白い天井に、白いベッド。
白い落下防止の手すりに白い照明。
痛々しい程の白に包まれた部屋に、乾いた赤黒のシャツが浮いて見える。
元は白かったシャツは、胸元の辺りに血がかかったのだろう。変色した挙句乾ききってしまっている。
辺りを忙しなく見回していると、ペチッ、と額を叩かれた。
それを受けて、俺の額を叩いた人物――ベッドの隣に立つ白衣の女、矢常呂先生を見る。
「――しっかりと話を聞きなさい。簡単に受け止められる物じゃないけれど、アンタの事よ」
矢常呂先生は片手に入れたばかりなのか、湯気の立つコーヒーを持っていて、もう片方の手に検査結果の紙を俺に見せるようにしている。
「......聞いてますよ、センセー」
少し掠れた声で、俺をじっと睨みつけるように見てくる矢常呂先生の目線に耐えきれず、顔を僅かに逸らしてそう言った。
「はぁ」
帰ってきたのは呆れた、と言いたげな溜息一つ。
「......まぁいいわ。話を戻すわよ、よく聞きなさい」
「はい」
「アンタはもって、あと半年」
――ああ、半年か。
目線を窓へと移し、外を見た。
青い空に、白い雲。そのキャンバスに描かれたような風景の主役――朝の日差しが煌々と輝いている。
「受け入れなさい。アンタが人として活動できるのは――長くて、あと半年よ」
痛いほど静かな白の部屋に、暖かい太陽の光がベッドを柔らかく温める。
「終活をしておきなさい。アンタという人間の終わりを、強く思い描いて。それを実現しなさい」
――......。
「能力は、極力使わないこと。1日でも長く人で在りたいのなら、使わないように」
話は以上、と話を打ち切って矢常呂先生は、部屋から出ていってしまった。
呆然としているワケでもなく、確たる何かを持っているワケでもない。
フワフワとした心境。残されたのは最長で半年というタイムリミット。
短くしようと思えば、今この瞬間に失う事すらできるもの。
それを如何使うかは――俺次第だ。
ある一つの決意を胸に、俺はベッドから起き上がった。
外へ出ると、俺の登場を待ちかねた様な態度の男が立っていた。
よく見れば、その男は――以前、公園で出会った人だった。
「ああ、もう立ち上がっていいんですか?」
「助けてくれて、ありがとうございました。はい、御親切にどうも。よく、俺を見つけましたね?」
男は俺がそう言うと、あはは、と苦笑してから――
「今日の夜からしおりが、手術を受けるんです」
「――そう、ですか」
「ええ、はい。実は昨日......緊張して、落ち着かなくて散歩でもしようかな、とブラブラしていた所で道端に血を吐いて倒れている貴方を見つけたんで、急いで連絡したんです」
無事でよかった、と男は心底安心したように息を吐いた。
「このお礼は、必ずします」
「いいんですよ、困った時はお互い様です。――おっと、時間だ。では、これで失礼します」
「あっ、ちょっと......」
名前を聞こうとしたのに、男は腕時計を見て顔色を変え、急ぎ足で廊下を奥へと進んでいき、此方からは見えなくなってしまった。
――仕方ないか。
俺は病院を出て男子寮へ向けて歩き出した。
――矢常呂視点――
この男は、もう長くない。
否、もっと具体的に言うなれば――人として、長くは生きれない。
この男の能力は速くなる事。
その速度はマッハ3にも及び、更に速くなろうとしているようだ。
そんな速度で動けば、常人の身体では数秒と持たないはず。
しかしこの男は、それに耐えている。
それから考えられる要因は一つ。
より速い速度にも耐えられる皮膚を、骨を、筋肉を作り替え――
痛みを感じる必要のない痛覚、神経を退化させ、より屈強にし......
