我が愛しき少女(かいぶつ)達よ   作:トクサン

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深淵に覗かれた男

 A-013の自壊装置を停止させ三日後、定期健診にてどうにかこうにか監視の目を潜り抜け各デザインドの自壊装置を停止させた、正に綱渡りに次ぐ綱渡り。いつ露呈するか冷汗を掻きながら悛は何とか全てを成し遂げた。

 

 脱出用のカードも配布し、今では全デザインドが脱出可能状態にある。もし二号の連中が来れば研究所から逃げ出す事自体は容易だろう、ここまでの所悛の計画は順調であり大した障害も無いまま進んでいる。渡すための状況作りは中々骨が折れたが、万事うまく進んでいるので不満はない。

 

 悛は上に提出する報告書を作成しながら考えていた。

 自壊装置を無効化するには必ず一人目の協力者が必要である、即ちデザインドではない誰か。第二号収容所で、その一人目になった人物もまた自分と同じ様な考えを持っていたのだろうかと。

 その人物が内通者だとして果たしてソイツは生きているのか、死んでいるのか。

 

 あれから所長より招集命令が出される事もメールが届く事も無い。続報が無いままだ、連邦がどう動いているのかも分からない。

 

 襲撃は明日か? 明後日か? 一週間後か? 一ヶ月後か? 一年後か?

 

 自身の行動に対して動向が全く読めない、それがこんなにも歯痒いとは。こちらは一件露呈しただけで首を吊る羽目になる身、まるで死刑宣告を粛々と待つ罪人の気分。こんな思いをするなら止めれば良かったと思う反面、しかし心は全く後悔していない。

 だがこのまま第二号の連中が来なかったらと――恐怖を覚えた心は悪い想像ばかりを膨らませる、カードの複製や自壊装置の停止が露呈した場合、悛の処罰は悲惨なものになるだろう。そしてソレだけに留まるとは思えない、最悪デザインド達にも処罰が下される可能性がある。

 それだけは許容できない、最悪自分達だけでも反旗を翻すべきか。

 

 そんな事を考えるが悛には成功に至る為の過程が全く見えなかった、悛と言う人間は天才でも稀代の策略家でもない。ただ凡愚なりに足掻き、平々凡々だと自覚している男だ、恐らく才も秀才止まり、天才を見上げ賞賛し妬むだけの能力しかない。

 

 悛は唇を噛みながら神に祈った、元来神など全く信じない無神論者であるがこの際何でも良い、全能者だろうが超越者だろうがスパゲッティモンスターだろうが構わない。どうか二号の連中が彼女達を助けに来てくれる様にと――一心に祈った。

 

 果たして、その願いが通じたのか、はたまた偶然か。

 報告書を提出しようと送信ボタンをクリックしようとした手が、危険を知らせる大音量のアラートによって不意に止まった。

 

「ッ!?」

 

 それは余りにも唐突で、悛は思わず椅子に座ったまま飛び跳ねる。ビーッ! ビーッ! という騒々しいアラートは研究所内に鳴り響き、壁から緊急信号を発するレッドランプが顔を出す。研究所の主電源が落ち、部屋の明かりが一気に消灯され視界が赤色に染まった。

 

 赤色の信号――それは最大警戒を意味する。

 

 グリーンランプは警戒度低、所員は警戒しつつ自室待機。

 イエローランプは警戒度中、所員は指示に従い避難を開始せよ。

 レッドランプは警戒度高――最大の脅威が研究所に侵入、或は現防衛設備での迎撃不可、所員は各自全速力で脱出せよの意味。

 

 第二号の連中が来たのか……?

 

 悛は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がり、白衣に袖を通し部屋を駆け出した。電源の落ちた扉は自力で押し開けるしかなかったが、ロックボルトは外れている為それ程重労働でもない。

 

 予備電源が作動しない所を見ると、既に研究所内でのデータ孤立――スタンドアローンが進行しているのだろう。

 

 万が一の時に備えて研究所は侵入者を許した場合、電源を落とし実験データが集積されているサーバーを隔離、スタンドアローン(完全孤立状態)にするのだ。

 電力を全てそちらに回しデータの保護を優先したのだろう、全く研究者らしい、所員の命は二の次か。

 

「……しかし、警備部門の監視の目を潜り抜けたのか? レッドランプが点灯するのが早過ぎる、予兆も何も無いじゃないか」

 

