キンジと一緒に裏路地から抜け出し、救護科の薬局で頭痛薬を買ってから外に出ると、レキとハイマキに遭遇した。
話を聞くところに寄ると、マジにキンジに婚約を申し込んだレキは四六時中キンジと一緒にいるつもりのようだった。
なるほど、俺が居ても話も出来ずに辛いだろう。特にキンジがやろうとしている事は、細心の注意が必要だろう。
「おいキンジ」
「なんだ隼人」
「ほれ」
「ん?げぇっ!?おま、おま、お前、何だよこれ!」
呆けてるキンジを呼んで、財布から諭吉さんを1枚出して渡すと、キンジはすごい変な声を上げて諭吉さんと俺を交互に見てくる。
「ご祝儀」
「ぶっ殺す!」
キンジが掴みかかってくるので掴まれて、耳元に顔を寄せて話をする。
「...どうせレキの信者共が学園島の飯屋を監視してる。台場に行って美味いモンでも食って来い。オメー金ないだろ、色々修理とかしてるし」
キンジにそう言うと、キンジはすごく驚いた顔をして、俺を見ている。
「言っとくが俺ぁオメーの財布やってるワケじゃねぇぞ。どうせ『リマ症候群』でもやるつもりなんだろ?しっかりやって、しっかり仲直りしとけよ」
「...すまん。恩に着る」
「別にいいよ。いつも通りオメーと、バカやれれば俺ぁそれで満足だ」
「......隼人、ありがとな」
「おうよ」
俺が拳を突き出すと、キンジも申し訳なさそうな顔で拳を突き出した。
コツッ...と、静かに拳と拳がぶつかり合う。
「頑張れよ、キンジ」
「ああ...何時か、必ず返すよ」
「期待せずに待ってるぜ」
「...この野郎」
キンジに茶化した様な返事をすると、ようやくキンジが小さく笑った。
「じゃ、俺ぁこのまま帰るから......レキ、ハイマキ、またな」
「はい」
「がう!」
最後に軽くハイマキの頭を撫でてから、足を男子寮へ向けた。
「ただいま」
玄関の扉を開けて、靴を脱ぎながら帰宅を知らせる。
キッチンからスリッパを鳴らしながら、エプロン姿のジャンヌ...では無く、カナが出てきた。
「おかえりなさい」
「おろ...珍しい。ジャンヌは?」
「チームメンバーにする子たちと外食ですって」
「へぇ。やっぱりジャンヌは来ないか」
「ええ。隼人くんや理子と一緒に居られるのは魅力的だけど、アリアやキンジが居るだろうし行きたくないって」
「理子?理子も入るのか?」
「だと思うわよ、キンジたちの事だし」
カナがそう言うと、なんとなくそうなんだろうな、と思えてくる。
「それより隼人くん、何か...言う事ない?」
「へ?」
「いーうーこーと...なーい?」
カナはいい笑顔で、詰め寄ってくる。
何かしたっけ。記憶にないぞ。
「え、えーと...悪ィ、わかんね」
俺はそう言うと、カナは少し目を見開いてから、溜息を零した。
「黒い髪のツインテールの子に会わなかった?」
カナが言う人物には、一人だけ心当たりがあった。
「...ああ、『万能の武人』、ココって名乗ってた」
「やっぱり、ココか」
「知り合いか?」
そう尋ねると、カナは真剣な表情で俺を見てハッキリと告げた。
「イ・ウーに関わってる組織の一人よ」
「!」
イ・ウー。聞くのも嫌だったあの組織の名前が、再び耳に入る。
脳内に1か月前のシャーロックとの闘いがフラッシュバックしていく。
――激闘、だった。
だが、ここにきてまたイ・ウーか。
「ココは『藍幇』に所属している幹部の一人で、射撃、格闘から、爆弾に、乗物の操縦...なんでもできる、正しく『万能の武人』よ」
成程、大したチート野郎だ。
「狙いは、俺たちか?」
「かもしれないわ。いい?『修学旅行・Ⅰ』では十分に警戒すること。私はこれから寝るわ。家を出て、ホテルで休むの」
「...帰ってくるだろーな?」
「心配しなくても大丈夫よ」
カナはクスクスと笑って、料理を再開した。
カナが作ってくれた和食はかなり美味く、特に、肉じゃがやサバの味噌煮は絶品で...俺好みのいい味だった。
それから片付けをして、カナは荷物をバッグに纏め終わったのか声を掛けてきた。
「じゃあ、行ってくるわ」
「ああ、いってらっしゃい」
「...こんな会話をするのも、久しぶりね」
