未だに現実を受け入れる事の出来ない俺が、俺の為に放つ俺の言葉。
よく聞け。
しおりちゃんは、亡くなった。
手術に成功したがその後、長時間の停電により医療機器が満足に稼働せず容態が急変。
看護師14名、医者2名による全力の救命活動が4時間に渡り行われたが、時間が経つ毎にしおりちゃんの容態は悪化の一途を辿ったらしい。
ガソリンを使用した発電機でなんとか電力の確保は出来たらしいが既に遅かった。
全力の対応も虚しく、夜明けと共に息を引き取った......らしい。
雨は未だ止まず。
武偵病院に搬送された俺は、軋むベッドの上で、窓の外を眺めていた。
しおりちゃんの事は......割り切れないし、納得も出来ないが、理解はしている。
失われる必要の無かった命が、消えた。
ヒルダ。奴を初手で倒せていれば......こんなことにはならなかった筈だ。
だが、その元凶ももう死んだ。そう思っていた。そうあってほしかった。
行き場のない怒りを自分の小さな器の中で転がすだけで済ませたかった。
そんな淡い願いは、いとも容易く捨てられた。
ヒルダは生きていたのだ。
無限の回復力も無くなり、全身は炎に焼かれ、挙句の果てには高度450mからの落下だ。
助かるワケがないのだが......奴は、吸血鬼だ。
死ぬべき命が死なず、死ななくてもいい命が消える。
なんという理不尽だろうか。
俺は今――自分の無力さとヒルダへの殺意、憎悪、憤怒を滾らせている。
理子の容態が安定したと聞いて、劣悪な感情を内に仕舞い、キンジに肩を借りながら会いに行けば、病室にはアリアとワトソンが先に来ていた。
「......解毒できたのか、ワトソン」
「僕一人では無理だったけど、矢常呂先生の御力を借りてなんとかなったよ」
後から聞いた話だが、どうやら理子はヒルダと対峙する際に、自分からヒルダに付けられた猛毒のイヤリングを外したらしい。
毒に侵されながら、ヒルダと闘い続けていたようだ。
マスクを外したワトソンは、ふぅ、と徹夜疲れに大きく息を吐いた。
キンジがベッドに歩み寄り、理子の様子を窺おうとすると......
理子は、サッとキンジを避ける様に顔を伏せた。
「理子?」
生還を喜ぶと思っていたが......違ったようだ。
その様子に、俺たちが黙っていると――理子は、
「キンジ、アリア、ハヤト......あたしは、恥ずかしい」
呟くように、話し始めた。
「あたしはヒルダに命じられて、キンジとハヤトを騙した。アリアの事も見殺しにしようとした。なのに、お人好しのお前たちは......あたしを庇った。あたしはあの時、お前たちに借りが出来たんだ。だから、私は命がけでその借りを返そうと決心してた。本当に、死んで償う積りだったのに――こうやって、おめおめと生き延びて......」
理子の声は、悔しさに震えている。
「理子」
アリアが、理子に声を掛けた。
理子は、俯いたままだ。
「あんた、勇敢ね」
理子は、その言葉に恐る恐る顔を上げて、アリアを見た。
「あんたのことだから、てっきり『助かったよ、ありがとー』とか言って、ヒルダについてたのを有耶無耶にするモンだと思ってたわ。でも、あんたは自分の思いを正直に話した。それは――とても勇気がいる事よ」
赤紫色の色の瞳で、真っ直ぐ理子を見つめるアリアに――
理子は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「アリア、キンジ、ハヤト......この恩は、必ず返す」
泣きそうな声で、理子は告げる。
それを聞いたアリアは、目線で俺たちも何か声を掛けるべきだ、と訴えかけてくる。
「あー......まぁ、昨日のは......俺は、流れで戦っただけだ。恩がどうのとか、考えなくていい」
「......ああ、そうだな。俺の場合は急に拉致られたからなァー......完全に流れだな、うん」
