「ああ、そんな...どうすれば...!止血、止血しないと!」
血がどく、どく、と脈打つ様に流れていく俺を抱えているカナは、顔を青くしたままオロオロとしていたが、すぐにハッとしてポケットに手を突っ込んでいる。
B装備の防弾ベストを貫通する弾丸...一発、掴んで...見たから間違いない。
AP弾...アーマーピアシング弾を、撃ちこんできやがった...!
弾芯に鉄ではなく鋼鉄やタングステンを使って重量を増し、先端を尖らせた弾芯を露出させることで貫通力を高めた弾丸。
だが、AP弾でよかった。俺は、ツイてる...!
通常の弾丸は、堅い物体等の目標に命中し、内部に潜り込んだ後殺傷力を高める為に『破片』として砕けていくものだ。
故に弾丸の被膜は銅などの柔らかい素材で出来ていることが多いが、このAP弾は貫通力を上げる為に弾芯をタングステン、つまり滅茶苦茶硬い金属で作っている。
そしてそれは胴の被膜の面積を減らしているということであり...『破片』が広がりにくいということだ。その代わり衝突した衝撃で、着弾した範囲の肉はグチャグチャになってるし、その近くを通っていた血管も、筋肉もズタズタに引き裂かれている。
血管を抉られたのか血は止まらないが、まだ大丈夫だ...死ぬような、レベルじゃない。
――滅茶苦茶痛いけど、生きてる...!
カナが取り出したハンカチで右肩の傷は押さえられ、圧迫止血して貰っている。
太ももの方も、キンジが武偵手帳に挟んでいた厚手のガーゼを押し付けて止血してくれている。
撃たれた場所...銃創の奥。丁度、骨がネットのようにAP弾を止めている。止めてしまっている。感覚で、理解できる。
放たれた弾丸から漏れる熱が、肉を、血を、骨を、筋肉を、血管を、細胞を焼き焦がしている。
あの野郎が、狙ってやったとしか思えない。
そんな時に、アンベリール号がズガンと大きく揺れる。
「何!?何が起こったの!?」
アリアが叫んでいる。
横倒しになった棺の蓋を開けて、パトラが飛び出してくる。
そして俺たちを一瞥して、船の後方へ消えていった。
「恐らくMk-60対艦魚雷だ!イ・ウーが撃ちやがった!」
キンジが一切目を向けずに、銃創の方から心臓に近い方をロープで縛り上げられる。
「ぐ...!ぅああああっ!!」
「我慢しろ!」
ロープでギチギチと締め上げられ、傷が痛む。
「病院には、送れない...!どう、すれば...」
キンジも、カナも止血で手一杯になっている。
パトラが顔を青くしてこちらに戻ってきていた。
「マズいのぢゃキンイチ!『教授』が、こちらへ来る!」
パトラの焦燥した声がカナを更に絶望へ追いやる。
空を見上げる事しか出来ず、状況がどうなっているのか把握できない。
ごすん、とアンベリール号が大きく揺れ...1人の男の声が聞こえた。俺の物ではないし、キンジの物でも、金一の物でもない、新しい人物の声だった。
「――もう逢える頃と、推理していたよ」
ただ、それだけの言葉なのに、俺は敗北を悟った。
勝てない。そう、理解した。
ブラドでも味わった絶望とは、正に格が違う。
姿さえまともに見れていないのに、声を聞いただけで『敵わない』事が理解できた。
「卓越した推理は――予知に近づいていく。僕はそれを『
「――」
カナは、絶句している。顔を青くし、肩を震わせている。
「さて、遠山キンジ君、冴島隼人君。君たちも僕の事は知っているだろう。いや、こう思うことは決して傲慢ではないことを理解してほしい。なにせ、僕は嫌と言うほど映画や書籍で取り上げられているのだからね。でも、可笑しいことに僕は君たちに、こう言わなければならないのだ。なにせ、今ここには僕のことを紹介してくれる人が1人もいないのだからね」
回りくどい、長ったらしい喋り...それが終わり、一拍置いてからまた話し始めた。
「初めまして。僕はシャーロック・ホームズだ」
―知ってるよ、このクソッタレ...!