「これから飽きるくらいには、やるだろーよ」
「それもそうね」
カナは微笑んで、玄関へ向けて歩いて行く。
俺も見送りをしようと玄関まで行く。
「それじゃ...暫く離れるわ」
「ああ...次に、
「それは分からないわね」
「まぁそうだろうな...じゃ、気を付けてな」
「ええ」
手をヒラヒラと振って、カナに暫しの別れを告げる。
ドアがガチャンと閉まり、静かな空間が戻ってきた。
リビングまで引き返して、久々に独占できたソファに寝っ転がって、本屋で見つけて衝動的に買ってしまった雑誌を読む。
表紙に『光の速さとは!時間とは!様々な学者たちの見解をこの一冊に纏めました!』と書かれていたのでつい...本当に衝動買いだったと思う。
パラパラと捲って、面白そうな部分だけを見る。
「おぉ?『速度を上げたとして、結局他の人物や物体の時間を早くしたり、遅くしたりする事はできない。何故なら、自分が早いだけであり、現在が止まっている...ようには見えても、決して過去を見る事はできないし、自分がどれだけ急いでも未来に行くことは不可能である』...か。どうなんだろォなぁ...実際」
それからまた更にページを捲っていくと、『光速を超えると計算上動いてる奴の時間はマイナスに進んでいることになる』、『光速など、と考えなくても、観測者より早く動けば、それは観測者よりも未来にいる、ということになる。時間とは個人個人が曖昧に捉えている、存在の証明に過ぎない』、『現在我々が光より早い存在の確認が出来ないのは、ヒッグス場によって発生したヒッグス粒子が生み出す壁に衝突し、速度が質量に変換される為である』等と言った頭の痛くなる物の数々がそこに載っていた。
「えーと...『...我々のような一介の、何の力も持たない存在では肉体が高速に到達する事は不可能である。だが、我々だけが持ち得る、光よりも早く動く事が可能な存在が一つ在る。それは、思考だ。我々には光に劣らぬ速度で脳を駆け巡る思考がある。目には見えぬが確かに存在する思考速度で我々は常に考えているのだ。考えるという事は時間が進むという事である。つまり、どれだけの速さで過ごそうと、明日は確実にやってくるのだ』...良く分かんねぇや」
雑誌を最後まで読み、机の上に放り投げる。
そのまま天井のシミを数えるのにも飽きて、携帯をイジろうかな、と取り出した所で着信が入る。
電話を掛けてきた相手は――――アリアだった。
胃がギチギチと音を立てて締め上げられていく気分になる。
やや震える手で、携帯を開けようとするが、上手く開いてくれない。
何度目かのミスの後、爪を隙間に食い込ませて無理矢理携帯を開け、通話開始ボタンを押す。
「はい、冴島です」
『......ハヤト?』
「アリアか。どうした」
もう胃が痛い。嫌な予感がする。
『......』
「黙ってちゃあ...何も、伝わらんぜ」
『......怒らない?』
アリアは本当に、怯えるような、泣きそうな声で話しかけてくる。
「ああ、怒らねーって...ほら、何かあったんだろ?キンジの事か?」
『...うん。キンジがね...レキと、一緒に居たの』
「それなら、俺も見たな」
『それだけじゃないの。レキが...教務科に...勝手に、キンジと2人だけのチームを申請をしてたの』
――何?そりゃ初耳だ。
レキがやったソレは、チームとして組み上がろうとしていた生徒たちの輪をぶち壊す、タブー中のタブーだ。
「何だと?そりゃあマジか?」
『うん...その事を、キンジに強く当たりながら...聞いたらね?あたしには、関係ないん...だって...』
携帯越しに泣きながら話すアリアの声だけが聞こえてきて、どうしたもんかと頭を抱える。
キンジもキンジだ。幾らストレスが溜まっているとは言え...何も、そんな最悪な、地雷原のど真ん中でタップダンスをしなくても良いだろうに。
『キンジはね...国際武偵連盟にチーム名を登録して、互いを助け合って...チームを解散した後でもそれが残り続けるっていう話を、あたしがしたら...』
「...したら?」
『――そんなもの、残さなくていいって......』
あー...