等と話してみたが、アリアが『それだけ!?』と小声で文句を言ってきた。
女子の扱いが上手いのはキンジの方だろう、俺に振られても困る。
「あー......念の為に聞くが、あいつらには......他に吸血鬼の仲間とかいないだろうな?」
「ブラドの妻は病死した。漫画みたく人を噛んで増える種族じゃないし、あいつらは二人だけだ」
「そうか。じゃあ、お前、肩の荷が下りた気分だろ。よかったな」
それを聞いた理子は、頷いて、少し俯いた。
「そうだね......今まではずっと、ブラドとヒルダの事が心のどこかに引っかかってた。逃れたかったから、戦い続けていた。でも、それが無くなって......自由になって、今は――少し、不安かな」
「不安だぁ?」
「これからどうすればいいのかなって」
「贅沢な悩みだな......理子らしく、気ままに、やりたいように生きりゃいいさ」
「そう、だね......理子らしく、か」
理子はキンジの意見を聞いて、小さく笑った。
「ああ。それが『理子が理子になる』って事なんだよ。きっと。本当の意味のな」
その言葉に、理子は顔を赤くする。
こんな、病院の一室で、こんなにも明るい話題に触れられるなんて。
暗い感情を忍ばせていた俺が、少し――いや、結構恥ずかしい。
俺も自分の病室に戻って、後は3人で和やかに会話を続けてもらおうかと思い、退室しようとしたところで......
「さて。仲直りが出来たところで、もう一つ話があるよ」
ぴ、と人差し指を立てたワトソンが、俺たちを見回した。
「話......?」
「ヒルダの事だ」
――ああ。
ワトソン、テメー。
人が折角......この空気をぶち壊したくないと思って――黙っていたのに。
暴れ出しそうになる怒りを、なんとか飲み込んで、耳を傾ける。
「......ふぅ。まず宣言しておくが、僕は武偵であり医者だ。敵でも、戦いが終わればノーサイド。過剰攻撃はしない。いかなる人格、国籍、人種であっても関係なく治す」
――......。
「だから、さっき――ヒルダの体からショットガンの珠を107発、全て摘出した。魔臓機能が不全にもかかわらず、彼女は脅威的な生命力で手術を乗り切ったよ。身動きも取れず、意識も無く、人工呼吸器を必要としながらも......彼女の命は、生きたいと願っている。これが失礼ながら撮影した、今の彼女の姿だ」
と、ワトソンはデジカメで撮影したヒルダの姿を俺たちに見せてくる。
自業自得とはいえ、全身大火傷のヒルダは包帯でミイラみたくなっており、手足にギプスが填められてある。
哀れな奴だ。
「これじゃあ生きることすら、辛いだろうなァー......介錯してやる。案内しろ、ワトソン」
「落ち着け隼人!」
「落ち着け?落ち着いてるさ。人の命を奪っておいて、自分だけ助かりたいだと?ふざけるなよ」
「武偵は、殺しは御法度だ」
「なら武偵を辞めるまでだ」
「......正気か?」
「正気で、本気だ」
「ハヤト。頭を冷やしなさい」
「無理だ」
「ハヤト!」
「頼む隼人。抑えてくれ」
アリアとキンジに掴まれ、揺すられる。
この感情を、嘘にしろと言うのか。
俺の激情を、憤怒の炎を飲み込んで抑えろというのか。
「......魔臓なる物を縫合したのは始めてでね。僕も完璧には手技が出来ず......その組織を若干、切除せざるを得なかった。だがボクは、転んでもただでは起きない。それを材料に、魔臓の動きを止める薬品――ヴァンパイア・ジャマーの開発を約束しよう」
「くどい。さっさと本題に入れ」
「......そう殺気立たれても困るんだけどね。分かった。簡単に説明するとヒルダの血液が足りない。B型のクラシーズ・リバー型。その血液を保存しているのが世界中を探してもシンガポールの血液センターくらいしか無くてね。取り寄せるのに2日は掛かる。ヒルダは今日の昼を越せそうにない」