 悛は研究所に侵入した人物の手際に舌を巻く、全く事前情報が齎されなかった、レッドランプが点灯するまで襲撃を受けているなど気付かなかったのだから。悛は廊下を疾走する、目指すは研究所の外、このまま他の研究員に混じって脱出するつもりだった。

 

 デザインドには出来得る限りの手助けをした、後は彼女達と襲撃者が上手くやってくれる事を祈ろう。

 

 廊下には無数の自立型走行警備機が走り回り、時折悛をカメラで捉えては『所員は速やかに退避して下さい』とアナウンスする。言われなくとも分かっている、このまま逃げるつもりだ。途中見えた他の研究室は既にもぬけの殻で、無数の書類が地面に散らばっており、中には焦げ跡が見える物もあった。どうやら重要書類だけは隠滅したのだろう、流石のプロ意識。

 

「俺が最後か……!」

 

 研究棟の最奥、厳重な隔壁で閉鎖されているその場所が悛に指定されている避難所。研究棟の連中は皆、此処に避難する様に指示されている。丁度今、上から隔壁が降りている最中で、数十人の白衣を着込んだ連中が悛を見て叫んでいた。

 

「急げ健康管理官! 隔壁が閉まるぞ!」

「悛君ッ、もっと早く走りたまえ!」

 

 研究棟の仲間達はそんな野次を飛ばす。

 無茶言うな、こちとらデスクワークだぞ、そんなに言うなら隔壁のスピード落とせよ!

 

 そう悪態を吐きながらも悛は全力で駆ける、脇の警備ロボを追い抜きながら隔壁手前まで自身の最高速度で到達した。

 

 後はこれを潜るだけ――そこまで来て。

 

 

 

 ボン! と天井が爆ぜた。

 

 

 

 それは余りにも唐突で予想出来る筈もなく、また避けられる筈も無かった。

 

 まるで爆薬で吹き飛ばされたように瓦礫が降り注ぎ、悛の体は飛来したそれらに蹂躙され、視界が一瞬で黒く染まる。何が起こったのか分かる筈もなく、硬い何かが全身を打ち据える感覚を覚えながら暗転。

 

 その光景を見ていた研究者達は唖然とした表情を浮かべ、そのまま無情にも隔壁は閉ざされた。バクン! と溝と隔壁が噛み合い、そのままボルトが差し込まれて固定される。

 

「っチ、遅かったか――」

 

 頭上から声がした。

 悛が再び目を開けた時、砂塵の中に人影が見える。周囲には天井であった瓦礫が大量に降り積もっており、それは悛の下半身を完全に呑み込んでいる。痛い、最初に悛が思ったのはソレ、余りの痛みに口から呻きが漏れた。自分の体を見下ろせば瓦礫に潰されていた、どうりで痛みが酷い筈だ、特に足の感覚が無い。

 

「あん? 下に人が居たのか、お前、運ねぇな……まぁ良いさ、ソレ、もう助からねぇだろ、諦めな、アタシ達にとっちゃ一石二鳥って奴だ」

 

 瓦礫の上から降り立った人影――長身の女性だ、その髪は真っ白で所々に傷が見える。歳は十代後半から二十代前半辺りか、随分若い。

 

 悛はその髪色だけで分かった、コイツは第二号収容所に居たデザインドだと。連中が襲撃して来たのだ、痛みの中でそれを確認した悛は内心で喝采を上げた。痛いし辛いし苦しい、けれど悛の努力が実を結んだ瞬間だった。これを喜ばずにはいられない、どうせバレて死ぬのなら彼女達と研究所に評価されながら死にたい。

 悛は込み上げる血を吐き出しながら、震える指で廊下の奥を指した。それを見た女は怪訝な顔をする。

 

「……えッ、A……04は、向こう、だ……他は、同フロアにぃ……三人と、三階……」

 

 震える声でデザインドの居場所を告げる。

 今頃異変を感じた彼女達は行動を起こしているかもしれない、しかし情報は無駄にならないだろう。女は意外そうな表情で悛を見ると、片眉を上げながら、「何だ、最後に善行すりゃ天国に行けるってか?」と吐き捨てた。

 

 そんなつもりは無い、どちらにせよ自分は地獄行きだろう、こんな場所に居るのだから。

 悛は特に何も答える事無く、女に薄い笑みを浮かべた。

 

「……薄気味悪い野郎だ」

 