『それにね?...来年になれば、武偵高から出ていくから、関係ないって...チームなんて、どうでもいいんだって...』
「そっか...そりゃ、辛かったよな...」
『うん...うん...』
確かにキンジは、武偵を辞めたがってた。色々あって、金一が生きてるって分かってもそれは変わらなかった。
キンジは武偵を辞める為に、アリアとコンビを組んだ。
だからきっと、『思い出』を残したくなかったんだろう。
未練が増えるから。
だが、言い方が余りにも酷い。
キンジの話し方から察するに、伝えたい気持ちの方を全部仕舞いこんで話してる。
これじゃ、こうなるのも当然だ。
『それでね...レキと、喧嘩になって――あの子、銃剣を突きつけて来たの。明確な、殺意を持って』
「何?そりゃ...ルール違反だろ」
『うん...それでね、レキに...二度と、許さない...絶交だって...言っちゃったの』
「そう、か...そっか...」
胃が、ギリギリと...痛む。
『どうしたら、いいと思う?教えて...助けて、ハヤト』
――そんな、の!俺がッ!聞きてぇえええええええ!!!!!
心の中で、全力で叫ぶ。
もうキンジお前マジでいい加減にしろよ、とか...どうしてこう地雷を踏み抜くのが上手いんだ、とか...胃が痛い痛い痛い、ぽんぽんぺいんだよぉ...とか思いながら、頭の中はどんどんクリアになっていく。
『修学旅行・Ⅰ』で...いや、アリアは途中で裁判があるから離れて...最終日くらいには戻るはずだ...と、なれば裁判前に畳みかけるしか...出来るのか?
く...手が、見つからない!
「......俺が、キンジを説得する...だから、アリアも...熱くならずに...キンジに、接してやってほしい。アイツは...恥ずかしがり屋なんだ...」
苦肉の策が...延命措置にも似た、無情な時間稼ぎ...!
時間が解決してくれるワケではないと散々言っておきながら...!
思い付いた手段が、時間を稼いで、双方の頭を冷やした状態でもう一度話すという...古典的!余りにも古典的な手段...ッ!
『それで...仲直り、できる?』
「わからん...だが、アリア。旅にトラブルは付き物だ。トラブルを利用して――キンジと、レキと...仲直りできるかもしれん。だが、3日目は帰る日だ。どうにか、そっちで頑張ってくれ」
『...分かった。頑張る』
「よし...じゃあ、切るぞ?おやすみ」
『...ありがとうね、ハヤト。おやすみ』
ピッ、と無機質な音が鳴って、通話が終了する。
携帯の画面を見て溜息を吐くと、携帯がまたブルブルと震え、恐る恐る画面を見るとメールが着た。
差出人はアリアからで、短く『ありがとう』とだけ書かれていた。
リビングのテーブルにある胃薬が入った瓶を掴み、乱暴に蓋を開けて2錠取り出し、飲み込む。
――やってられねぇ!
泣きたくなったが、泣いても何も解決しないことは分かってる。
深く息を吐いて、天井を見上げると、少しずつ眠気がやってきて―――
何時の間にか、寝てしまった。
それから数日の間に、キンジにも色々と相談され、それに応えてたり、ハイマキに魚肉ソーセージを食わせたりしていた。
そして、今日は平賀さんからメールが届いたので、装備科に『改修』が終わったフックショットを取りに来ている。あと、7月の終わりから平賀さんに頼んでいた物も出来たらしいのでそれも取りに来た感じだ。
平賀さんの作業室をノックすると、中から声が帰ってきた。
「開いてるのだー!」
その声を聞いてから、扉を開けて入る。
「おっすー...頼んでた物、出来たか?」
「出来てるのだ!」
平賀さんはそう言いながら少し奥へ入っていき、作業台の下から金属のケースを取り出し――黒色のプラスチックケースも持ってきた。
「まずコッチから見せるのだ」
平賀さんが黒色のケースのロックを解除して、開ける。
中に入っていた物はアームフックショット...その改修型。
それを目の前に1つ置く。
「ワイヤーの延長機能を失くした代わりに、巻き上げ能力を強化してあるのだ!それに、フック部分を改善して、フックを1つから、2つに増設したのだ!これで高速移動も可能なのだ!それと、前回使い辛いと言われたボタン操作の部分を全部...グローブと一体型にして、人指し指の第一関節あたりに集めたのだ。ワイヤーの切断ボタンは、延長機能の廃止と一緒に廃止して、ある程度巻き上げた所で自動的に切断されるようになったのだ」
平賀さんはそう説明しながら、
「これが、左腕用のフックショットなのだ。両腕にコレを付ければ、縦横無尽、何処でも好きな様に移動できるのだ!」
「...ああ、ありがとう」
