「レフ教授……!生きてたんですか!?」
『えっ、レフ!?レフが生きてたのか!?そんな……!』
嬉しそうにレフを見る藤丸とマシュ。驚くロマニ。球磨川は黙ってそれを見ており、オルガマリーはレフの姿に声を失っていた。
「ああっ…!レフ……レフ………!生きていたのね……っ!」
まるで想い人との逢瀬に向かう生娘が如く、オルガマリーは彼の元へ駆けていく。レフはいつも通りの人の良さそうな笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「やあオルガ。君も大変だったようだね」
「ええ、ええ!そうなのよレフ!予想外のことばかりで、頭がどうにかなりそうだった!でも、貴方がいれば何とかなるわよね!」
「ああ、勿論だとも」
"この人さえいれば大丈夫"と、そう信じて疑わぬ純粋で無垢な瞳。そんな彼女を見て、レフは先程とは少し違う、不気味な笑顔を見せた――
「本当に予想外のことばかりで頭にくる」
ぐしゃり、と紙を乱暴に握り潰したような音。
「ロマニ、君には管制室に来てほしいと言ったのに。君もだよオルガ、爆弾は君の足元に設置した筈なのにまさか生きているなんて」
徐々にその声は不穏な陰を帯びていくように感じられた。藤丸たちが戸惑う中、球磨川だけは乾いた笑いを浮かべていた。
「――いや、生きているというのは違うな。君はもう死んでいる。肉体はとっくにね」
唖然とした表情の藤丸、マシュ。徐々に虚ろな瞳になっていくオルガマリー。
「君は生前レイシフトの適性がなかっただろう?肉体があったままでは転移できない。君は死んだことにより初めてアレほど望んだ適性を手に入れたんだ」
「嘘……ッ!」
「だからカルデアに戻った時点で、君のその意識は消滅する」
「消滅って……私が……!?」
目を見開き、わなわなと狼狽し始めるオルガマリー。焦点は定まらず、その場にへなへなとへたり込む。
「だがそれでは余りにも憐れだ。生涯をカルデアに捧げた君の為に、せめて今。どうなっているか見せてあげよう」
レフの手の内に、光り輝く何かが収まっていく。彼が指を鳴らすと、そこから円形に裂け目が開き。燃え盛る天球儀が映し出された。
「な…何よアレ……!嘘よね、そんなのただの虚像でしょうレフ!?」
「本物だよ。君のために時空を繋げてあげたんだ」
縋るようなオルガマリーの言葉は。希望は。すぐに底辺へと落とされる。燃え盛るカルデアス、それが意味するモノを、カルデアの所長が知らぬはずはなかったのだから。
「聖杯があればこんなことも出来る。さあ、よく見たまえ。アニムスフィアの末裔よ。これがお前達の愚行の末路だ!」
レフがオルガマリーへと手を向けると、彼女の体はフワフワと浮き上がっていく。空中で藻掻いているが、抵抗は効かないようで、徐々に彼女はカルデアスへと向かっていく。
「オルガマリー・アニムスフィア。最後に君の望みを叶えてあげよう。君の宝物とやらに触れるといい」
囁かれたのは悪魔の言葉。ソレは、歪んだ形で願いを叶える汚れた願望機を思わせた。
「何を言ってるの……!?や、やめて!だってカルデアスよ!?」
「ああ。ブラックホールと何も変わらない質量。もしくは太陽か……どちらにせよ、人間が触れれば分子レベルで分解される」
生きたまま、無限の死を味わい給え――人の皮を被った悪魔はそう言って、抵抗するオルガマリーの体をカルデアスへと引き寄せていく。
「…ッ……所長ぉっ!」
「駄目です、先輩!」
駆け出す藤丸を押さえるマシュ。一流の魔術師たるオルガマリーが、抵抗も出来ずになすがままにされているのだ。藤丸が向かったところでどうなるか、そんなことは目に見えていた。
「嫌ッ……!助けて、誰か助けてッ!!どうして、どうしてこんなことばかりなの……!?やだ……やめて!嫌嫌嫌ァァァ!!」
カルデア所長の面影など微塵もなく。そこにいたのはただの一人の少女だった。責任感が強くて、プライドが高くて。何処にでもいる、そんな普通の少女だった。
「まだ何もしてない!まだ、誰にも褒めてもらえてすらないのに……っ!」
