『間が空いたからって、僕がきちんと書き貯めしているとは限らないんだぜ』
ワンランク下がっていると言っても、ジャンヌオルタのステータスは決して低くない。キアラと互角か、順当に行けばそれ以上の戦いも出来るだろう。しかし――
「くっ……!」
「ふふふ」
間一髪、というところで決定打が入らない。攻撃が掠れた服は所々敗れ、随分とアバンギャルドな状態になっているというのに、キアラ本人に明確なダメージは負わせられていない。反面、ジャンヌオルタ――もとい、バーサーカーには傷一つ入っていない。遊ばれているという訳では無いはずだ。キアラも積極的に打ち込みにきている。ただそれが、バーサーカーにとって取るに足らないから安全に回避しているというだけで。
「只の猿真似――と思っていたのですが……なかなかやりますわね」
「フン、褒めるなら本人を褒めなさいな」
キアラは距離を取り、息を乱した様子もなく淡々と、煽るのだか褒めてるのだか判別のつかない会話を始めた。気にせず突っ込むべきか迷ったが、このまま戦闘を続けていても決定打は与えられないだろうことを思い、バーサーカーは時間稼ぎの意味も込めて揺さぶってみることにする。
「とはいえ、意外と大したことありませんね? マスターが苦戦しているというからどんなに強力な相手か、内心少し不安だったのだけれど……ワンランク下がった状態でこの程度とは。弱過ぎじゃない?」
「ええ、そうですね。私もそう思います」
柔らかな笑みに隠れてキアラの真意は見えない。多少煽ったつもりではあったが、底が見えないというか、得体が知れないというか……そもそも、バーサーカーは分かっていなかった。彼のマスターが相手にしていたのは強さではなく、弱さ――その人格、心だと。
『キアラちゃん、随分と服がセクシーになっているじゃないか』『でも君は何も身に纏っていない方がもっとセクシーだぜ』
「有難いお言葉ですわ……今夜にでもお見せしましょうか?」
『遠慮しとくよ』『僕は侘び寂びを介する男なんでね』
恐らく侘び寂びの意味も理解していない球磨川は、倒壊した屋根の上で肩を竦めておどける。いつの間にか復活していたマスターの存在に、バーサーカーは怯むことなく動く。
「ハッ――!」
点在する瓦礫を利用した走行と跳躍。なす術なく動かぬサーヴァント二人をよそに、無防備な球磨川の腹を貫いた。
『コ……ハッ……!』
「案外呆気ないですね」
倒れ込む球磨川を見つめるバーサーカー。苦しそうに呻き、何かを求めるように手を伸ばすが――直に力尽き、マスターが死んだ為かサーヴァントの姿も消えてなくなる。
『……申し訳ない、人類最後のマスターよ』
元の姿――と言っても実体は無いし姿は見えないのだが――に戻ったバーサーカーは、倒れ伏した男を一瞥して踵を返す。
『私は狂気の存在……
一介の殺人鬼が人理の心配など笑わせる話だろうが――と自嘲気味に呟いて、獲物を探す殺人鬼は霧となって消えていった。
「……そろそろいいんじゃないか?」
『グハッ……!』『そうだね、そろそろいいだろう』
『キアラちゃんも出てきていいぜ』
「ん……んんー……! んんー……!」
「何だあの滑稽な形したオブジェは……」
瓦礫の隙間から華奢な足が二本飛び出ている。どうやらそこに潜り込んで隠れようとしていたようで、文字通り頭かくして尻隠さずと言った構図になっている。
『壁尻ならぬ床尻とは、やれやれ』『君はいつも僕の想像の向こう側をいってくれるね』
パタパタ動く足を掴んで引っこ抜こうと近づいた球磨川は、運悪く思いっきり蹴り飛ばされて後方へ飛ぶ。当たりどころが
「ん、んー! んー!」
突き出た二本の足の裏を合わせて上下に動かしている。不気味というかシュールな絵面だったが、どうやら蹴り飛ばしたことを謝罪しているらしい。
『まあ素直に謝ってくれるなら、僕も許すことは吝かではないよ』
『今度は大人しくしててね?』と一言置いて、キアラの足を抱き抱える球磨川。数十秒頬ずり。アンリが球磨川を呆れたように見ること更に十秒。球磨川は、はっ、と我に返ったような表情を浮かべる。抱えた二本の脚を頑張って引っこ抜こうと唸る。抜けない。息が上がる球磨川。肩で息をして離れていく。
『キアラちゃん重っ……』
「しょうがねえなあ」
