邦の! 凄いねぇ……長い休暇って事は、こっちには、その、結構長く居ると?」

 

 どこか期待を込めた眼差しでそんな事を聞いて来る優枝、悛は少し考えながら頷いて見せる、というか此処に悛は腰を下ろすつもりだった。連邦に見つかりさえしなければと言う但し書きが付くが。

 

「そうだね……うん、少なくとも月単位では居るつもりだよ」

「そっか! 良か良か、久々の故郷でゆっくりしていって!」

 

 悛の答えに満足したのか、満面の笑みで肩を叩いて来る優枝。久々の再開にテンションが上がっているのだろうか、悛としても懐かしい顔ぶれに会えるのは嬉しい限りだ。デザインド達の事が無ければきっと、悛も心から再会を喜べたことだろう。

 しかし彼女達の存在が無ければ、こうして故郷の土を踏む事は無かった。

 

「悛?」

 

 複雑な心境、嬉しさと後ろめたさが絶妙にブレンドした胸中。

 そんな悛を呼ぶ声が背後から聞こえた、慌てて振り向けば居間から首だけ覗かせたA-04が此方を見ている。恐らく風呂から上がったのだろう、その髪は濡れたままだ。まだ十分程度しか経っていないと言うのに、少々早過ぎでは無いだろうか。

 悛以外の声がしたからか、優枝は「ん?」という表情を浮かべて悛の脇から家の中を覗く、拙いと思った時には既に遅く優枝の目は然りとA-04の姿を捉えていた。

 笑みを浮かべていた彼女の表情が僅かに曇る。

 

「ぁー……ん? んー………誰?」

 

 優枝の真っ当な疑問、どこか困惑した様な表情を浮かべる。それはそうだ、見た事もない少女が悛の実家に居る、しかも見た目は白髪で童顔、どんな間柄だと訝しむのも当然。悛は急激に肝が冷えるのを自覚した、まるで氷を腹に突っ込まれた気分だ。

 

「えらい可愛い子だけど、髪色と顔立ちが私等とは違うねぇ……もしかして、外国人さん?」

「あぁ、うん……そうだよ」

「はぁー! 村から出た事無かったし、初めて見た、おばんです!」

「……おばんです……?」

 

 優枝の挨拶に若干の困惑を込めながら返すA-04、そして優枝は徐に悛の袖を掴むと、「そんで、あの子は何? 親戚の子……って訳でもないっしょ?」と何処か不安そうな表情で問いかけて来た。

 勤務先の被検体を連れて逃げてきました、なんて馬鹿正直に話すつもりは無い。どう誤魔化すべきか、悛は脱出艇の中で何度も考えていた。しかしいざ口にするとなると、何か精神的な重圧が背中に圧し掛かって来る。旧友を騙す事に対する後ろめたさもそうだが、この嘘にどれだけの信憑性があるのか自分でも分からなかったからだ。

 

「この子たちは――」

 

 悛は乾いた喉を潤す為に唾をのみ込む、自分を見上げる優枝の瞳が僅かに揺れて、悛は内心で謝罪した。

 

「その、勤務先の上司の子なんだ……北欧系の人で、髪と肌は母親譲り、長期休暇で実家に戻るって言ったら是非日本を見せて上げて欲しいって頼まれてね、勤務してから四年間ずっと面倒を見て貰っていたから、断れなくて」

 

 悛は呼吸をする様につらつらと嘘を並べた、その時自分はペテン師か詐欺師で、目の前の彼女を全力で騙さなければならないと思った。無難と言えば、無難なのだろう。高々二十後半に入ったばかりの男に子どもを預けるなどと危機感の無い奴だと思われただろうか、しかし其処は信頼という便利な言葉を使わせて貰う。

 優枝の視線はどこか探る様なもので、「………ふぅん」と何か訝し気な声と共に彼女は頷いた。

 

「そっか、上司の子どもか、私には分からんけれど、そういう事もあるんやね……『悛の子ども』って訳じゃないのよね?」

「はっ?」

 

 突然の爆弾発言に思わず上擦った声が出る、悛の子ども――彼女達が?

 予想外の言葉に悛は両手を振って、「いや、そんな、俺にはそんな人、居ないよ」と否定を口にする。元より二十六年間、生きて来て恋人など出来た試しがない。連邦の高校では何度か告白された事もあったが、悛は学業に専念する為に全て断っていた。元来自分はそういうつまらない人間なのだ。

 悛の返事を聞いた優枝は、先程の不安げな表情から一転して笑顔を見せる。

 

「ん、そっか、そっか、なら良いや! 上司の子ね、名前は何て言うん?」

「――レイラ、って呼んでやってくれ」

 

 鋭い斬り込み、咄嗟の判断。

 悛は思わず浮かんだ名前を口にした。

 口にした名前は同じ研究所職員の名前、レイラ・D・ユディシュティラ。管理官ではない、主に研究所の財務を担当していた女性だった。

 

「分かった、レイラちゃんね、宜しく!」

「……よろしく」

 

 幸い優枝は疑うことなくA-04を受け入れ、笑顔で手を振っていた。ぶっきらぼうにもA-04は応じ、然もその名前が真実であるかのように振る舞う。そのまま優枝の目は悛を向き、少しだけ寂しそうに告げた。

 

「今日は夜も遅いし、また明日にでも来るね、何かあったらウチに来てくんしょ、父さんと母さんにも言っておくから」

「うん、分かった、ありがとう」

 

 悛は内心で大量の冷汗を流しながら帰路を行く優枝を見送る、そのまま背が見えなくなったところで大きな溜息を吐き出し、思わずその場に座り込んだ。床が地味に冷たい、そうしていると背後からA-04が抱き着いて来て耳元で問いかける。

 

「私、レイラ?」

「……取り敢えず、暫定で」

 

 

 

 まずは皆に名前が必要だと思った。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。