 女は悛をそう称する、そしてコツンと悛の頭を爪先で軽く蹴ると、そのまま廊下の奥へと駆け出した。その背を見届けた悛は張り詰めていた息を解放し、大きな吐息を虚空に吐き出す。下半身の感覚が無く、鈍い痛みが全身を犯している。ジワリと瓦礫の下から血が滲み出し、胃の辺りが猛烈に痛んだ。

 

 あぁ、死ぬ。

 これは、死ぬ。

 

 悛が思ったのはそんな事、閉ざされた隔壁の前で瓦礫に埋もれた研究員が一人。助けは無し、向こうから銃声と何か金属を叩く音が鳴り響いて来る。先程のデザインドが警備ロボと戦っているのだろう、恐らく火薬式の旧式銃程度じゃデザインドは止められない。

 

 室内用に火力を制限したのは間違いだった、悛は内心で警備部門の男を嘲笑った。こんな事なら最新式の粒子銃を搭載しておけばよかったのに――なんて。

 

「ぁ――く………っそ」

 

 視界が徐々に狭まる、世界が終わる、まるで自分と言う境界線が空気に溶けている様に、世界と自分が曖昧になる。それは酷く甘美な感覚で、温い湯に沈んでいく様な感じだった。それが死への誘いだと理解はしているが、抗おうとか、何とかしようとか、そんな事は少しも思わなかった。

 

「ッ――悛!」

 

 悛が死の誘惑に呑み込まれようとした時、聞き覚えのある声が耳に届く。その人影は仰向けに転がる悛に駆け寄ると、その顔を覗き込んだ。

 

 A-013、悛が脱出の手引きをしたデザインドの一人だ。彼女は研究棟の中で一番浅い場所に管理室があった、恐らく異変を感じた瞬間行動に移ったのだろう。

 

 良かった、管理室から逃げ出せたのか。

 ならば後は第二号の連中と研究所から逃げ出さなければ、悛はA-013に向かって手を伸ばし、彼女は慌てて伸ばされた手を掴む。その表情は悲壮に歪んでいてポタポタと涙が悛の頬に落ちて来た。

 

「あ、貴方ッ――なによ、これ、何でこんな酷い状態にっ……!」

 

 悛の惨状にA-013は嗚咽を漏らす、今の悛は下半身を瓦礫に押し潰され夥しい量の血が地面に広がっている。一目で重症だと分かるだろう、もし赤の他人がこの状態にあったら悛は無理だと首を振って見捨てる。血も足りない、寧ろなぜ生きているのかが不思議な程。

 しかし死が怖いとは思わなかった、やけっぱちになったのだろうか、そうかもしれない。

 

「ぁ、に……げろ」

「いや、嫌よ! まだ私、悛に一回も勝ってない、もっと遊んでもらわなきゃ……!」

「ぅ、ぐふッ」

「ひっ」

 

 悛が思わず喀血し、その血がA-013の頬に付着する。彼女はその血に触れて、まるで恐ろしいモノを見たかのように震えた。自分の血は平気でも他人の――それも親しい者の血は恐ろしい。

 まるでその人の生命、そのものに見えて。

 

「駄目、駄目駄目駄目、止まりなさい、止まってッ、やだ、止まってよ!」

 

 悛の半身を押し潰す瓦礫、そこから流れる血をA-013は搔き集める。流れ出た血は止まらない、悛の意識も朦朧として来た、そろそろ本格的に意識を保つ事すら難しい。悛は泣き喚くA-013の肩を掴み、再度逃げろと口にした。

 

 既に喉はカラカラで大した声も出せそうにない。腹に力が入らないのだ、喉から絞り出される声は細く力ない。

 

「嫌よ、絶対に嫌! 悛を置いて此処から逃げる位なら、私も一緒に死んでやるわ!」

 

 A-013は泣き腫らした目で悛を睨みつけ、それから瓦礫に目を向ける。彼女に医学の知識は無い、しかしあの瓦礫が悛の体を圧迫している事は分かった。ならばコレをどうにかして悛を引き出し、治療を施せば助かる。

 

 ――彼女はそう考えていたが、悛の肉体は既に半分が潰れておりショック死しないだけ奇跡と言える状態であった。そうでなくとも失った血液は膨大で、遅かれ早かれ出血多量で彼は死ぬ。それは絶対に避けられない、確定された未来。

 

「私の力で、こんな瓦礫くらい……ッ!」

 

 A-013がそう叫んだ瞬間、彼女の背中が蠢く。恐らくBT臓器から因子を取り出し能力を発動させようとしているのだろう、しかし能力が発動する直前に声が聞こえた。

 