体中にエネルギーを届ける為の血液の速度は遅く、非効率的だから、作り替えた。
新しい血液に。新しい臓器に。
この男の心臓は最早ただの肉ではない。鋼のような硬さを持ち、ゴムのような靭さで脈を打つエンジンのような機関に据え変わっていることだろう。
骨は途轍もない硬度を持つ塊で、筋肉は強靭なバネ。
神経はすり減り、痛覚は必要な程しか残っていないのかもしれない。
この男がそれを望めば望むほど、人外へと変わっていく。
能力を使えば使う程、変貌は速くなる。
故にこの男が『人として生きていられる』時間は、長く見積もっても半年。
だがその前に、身体の変化さえ追いつけず――死ぬ可能性だってある。
だからこそ終活は必要だ。来たるべき日の為に。
高校生が背負う重さではないと思うが、そうなってしまった事はしょうがない。
私に出来る事は、この男がせめて人として終われるように祈るだけだ。
どうか。
どうか、この冴島隼人という一人の高校生が、悔いなく人として生きれますように。
真っ白なシャツの一部が、血で赤黒く染まっていることが、まるでこの男の変貌を表しているかのようで、私は酷く嫌気がさした。
この男の、悟ったような表情が辛くて。
高校生がしていい表情では無くて。
私は、どうにもできない無力感を感じて――どうにもできない事実を突きつけられ、それの重さに耐えきれず、逃げるようにその場を後にした。
――隼人視点――
あれから着替えて登校し、いつも通りの時間を過ごし――
『戦略Ⅰ』の講義が終わったようで、強襲科からキンジが出てきた。
キンジは俺が居る事に気付いたらしく、此方に駆け寄ってくる。
「隼人、待ってたのか?」
「――ああ、暇だったしな」
「そっか、悪いな。待たせちまって」
「別に必要な事だろォー?気にすんなよォ......なぁ、帰ろうぜ」
2人で駄弁りながら、かさかさ、と街路樹の落ち葉を踏んでバス停に向かっていると......
隣の通信科、その裏口から数人の女子がキャッキャッと笑いながら出てきた。
その女子達は、ぽーい、とそれぞれ持っていた箒を通信科の校舎裏――鉄柵の向こう、人工の林に投げ込んだ。
――何やってんだァ?
「なっちー!後はよろしくねー!」
などと林の方に手で作ったメガホンで言った女子達は、商店区の方に行ってしまう。
――なっちー?......中空知?
「......あ、は、はい......」
誰も居ないと思っていた林の中から声が聞こえた。
がさごそと音だけがするのが不思議で、キンジと一緒にそっちを覗くと――
誰かが薄暗い林の中で落ち葉を掃除しているみたいだった。
あれは......やっぱりそうだ、中空知だ。
「......中空知?」
キンジが声を掛けると、びくうっ!
中空知は箒を抱きしめる様にして身震いした。
その動作で、落ち葉を入れていた大きなゴミ袋が箒に引っかかり......わしゃあ。
倒れて中身が零れてしまっている。
「ダメだろキンジィー。中空知は男が苦手なんだからよォー」
「そ、そその声は――と、おと、とおやま、おとこ、おとこやま君と、さ、さえ、えさじ、えさやりじま君!」
「誰だよそれ!知らねーよ!?」
このイイ感じにドモった喋り方、間違いなく中空知だ。
「まぁいいや。中空知、掃除一人でやってんの?」
「さっきの奴ら、当番だろ?」
俺らのせい......本当はキンジのせいだけど袋を倒してしまったので、片付けようと林の中に2人で入ると......
「は、はい、でも、その、私、他の当番の人たちに、頼まれちゃったので」
がさがさとひどい内股で俺たちから後退る中空知は、背中が木にあたり「ひっ」と一人でビビっている。
――こんな子が無線やらなにやら通せばあんだけ凛々しい声になるんだから不思議だよなぁ。
てかこれ頼まれたんじゃなくて押し付けられたって言うんじゃ......
林自体はそこまで広くもないが、落葉を始めている今の時期に一人で掃除をさせるのは中々に酷だと思う。
キンジを見ると、キンジも同じことを考えていたのか俺を見てくる。
お互いに見合わせた後、頷き――
「中空知、手伝うよ。箒借りるぜ」
「ふ、ふぇえ!?」
箒を拾い上げ、落ち葉集めを手伝うことにした。
それを見た中空知は、
「あ、あ!いいんです、別に、いいんで......ひっ、ひっく、ひくっ、ひっ、くぅ!」
慌て過ぎたのか、しゃっくりを起こしてしまった。
「いいよ、手伝うよ。武偵憲章1条だ」
ぶっきらぼうに言うキンジに苦笑しつつも、俺も便乗する。
「そーそー、武偵は助け合いだろ」
「はひっ......ひくうっ、あ、ありがとうこいしますっ!ありがと、うざいます!」
ぺこりー!