平賀さんにお礼を言いつつ、両腕にアームフックショットを装備していく。
腕に通すと、センサーが作動して空気圧で腕をある程度締め付けてくる。
そのままベルトで締めて、最後にペラペラと浮いているグローブに指を通し、完全に装着する。
もう片方の腕も似たような事をして、装備を終える。
「似合ってるのだ!かっこいいのだ!」
「中々に、ゴツくて...そこそこ重いな」
「それでもかなり軽量化できた方なのだ!それはさておき、冴島君の本命は...こっちなのだ?」
平賀さんが金属で出来たケースを、IDカードを通して第1ロックを解除して、指紋認証で第2ロックを解除して、声帯認証で第3ロックを解除して、最後にパスワードを入力すると――ガチャリ、とロックの外れる音が聞こえた。
平賀さんがそっとケースの上部を持ち上げて、中を見せてくる。
中に入っていたのは、スプリングブーツ。但し、俺の履いてる物よりもずっとゴツい。
「これは、今冴島君が履いてる物よりもずっと危険なのだ。その理由がコレ...」
そう言って、平賀さんは腕時計を見せてきた。
「この腕時計はこのスプリングブーツVer2.0.1で追加された機能を解放する鍵なのだ。そして、追加された機能こそ最もこのスプリングブーツを厳重に保管する意味でもあるのだ」
平賀さんはそう言いつつ、腕時計をテーブルの上において、ブーツを取り出す。
「まずは通常の機能から説明するのだ。スプリングブーツの跳躍力を、最大4mから15mに強化したのだ。かなり強力な圧縮の仕方をしていて、そのせいでかなり高温になるのだ」
「と言うと...どのくらい?」
「通常の限界値で90度くらいなのだ。まぁこれは常時放熱しているから、そこまで問題じゃないのだ」
「ふむ」
平賀さんは話し終えると、一旦顔を上げ、きょろきょろと回りを見渡してから、再び顔を寄せてきた。
「...でも、跳躍能力の向上は副産物的な物で、冴島君に渡したいのはコッチなのだ」
平賀さんは、テーブルの上に置いた腕時計を持ち上げる。
「それは?その腕時計が...何かあるのか?」
「これはさっきも説明したけど、鍵なのだ」
「鍵?」
「そう、鍵。これ、この腕時計に付いてるボタンを押すと――」
平賀さんが腕時計のボタンをカチ、と一回押し込む。
『Are You Ready ?』
と、無機質な男の声が聞こえた。
「ここで、3秒以内にボタンをもう一度押すのだ。けど、今は止めておくのだ」
「何だそりゃ」
俺が平賀さんに頼んだのは、ジャンプ力の向上だけだったはずだが...
「簡単に説明すると、足回りに分厚い断熱材と、外側に放熱板を仕込んだのだ」
「なんでそんな...熱で足が焼けるのか?」
「そうなのだ。でも、もっと恐ろしい攻撃に使うために昇華させたから、という理由もあるのだ」
――もっと、恐ろしい?
「どういうことだ」
「――さっき、腕時計のボタンを一度押したのだ。あれを、あと2回繰り返せば...このブーツの真価が発揮されるのだ」
「真価?」
「跳躍するためのスプリングの圧縮をより強めて...跳躍機能をロックするのだ。そして、普段は開いている放熱部分を閉じて――熱を閉じ込めるのだ」
「そんな事していいのかよ」
「勿論ダメなのだ。でも、これでブーツの外側に位置するつま先、踵、裏の温度は、120度を超える高熱になるのだ」
「120...!?」
120度。触れたら熱いじゃ済まない温度だ。
「その状態で、1分は平気だって結果が出たけど、安全性を考慮して30秒間に限定したのだ。その為の、腕時計型制御装置なのだ」
そう言いながら、平賀さんはスプリングブーツと腕時計を手渡してくる。
「この強制的に熱を溜めて、攻撃に転換させるシステムを...『
「オーバー...ヒート...」
ブーツを、じっと見つめる。
「くれぐれも、扱いには気を付けてほしいのだ」
「...ああ、分かった。代金って幾らくらい?」
「ブーツに関してはサービスなのだ。お会計はアームフックショット1本分でいいのだ」
平賀さんは笑いながら言ってくる。
「ヤケに気前がいいじゃねぇか...何か良い事でもあったかァ?」
「元々アレは試作品を渡しただけで、これとか、それとかもまだ完成してないのだ。だから、最初の料金だけで元は取れてるのだ」
「成程ね」
カードを取り出して、会計を済ませる。
「ご利用ありがとうございましたなのだ!」
「また来るよー」
そう言って、平賀さんの作業室を後にした。
新型ブーツに、アームフックショットが2本。
装備は充実してきた。
イ・ウーに関わってるココがいる以上、警戒はしないとダメだ。
波乱の9月は、始まったばかりだ。