「悛……!」

 

 その声は廊下に良く響き、A-013が振り返って目を見開く。何故なら声の主は自分と同じ白髪と白い肌を持つ存在だったから、顔の造形こそ異なるモノの並んでいれば姉妹と言われるかもしれない。

 

 それは今しがた現場に到着した彼女――A-04も同じであり、己と酷似した容姿を持つA-013に驚愕を露にし足を止める。

 しかし、そんな彼女達の驚きは数瞬の内に消え去り、瓦礫に押し潰された悛へと視線が移った。

 

「これ……どういう事」

 

 自身の親しい人が瀕死の重傷、まさかやったのはお前かと、そんな殺気すら籠った視線がA-013を貫く。A-04は両の拳を握り締め、そこから腹部に力を込めた。

 返答次第では殴り殺す、そう言わんばかり。

 

「わ、私も知らないわよ! 来たらもう、悛はこうなってて……貴女、私と同じって事はデザインドよね!? これ、どうにか出来ないの!?」

「――悛の上の奴なら、任せて」

 

 敵ではない、同胞、そしてA-04は目の前の彼女の背中が異様に盛り上がっている事に気付いた、他ならぬデザインドの力を使う予兆、コイツは味方だとA-04は判断した。

 

 彼女はそう言うや否や、微塵の躊躇いも無くBT臓器から因子を取り出す。瞬間、A-04の両腕に無数の筋繊維が絡みつき肥大化した。

 

 彼女の能力を発動する際に起こる肉体変化、まるで筋繊維が鎧の様に纏わりつき彼女を守る盾に、そして最強の矛に変わるのだ。まるで丸太の様に太くなったA-04の両腕は、一定の大きさまで肥大化すると黒く変色し肥大化を止める。

 そしてソレが能力発動完了の合図であり、A-04は瓦礫の端を掴むと紙を捲る様な動作で瓦礫を取り払ってしまった。

 

「ッ、う」

「酷い……」

 

 瓦礫の下から出て来た悛の下半身、その状態を見て二人は呟く。

 

 下腹部と股間部分はまだ比較的マシだが、足などは特に酷い。まるでプレスにでも掛けられたかの様に平べったくなっている。足首が膝の辺りと平行になっていて、骨など無残に砕けていた。このままじゃ死ぬ、人体実験により何度も血を流した二人だが、こんな状態になった事は一度もない。

 デザインドですら顔を顰める怪我なのだ、ましてやただの人間には――。

 

「悛、死ぬのは許さない」

「えぇ……えぇ、そうよ、死ぬなんて許さないわ、絶対に」

 

 A-013とA-04は互いに顔を見合わせて頷く、初めて出会った二人であったが自然と何か通じるものがあると理解していた。白い髪、白い肌、怪物(ばけもの)みたいな力、生まれた時よりデザイン(設計)された人生。

 

 目の前の彼女は悛に人生を教えて貰ったのだろう、彼は恩師なのだ、二人にとって――このレガリスに閉じ込められたデザインド達にとって。

 

 A-04が瓦礫を持ち上げている最中に、A-013が悛を引き摺って救出する。血が白い廊下に線を引き、ぐじゅりと嫌な音が周囲に響いた。臓物が飛び出さなかったのは幸いだ、脇の瓦礫が辛うじて上の瓦礫を支え最後まで押し潰す事を防いでいた。

 しかし悛の意識は既に無くなっている、先程まで意識を繋いでいた事自体が奇跡。A-013は悛の顔を心配そうに覗き込むと、その口元に付着した血を拭った。

 

「ねぇ、治療……出来る?」

「――無理よ、私のデザインは『千手』なの、単純に便利な腕が増えるだけ、壊す事なら兎も角、治すのは無理よ」

 

 A-04の言葉に彼女は悔し気に返す、この時程自分の能力が恨めしく思った事は無かった。しかし全く手が無い訳でも無かった、医学に疎いA-013であっても唯一彼の回復を望める方法が――一つだけある。

 

「でも、大丈夫、私に考えがあるの」

「考え……?」

 

 A-04は目の前の同胞の言葉に疑問符を浮かべた、少なくとも彼女に悛を救う方法は思い浮かばない。無論、だからと言って諦める気は毛頭ないが、時間が無いのも事実。急かす様に、「それは、なに?」と問いかければ、A-013は唇を噛み締めながら言った。

