「――どういう事かしら、サエジマ」
腹部を殴りつけられ、吹き飛んだヒルダはその背中から生えている翼を使い、空中で姿勢を制御した。
空中に浮いたまま、俺を睨みつけている。
「決まってんだろこのヤロー......俺は人間で、武偵だぜ。一般市民の敵みたいな奴を野放しにするワケねーだろ」
それに、と言葉を続ける。
「今の俺はケッコーむかっ腹が立っててなァ......」
「一時の感情の渦に呑まれて、『不死』を捨てるとは。やはり人間は愚かね」
「......病院」
「......?」
俺がポツリと漏らした言葉に、ヒルダは真顔になる。
「テメーのせいでよォー......病院まで停電してるじゃあねぇか」
後ろ髪を掻きながら、眼下を見た。
そこには、暗闇に沈んだ東京の街並みが広がり――その中に、病院があった。
流石にこんな夜遅くだ、手術も終わっているだろう......それ以前に入院している病院が違うかもしれない。
だが、もし――もしもを考えると、俺の中に渦巻く怒りが収まることは無かった。
むしろ、逆。
怒りは激しく燃え上がり、俺の中の俺が轟き叫ぶ。
――奴をぶちのめせ。
頭の中を過るのは、ほんの数十分の交流。
車椅子に乗って、男に連れられていた少女、しおりちゃん。
重い病気を患いながらも、必死に生きようとしていた、あの子の、希望が。
今!目の前でッ!
このヒルダという理不尽に、奪い取られたッ!
もしも今、手術中だったとして......停電のせいで手術の続行が出来ず、万が一の事があったら......そう思うだけで、背筋が凍る。
あまり関わりがないと思うかもしれない。
だが、あんな小さな女の子が、足掻いているんだ。
恐怖に耐えて、前に進もうと決意したんだ。
男は手術を『希望』と言った。
それが、おそらく、最後に縋る物だったのだろう。
それを――こんな、事で......『師団』と『眷属』の小競り合い程度で、奪われていいワケがない!
決めたぞヒルダ。
俺は武偵だ。戦えない全ての人達の為に、立ち上がる存在。
異形を屠り、悪を斬り捨て、罪を犯した者を捕らえる。
俺は――その武偵の中でも極めて特別な超偵だ。
超能力と呼ばれるソレを使い、超常的な犯罪を起こす奴らを1人残らず捕まえる。
ヒルダは、超能力者かつ、大勢の非武装市民を脅かした巨悪だ。
「そんな事、私の知った事ではないわ」
――俺はお前をぶっ飛ばす。
真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす、右ストレートでぶっ飛ばす。
加減もクソもない。最初から全力全開で、ぶっ壊れたドラッグマシーンみたいに駆け抜けてやる。
「――......命を、燃やすぜッッッ!!!」
『アクセル』、スタート......!
そして、ここから――!
