「店で働け?」
次の日の朝食の最中、雪がそんなことを言い出した。
「そ、住んでもいいとは言ったけどその分手伝ってもらうからね?」
何それ聞いてない。
「え〜何で私がそんなこと……」
「働かざる者食うべからずって言うでしょ?それに今小傘ちゃんが食べてるパンだって俺が働いてるから食べれるんだよ?」
えぇ、食べた後にそう言う事いうのはずるいと思う。それに勝手に私の分のご飯だって出してきたくせに。そもそも妖怪の私に人里で働けって何考えてるんだよ。それこそ騒ぎになってもおかしくない。それに私は基本的にずっと1人で生きてきたから、他者との関わり方がよくわからない。
「んー、そんなに気にしなくてもいいと思うけど」
私は気にするんだよ。
「まぁ騙されたと思って手伝ってよ。きっといい経験になると思うよ?」
「……騒ぎになっても知らないよ?」
「大丈夫だって。いざという時は俺が何とかするから」
なんとかって。人間に一体何ができるってんだよ。
「それとも小傘ちゃんは、人間の俺にタダ住まいさせてもらってるって貸しを作ってもいいの?」
む、そういうこと言っちゃう?安い挑発なのは分かってるけど、それでも雪に貸しなんて作りたくない。それに多かれ少なかれ、人間とはどういうものなのか気になるのも事実だ。そう考えるとこれは良い機会なのかもしれない。仕方ない、少し癪だけど今回は雪の口車に乗せられてやることにしよう。
「分かったよ、手伝えばいいんでしょ。その代わり貸しはチャラだからね?」
「わかってるって」
何はともあれ、私は雪の口車に乗せられて喫茶店で働くことになった。
「ん?今何飲んだの?」
「何って食後の薬だけど?」
「どこか悪いの?」
「ちょっと生まれつきね。まぁちゃんと薬は飲んでるし問題ないよ」
「ふ〜ん……」
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「着いたよ、ここが俺の店」
そう言って雪に連れられたのは、木造建ての綺麗なお店だった。家があんなんだったからてっきり店の方もボロボロだと思ってた。
「何か失礼なこと考えてるだろ」
「気の所為でしょ」
むぅ、無駄に勘がいいな。顔に出てたかな?
お店の中に入ると清香な木の香りが鼻を抜けた。内装はいたってシンプルで、6人掛けのカウンターに4人掛けのテーブルが3つ。カウンターのショーケースにはシンプルなデザインのカップが並べられていて、店内は穏やかな雰囲気に包まれていた。
その静寂を打ち破るように雪がパンッと手を叩く。
「よし、それじゃあまず着替えてきて貰おうかな。この奥の更衣室に制服があるからそれに着替えてきてくれるかな?」
そういって雪が奥の扉を指差す。
「せいふくって何?」
聞いたことない言葉だ。
「まぁここでの仕事着みたいなもんだよ。ウェイトレスって奴だね」
なるほど、仕事着でうぇいとれすって言うのか。
「わざわざ着替えるの?」
「当然、こういうのはまず形からだよ」
そういうもんなのかな?
「ほら早く、きっと似合うからさ」
「分かった、着替えてくるよ」
「あ、多分大丈夫だと思うけどサイズ合わなかったら教えてね」
「ん、りょーかい」
まぁやると言ってしまったものは仕方ない。それにいつも同じ服しか着てないから、他の服を着るのは中々楽しみでもあったりする。更衣室に向かいクローゼットを開ける。
そこには白と黒を基調としたデザインで、膝上のスカートの裾には可愛らしくフリルがあしらわれている制服があった。
「これ着るのかぁ」
正直可愛いし着てみたいとは思う。とはいえこれを着て人前に出るのはちょっと恥ずかしい。でもちょっと着てみたい気もする。
「うぅ〜〜…………」
自分の中で様々な葛藤が渦巻く。でもやっぱり好奇心には抗えない。よし、腹を括ろう。恥ずかしくても着てみたいものは着てみたいのだ。
慣れない服装に少し手間取りつつもなんとか着て姿見の前に立つ。
うーん、どうだろう。似合ってる……のかな……?