 

「人間は脆いの、こんな瓦礫に埋まるだけで死にかける、弱い生き物だわ」

「知っている、人間は銃弾一発でも死ぬ、凄く脆いって聞いた」

「えぇ、私もそう聞いているわ、だから悛を生かす為に――【人間じゃなくしちゃえば良い】」 

 

 それは誰も思いつかない様な治療方法、否、それを治療と言って良いのか分からない。A-04は彼女の言葉に目を見開き、「本気?」と問いかけた。無論だとばかりにA-013は頷く、伊達や酔狂でこんな事は言わない。

 

BT臓器(怪物の心臓)を悛に移植するわ――私知っているんだから、此処の連中が私達のBT臓器に異常があった時の為、予備の臓器を隠しているって」

 

 彼女はこんな場所に十年余り住んでいる、実験の過程でBT臓器が不調になる事もあった。そうなると管理官は決まって聞いて来るのだ、「臓器の移植は必要か?」と。

 

 BT臓器とはデザインドの能力を発動する為の根源、核と言っても良い。そしてソレは持ち主に異常な程の再生能力を与える。全てのデザインドが過酷な人体実験を行って何故無事なのか? それは全員等しく、その恩恵を授かっているから。

 

やり方(移植方法)、分かるの?」

「分かる訳ないでしょ、でもやるしかないの、やらなきゃ悛が死ぬんだから……!」

 

 どこか心配げなA-04の言葉に荒々しく答えるA-013、彼女も絶対成功するという保証を持っている訳ではない、寧ろ失敗する未来の方が透けて見える。しかし何もせず手を拱いて待っているという選択肢はない。

 

 やるか、やらないか。

 その二択であれば前者しかない、悛を生かす為なら何でもする。

 それはA-04も同じであった。

 

「……分かった、臓器、持ってくる」

「お願い――多分、この棟の研究室にあると思うから……!」

「うん」

 

 A-04は頷くや否や、肥大化した腕で廊下を殴り付け弾丸の様に吹き飛んで行った。彼女が前々から考案していた移動方法だ、恐らく悛の意識があれば目を見開いて驚愕しただろう。

 A-013は目を瞑ったまま段々と青白くなっていく悛の顔を掴み、一心に祈る。

 

「死なないで、死なないで、死なないで、死なないで、死なないで、死なないで……!」

 

 まさに狂信、一心不乱の祈り。

 だが彼女の祈りも空しく、「こふっ」と悛が再び喀血する。既に気管に血液が入り込み、呼吸すら難しくなっていた。A-013はソレを見て直感的に拙いと感じる、少なくとも呼吸が出来なくなれば死んでしまう、その程度の知識は彼女にもあった。

 気管に血が詰まっているのなら吸い出せば良い、吸い出すにはどうすれば?

 

 突如、彼女に天啓とも言える閃きが走り――A-013は躊躇い無く悛の唇に吸いつき、その舌ごと勢い良く吸い込んだ。

 

 接吻と言うには余りにも荒々しいソレ、まさかファーストキスがこんな形になるとは彼女自身も思っていなかった。僅かに赤みが差す頬、無論これは救命行為でありA-013の中でノーカウントだ。

 

 捨て身の甲斐あって悛の喉に張り付いていた血液はA-013の口内に吸い込まれ、ゆっくりと口を離した彼女は口内のソレを傍に吐き捨てた。ベチャリと赤色が床に張り付き、A-013は口元を拭う。

 

「っぅ……初めては甘いって書いてあったのに、やっぱり本はアテにならないわ」

 

 初めての接吻の味は鉄一味、まんま血である。

 これが甘いとは流石に言えない、こんな状況でなければもっと喜べたのだろうけれども。悛とて意識が無いのだ、こういうのは互いに意識がある時にやってこそだろう。A-013は赤くなった頬を隠し、それから深呼吸して悛の体を見下ろした。

 

 べっこりと凹んだ悛の下半身、BT臓器の移植はどうすれば良いか。彼女が持ち得ている知識は少ない、元々生まれて来てから殆ど外界に晒される事無く生きて来た身だ。

 知識は書物と、そして専ら遊んでくれる悛が教えてくれる事だけ。

 気紛れに管理官が話しかけて来る事もあるが、殆ど専門用語のオンパレードで意味が分からない。けれど一般的な人間にBT臓器を移植しても上手く行かない事は分かる、この臓器には【適正値】があるのだ。

 

