あの『エルゼロ』の一件から更に数日が経過して、今日は6月13日。
忌々しいが潜入作戦開始当日である。
俺の目の前にはキンジ、アリアと...誰だ?見たことの無い奴がいる。
キンジたちに近づいて声を掛ける。
「よォー、俺が最後か?」
「ハヤッチーおっそーい!」
見たことのない女が、理子のような喋り方で注意してくる。
「オメー、理子か」
「理子は顔バレしちゃってるのでー、顔を変えさせて頂きましたー!」
「ほぉーん...」
ふと、理子が携帯を取り出して何か入力して耳に携帯を当てる。
すぐに俺の携帯が鳴り始めて、取り出す。
「...もしもし」
「依頼者です、目の前にいる女の子の依頼を手伝ってください」
目の前の理子がいい笑顔で電話してくる。
頬をピクピクさせながら携帯を閉じる。こんな茶番の為だけに俺の行動を制限されたと思うと若干の怒りが募る。
キンジ、アリアを見るとまた何処かギスギスしている。
見るからにこの理子の顔のことで揉めたのだろう。
キンジの方に近づいて小声で話しかける。
「おいキンジやい、オメー何したんだ」
「...お前には、関係...いや、お前には言っておこう。理子のあの顔は...俺の肉親でな...少し、困惑してた」
キンジが一瞬顔を怒りに歪ませるが、すぐに息をひとつ吐いて、静かに話し始める。
「そーか...それを、アリアには言ったのかよ?」
「......いや。言って、ない」
「そっか。言い辛いことなのか?」
「...ああ」
「ん、分かった。秘密も大事だけどよォー、お前の相棒なんだろ?」
「...」
「話せる時に、話しとけよ」
「...ああ、わかった」
次にキンジと離れて、アリアに話をしに行く。
「よっアリア」
「ハヤト?どうしたのよ」
「ちょっとな、キンジと喧嘩でもしたのか?」
「...キンジが、理子の変装で顔色を変えてたわ」
「ああ、あの女の」
「そう、それよ。...ハヤトは分かる?あの、女のこと」
アリアが不安気に聞いてくる。きっとキンジが取られないか心配してるんだろう。
アリアは妙に子供っぽい。だからきっと、子供みたいな感情を抱いて不安になっているんだろう。
「さぁ...だが、キンジはアリアに話したいけど、話せないカンジだったぜ」
「どういう...こと?」
「よく知らんが、きっとキンジの中でも折り合いがついてねーんだろーな」
「何ソレ、元恋人とか...そ、そういう感じの話?」
「そういうのじゃないって言ってたな。きっとアリアや、俺にも話してくれる日が来るさ」
「...ほんと?」
「ああ、マジだって。キンジは大事なパートナーなんだろ、信じてやればいいのさ」
「――わかった。信じる」
「へっへっ、それでいーんだよ。さっ、いこーぜ」
そう言いながらキンジの方を指さして、アリアの背中を軽く押す。
アリアは少し戸惑いながらも駆け寄っていって、キンジの隣に並ぶ。
それを見届けて、理子に話し掛ける。
「おい、どういうつもりだ理子?」
「んー?なんのことかにゃー」
「惚けるんじゃねぇ、俺らのチームワークを乱そうだなんて、これから先仲良くやりましょうってカンジじゃねーよなぁ?」
「だからさぁー、顔がコレしか無かったの!キーくんも喜ぶかなって思って持ってきたのー」
理子がキャピキャピしながら答えてくる。
「...ああ、そうかよ」
「そうだ」
理子を睨みつけると、理子も変装した顔のまま乱暴な言葉遣いに切り替わる。
暫く睨みあい、互いに前を向いて歩き始める。
――やっぱり理子とは、仲良くなれそうにねーぜ。
横浜へ向かう京浜東北線の車内ではキンジ、アリア、俺、理子の順に並び理子がキンジに接触しないように俺が壁役をしてアリアとキンジは口数が少ないながらも喋りあっていた。
そこに理子がたまに話題を振って、ぶっきらぼうにキンジが答えるとアリアは負けじと別の話を持ち込んでキンジが苦笑しながら答えたりすると、笑顔を見せていた。
これで、少しは関係の改善をしてくれると嬉しい。
タクシーに乗って、郊外にある紅鳴館へ降り立つ。
――こりゃあ、マジに悪魔の館だな...
