『やあ、お久しぶり』『ええっと……イヤホンさん?』
「イアソンだ!! 忘れるなクソガキ!!!」
首を傾げた球磨川の煽りに、イアソンが激高した。と同時に幽霊でも見たような顔をする。
「ちょっと待て、お前らが何故ここに……!? ヘラクレスはどうした!?」
「おいおい、そんな野暮なこと聞くまでもないだろ。なんでアタシらがここにいるのかなんて、そんなのデカブツを仕留めたからに決まってるだろう?」
船の船首に片足を乗せたドレイクが、狼狽えるイアソンに向けて不敵に笑った。
「そんな馬鹿な……! アイツはヘラクレスだぞ、不死身の大英雄だ!
『富士見の英雄だか何だか知らないが、地元の話なんか持ち出すなよ』『いいかげん現実を見た方がいいぜ』
仲間たちを見回して、球磨川は括弧つける。
『──僕たちは雑魚じゃない』
『正確には僕以外はね』と心の中で付け足しつつ。だがまあ、そんなことは誤差だった。
「くっ……ひとまず引くぞ、メディア! 聖杯で増援を呼べ!」
「そんなことさせると思ってるのかい? 砲撃よぉし!」
ドレイクの掛け声に合わせて、砲口が一斉にアルゴー号を狙う。
「──藻屑と消えな!」
「防壁を張れェ!」
言われるまでもなく、メディアは魔術で壁を張り、ヘクトールは弾をいなして船から逸らす。だがたかが砲弾はそれで防げようと、ダビデとアタランテ、それにオリオンという名だたるアーチャーの弓撃にはそうはいかない。
聖杯の力でシャドウサーヴァントを生み出して反撃を試みるが、藤丸たちはそれもいなしてみせる。あれよという間に船は接近し、彼らはアルゴー号に飛び移った。
焦るイアソンは、小さく舌打ちして傍らの槍兵を見遣る。
「クソ……っ! こうなったら、ヘクトール!」
「へいへい、わかってますよ」
猫背の男は、気だるげに槍を持ち替えて、彼らの前に立った。こめかみをポリポリと書いてから、まるで友人に話しかけるように微笑む。
「や、藤丸くんと球磨川くん……だっけ? 遠路はるばるご苦労さま」
『そういうあなたはヘクトールさんか』『雑談して時間稼ぎしたいみたいだけど、あいにくそうは問屋が下ろさないんだよ、ね!』
「バレましたか」
「おっと、こりゃ鋭い……!」
聖杯を用いて増援を呼ぼうとしていたメディアが舌を出す。ヘクトールの顔面に一発
「……が、太刀筋は軽いね!」
『くっ』
跳ね除けられた隙に、胴に鋭いキックが叩き込まれる。それを受けた球磨川は、勢いよく飛ばされ、そのまま海上へと飛び出した。
『ぷわっ』
「禊くん!?」
「おっと、余所見してる場合かい?」
「させません!」
「そらそらそら!」
「くっ……!」
目にも止まらぬ達人の連撃を、マシュは紙一重で守り続ける。アーチャー陣はそれをカバーしたいものの、ヘクトールの立ち回りのせいで狙いが定めづらく、マシュを巻き添えにするリスクを鑑みると弓を射ることができない。かといって、安易に接近すれば狩られることは必至だろう。近接戦を得意とする特異な弓兵など早々いないのだ。
「どうした、守ってばかりでは勝てないぜ!?」
ヘクトールは、一際重い突きを繰り出す。マシュは全力でその一撃を受け止めたものの、反動で少し脇が甘くなる。その隙を逃す彼ではない。
「もらった……!」
「こっちがね!」
死角からの一撃。音速を超える弾丸が、ヘクトールの胸を撃った。危険を察して慌ててバックステップを取ったことで急所は免れたものの、生じた隙はほとんど敗北を意味していた。
「二大神に奉る……!
「さぁダーリン、愛を放つわよ!
アタランテとアルテミス、それぞれの宝具は正確にヘクトールを狙い撃った。出血する胸を抑えて、老兵は顔を顰める。
「ぐっ……あーあ、慣れない
その応援は誰に向けたものだったのか。しかしどこにも届かず、戦いは未だ続く。
「なっ……ヘクトール!?」
「ヘクトールも逝きましたか。どうなさいます、イアソンさま? 降伏も撤退も叶わず、残った私にできることは治癒と防衛だけ。さあ、ご命令を」
「うるさい黙れッ! 妻なら妻らしく、夫の身を守ることだけ考えろ!」
「ええ。もちろん考えています、マスター。だってそれがサーヴァントですものね?」
イアソンとメディア、二人の会話はどこか歪に見えた。
それは決して追い詰められている現状のせいではなくて、元から歯車が噛み合っていないような──
『やあ、そこのポニーテール少女』『そんなDV男なんて見捨てて、僕みたいに軟弱な男に乗り換えたほうがいいぜ?』
いつの間にか引き上げられていた(泳げないので)球磨川が、息も絶え絶えといった様子で言った。
『今なら期間限定で、水も滴るいい男だからお得だよ』
「あいにく私には、この人以外考えられないので」
『ふうん、かわいそうに』『君が静かにイカれてるってことだけは、なんとなくわかったよ』
「うふふ」
静かな微笑。とても窮地に立たされているとは思えない安らかなものだった。
周りのサーヴァントたちの殺気を受けて気が気でないイアソンが「おい、そんな呑気に喋っている場合か!?」と声を荒げて言った。
「大丈夫ですイアソンさま、あなたは私が守ります」
「お前、この状況でどうして笑っていられるんだ……!?」
「あなたを守る力が、
「え?」
聖杯を片手に、魔女は微笑んだ。そしてそれはイアソンの体と同化していく。間抜けな声が一つ、漏れた。
「なっ! おま、おまえ!? 何をする! ヒッ! や、からだ、とけっ……!?」
「聖杯よ。我が願望を叶える究極の器よ」
「が、ぎ、が、あ、ぎいいいいいい!!!」
メディアの詠唱に合わせて、イアソンの体が溶けていく──内部から造り変わっていく。
「顕現せよ、牢記せよ。これに至るは七十二……!?」
メディアの詠唱が止まる。否、
『
「な……! そんな魔術、ありえないです……!」
『
イアソンは赤黒く細長い歪な化け物には変化したが、前回見たような柱にはなっていない。明らかに失敗だった。
「そんな、海魔フォルネウスが……!」
「……
メディアの言葉に、何かを察した様子のダビデ。だが動揺も推理も、勝ってからでないと始まらない。
『勝ちにいこうぜ』