シャーロックは、カナを、パトラを、キンジを、俺を攻撃しようとする素振りは一切ない。
「アリア君」
シャーロックが静かに、曾孫の名前を呼んだ。
「時代は移ってゆくけれど、君は何時までも同じだ。ホームズ家に伝わる髪型を、君はきちんと守ってくれているんだね。それは初め、僕が君の曾お婆さんに命じたのだ。いつか君が現れることを、推理していたからね」
コツリと、足音を立ててシャーロックが移動する。恐らくアリアの前に、移動した。
「――用心しないといけないよ。鋭い刃物を弄んでいると、いつかその手に怪我をすることになるのだからね」
キンジか、カナか...何方か、あるいは2人が構えようとしたのを、シャーロックに注意されたのだろう。
「アリア君。君は美しい、そして強い。ホームズ一族の中で最も優れた才能を秘めた、天与の少女――それが君だ。なのに、ホームズ家の落ちこぼれ、欠陥品と呼ばれ――その才能を一族に認められない日々は、さぞかし辛いものだったろうね。だが、僕は君の名誉を回復させることが出来る。僕は――君を僕の後継者として、迎えに来たんだ」
「...ぁ...」
アリアの掠れるような声が聞こえる。
「さぁ、おいで――君の都合さえ良ければ、おいで。悪くても、おいで」
――どっちだよ...!
「おいで、そうすれば――君の母親は、助かる」
アリアの、息を呑む音がはっきりと聞こえる。
そのセリフは、卑怯だ。お前たちが着せた罪じゃないか。それを、利用するなんて...卑怯だ。だが、最も『確実』なカードの切り方だ。
「さぁ、アリア君。――とかく、好機は逸して後で悔やむことになりやすいものだからね。行こう、君のイ・ウーだ」
「...アリア!」
シャーロックの気配が、遠ざかっていくのが分かる。アリアも、連れて行かれたのだろう。
キンジが叫ぶ。
「アリアァアアアアアアアアアアアッ!!!!」
銃創を押さえたハンカチが、鮮血に染まり赤くなっている。
カナの顔色は、まだ悪い。
キンジはアリアを、シャーロックを追おうとしている。
――俺も、キンジを手伝わねーと...!
「...カナ、頼む...
その言葉を聞いて、カナは顔を下に下げてくる。
「...正気?消毒液もそんなにあるワケじゃないし...ここは、揺れている船の上よ!?」
「...頼む」
「...!どうして...」
「キンジが、苦しんでる...アリアが連れてかれた...アンタ言っただろ、キンジを助けてくれって。それに俺はこう答えたはずだ...『俺は、俺の成すべきと思ったことをする』」
心は折られた。細胞単位で、勝てないと教えられた。
でも、教師のようなあの態度が気に入らない。
――だんだん、むかっ腹が立ってきた。
それはきっと、教師に対する『反骨心』のようなもので、一方的に上から物を言うような話し方...態度。それが、堪らなく気に入らない。
「アリアを、キンジを、助けるんだ。だから、早い所...
ここが船上であること、消毒液の数が無い事も、レントゲンも撮れないから銃弾の正確な位置も分からない。だがそんなこと百も承知だ。
「キンジ...悪ィな...早くアリアを助けに行きたいんだろーけどよォ...ちょっと、暴れちまうかもしれないから...押さえてて、くれねーか...?」
「隼人...お前...」
「頼むよォー......なっ?」
へへ...と、笑いキンジを見る。キンジの目尻には、涙が浮かんでいる。
「カナ...これを、使って...くれ」
武偵手帳のパッケージ部分を開いた状態でカナに渡す。
そこには応急処置用の、ライトとピンセットが入っていた。
「オメーのその、感覚を信じる。だから、俺を...信じて、やってくれ」
「...本気なのね?」
「......ああ」
銃創をライトで照らしながら、揺れる船上でピンセットを使い、傷口を掘り返しながら銃弾を摘出してくれ...と、カナに頼む。
「...失敗することは、考えないの?」
カナが準備をしながら不安気に尋ねてくる。
「俺の信じる、お前を信じろ」
「...分かった。あなたが私を信じてくれるなら、私はそれに応えるわ」
カナが俺のナイフを抜いて、銃創周辺の装備や衣服を剥いでいく。
露出した肌と、痛々しく裂けた銃創でも見えたのだろう。カナは顔を少し顰めている。
そして、消毒液でピンセットを消毒して俺を見る。
「...死ぬほど痛いわよ」
「覚悟は、出来てる」
そう言ってから左腕で自分のシャツを襟元から引っ張り出して、口元に持っていき思いっきり噛む。