昼なのに薄暗くて、鬱蒼とした森の奥にあったのは、まるでホラーゲームの舞台に出てきそうな気味の悪い館だった。
「趣味が悪ィぜ」
周囲を囲む鉄柵は、防犯の為なのか、はたまた館の持ち主の由来を強く示しているのか――ドス黒く分厚い雲に目掛けて真っ直ぐ伸びる鉄串を突き上げている。
鉄柵の奥には、茨がビッシリと茂っていて出ていく者を逃がさないと言った様子だ。
それを見てアリアは一歩後ずさる。
理子が正門の前でハウスキーパーを3名連れてきた話をして中へ上がる。
そこで話をしたのは、非常勤イケメン講師の小夜鳴先生だった。
小夜鳴先生は腕にギプスを付けたまま苦笑いをしている。
俺たちもそこそこに苦い顔をしていて、作戦の前提がダメだったんじゃないかと思ったが小夜鳴先生は武偵高の生徒がハウスキーパーなら安心だと言って快く雇ってくれた。
この館のルールなのか燕尾服にメイド服の着用が絶対という事でそれを着用することと、前のハウスキーパーたちが作った手順表があるのでそれを見て適当にやること、小夜鳴先生は多忙なので食事の時だけ声を掛けること、暇なときは遊技場で遊んでいてもいい、という事を言って小夜鳴先生は地下室へ行ってしまった。
「...そんじゃま、働くか」
「ええ、そうね」
「おー、やるかぁ」
アリアと別れてキンジと共に男子更衣室に入る。
燕尾服を手に取ってささっと着替える。
チラリとキンジを見ると、やる気のない執事が出来上がっていた。
――俺もとっとと仕上げねーとな。
ワックスを髪につけて、髪をざっと纏める。
手をおしぼりで入念に拭いて、襟を正す。これで執事が2名出来上がった。
「よし、いくか」
「あーキンジィ」
「どうした?」
「お前...燕尾服似合ってんなぁ!」
「はっ倒すぞ」
キンジは意外と執事が天職だったりするのかもしれない。
キンジはアリアの到着が遅いから、見に行くと言って女子更衣室の方へ走っていった。
仲睦まじいのはいいことだ。
と思ったら帰ってきたキンジが首を痛そうに押さえて帰ってきた。
アリアの顔はやや赤い。
オメーら今度は何したんだよ...。
それから数日が経過した。
キンジは意外と執事がマジで天職なんじゃないかと思うくらいに上手くやっていた。
俺は門番をしたり、館の外を掃除したりして日々を過ごしていた。
キンジは探偵科で学んだ技術と理子が手に入れてきた情報を組み合わせて小夜鳴先生の行動パターン等を研究していた。
俺はと言うと、なぜか知らないがよく小夜鳴先生の少しの休憩時間の間の話相手に選ばれ食堂やガーデンで紅茶でも飲みながら話をしていた。
「冴島くんは、いい生徒で私は安心ですよ」
「いい...生徒...スかぁ?」
小夜鳴先生がニッコリと女受けしそうな笑顔で話し掛けてくる。面と向かってそんな事を言われると少しむず痒い。
「えぇ、少し言葉遣いは荒く授業への出席も疎らではありますがテストの点数は良いですし課題もやっています」
課題をやるのは当たり前の話じゃないのか。
「出来ないなら出来るようになるまでやるだけですよ、俺ぁそうやってきました。体を動かすのは楽だし、すぐに見様見真似で色んなことが出来るんですけどね」
「その出来るようになるまで何度もやるというのが凄いことなんです。ほとんどの人は出来ないことを無理だと言って諦めてしまいます。だから、出来るという可能性を諦めないでやれるようになるまで繰り返すというのは誇って良い事なんですよ」
なんだかすごいむず痒いぞ。こんなに褒められることがあっただろうか。
――なんか、落ち着かねぇなぁ...
