「ふわぁあぁ……おはようございます……」
大きな欠伸をして、少し眠そうに目を擦りながら藤丸は食堂の扉を開けた。朝ご飯を食べている数名のスタッフたちに挨拶して、一足早くパンを齧っていた球磨川の向かい側に座る。
「おはよ禊くん」
『おはよう立香ちゃん』『随分とお寝坊さんじゃないか』
「……ん?まだ八時じゃなかったっけ?」
『駄目だよ、ちゃんと二時に寝て五時に起きる健康的な生活を心がけないと!』
「三時間睡眠って、その方がまずいんじゃ……?」
『おいおい何を言ってるんだよ』『昼の二時から朝の五時に決まってるだろう?男は黙って十五時間睡眠さ』
「むしろ体に悪そうだなあ……」
『
箱庭学園には一日二十時間は睡眠を取って動かないという生徒もいた。睡眠時間が長かろうと短かろうと大して違いはないのでは、とパンをもごもごと口に押し込みながらそんな想像を球磨川はする。
現在カルデアに残っているスタッフたちの中に、『食べれる料理』が作れる者はいるが『美味しい料理』が作れる者はほとんどいない。故にご飯は各自、各々で作るか誰かに頼むか、球磨川のように調理しなくても食べられるパンなどを食べるか……そんな感じで適当によろしく、とドクターに昨日話された。まあ確かに、それぞれ仕事や予定があるだろうし、時間を統一して集団生活を営む方が大変で非効率に思える。
『立香ちゃんは料理とか出来るの?』
「めちゃくちゃ上手いって訳じゃないけど、そこそこ美味しいものが作れると自負してる。試しに何か作ってくるから食べてみてよ」
『よろしくねー』
立香が厨房に向かったことで、いつの間にかだだっ広い食堂は球磨川一人となっていた。『天井が高いなあ』なんて思いながら上を向いていると、その視界を誰かの顔が遮った。
『やあアンリくん』
「よ。ちゃんと寝れたか〜?」
『それなりには、ね』
アンリは昨日と何も変わらない、何もなかったかのような服・体の様子を見て微笑む。
「……あんなヤツ相手によくやったな」
『何のことかさっぱりわからないなあ』
「そもそもサーヴァントを相手に生身で戦おうっていうのが無謀な話だ。
『見てたのかよ、人が悪い』
「オレもう人じゃないしいくらでも言ってくれ」
『この人でなし!ド畜生!お前って何だか、ブーメランとか武器にして戦ってそうな顔してるよな(笑)』
むっ、とした様子のアンリ。そりゃあそうだ、こんなよくわからない煽りを喰らえば誰だってそうなる。
「生憎ブーメランは使わないが……ブーメランみたいにコイツをぶん投げて、アンタの命を刈り取ることは出来るぜ?」
『やめてよもう、武器取り出したりなんかしてまるでガチバトルみたいじゃないか。平穏にいこうぜ、な?』
「ま、流石に冗談だがね……」
『っていうか、覗き見してたなら分かるんじゃないの?』
「危ないところになったら止めに入ろうかと思ってたんだが、よくよく考えてみたらアンタが簡単に死ぬとは思えないだろうからな」
『買い被ってもらっちゃ困るよ』『僕は容易にくたばって簡単に散っていくようなやつだよ』『全く、また勝てなかったぜ』
聞く人が聞けばあたかも同じ相手に何連敗もしているかのようにも受け取られる、紛らわしいいつもの口癖を呟いたところで昨夜を振り返る。
螺子を持つ球磨川禊。微笑みを浮かべて構えを取る殺生院キアラ。
『徒手空拳?』『てっきり杖でも持ち出して魔法でも使ってきそうなイメージだったから意外だぜ』『しかしまあ、武器を持たない女の子相手に武器を使うのは、気が引けるな――っ!』
一歩踏み込み、己の獲物を文字通り、キアラの柔らかな肉体へ螺子込もうと投擲する。しかしそれは、あたかも豆腐でも砕くみたいにキアラの掌底が打ち壊した。
「ああ、お気になさらなくて大丈夫ですよ。そういった太い
簡単に罅割れ砕けた螺子を見て球磨川は少し動揺したが、気を取り直してお得意の話術を持ち出す。
『へえ』『そういうなら、僕の
「んっ……!」
速度に乗った一撃が功を奏したか、球磨川の押し込んだ螺子は見事にキアラの腹部に刺さった。苦悶とも愉悦ともつかぬ表情に顔を歪めるキアラは、楽しそうに微笑んで無防備な球磨川の手を握る。
「あん、太い……っ!」
しかしここで球磨川の背筋に嫌な予感が走る。自分を慈しみ、労わるかのような優しい温かい手。その手は何故か、螺子を握る自分の手を、より深く、
『ッ!』
「あら、残念。後もう少しで禊様を蕩けさせてあげられましたのに……」
球磨川の目を引いたのはキアラの腹部。そこには大きな裂け目が広がっていた。触手のようなものが猥雑にうねり回るその空間に投げ込まれた螺子がどうなったかまではわからなかったが――取り込まれたら無事では済まない、ということだけは容易に想像出来た。
「
先程のモノは殺生院キアラの宝具。彼女の体内にはもう一つの宇宙が出来上がっており、入ってしまえば体も知性も溶かされ蕩けさせられ絶大な快楽と共に最後には彼女に吸収される。それを知ってか知らずか、球磨川禊は明るく呟く。
『いいなあ、キアラさんのお腹の中にしまわれちゃった螺子が羨ましい限りだよ』
「禊様もいらっしゃって構わないのですよ?」
『生憎、僕は入るより入れる方が趣味でね――!』
投擲された螺子がキアラを貫き、繰り出された拳が球磨川の命を刈り取る。数度繰り返されるそんなやり取りの後、やれやれとでも言いたげに球磨川が嘆息した。