一応サイズは大丈夫だった。しかしいつもと違う服装だとどうにも落ち着かない。まぁいつも同じ服しか着てないから当然なんだろうけどさ。
「小傘ちゃーん。どうだったー?」
部屋の外から雪が声をかけてくる。
「あっうん、大丈夫だと思う」
そう返事をして更衣室から出る。
そこには同じように白と黒を基調とした制服を着た雪がいた。でも私のとはデザインは大分違う。
「うん、やっぱり似合ってるね」
そういって雪は笑って見せた。そっか、似合ってるか。よかったよかった、変だったらどうしようかと思った。
「ん、ありがと。雪の着てる服もうぇいとれすって奴?」
「いや違うよ。俺のこれはカフェコートって奴。男と女で制服が違うんだよ」
なるほど、制服が違うのか。どうりでデザインが違うわけだ。
「で、私は何をすればいいの?」
「そうだね、取り敢えず基本として、挨拶をしっかり出来るようにして貰おうかな」
「挨拶?」
「そ、挨拶。お客様が来た時はいらっしゃいませ。注文された時はかしこまりました。お帰りになる時はありがとうございました。どれも基本だけど凄く大事なことなんだよ」
なるほど、挨拶は大切なのか。覚えておこう。
「じゃあ俺をお客さんだと思って言ってみようか」
なんか緊張するな。
「い、いらっしゃいませぇ〜……」
「声がちっちゃいよー。後笑顔でね」
むぅ、難しいな。
「いらっしゃいませー」
「まだ小さいね。あと顔が引きつってるよ」
いちいち注文が多いなぁ。笑顔を作るって難しいんだよ。
「いらっしゃいませー!!」
「ん、そんな感じ。毎回それが出来るようにしようね」
今のだけで疲れた。正直毎回できる気がしない。
「まぁこういうのは慣れだからね。そのうち慣れてくるよ」
そういうものなのかな?だったら早く慣れないと。
「じゃあ次はオーダーの受け方ね」
「おーだー?」
また聞いたことない言葉だ。
「お客さんの注文のことだよ」
なるほど注文か。それなら普通にそう言って欲しい。何で毎回毎回変な言い方をするんだ。聞いたことのない言葉ばかりで困惑してきた。
「ここではこれが普通なんだよ、まぁこれもそのうち慣れるって」
「本当かなぁ」
まぁ今は気にしてもしょうがないんだろうけどさ。
「で、つまり私はお客さんの注文を聞いてこればいいってこと?」
「そそ、それをこの紙に書いて俺のとこまでもってきてくれればおっけー」
そういって雪に紙とペンを渡される。
「で、最後に俺が作った奴をお届けしてくれればいいよ」
「ん、わかった」
「じゃあ何か質問ある?」
「ううん、特に大丈夫かな」
これくらいならなんとか出来そうだ。
「よし、じゃあそろそろ店を開くよ」
「え、いきなり?」
まだ心の準備とか色々出来てないのに。
「まぁ大丈夫でしょ。習うより慣れろって言うし」
大丈夫かなぁ……。
やる事はわかったけど実際に人と話すとなると緊張する。殆ど話した事は無いんだし。
「じゃあ開けてくるから」
「あ、ちょっとまって!」
ドアに手を掛けた雪を引き止める。
「ん、どしたの?」
「できれば、私が妖怪だってことは黙っててくれないかな?」
正直妖怪と知られるのはまだ怖い。バレたらどうなるかわからないし、きっと雪にも迷惑がかかる。私はもう一度雪を驚かせて今度こそ心を食べる為にここいる訳であって、別に雪に迷惑をかけたい訳じゃ無い。
「んー、別にそんな気にしなくてもいいと思うけど。まぁわかったよ、小傘が妖怪だってことは黙っとく」
気にするに決まってるじゃんか。私達は忌み嫌われる存在なんだから。それでも…
「うん、ありがと」
私の意思を汲み取ってくれた雪には素直に感謝しておこう。
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カランカランという音と共にドアが開く。
「いらっしゃいませー」
本日1人目のお客さん。よくうちに来てくれる常連のおじいさんだ。
「い、いらっしゃいませぇ〜………」
俺に続いて小傘ちゃんも挨拶をする。あー駄目だ、完全に萎縮しちゃってるね。まぁなんとなくこうなる気はしてたけどさ。ゆっくり慣れていってくれればいいよ。
「おやおや可愛いお嬢さんだね。恋人さんかい?」
そう言いながらおじいさんがカウンター席に着く。
「いんや違うよ。この子は今日からうちで働くことになった小傘ちゃん。ほら、小傘ちゃんも挨拶挨拶」
そう言って軽く背中を叩く。
「よ、よろひくお願いしまひゅ!」
促されて挨拶をした小傘ちゃんだけど噛み噛みだった。
あ、俯いちゃったよ。
「よろしくねぇ小傘ちゃん。そうかぁ、雪も遂に人を雇うことになったのかぁ。今までずっと1人でやってたからねぇ」
「まぁ色々ありましてね。至らないところもあると思いますが、どうか仲良くしてやってください」
俺自身も誰かを雇うことになるなんて思ってもいなかったからね。でもまぁこれもお互いにいい経験になるかなぁって思ってさ。小傘ちゃんはどうにも人と関わるのを怖がってる所があるし、ここで慣れていって貰えればいいかなって思ってたりする。
なんて、余計なお世話なのかも知れないけどさ。
「じゃあ小傘ちゃん、注文いいかね?」
「あ、はい!なんでしょうか!?」
大分テンパってるね。もう少し落ち着いてもいいのに。
「このモーニングセットをお願いするよ」
そういってメニュー表を指差す。
「はい、わかりました!」
それを聞いて小傘ちゃんがメモをとる。
カウンターだから俺にも聞こえてるんだけど、ここはまぁ練習ってことで。
おじいさんも気にかけてくれてるみたいだし。
あとそこは「かしこまりました」ね。
「えと、雪。これ」
「はいよ、モーニングセットね」
小傘ちゃんからメモの書かれた紙を受け取って用意をする。なんというか、あれだ。文字を書く練習もして貰った方がいいかもしれないね。
厚切りの半分に切ったトーストにゆで卵とサラダをお皿に盛りつけて、それにホットコーヒーを添えてトレーにのせる。
「じゃあお届けよろしくね」
そういって小傘ちゃんにトレーを渡す。
「う、うん。わかった」
「落として怪我しないようにね?」
「わ、わかってるよ」
そう言った声はまだ少し震えている。大丈夫かなぁ。
「お、お待たせしました」
「はいはい、ありがとねぇ」
お届けを終えた小傘ちゃんがそそくさとカウンターに戻ってくる。
とりあえずはご苦労様。今日1日この調子で持つのか不安な感じもするけど、始めは誰だってこんなものだろう。いずれ慣れてくれるだろうさ。それまで気長に待つとするよ。
こうして俺と小傘ちゃんの初めての1日が始まった。
今回は小傘ちゃんが初めてのお仕事に戸惑うお話でした。
それではまた次回
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