少しソワソワして、頬をポリポリと掻く。
「そ、そーっスかぁ?」
「ええ」
――なんか、照れるなぁ
「それに冴島くんは、自分の短所を理解し克服しようとしてるだけで無く、長所をより深く理解して伸ばそうともしている。誰かに頼むことを恥と捉えず、自身を理解してより広い視野の人物や、自分よりも知識のある人の協力を仰ぐという行為も素晴らしい事なんですよ」
そんな感じで小夜鳴先生は俺をベタ褒めして去っていくことが多い。
ただ、あの目が少し怖い。獲物を狙う動物のような目で、ずっと吟味しているかのように目を鋭くして見てくるのだ。
そんなこともキンジたちに話して、行動を浮き彫りにしていく。
潜入作戦10日目。
大人数で食事が出来そうな場所で小夜鳴先生がキンジが焼いた串焼きを食べながらレコードでノクターンを聞いている。
小夜鳴先生が月光に照らされたバラ園を見てどこの国の言葉か分からないものを呟いた。
「フィー・ブッコロス...」
え、ぶっ殺す?やけに物騒だな、と思ったがアリアはそれを聞いてよく分からん言葉を話している。小夜鳴先生はそれを聞いて驚き、アリアと話をし始める。
「これは驚きましたね...語学が得意なんですか、神崎さんは」
「昔ヨーロッパで武偵をやっていましたから...それより小夜鳴先生こそどうしてルーマニア語をご存知なんです?」
「この館の主人が、ルーマニアのご出身なんですよ。私たちはルーマニア語でやり取りをするんです」
ルーマニア語...それを聞いて、キンジと目が合う。
そしてそのまま暫くアリアと小夜鳴先生が話を続けている。
話を聞いているとアリアの喋れる言語が17か国で、どうやらバラ園に生えているバラの品種と同じ数らしい。それを聞いて喜んで酒も入って大らかになっているのか小夜鳴先生が少しハイになっている。
それを見てキンジがイラついている。苦笑を少し漏らして、キンジの肩を軽く叩いて、何度か揉む。
キンジはそれを受けて、同じように苦笑を漏らした。
その日の夜中、回収作戦はプランC21で行くことを伝えられ、俺とアリアが小夜鳴先生を引きつけることになった。
作戦の説明が終わった後、理子が回線を切る。それからしばらくして、アリアとキンジが話し始める。
『キンジ...今のうちに聞いておきたいんだけど...』
『...何だよ』
『カナって誰?』
キンジが息を呑むのが分かる。
俺が口を出そうかとも思ったが、もう少し黙っておくことにした。
『...俺の、家族だ』
『え、でもアンタの家族って...お母さま?』
『いや、違う...それ以上は、まだ言えない...ごめんな』
『そう、そうね...秘密にしておきたいこともあるわよね』
『...悪いな』
『いいのよ、そこまで喋ってくれただけでも...嬉しいわ』
『...そうか?』
『ええ』
『じゃあ、切るぞ』
『ええ、お休みなさい』
それを聞いてから俺も通信を終了する。仲良くやってくれてるようで良かった。
そして、最終日。
『こちらキンジ、モグラが畑に入った。繰り返す、モグラが畑に入った』
キンジが作戦開始を通達してくる。
アリアがそれを聞いて、小夜鳴先生の足止めに行く。
キンジと理子の作戦が進んでいく中、アリアが小夜鳴先生の足止め中に雨が降ってきて会話を中断して屋敷の中に戻って来ようとする。
『隼人、聞こえてるでしょ。小夜鳴の足止めをお願い』
「あいよ」
急ぎ足の中で屋敷に戻ってくる小夜鳴先生とアリアを偶然通りかかって見つけた風を装う。
「ありゃ、小夜鳴先生。濡れてるじゃないですか、どうぞ、使ってください」
そう言ってハンカチを取り出して小夜鳴先生に渡す。
「ああ、冴島くんですか。ありがとうございます。神崎さんと話していたら雨が降ってきましてね」
「あー、梅雨時ですもんね。速く終わってくれるといいんですけど」
「ですねぇ...」
「あ、そうだ。小夜鳴先生、聞きたいことが一つあるんですけど、大丈夫ですか?」
「今日は依頼の最終日でしたね...分かりました、教師として生徒の質問にはお答えしますよ」
「忙しい中、ありがとうございます。...どうしたら、女の子を喜ばせることが出来ますか!」
「え、ええ!?」
小夜鳴先生が予想外の質問だったのか、少し驚いて硬直する。
「お願いします...俺、マジに本気なんです!」
「え、えぇと...とにかく、まずは相手の話をしっかりと聞いてあげたり、肯定してあげたりすると喜ぶかと思いますけど...私もそこまで得意ではないので...」
困惑しながらも、教えてくれるあたり小夜鳴先生はやっぱり大人だ。