前に一度だけ使って、心臓が破裂するかと思って使うのを止めたソレ。
酸素中毒......意識喪失に加え呼吸困難と胸の痛みを受け、死にかけた技を、今一度使う。
今なら、GⅢとの戦いで負った傷を治す為に無理矢理やらかした今の俺なら。
多分、いけるはずだ。
『スーパーチャージャー』、スタート。
心臓が一気に縮み――急激に膨張する。
身体が軽く跳ねて――鼻、口、皮膚が大量の酸素を吸い始める。
体内に送られてきた酸素は高濃度に圧縮され、超スピードで動く俺の身体が......より速く動くために必要な燃料に変わっていく。
脳に一気に負荷がかかって意識を手放しそうになるが――耐えた。
鼻や口から一気に血を吐きだすが問題なし。
骨が軋み、筋肉が膨張し、皮膚が硬化し始めた。
神経は痛みを感じる事を煩わしく思ったのか――骨が軋む感覚も、筋肉が張っていく感覚も、夜風が肌を撫でる感触も消えていく。
心臓はポンプで、全身の血管は配線。筋肉は動力。
肺は圧縮装置で。血管は燃料供給管。
心臓が脈打つ速度が速くなっていく。
体温が上がっていく。
まるで灼熱の溶鉱炉の様になった俺の身体から吐き出されたモノが夜風に晒されて蒸気のようになり、溶け込む。
高濃度の酸素が目に負担を掛ける。
潰されるような痛みに耐えながら、真っ直ぐヒルダを睨んだ。
雰囲気の変わった俺を見て警戒したのか、ヒルダは顔色を変えて大きく、その翼を使って飛び退いた。
全身が燃え滾っている錯覚に陥る。文字通り、本当に命を燃やしているような感覚を受けた......が、知った事ではない。
「――待たせたな、ヒルダ。準備はいいか」
今はただ、目の前に居る人ならざる異形を打ち倒すのみ。
まだ未体験の衝撃、見せてやるよ。
例えるなら、そう。
きっと――突然現れた、魔法みたいに見えるんだろうな。
――ヒルダ視点――
それは、元は人間だった。
いつも見下してきたはずのソレだったはずだったのだ。
だが......目の前にいるアレは、なんだ。
目の前にいた人間、サエジマは――全身から蒸気のような物を上げ、その身全てを覆い隠している。
そして、その蒸気で出来た霧の中に.....赤い双眸が、線を引く。
それが少々不気味で、距離を取れと第六感が囁いた。
この距離なら、奴も迂闊に近づいては来れない......だろう。
「――■■■■■、■■■......■■■■■■」
――何?
奴は、今何か、喋っ
気付けば、私の頭部は右半分を残して消滅していた。
音は無く、衝撃すら皆無。
無くなっていたのだ。
残された右目が、異常を捉える。
何も無かったはずの空間に、サエジマが蒸気を曳きながら現れ――私の左側の顔へ、拳を打ち払った。
それに疑問を抱く......
よりも先。
私は自分の下半身を置き去りにして、地面を何度も跳ね、何時の間にか空を舞っていた。
痛みを感じて右目で肩越しに背を見れば背中に私の翼は存在せず、遙か下方に『天空樹』の最上階に置かれてある棺桶が目についた。
私は、何時の間にこれ程の飛翔をしたのだろうか。
疑問を感じた時――顔に痛みを感じ、次いで、無くなった下半身と繋がっていた部分が悲鳴を上げた。
更に、背中と翼が生えていた場所が軋むように痛み始める。
ここまで来て、私はようやく――自身の異常性を正確に認識できた。
「――......あ、ああ......ああ、ああ、ああ!ああ!!あああああああああ!!!!」
顔が!脚が!翼が!
完全な私の、完全な造形が!
奪われた、破壊された!
――誰に、誰が、どうやって、サエジマが、どうやって、どうして、見えなかった、感じなかった、触れられなかった、なんで、なんで、なんで!
視えなかった事が、知覚すら出来ずに吹き飛ばされた私は恐怖にかられる。
私のおよその落下地点で在ろう場所に――ゆっくりと、蒸気を纏ったあの男が悠然と歩いてくる。
翼も無くなり、錐揉み回転をしながらただ落ちていく私を、あの男は......待ち侘びていた。
顔らしき部分を天を見るように見上げ、赤く染まった目のようなナニカが2つ、白く垂れ込むような霧の隙間から覗いている。
私は、
何か対抗しようとして――やめた。
違和感を感じて顎を引いていき、残った上半身を見れば。
そこには直径30㎝ほどの縦に長い楕円状の穴が開いていた。
信じる事が出来ず、呆然と、落下していく中で......
どうやったかは知らないが、私のいる高度まで跳躍したサエジマがやってきて。
私の身体をすり抜け、先ほどまで私が居た場所を蹴る動作をした。
そして、ゆっくりと重力に引かれて、落ちていく。
私を見下しながら、降りてくる。
そして――――ようやく気付いた。
今、私を見下ろしているこのサエジマは、
残像だと。
今回は短いです(´・ω・`)