わたしは生まれた時、思い通りに左手を動かすことが出来ませんでした。
それも、ただ動かせないのではなく、わたしの左手はまるで別人が動かしているかのように、動いたのです。
その事に気づいたのはわたしが小学校に入学して、数ヶ月経った頃でした。
左手が勝手に動き、不思議に思ったわたしは両親に相談し、病院に行くことになりました。
そうしてわたしの左手をお医者さんに見せると「エイリアン・ハンド症候群」という病気だと、言われました。
この病気は酷い場合、自分自身を叩いたりするらしいのですが、わたしの場合は症状がそこまで酷くないのか、そういったことは一度もありませんでした。
ただ───
「あっ」
「エミちゃん大丈夫?食べづらいなら、わたしが食べさせてあげようか?」
「うん、ありがとう」
こんな風に、シチューの入った食器を左手がはたいてしまったり、算数の宿題用紙をくしゃくしゃにしたり、男友達を叩いてしまったりと、わたしの左手は好き勝手に動き回り、わたしはその左手を自制することが出来ませんでした。
そうしてワタシが困ってしまう度に、とても仲が良かった女友達に助けてもらって、この左手と小学生時代を過ごしていきました。
彼女はとても純真で尚且つ優しい子で、まだ小学生だというのに良くできた子でした。そしてなにより、この左手の、それとわたしの最大の理解者でした。
給食を食べさせてもらったり、宿題を教えてもらったり、叩いてしまった男友達との仲を取り持ってくれたり、とにかくいろんな事を、彼女に助けてもらいました。
助けられる自分が不甲斐なく思うこともありましたが、それ以上に彼女と同じ時間を過ごせたことへの嬉しさが強かったと、今でも思います。
そんな普通とは言えないけれど楽しかった小学生時代を過ごし、小学六年生になった頃。突然、両親の仕事の都合で、来年度には住んでいた地元から都会に引っ越すことを知らされました。進学する中学校も親が熱心に勧めた進学校を受けることになり、彼女とは会えなくなってしまいました。
この事を伝えれば間違いなく、彼女は私を思い心煩わせるだろうと思うと、私は彼女にその事を伝えることができませんでした。
そうして先延ばしにしていくうちに、とうとう卒業式の前日を迎えてしまったのです。
これ以上は先伸ばしにできない、私はそう悟ると放課後何も知らない彼女が家に帰ってしまう前に、痛む心で彼女を体育館の裏へ呼び出しました。
そして呼び出しをうけて体育館の裏でまっていた彼女に、もう会えなくなる事を伝えると、その子は私が思った通り目を腫らしてわんわんと泣き始めました。
当たり障りなく「また会えるよ」と根拠のない事を言って慰めて、それでも彼女は泣き止まず、そんな彼女の背中を左手は擦り続けました。
別れ際の、最後の最後にみた彼女は、泣いて泣いて、涙が枯れた顔をしていました。
そうして、女友達に別れを告げた私は、都会に移り住み、進学校に進むことになりました。
新しい中学校では、私は左手の事を黙ることにしました。小学校ならいざ知らず、中学校でこの異常な手を人前で出せば、いじめの標的になると思ったからです。なるべくポケットに左手をいれるようにし、教師には「左手については言い触らさないでください」と懇願し、入学してから1ヶ月の間私の左手を秘匿し続けました。幸い、私の左手は突然暴れまわったりする事は無く、左のポケットにただ納められているだけでした。
そうして左手を隠し続けた甲斐あってか、私は女子グループの中でも大きい、クラスの中核とも言えるグループに入ることができました。私は、何とか中学校も上手く過ごせそうだと思っていました。
そんな折、五人組に加えてもらった私は、休日に買い物へ行かないかと、他の四人に誘われました。
私はこの五人の関係を、中学での自分の立ち位置を安定させる良い機会だと考え、二つ返事で了承しました。
そして、約束の日。私の予想だにしなかったことが起こりました。
左手が、私の靴を履こうとする動作を邪魔し始めたのです。どうして今まで大人しかったのに、急に暴れたのか私はさっぱり分からず、このままでは約束に間に合わない為、私はとにかく靴を履いて外に出ようとします。
しかし、何度履こうとしてもその度に靴を脱がされ、左手を右手で押さえつけようにも、左手は暴れまわり靴を履く処ではありませんでした。
履いては脱がされ、押さえてははね除けられる、この余りにも不毛な行動を私は一人で行い続けました。
したくもない猫被りをしてまで折角築き上げた安寧への足掛かりが、この左手のせいで崩れてしまう。ふと私がそう思った瞬間、私のなかで何かがプツリと切れました。
「邪魔しないでよ!消えてよ!!」
私は、生まれて初めて、「怒り」ました。それも、私の左手に、大声で怒鳴りながら。
言った自分自身が唖然とするほど大きな声で怒鳴ると同時に、ピタリと私の左手は靴を脱がすことを止めました。
何が起こったのか分からず、頭が真っ白になった私はふと、左手に力を込めました。
今までが嘘だったかのように、私の左手は、私の思い通りに動きました。
◇
あれから十二年経った今でも、私の左手は未だに私の意思通りに動いております。
なぜ、どうして私の一声で動くようになった分からず、左手が動くようになった翌日に、医者にも聞いたのですが、「私もこんなケースは初めてだ」と驚かれるだけでした。
あの左手は何だったのか、二十を越える様々な研究機関を訪ねても、結局科学的なことは分からずじまいでした。
でも最近になって私は、あの左手が、何だったのか。感覚的ではありますが、わかり始めたような、そんな事を思い始めました。
キライなニンジンが入ったシチューをはたき、苦手だった算数の宿題を破き、喧嘩をしてばかりの男友達を叩いた私の左手。
大好きな女友達を慰め、私自身を傷付ける事は絶対にせず、それでいて奔放で気ままな私の左手。
それは、とても子供っぽい何かだったのだと、私は今になって思います。
今年で二十五になった私は、営業所で働いており、自分を押し殺しながら生きています。
お金は充分なほどもらい、仲間内からの信頼は厚く、上司からも注目されている私は、傍目からは順風満帆なOLに映るでしょう。それもこれも、あの左手が無くなったおかげでした。
だというのに、何故か。
あの左手が無いことが、私は寂しく思っているのです。
あの左手は、あの子供っぽい何かは
私の、何だったのでしょう?