 要するにBT臓器に親和性があるかどうか。

 デザインドという存在はその点、最初からBT臓器に親和性が持たされた上で生まれる。故に拒絶反応が出る事は無いし、BT臓器を移植しても大した副作用はない。

 

 しかし悛は一般人である、BT臓器用にデザインされた肉体を持たず、天然そのまま。恐らく適合率は殆ど無いと言って良い、限りなくゼロだ。だがその確率を僅かばかり後押しする事は出来る、他ならぬデザインドの手によって。

 

「臓器、あったよ……!」

「っ、良かった! 流石ね!」

 

 廊下の向こう側からA-04の声が響き、彼女は専用のボックスに保存されていたBT臓器を抱えて駆けて来る。彼女が持って来た臓器はA-04研究室の一角にあった保管庫の中のもの、A-04は朧げな記憶でその保管庫の中に臓器が収納されている事を覚えていた。

 

 ボックスは指紋認証式であり、覗き込んだ二人を前に電子音で開放拒否を告げるが、A-04の怪力によって無理矢理蓋を抉じ開けられる。そうして冷気と共に顔を覗かせたのは球体のBT臓器――臓器と言っても心臓の様な物ではなく、肉塊と言うべきか、筋繊維と因子を内包したグロテスクな球体だ。

 

 A-013が掴み取れば、ぬちゃりと生々しい音が鳴る。

 これを悛に移植する、BT臓器は本来デザインド用に作り出された人工臓器。既に一人の人間として完成している悛に移植するのは無理がある、しかし。

 

「……貴女、自分を再生させる時の感覚、分かる?」

「……多分」

「なら手伝って、私達の力で臓器を悛に繋げるの」

「そんなの、出来る?」

「出来るか出来ないかじゃない、やるのよ」

 

 有無を言わせぬ言葉、悛を失う事の恐怖に気後れするA-04だったが、少なくともこのまま眺めていれば最悪の想像が現実になる。その状態に悛は片足を突っ込んでいるのだ。A-04も表情を硬くし、ゆっくりと頷く。

 

 それを見てA-013は臓器を握り締め、そのまま悛の下腹部に押し当てた。ぬちゃりと血に塗れた悛の腹部に臓器が密着し、A-013とA-04は緊張を覚える。

 

「良い? 因子を使って全力で悛の中に臓器を押し込むの、結合は多分、上手く行くと思う、後は悛の適正と私達の力次第、自分じゃなくて悛を再生させるの」

「やった事無い、でも……やってみせる」

 

 互いに臓器へと手を乗せ、そのまま目で合図を出す。

 千切れた自分の指を結合でくっ付けた事はあるが、他の誰かに結合を施すなどやった事が無い。ぶっつけ本番だ、しくじれば悛が死ぬ。

 

 失敗する訳にはいかない、それは二人の共通認識だった。

 

「行くわよ………?」

「うん」

 

 冷汗が滴り落ち、A-04は乾いた唇を舌で舐めた。

 

「一、 二の―――三ッ!」

 

 ミシリ、と。

 二人の腕から無数の筋繊維が伸びた、それは悛の下腹部と臓器に結合し互いに互いを融合させようと働く。BT臓器とはデザインドによって在り方が異なる、例えばA-04であれば通常の臓器の様に腹部へと収まっているし、A-013の場合は背中に薄く引き伸ばされている。故に何処に埋めるかは重要ではない、適合すれば勝手に最適化される。今この時は何より、臓器を悛と繋げる事が重要だった。

 

 

 

 あくまで、適合されればの話だが。

 

 

 

「ぐッ、あぁ、はァッ!?」

「っ、悛!?」

 

 臓器を悛の体に結合させた瞬間、悛は急激に苦しみだし口から噴水の様に血を吐き出した。それはビチャビチャと二人の元に降り注ぎ、思わず結合の手が緩みそうになる。二人の顔と手元は一瞬で真っ赤に染まり、只人なら目を背けたくなる惨状。

 

「駄目、止めないで!」

「っ、わ、分かってるわ!」

 

 A-04の叫びに緩みそうになった手を抑え、A-013は苦しみ悶える悛を辛そうに見る。此処で結合を止めれば不完全結合となり、親和性云々どころの話ではなくなる。二人は本能で理解しているのだ、BT臓器が外に露出している状態がどれ程危険なのか。

 故に悛がどれ程悶え苦しもうとも、結合の手は緩まない。

 