「ふぅー...ふぅー...」
「...キンジ、しっかりと押さえて。いいわね?」
「ああ」
キンジは体重を掛けて、俺の体を押さえ込んでくれる。
「肩からいくわよ」
カナが、俺の目を見て聞いてくる。
コクリ、と頷いて目を閉じた。
次の瞬間。
グチャリ、と異物が体内の擦り切れて神経が剥き出しになった箇所を、神経や組織を掻き混ぜるようにして入ってくる。
「――――――ッッッッッ~~~~――――!!!!」
体が余りの激痛に跳ねようとするが、キンジがそれを押さえてくれる。
おかげで、ビクリとも動かない。
閉じかけていた肉が無理矢理開かれ、探るような手つきで進んでいく。
ブシュリ、ブチュッ...クチャ...と水のような音を立てながら異物は骨に近づいてくる。
「フーッ...~~~!!......フスー...―――――――ッ!!!!」
噛んだシャツだけは絶対に離さない。
きつく閉じた目からは、痛みを訴えて涙がボロボロと零れ落ちていく。
「我慢しろ隼人、頑張れ!もうすぐカナが取り出してくれる。きっと、大丈夫だ!」
キンジが声を掛けてくれる。
どれだけ時間が経ったか分からないが、慎重に...組織を傷つけないように進んでいくピンセットが、コツリと、骨に突き刺さった銃弾の尻に触れたのが分かった。
「...!見つけたわ。ここから、引き抜く。また、激痛が走るけど...大丈夫?」
首をガクンガクンと振りながら応える。
「...ごめんなさい」
ピンセットで銃弾をガチリと掴み、慎重に引き抜いて行く。
銃弾はまだ熱が籠っており、慎重に引き抜くということから、抉られて、斬り刻まれて、グチャグチャに圧縮されて、引き裂かれて、焼き切られて、こじ開けられた肉と神経と血管の『細胞の壁』を丁寧に、ウェルダンのようにじっくりと焼きながら銃弾が抜かれていく。
「ぐ...――――ぅ゛......ヴ...フーッ...が―――――――ッッ!!!!」
ピンセットが入ってきた時よりも痛みは強く、焼かれていく感覚が分かる。千切られた血管から滴り落ちていく血液は銃弾の熱で焼かれ、銃弾に触れている肉の断面もブスブスと焦げているのか途轍もない痛みが、表現のしようのない痛みが脳に警鐘を鳴らし続けている。
無限に続いていく灼熱地獄を味わっている。痛みが痛みを呼び、連鎖のように繋がっていく。
「頑張れ、隼人...頑張れ...!耐えるんだ...しっかりしろ、意識を保て...隼人、大丈夫だ、お前は絶対に、大丈夫だ!」
キンジが体を押さえたまま、絶えず励まし続けてくれる。
カナも、揺れる船上でこんなにも丁寧に、ブレる事無く処置をしてくれるものだと感心する。
そして―――
カキン、と甲高い金属音が聞こえた。
「はぁ...はぁ...まずは、一発目...摘出、完了...!」
カナが息を荒げ、右肩に刺さった銃弾の摘出が終わった事を告げる。
「破片は、刺さってないわ...運が、良かった」
傷口に消毒液を染み込ませたガーゼが当てられ、激痛が走る。そのままグルグルとテープを巻かれ、応急処置の一カ所目が終わった。
「次...ふともも...!」
そう、次がある。
二カ所目...左のふともも。
こちらも同じように消毒液を掛けたピンセットで銃創をこじ開けて、入ってくる。
あまりの激痛に声にならない声が上がる。
キンジは、涙を流して俺を押さえ、励ましの声を掛け続けてくれる。
「ぐ――――――ッッッ!!~~~~~~~~ァ゛ッッッ―――――!!!!」
「もう少し、もう少しで、骨に届く!だから辛抱して!」
カナは抉り込むようにピンセットの向きを変え、銃弾を探る様な動きをし始める。
その動作の全てが声にならない声をあげて激痛を訴え、脳がビリビリ痺れるほどの警鐘を訴え続けてくる。
「――嘘...そんな」
「どうした、カナ!隼人は、大丈夫なんだろうな!?」
「隼人くん、聞いて―――銃弾が、乱回転を起こして...中で、上向きに進んでいるの」
その言葉に、キンジが絶句する。
「ピンセットじゃ、届かない」
だから、とカナは言葉を続ける。
「今からナイフをメス代わりに入れて、銃弾のある位置までこじ開けるわ」
その言葉が本当だと証明するかのように、俺のナイフを持ち上げて見せてくる。
そのナイフの刀身に、消毒液をダバダバと掛けて、銃創よりも腰に近い位置の皮膚にも掛けてくる。
「...なるべく、傷つけないようにするわ。大丈夫?」
「―――ヴゥ゛!」
「そう...はっ...はぁっ......――いくわよ!」
ザグゥ!