箒を抱きしめたまま、中空知は真っ黒な長い髪を揺らして深々と頭を下げる。
――声量は意外とあるんだなぁ。
結構大きい声が聞こえたので、ちょっとびっくりした。......ちょっとだけね。
ちょっと驚く俺たちの前で中空知はゴミ袋に飛びつき、思いっきりしゃがみ込んだ。
そして零れた木の葉をわしゃわしゃと袋に詰め込んでいる。
さっきまで緩慢だった動作が思いの外俊敏になった事に、口笛をヒュウ、と吹いた。
――ケッコー速ェじゃん。
膝をぴっちりと揃えて座らないから、中空知の下半身のガードはガバいなぁ、と思いつつもそっちを見ないようにして落ち葉を箒でかき集めていく。
その時に、キンジが息を詰まらせるような声を漏らした。
――さては見たな?分かってるのになんで覗くんだこのタラシ野郎。
「......?目、どうしたんだ」
キンジが中空知に話し掛け、内容が気になったので振り返って中空知の顔を見ると、成程、確かに眼鏡がない。
「あっメ、メガネっ!これはその、授業で、不調でして。顔にボールが、えっと、その。体育の授業で、バレーボールが、不調で、メガネが不調でして、その」
「ああ、体育の授業で調子悪くて顔面にバレーボール貰ったのか」
キンジが呆れた様に代弁すると、中空知はコクコク!と首を凄い勢いで上下に振って同意を示した。
「ていうか、それ......敬語だよな?同級生なんだから、タメ口でいいぞ」
「好きな口調で喋ってくれればいいからな」
「だ、男子、お、おとこっ。わ、私、その......男子と全然喋ったこと、全くないから......つい、けっ、敬語になっちゃうんです、すっ、すいません!」
がさぁ。
中空知は落ち葉の袋に入り込みそうな勢いで頭を下げた。
「そっそれに、わ、私、舞い上がっちゃって、と、遠山君や冴島君を、作戦中、カメラ映像で見ただけ、だったから、映画、ドラマの、中の人に、ああ、あ、会えた様なっ気分で......急に、喋りすぎちゃって、話し掛けられたら、舞い上がって、しまって、しま、しましま」
壊れたロボットみたいな喋り方になってきた中空知。
――映画やドラマの中の人みたい、かぁ。嬉しい事言ってくれるなぁ。
「わかった、わかった。もう敬語でいいから。ほら、落ち葉を集めるぞ」
作業を止めてしまった中空知をキンジが再起動させつつ......キンジと俺は箒で落ち葉を集めて――中空知がチリトリでそれを受け取って袋に放り込む。
指示さえすれば中空知はしっかりと動いてくれるので、掃除自体は予想より早く終わった。
「こんなモンじゃね?暗くてよく見えねーけど......まぁ、こんなモンだろ!」
「は、はい。草と落ち葉が、こす、こすれる、音も、しなくなりました」
と、中空知がゴミ袋の口を結んでいると......
パプァー!
通信科から出て車道を横断しようとした生徒に、自動車がクラクションを鳴らす音が響いた。
「ひぃっ!」
中空知はその音に怯えて飛び上がり、袋を投げ出して、近くにいたキンジの腕に飛びついた。
「おっと」
放り出されたゴミ袋をキャッチする。
キンジと目が合ったのか、中空知は――
「え、あ、い、ひぃ!」
ゴツゥ。
意外なパワーをもってしてキンジを突き飛ばした。
突き飛ばされたキンジは、後頭部を木の幹にぶつけて若干悶えている。
つよい。
「ち、ちが!違うんです!腕をつか、掴んだのは!目が合っちゃったのは、違うんです!妄想とかしてません!」
――えぇ......
「も、もも、妄想なんかしてません!いやらしい事なんて考えてません!そっ、そこの!林の奥とか、人目に付かない草陰とか!して、して、ません!」
「えぇ......」
「分かったから落ち着け、喋るな」
困惑する俺と、イライラした感じのキンジ。
キンジが喋るなと言うと、中空知は高圧電流でも食らったかのように身体を伸ばした。
「そ、そそそんな、強引なっ!でっ、でもでも、掃除も終わった事ですし、それならっ!さ、先に、草陰に敷物を敷きます!しばらく待っていてください」
「オメーは何を言ってんだ」
「とりあえず落ち着け」
頭を抱えて溜息を吐く俺と、中空知の腰をバシッと箒で叩くキンジ。
さっきからずっとこんな感じだな。
「ほら、さっさと片付けるぞ。終わるまでお喋り禁止。いいな?」
俺がゴミ袋を持ち上げ、キンジが中空知に言い聞かせて、中空知は口を片手で押さえてコクコクと頷き、わたわた箒を片付けに行く。
武偵でこんなにビビりなのも珍しいキャラだよなぁ。
バス停で、2人と一緒にバスを待っていると――
「と、遠山君、冴島君。ありがとう、ございました」
「いいよ別に。ちょっと掃除を手伝っただけだろ」
「そーそー、繰り返しになるけど武偵は助け合いだろォ?」
「わ、私、誰かに、こ、ここ、こういうの、手伝ってもらうの、初めてでしたから。私、友達とかジャ、ジャンヌさん、ぐらいしか、いないので」
「え?」
――ジャンヌと、友達?中空知が?
「中空知」
「は、はい?」
知らないかもしれないが、聞いておかなければいけない。
「――ジャンヌは、今どこにいる?」
ダメ元で、聞いてみると――
「え、え、あの、ジャンヌ、さんなら――私の、部屋に、相部屋という形で、居ます」
衝撃の展開が、やってきた。