キアラの足を掴み、アンリは勢いよくそれを引っこ抜いた。足がもぎ取れそうな勢いだったが丈夫なサーヴァントの肉体だし、気にすべきではないか。
『今度からはこういう戦い方もありかなあ』
戦い方というかただの逃げ方だと思うが、誰も訂正はしない。常識的なサーヴァントの方々なら、マスターを仕留めてサーヴァントが消えれば、このマスターを殺せたと思う可能性がある。無論クラスやスキルによっては魔力供給がなくなろうが活動し続ける場合もあるし、瞬時にサーヴァントが消えたことを怪しむ輩もいるとは思うが――まあ、通じるかもしれない一手ではある。
それに成功しようが失敗しようが、どうせ彼が死ぬことはないのだ。
瓦礫から脱出した様子のキアラは、パラパラと砂埃を払いながら頬に手を添えた。
「はあ……大変窮屈で、とてもとても……」
『とてもとても気持ちよさそうな、蕩けた顔だね』
「人にとってああいった閉鎖的空間は、時に救いを齎すこともあるのです」
「救えない女だねえ全く。――それにしても、アンタまともにやり合えばいい線いってたんじゃないの?」
「はい?」
「さっきのだよ」
「うふふ、どうでしょう……? そもそも私、争いという物を好まないのです」
どの口が言うんだ、なんてツッコミを入れる者は残念ながらこの場にはいなかった。尼の只の戯言である。
「暴力は何も生みません、現世から醜き争いをなくすというのも、生前の別の私の目的の一つだったのかもしれませんねえ……」
『でもまあ、それについてはもうどうでもいいんじゃないかな?』『ほら、キアラちゃん既に死んでるし』『それに――そろそろこの特異点は、争わずとも解決するはずだぜ』
「珍しく前向きなこと言ってんな〜?」
『まあね』と空を仰ぐ球磨川。綺麗だが何処か不気味な、光の帯が見える。
『僕らがやってるのは格闘技の試合でも何でもない、ルール無用のリアルファイトだ』『もとい、聖杯戦争か』『別に何も、全ての相手と戦わなきゃいけないわけじゃあないんだぜ』
―――――――――
「
振り降ろされた剣から放たれし極光が、竜とその主をまとめて貫いた。堕ちた聖女は光に焼かれ、それでも立ち上がろうと旗を掴む。
「くっ、ジル……!」
しかしその手が触れたのは旗ではなく、男の白く骨ばった手。
「ご安心くださいジャンヌ。貴方の悲願は私が継ぎます。……大丈夫、貴方は少し疲れただけ。少し疲れただけなのです」
「ええ……そうよね。任せるわ……」
「ゆっくりお休みなさい。次目覚めた時には、私が全て終わらせていますから……」
「そう……そうよね、ジル……」
黒いジャンヌは光の粒子となって消えていく。それを見送った後、ジルは白いジャンヌへと振り返る。
「やはり貴方でしたか…………!」
「勘の鋭いお方だ」
ジルの手には光り輝く聖杯が収められていた。それを見て藤丸たちも全てを察する。
「聖杯を持っていたのは黒いジャンヌじゃなくて貴方だったんだな、ジル・ド・レェ……!」
「そうです。彼女こそ、"竜の魔女"こそ我が願望。私の願いなどジャンヌ! 貴女以外にはありえないのです!! しかし、貴女自身の復活は聖杯に拒絶された。万能の願望機でありながらそれだけは叶わないと!!」
ただでさえ大きなギロギロとした目を更に大きく見開き、血走らせながらジルの演説は続く。
「だから――私は願った。私の信じる聖女を! 私が焦がれた貴女を!! そうして造り上げたのです!!」
「……ジル。私は、例え聖杯の力で蘇ったとしても――"竜の魔女"になど決してなりませんでした。確かに私は裏切られたでしょう、欺かれたでしょう。しかしそれでも、祖国を恨むはずがないじゃないですか」
だってこの国には――貴方たちがいたのだから。そういって、ジャンヌは慈悲深い女神のように、堕ちた軍帥へと微笑みかけた。
「お優しい……なんてお優しいお言葉。しかしジャンヌ、貴女は一つ忘れています。貴方が憎まずとも――私はこの国を恨んだのだ! 全てを裏切ったこの国を滅ぼすと誓った! たとえ貴女が赦そうと、私は神を、民を、この国を許さないッ!! 殺してみせる、焼却させてみせる……滅ぼしてみせるッ! それこそ、聖杯に託した我が願い……! 邪魔をするな、ジャンヌダルクゥゥゥゥゥ!!」
特異点修復をかけた、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。