体が、ズンと浮きかける。
「――――――――――ッッ――――――――!!!!!!!!!」
首だけが、グワングワンと動く。痛みを訴えて、体を動かそうと跳ねる。
それをキンジが押さえてくれる。
「大丈夫だ隼人、お前は男なんだ......だいじょう、ぶ...だいじょうぶ、だがら゛!!」
キンジの声は震え、時折啜るような音や、嗚咽まで聞こえてくる。
ナイフが、ザクリ、ザクリと深くまで入っていく。
痛い。痛いなんてモンじゃない。形容できない。神経の1本1本に針を突き刺されていくような痛み。
それが断続的に襲い続けてくる。
ザグ、グシュリ、とナイフは進んでいき、ピタリと止まった。
「......あった、予想よりも、かなり手前......よかった、これ以上、深く斬らなくて済む」
滝のような汗が流れる。痛みは尚も訴えてくる。
痛い。痛い。痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い―――――
カナが、ピンセットで銃弾の先端を掴み、そのすぐ近く―――取り出す為に、ナイフを少し差し込んでゆっくりと斬っていく。
声にならない声が上がり、脂汗が滲み出てくる。
「もう少し、もう少し...!」
言い聞かせるような声が聞こえ、肉がまた少し裂けていく。
もう、声すら上げられない。
「隼人......グスッ....も゛う゛...す く゛て゛、終 わ゛る゛か ら゛な゛...!」
キンジのすすり泣く声と、何て言っているか分からないような小さな励ましだけが聞こえる。
ピンセットで掴まれた銃弾の先端が、静かに引き抜かれていく。
そして、キン...という音が聞こえた。
「......は......はぁ......摘出、終了......!」
カナは言い終わると、切り口や銃創を消毒していく。
そこから、縫合までやろうとしていたが、それを手で止める。
「どう、したの?」
「ここまでで、いい」
「でも!傷が塞がってない!」
「今から......『治す』」
『リターン』を使って、傷を塞いでいく。
メギリ、と嫌な音を立てて砕けた骨が急速に治っていく。
千切れ、焼け焦げ、擦り切れた神経や血管が、橋を架けるようにして繋がっていく。
グシュリと音を立てて、抉られ、押し広げられ、切り刻まれた肉や筋肉が急速に付いていく。
ボゴボゴと血が沸き立つような感覚を感じとり、皮膚...銃創があった場所は赤い蒸気を上げて塞がった。
――寿命が、縮んだ気がする...!
上半身を起こして、右肩をグルリと回す。
痛みはなく、違和感もない。
汗で垂れた髪の毛を後ろに戻す。
キンジを見ると顔は涙や鼻水でグチャグチャになっていて、呆けたような表情をしている。
カナは、額に大粒の汗を貯めて、ぽたり、ぽたりと鼻や顎から、汗を流している。
カナも呆けたような表情をしている。
「どうした、2人して」
と、声を出して気付いた。
何時もより、声が低い。
叫ぶような声を、出したからとかそういうチャチな理由じゃない。
もっと、根本的な話だ。
「隼人...お前ェ...ソレ...!」
キンジは、それだけ言うと再び涙をボロボロと零して、嗚咽を抑えることなく泣き始めた。
「隼人くん...あなた、どれほど『速くした』の!?」
カナの表情は、強張っていて...俺に説教をし始める。
ワケが、分からない。何が、どうなったのかさえ...分からない。
震える手つきでカナは手鏡を取り出して、俺に向けた。
「なん、だ...こりゃあ...!」
驚きの声も、低い。
カナが見せてくれた鏡に映っていたものは―――――
髪が伸びて、顔つきが大人っぽくなっていた、俺だった。
これが、『リターン』のデメリット。『成長の加速』。