 不快な音を立てて悛の下腹部に縫い込まれて行く臓器は、肌色に混じって段々と見えなくなっていく。因子を取り出した能力を以て結合させた臓器は融合させるだけならば簡単だ、尤もその後は本人の親和性によって天命が決まる。

 

 A-013は遠い昔、己の管理官が話していた事を思い出した。

 

 彼としては話の意味が分からないA-013に対して雑談気分で振った話題なのだろうが、今でも脳裏にこびり付いて離れない。今でもあの男の興奮した表情で、資料を叩きながら話す癖を思い出せる。

 

 

 BT臓器の適合に失敗した奴は大抵、身体中の穴と言う穴から血を噴き出して死ぬか、或は内側から因子に貪り食われて死ぬ、眼球から肉柱が飛び出したり、皮膚から突き破ったりしてな。

 臓器の特性は万能細胞に近いが、ソレは唯の外郭に過ぎない、本命は内側の因子だけであり、お前達第三世代のデザインドは生まれる時点で因子そのものが組み込まれている。だから臓器って言ったって中の因子だけ取り出して移植すれば済む話なんだ、臓器の外郭、筋繊維部分は殆ど殻の様なもの、何で上が因子だけを運用しないのか理解に苦しむ。筋繊維で覆うのも、カプセルで覆うのも、大した違いはないのにな。

 

 

 何故、こんな言葉を覚えていたのかA-013自身分からない。けれど目の前の悛が吐き出す血液の量に、適合失敗という言葉がチラつくのだ。これは駄目なのか、悛は死んでしまうのか?

 

 A-013は臓器を押し込む力を強めながら、キッと隣の少女を睨みつけた。彼女も――A-04も危機感を抱いていたのか、涙目で叫んだ。

 

「足りない――もっと!」

「えぇ、全力よ、後の事は考えないで!」

 

 ビキリ、と両腕が悲鳴を上げる。腕から生え出る筋繊維が更に勢いを増し、悛の体へと縫い込まれて行く。まるで悛の体そのものを作り変える様に、因子の融合を後押しするように。

 

 悛は度重なる苦痛に白目を剥き、口から血と唾液を垂れ流している。最早精神は狂っていると言って良い、意識があるのか無いのか、限りなくグレーな場所を彷徨っている感覚。気絶すれば激痛に叩き起こされ、痛みに気を失えば痛みによって起こされる無限ループ。最早狂った方が楽であった。疾うに彼はその選択肢を掴んでいる。

 

 軈て数分に及ぶBT臓器の結合は終わりを告げ、悛の下腹部に臓器が完全に融合する。既にBT臓器の姿は影も形も無く、A-04とA-013は肩で息を繰り返していた。互いにBT臓器を全力で酷使し悛の結合を後押しした後、実験時の疲労など目ではない、気を抜けばその場に倒れてしまいそうだった。

 

「はぁ、はっ、はぁ……あ、悛?」

「ふっ、ふぅ、い、生きているわよね……?」

 

 二人は悛を挟み込んで彼を見下ろす、瞼を閉じ、唾液と血で口元を汚した彼は何も言わない。

 死――という文字が二人の頭を掠める。

 遅かったのか、或は無謀だったのか、悛が反応を返す事は無かった。

 

「悛――ねぇ?」

 

 震えた声でA-04が悛の胸に触れる、触れた指から伝わる筈の鼓動。しかしソレを微塵も感じない、それが意味するところは。

 

「……ぁ」

 

 心臓が――止まっていた。

 

「……」

 

 絶句、A-04の顔からサッと血の気が引き、その様子を見たA-013が慌てて口元に手を翳す。呼吸をしているのならば風を感じる筈だ、しかしいつまで経っても息を吸い込む様子が無い。悛は呼吸を止め、心臓を止め――死んでいた。

 

 駄目だった、自身の恩師は死んでしまった。

 A-04が無力感に項垂れ嗚咽を零し、A-013は現実を認めまいと大粒の涙を零しながら喚いた。既に悛の体はピクリとも動かず、ただ流れ出た赤色だけが跳ねるのみ。全ては手遅れだったのだ、無駄に苦しませ無駄に死なせた。

 二人は己の無力を嘆き彼が居ないのならば、生きる意味など無いと、本気でそう思い始めた。

 

 

 その時。

 

 

「ぅつ、ぐ、あァアッ!」

「っ!?」

「ぁ、悛!」

 

