「……球磨川くん?」
コンコン、とノックの音。数秒待ったが、返事も何もない。ロマニには、気配すらないように感じられた。
小さく嘆息する。ここ数日、彼が部屋から出た様子はない。サーヴァントたちとの接触も絶っていることらしく、その部分が一番ロマニを驚かせた。彼らとは本気で、少なくとも自分やダヴィンチなどに対するよりは本音で、楽しそうに話している印象があった。
「ご飯、食べてないだろ? 部屋の前に置いておくよ」
置きながら、ロマニは考える。何を話すべきなのか。何も話さぬべきなのか。どんな話も彼に届くとは思えない。丁度、今の声が届いているのかすらわからないように。
寝てるだけかもしれないし、音楽でも聴いているかもしれない。或いは、何かの原因で死んでいるかもしれない。ロマニは不気味なほど静かになってしまった彼を、本心から心配していた。
極論マスターキーで扉を開けてしまえば解決する問題ではある。しかしそれでは、今度こそ何か決定的な壁が出来てしまうのではないか。そう思ってしまって、出来なかった。逡巡して、ロマニは深く息を吸った。
「──近況を話そう」
聞いていてもいなくてもいい。何か思っても思わなくてもいい。色々と整理する意味も含めて、ロマニは淡々と語り始めた。
「藤丸くんがレイシフトした先が何と海賊の補給島でね、そこでかの有名な英雄──フランシス・ドレイクに遭遇した。彼女の協力の元、藤丸くんたちはこの特異点の調査を始めたんだ。異常が起きている海域を調べるため、戦いながら島を巡り──アステリオス、エウリュアレと出会い、行動を共にすることになった。そしてその直後、ドレイク船長の持つ聖杯と、エウリュアレをつけ狙う海賊のサーヴァント──黒髭と、彼が擁する四騎のサーヴァントと相対した。とはいえその時点ではどうにも決定打に欠けてね、サーヴァントを一騎倒した後撤退。そして移動した先の島で、ぬいぐるみと化した──いや、まあ、オリオンとアルテミスに遭遇したんだ」
一気に話しすぎたかな、と一呼吸置く。文字通り手応えは微塵もなかったけど、それでもロマニは言葉を続ける。
「サーヴァントたちの協力もあって黒髭は打倒したんだが、敵方だったヘクトールの裏切りとともに新たな敵が現れてね。アルゴナウタイ──アルゴー船で旅をした、ギリシア神話の英雄たち。イアソン、メディア、ヘラクレスの三人だ。特にヘラクレスの強さは尋常じゃなくて、十二の試練を乗り越えた逸話に基づいて、十二回殺さないと消滅しないんだ。アステリオスが身を挺してヘラクレスを抑え込んでくれたお陰で、何とかその場から撤退することはできたんだけど……依然、解決の糸口は見えていない。今も藤丸君たちは、必死にそれを探してる」
衣擦れのような音が聞こえた気がした。ロマニは真っ直ぐに扉を見つめる。
「──助けてくれ、なんて言葉は言わない。君を今回の作戦から外したのはボクたちだし、今更頼める立場でもない。ただ、一つだけ謝らせてほしい」
信じ切ることができなくて、本当にすまなかった。そういって深く頭を下げた。
「ボクたちは、こんな絶望的な状況になって、それでも世界を救おうと共に戦う仲間だ。なのに君の言う通り、今も
小さく笑う。
「──許してくれるならもう一度、正面から話させてほしい。そしてその時には──僕の秘密を聞いてほしい」
それじゃ、また。そう呟いて、重い足取りのままロマニはその場を後にした。
『………………』
足音が遠くなってくるのを確かめて、球磨川は寝返りを打った。所在なさげに扉を見つめてから、天井を見上げた。自分の上に座る女と目が合った。
「やあ球磨川くん、随分元気そうだね」
『……ああ、お陰様でね』
隈の目立つ目を擦って、口元を歪める。
「そいつは重畳。有り余る元気を特異点にぶつけてもらえそうで何よりだ」
『……安心院さん。だから僕は』
紡ぐ言葉は衝撃に遮られた。肌がパチンと甲高い悲鳴をあげる。音速で繰り出されたビンタが球磨川の頬を射抜いたのだった。
「いつまで括弧つけるつもりだよ、球磨川禊。弱者と
『……………………』
「少なくとも
「逃げないさ」
僕は逃げない。括弧つけずに、球磨川はそう言った。
「敗北からも感傷からも傷心からも謝罪からも、期待からも要求からも友情からも悪評からも。正面からぶつかってやるさ」
「ようやく吹っ切れたみたいだね。それとも前から心は決まってたのかな? まったく、面倒臭いったらない」
気づけば安心院は消えていて、綺麗に畳まれた学ランだけが残されていた。『置き土産ってわけか』と独りごちて、球磨川は袖を通した。