――成程。
「はっ......俺が介錯をしなくても勝手に死んでくれるワケか。そりゃあ――いい」
「隼人!」
くつくつと笑いながら安心していると、キンジに胸倉を掴まれ扉に叩きつけられた。
「......放せキンジ」
「お前、どうしたんだ!冷静じゃないぞ!」
「冷静になれるワケねぇだろ!知り合いが一人、間接的にヒルダに殺されてんだ!」
怒気を孕ませるキンジに呼応するかのように、つい声を張り上げて叫んでしまった。
俺の叫びに、アリアは目を見開き、理子は俯き、ワトソンは目を伏せ、キンジは恐る恐る胸倉から手を放した。
「......まだ、小さい女の子だった。1日......いや、半日にも満たない時間を偶然過ごしただけだった。保護者はな......あの人は、手術を『希望』だと言ったんだ。それをヒルダは、俺たちは奪った。分かるかキンジ?生きたいと願って、希望だと縋って!託し、託されて全力で戦い続けた人達の思いが!」
右手でキンジの胸倉を掴み、壁に叩きつける。
――ああ、最低だ。
俺は、最低だ。
行き場のない感情を――仲間にぶつけるなんて、本当に最低だ。
でも、この憎たらしい口は未だに憎悪の念を漏らし続けている。
「俺たちが殺したんだ!俺が!あの子を!しおりちゃんを!なぁ!嗤えよ!蔑めよ!ヒルダを捕まえられなかった俺たちを!長時間戦い続けてしまった俺を!」
視界が歪んで、開いた瞳からボロボロと滴が零れ落ちてく。
「......あの時は、皆必死だった。アリアも......理子も。――俺も、お前も」
キンジに当たろうとする俺の言葉を、必死に喰い止める。
歯が欠けるんじゃないかと思うくらいに食いしばって、これ以上誰かを傷つけない様に耐える。
怒りに手が震え、情けなさで肩が震え、感情の暴力が絶え間無く涙を流させる。
今の俺じゃ、皆と話し合えない。
だから。
するり、とキンジの胸倉を掴んだ手を放して、病室の外へ逃げるように飛び出した。
スリッパと病衣を着たまま、俺は武偵病院から逃げた。
何の解決にもならない事は分かっていたが、今は少しでも皆から離れたかった。
能力まで使って。
何処か遠くへ、逃げ出した。
すっかり上がりきった息を、ベンチに座りながら整えて――空を見た。
雨は止んでいて、青空が雲の切れ端から顔を覗かせている。
青い空を見て、自己嫌悪の気が強まった気がした。
走り回って落ち着いたのかもしれないが、落ち着いたら落ち着いたで今度は自己嫌悪の嵐だ。
皆に合わせる顔が見つからない。
ヒルダを許すことはできない......俺はそこまで、大人になれない。
キンジたちはお人好しだから、助けようとするんだろうな。
携帯を開けて見れば大量の着信とメールが着ていて、
電話......は、掛ける勇気が出なかったので、メールで『お前達のやりたいようにしてくれ』とだけ打って送信。
返信を待たず携帯の電源を切って、自分の心を守る。
――俺って本当に、最低だな。
散々かっこつけておいて、結果何も救えなくて、むしろ失くしてしまって。
俺は武偵として向いてないんじゃないか。
嫌悪して、否定して。
何も守れずに、夜が明ける。
「――辞めちまおうかなぁ」
「おう、それがいい。悩むのなんて止めちまえ」
「え?」
隣から聞こえた声に顔を向ければ、見知らぬ爺さんが座っていた。
「ど、どちら様......ですか?いやてか別に悩んでたワケじゃ......」
――......まぁ悩んでた、みたいなモンか。
「人に名を訪ねるときは自分から、だろうが。ええ?若ェの」
「――......東京武偵高校所属、冴島隼人です......あなたはどちら様でしょうか」
「俺かぁ?俺はしがない、写真家さ」
老人はバックパックの中から、高そうなカメラとアルバムを取り出して、ニカッと笑った。
――......名乗らないのか?