今際の際に漏れた、オルガマリーの本心。アニムスフィアの娘として人一倍努力してきた。マスター適正がないことが判明しても、レイシフト適性がないことが判明しても。それを誤魔化すように、ひたすら努力してきた。父の死後、唐突に担わされたカルデアの所長という大任。魔術協会に必死に取り繕って、媚びへつらって。身を粉にして尽くしたというのに、誰にも認めてもらえなかった。志半ばで死にたくない。苦しいのは嫌だ。痛みなんて味わいたくない。
――消えたくない!短かった人生が走馬灯となって脳裏を流れていった。眼前までカルデアスが迫ってきたとき、背後から鋭い痛みが走った。
「……え……っ………?」
無防備に落下していく体。しかしそれを受け止めたのは、レフの魔術でも硬い地面でもなく。低反発まくらのような、学ランの少年の腹だった。
『ぐはっ……!』
「は……球磨川……!?」
思いっきり激突したはずなのに何故かオルガマリーにダメージはなく、しかし球磨川はその衝撃に苦しんでいるようだった。
『あーあ……』『全く、僕は本当に呆れちゃうような男だ』『また一人、女の子……?を好きになっちゃったかもしれない』
「ちょ……ちょっと、何言ってるの!?」
『そうそう、落下時の衝撃は"なかったこと"』『にしたんだけどね、所長の体重が重かったせいで今僕は苦しんでいたんだ』
「五月蝿いッ!」
大きく助走をつけて球磨川を殴り飛ばすオルガマリー。何か彼には関係のない色々な鬱憤を込めてしまった気がするが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
回転しながら吹っ飛んでいった球磨川は、痛そうに頬を擦りながら、それでも笑って立ち上がった。
『その元気があれば大丈夫そうだね』
「……何処も、大丈夫じゃないわよ………!」
続けて起こった異常事態。信頼していたレフの裏切り。己の肉体の死。内心に渦巻く様々な感情。とてもじゃないが大丈夫とは言えない。球磨川はそんなオルガマリーを見て、楽しそうに笑った。
『おいおい、どうしたんだよ所長?』『可愛いお顔が台無しだぜ』『たかが一人の男に裏切られただけじゃないか!』『確かにあんな男を信用してた所長は馬鹿かもしれないけど、大丈夫!』『失敗はいくらでも取り戻せるんだ!』『人生にはリセットボタンもコンティニュー機能も付属してるんだから!』
「でも……でも、私は……っ!」
『まだ失敗を引き摺ってるのかい?』『それとも自分の体が死んだ、っていうアレを気にしてるのかな?』『一度の失敗なんてみんなで取り戻していけばいいじゃないか!』『所長の体が死んだなんて、あいつの嘘かもしれないだろ?』『現に僕はピンピンしてるぜ』
汚れ一つ付いていない、出会った時と何も変わらない綺麗な学ラン姿をアピールする球磨川。通算二回死んでいることは彼の中ではなかったことになっているのかもしれない。
「そ……そうよね。そもそもアイツだって、レフの姿をした偽者かもしれないものね!」
『いや?』『彼は本物だぜ』
空を見て今日の天気を答えるような、そんな至極当たり前だという口調で、彼は彼女の微かな希望を打ち砕く。
「あ、貴方に何がわかるの!?」
『わかるよ』『だって彼の人を見下すような笑顔が、さっきと何も変わってないからね!』
「……ほう」
口元を大きく歪ませ、レフは鋭い眼光を球磨川に向けた。
「思っていたより人を見る目があるようだな」
『自分で言うのも何だけど』『僕は人の
「君を見逃さなかった私の選択は間違っていなかったようだな……しかし、何故生きている?あの位置で死を免れるはずはないと思うが?」
『さあ?』『偶然だとか幸運だとか』『僕の日頃の素行の良さが生み出した、奇跡だとかかな!』
――それは絶対嘘だろ、と笑いを噛み殺すアンリ。蛮勇としか思えないが、目立った行動を取るマスターをただ見守る。
「先程オルガに突き刺さった螺子といい、それが消えたことや彼女に傷一つついてないこと――謎は多いが、まあいい。私が直接手を下す必要も無い。