『隼人、時間稼ぎありがと。終わったよ』
理子からの通信が入って、回収の成功を知らせてくれる。
「先生、ありがとうございました!」
ビッと頭を下げて、小夜鳴先生に礼を言う。
「いえいえ、では私はもう行きますね」
「はい」
そう言って小夜鳴先生は地下へと引き上げていく。俺も着替える為に更衣室へ戻る。
制服を着て、右腕にアームフックショットを装備して、スプリングブーツを履く。
小夜鳴先生に挨拶を済ませて、紅鳴館を後にする。
キンジ、アリアと共にタクシーでやってきたのは横浜ランドマークタワー。
そこの、屋上。
理子は既に待機しており、キンジが十字架を渡す。
理子はそれを受け取って嬉しそうに狂喜乱舞している。
「理子、約束を守れ」
キンジがそう言うと、理子はニィと口を歪めて――突然キンジにキスをした。
「...理子、悪い子だ」
「りりりりりりり、理子ぉ!?アンタ一体、何してんのよ!」
理子はアリアの動揺にまたニヤリと口元を歪め、側転を数度決めて俺たちの背後へと回った。
「ごめんねぇーキーくぅーん。理子、悪い子だからぁ...もうこの十字架さえ手に入っちゃえば、理子的にはこれでもう欲しいカードは全部揃っちゃったの」
「...もう一度言うよ理子、悪い子だ。約束は全部、嘘だったってことだね。でも、俺は理子のことを許すよ。女性の嘘は罪にならないからね」
なんかキンジがキモい。あの地下倉庫の時と同じ感じだ。
「とは言え、俺のご主人様は――理子を許してくれないんじゃないかな?」
キンジが指パッチンをすると、固まっていたアリアが再起動する。
「まぁ、なんとなくこうなるって予感はあったわ。キンジ、ハヤト。闘うわよ」
「仰せのままに」
「あいよ!」
「ククク、それでいいんだよ。理子のシナリオに無駄はないの...。キンジもしっかり闘ってね?理子がファーストキスまで使ってお膳立てまでしてあげたんだから」
マジかよキンジ、役得だな。
「先に抜いてあげる。そっちの方がやりやすいでしょ?」
理子はそう言いながら腰から2丁、ワルサーP99を抜く。
「へぇ、気が利くじゃない。これで正当防衛になるわ」
アリアも腰から2丁ガバメントを引き抜いて、構える。
「でも、闘り合う前に1つ教えなさい。なんでそんなモノ欲しがったのよ。ママの形見ってだけの理由じゃないわよね?」
アリアの質問に、理子はやや虚空を見つめて静かに話し始めた。
「アリアはさぁー...繁殖用牝犬って知ってる?」
「繁殖用牝犬...?」
「泥水と腐った肉だけ与えて、狭い檻に繋ぎっ放しにしてる奴...ほら、よく悪質ブリーダーがやってるじゃん。人気の犬種を増やしたいからっていう理由でさ...あれの、人間版。想像してみなよ」
「な、何の話よ」
理子の話にアリアが一歩下がる。理子はケタケタと笑いだして、上を向きながら更に笑う。
そして、その動きを突如止めて、グルンッ!と勢いよく目線を俺たちに合わせる。
そのまま表情が変わって、怒号のような声が木霊する。
「ふざけんな!あたしはただの遺伝子かよ!あたしは数字か!違う、違う、違うッ!!!あたしは峰理子だ!5世を産むための機械なんかじゃない!」
理子が叫び、空が一瞬光り遠くの方で雷の鳴る音が聞こえる。
アリアが遠雷の音に一瞬怯える。
「『そんなモノ』ってアリアは訊いたよね...。これは、お母さまがリュパン家の全財産を引き換えにしても釣り合いが取れる宝物だって言って――ご生前にくださった一族の秘宝なんだ。だから監禁されてからも口の中に隠し続けた」
理子は続ける。
「そしてある夜気付いたんだ。この十字架、いや金属は理子にこの力をくれる...それで檻から逃げ出せたんだ、この力で!!」
理子はワルサーを構える。
俺たちもそれぞれ獲物を構えて、理子と対峙する。
「さぁ...決着をつけよう。オルメス、遠山...そして、私に一撃当てた冴島...お前たちを打ち倒して、私は曾お爺さまを超える!」
そして...
「お前たちは...あたしの踏み台になれ!」
理子が叫んだ瞬間。
バチッッッッ!!!!!
と静電気がもっと強くなったような音がして、理子が苦悶の声を上げる。
理子は顔を強張らせ、ゆっくりと顔を反対側に向け――硬直する。
「なん――でお前が...!?」
理子が、前のめりに倒れる。
背後にいたモノが、明確に見える。
そこにいたのは―――
「小夜鳴...先生?」
アリアの声に、小夜鳴先生は、いつも通りの表情でニコリ、と女受けする笑顔で静かに笑っていた。
やべー潜入作戦は、失敗した...?