 悛の体が突如跳ね上がり、そのまま苦悶の叫びを上げる。もしやと思って二人が悛を凝視すれば、彼の下腹部が不気味に蠢き始めた。そしてみるみる内に筋繊維が身体中を覆い、破損した肉体を修復し始める。

 

 潰れた両足は勿論、切り傷や打撲があった上半身まで筋繊維は伸び、そのまま本来よりも一回り程太くなった両足が真っ黒に変色する。

 それはA-04やA-013と同じ能力発動完了の証拠。

 

 悛の肉体を覆う筋繊維、黒く変色したソレを見た二人は【まるで鎧の様だ】と思った。体を満遍なく覆いつくし、丁度鳩尾の辺りまで覆った黒色は完全に悛の肉体を再構築している。彼の獲得したデザインが何なのかは分からない、しかし今唯一分かる事は――

 

「やった……やったのよ、適合したわ! 悛は因子を取り込んだの!」

「嘘、本当に、悛、生きてる?」

 

 涙の痕を残しながら、二人は幽鬼の様に悛へと縋りつく。先程と同じように胸元に手を乗せれば、きちんと心臓の鼓動を感じる。生きている、彼は確かに生存している!

 

「――良かった」

 

 A-04は心から安堵し、涙を零しながら悛の胸に顔を埋めた。白衣は所々破れ血を大量に吸い込んでいたが、今は全く気にならなかった。A-013も悛の首筋に顔を埋め、「わ、私は最初から、大丈夫だって信じてたもの!」と誰に対してでもなく叫ぶ。

 

 そうして二人が安堵から泣き喚いていると、廊下の奥から一人の女性が歩いて来た。他ならぬ悛を圧殺しかけた第二号収容所のデザインドだ、その手には警備ロボの銃器が握られており、背後からは三人のデザインドが続く。

 

 女は声を頼りに廊下を歩いて来たが、目に見える二人が白い髪を持つ女性という事で武器を降ろす。他ならぬ同胞だ、これで五人回収した事になる。

 

 彼女の背後に続く三人のデザインドは研究棟に収容されていた此処のデザインドだ、彼女達は誰かに縋りついて泣き喚くA-04とA-013を見て己の同胞だと気付き、駆け寄ろうとした。元より皆が皆初対面であったが、同じ境遇なだけに仲間意識を持つのは速い。それは二号のデザインドも理解しており、ソレを止めるつもりは無かった。

 

「これで研究棟は全部か……?」

 

 女は呟き、周囲を見渡す。取り敢えず研究棟を回れるだけ回って来たが見つかったのはこの三人だけ、そしてたった今二人追加された。思ったより少ないが、完成品(第三号)となると生産数も限られているのかもしれない、そう考える。

 

 しかし、不意に泣き喚く二人のデザインドへと駆け寄ろうとした三人の足が止まり、女は怪訝な顔をした。

 

「おい、どうし――」

「悛……さん?」

 

 それは震えた小さな声であった。(あらた)――誰だそれはと第二号のデザインドが疑問符を浮かべ、泣き喚く二人の元に足を進める。彼女達が足を止めた原因が、二人の泣き喚く対象にあると思ったのだ。

 

 デザインド(仲間)でも殺されたのか? 

 

 如何にデザインドと言えど戦い方を知らなければ殺される事もある、寧ろ殺される奴の方が多い。銃を持っていてもトリガーを引いて撃てる事を知らなければ意味がない、銃そのもので殴っても大した利点はないのだ。

 

 疑問を覚えながら女は足を進める、そして泣き喚く二人の間から倒れ伏した人物を覗き見た。その顔に見覚えがある。

 それは己が天井を崩し圧殺した筈の男だった。

 

「……何だこれ」

 

 女は呟く。

 それは男を覆う黒い筋繊維に向けて放った言葉。

 常人の肉体ではない、まるで皮膚から生え出る様に体を覆っている。その黒色には見覚えがあり、自分達デザインドが使用する能力そのものであった。

 コイツは――女は思った。

 

「デザインド?」

 

 第二号の女が呟き、その声を聞いたA-04とA-013は緩慢な動作で顔を上げる。その視線の先には見た事も無い女、しかし白い髪に白い肌、少しばかり年齢が高く見えるが同胞だと思われる。

 二人は悛を庇う様に立ち上がると、静かに問いかけた。

 

「だ、誰よ、貴方――?」

 

 

 




 ランキング一位ありがとうございます。
 お礼に12700字置いときますね。

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