改めて自己紹介をしよう。私はレフ・ライノール・"フラウロス"。貴様達人類を処理するために遣わされた、2016年担当者だ……聞いているな、Dr.ロマン?」
『レフ教授……!』
「共に魔道を研究した学友として、最後の忠告をしてやろう。未来は"消失"したのではない、"焼却"されたのだ。カルデアスの磁場でカルデアは守られているだろうが、外はこの冬木と同じ末路を迎えているだろう」
『外部と連絡が取れなかったのは通信の故障ではなく、受け取るべき外部がいなかったからなのか……!』
震える声で残酷な正解を導くロマン。レフは言葉を続ける。
「人類は進化の行き止まりで衰退するのでも異種族との交戦の末に滅びるのでもない。自らの無意味さに!自らの無能さ故に!!我らの王の、寵愛を失ったが故に!!何の価値もない紙屑のように、跡形もなく燃え尽きるのだァァ!!」
言葉と同時に、辺りに揺れと小さな爆発音が響く。洞窟が崩壊し始めたのだ。マシュは咄嗟に、マスターたる藤丸を庇う。一方、もう一人のマスターは……
『ふーん』『確かに、人ってやつは無能で無価値なやつばかりだ』『全知全能の人外から見れば、みんなそこら辺の消しゴムと変わらない程度の値打ちしかないらしいしね』『だけど僕は、王だなんだと偉そうにしてるやつを見ると螺子伏せたくなる!』
勿論権力を笠に着て偉そうにしてるやつもね!そう叫び、単身レフに飛びかかる。が、踏み出した足はプカプカと浮き上がり、加速して背後の壁に叩きつけられた。
『グハッ……!?』
「本来なら先程君が助けたオルガの代わりに、カルデアスにぶち込んでやりたいところだが――生憎時間切れだ、ちっぽけな人間よ」
避ける地面、崩落する天井を見てレフは「この特異点もそろそろ限界か」と呟き、体を浮き上がらせる。
「さらばだカルデアの諸君。私が手を下すまでもなく、君たちはもう終わっている。精精、短い余生を愉しむがいいさ――」
チラリ、とオルガマリーの方を向いたように見えた。しかしそれは本当に一瞬だけで、彼の体はカルデアスに通じていた裂け目とともに、何処かへと消えていった。
「レフ……レフぅぅぅぅぅ!!」
『……所長』『足元気をつけた方がいいぜ』
「……え?ってあぁああぁああ!?」
特異点の崩壊。それにより、彼らの足場も崩れ始める。マシュが通信機越しにロマニへと叫ぶ。
「ドクター!至急レイシフトを!!」
『うん、今急いでる!でもごめん、そっちの崩壊の方が早いかもだ!』
「あああああ!!っていうか、レフ教授の言うことが正しいなら、所長はカルデアに戻ったら不味いんじゃ!?」
『……あっ』
「完全に忘れてたって感じですね!?」
焦る藤丸。慌てるロマニ。しかしオルガマリーは、嘆息して天を仰いだ。
「……もう、いいわ」
『所長……!?』
もういい。もう自分のことはいい、と。オルガマリーはそう言った。
「後のことは任せたわ。私なしでどうにかなるとは思えないけれど……まあ、もうどうせ終わりよ、終わり。人類みんな滅亡して、滅亡するのだから、遅いか早いかの違いじゃない」
『……』『それは本当に所長の本心なのかな?』
「…本心なわけないじゃない……!でもしょうがないでしょう!?もう私にはどうしようもない、消えるしかないのよ!!」
生きたい、と。彼女はそう叫ぶ。しかしその願いは、もう叶えられることはないのだった。
ピピピと鳴った藤丸の腕の通信機が、残酷な
『レイシフト準備完了……!もう時間がない、すみません所長……!!』
「…………」
『……所長』『僕のお願いを聞いてもらえますか』
「……最後だもの、まあ許してあげる」
『ありがとう!』『悪いけどおっぱい揉ませて!!』
「……は!?」
――空気が凍った。恐らくその場にいた全員が、人生の中で一番驚いた瞬間だっただろう。球磨川の手が普段の数十倍の速度でオルガマリーの胸に触れた。たゆん、と人差し指を双丘に埋めた所でオルガマリーが頬を赤らめて抵抗を試みるが、その前に彼女の体は消えていった。
『レイシフト五秒前……!三、二、一……!!』
唖然とする一同は、胸に突っかかる物を感じながらも、光に包まれていくのだった――