『こんな不毛な争いはもうやめよう』『僕らはお互いが憎くて争ってるわけじゃない、そうだろう?』『いい塩梅だしここらでお開きといこうぜ』
「それなら令呪でもお使いになればよろしいでしょう。私としましてはこのまま、夜通し戯れ続けるのもまた――うふふ」
『
「どうしてもと仰るのであれば……ここでお開きにするのも吝かではないですよ?」
『じゃあそのどうしてもって奴を押し通させてもらおうかな』
球磨川は螺子をぽーいと何処かに投げ捨て、両手を上げて手を叩く。
『どうしても和解したいから、その為に一つ条件があるんだ』『その暁にはとりあえず裸エプロンと手ブラジーンズと全開パーカーを毎日ローテーションしてってほしい』
「え?たったそれだけでいいのですか?」
『え?』
「もっとこう、直接的に触れ合うというか、乳繰り合うといいますか……」
『……はあ』
力なく項垂れる球磨川。怠そうな表情とともに、侮蔑するような視線をキアラへと向ける。
『残念だけれど』『やはり僕たちは相容れないみたいだ』
「そうなのですか?」
『ああ。君は何もわかっていない』『いいか!直接触れれてしまえばそれは只のスケベでしかないんだ!』『見るからこそ!眺めるからこそ!観測しているからこそのフェチズム、淫靡な魅力というものがあるんだよ!触りたいけど触れない、いやむしろ敢えて触っていない!』
『視姦すること、その行いに誇りを持つべきなんだ!』
「今一つ理解しかねる感覚ですね……それでは、例え私が禊様に夜這いした場合でもそれを跳ね除け、ひたすら私の肢体を舐め回すように眺め慰めるだけ、ということですか?」
『それは普通に乗ると思うけど』
二つの意味でキアラさんにね!とドヤ顔でそこまで上手くない返しをする。あまりにも自信満々な様子に、さしものキアラも眉を顰めた。
『キアラさんのその成熟した淫らな肉体。裸エプロンであれば食欲と性欲という人間の二つの欲望と、大きな二つの欲望の塊を同時に楽しむことが出来、』『手ブラジーンズならばだらしないという形容詞が程良く似合う大きな乳房を己の手で覆い隠し――あたかも揉んでいるかのような絵面に、上等な絵画を見ているような魅力を感じる』『全開パーカーで特筆すべき点はやはりその谷間だろう。下着も着けず、自由を賛美するだらしない谷間に、吸い込まれるような気持ちを覚えるはずさ……!』
「あの……要するに、禊様は私の胸に大変興味を示し、欲情しているということでよろしいですか?」
『そうだよ』
「素直ですね。しかし、女体の魅力は胸以外にも様々な箇所に現れると思います。そもそも――」
『そうかなあ』『でも――』
かくして、
の意味の無い論議が始まる。お互いに視野を広げ、新たな性癖を開拓する
『で、僕は濡れ透けワイシャツという新たな境地を見出したのさ……』
「一周回ってまともに見えてきたぞ……」
『でもこれで下着の色が見えるのは邪道なんだ』『下着の隠れているからこその魅力を楽しむのが江戸っ子さあ』『下着の隠れた魅力を再発見!』
「全力で江戸っ子に謝ってほしい」
人類悪のまともなツッコミを受ける人間というのはこの広い世の中でも球磨川禊ぐらいだろう。そんな軽快なやりとりをしている間に、お盆を持った藤丸がのそのそと歩いてきた。
「あ、おはようアンリくん」
「おう、おはよう」
『この匂いは……回鍋肉かな?』『うん、美味しい!』
「手づかみはお行儀が悪いぞー……?」
躊躇うことなく肉を手で口に運ぶ球磨川に、苦笑いする藤丸。そんなことは気にせず、球磨川は『料理上手だね!』と汚れた親指を立てて料理をつまみ続けた。
「あら……楽しそうですね」
「げっ」
声の主を察してか、アンリは何処かへと消えた。恐らく霊体化したのだろう。球磨川は振り返り、歩いてくるサーヴァントへと手を振る。
『やあキアラちゃん、おはよう!』
「おはようございます、禊様?」
「あれれ、なんか二人めちゃくちゃ距離縮まってない?」
さりげなく――というか、しなやかに堂々と、キアラは球磨川の隣に位置取りして座る。袖が擦れるほどの近距離で。
「ふふふ……そう見えます?」
『そうかな?』
「うん。もしかして、共通の趣味とかあったの?」
『共通の趣味というか……近しい性癖かな?』
「また一つ、新たな境地へ辿り着けそうですね」
「へー……いいなー、俺もマシュやアルトリアさんともっと距離を縮めたいなあ。まだ二人のことほとんどわかってないからなー」
『立香ちゃんならきっと大丈夫だよ』『すぐに仲良くなれるって!』『あとその言い方だとめちゃくちゃ女たらしみたいだぜ!』
「い、いや……そんなつもりはないんだけど。普通に、普通に仲良くなりたいなって思っただけでさ!」
それを人は女たらしという。天然ジゴロっぽい雰囲気のある藤丸がいつそのことを自覚するかは、未だ謎である。
「あの……お二人と仲良くなる練習に、私とも仲良くなってもらえませんか?」
『キアラちゃんのソレは、ベッドの上でという一文を付け加えないといけないと思うんだけど』
「ふふ、禊様とはここの廊下でしたけどね。あんな太い
『キアラちゃんも暴れるもんだから、多少手荒になっちゃってたけどそこら辺は勘弁して頂戴』『……ん、どうしたの立香ちゃん?』『顔が赤いけど、具合でも悪いのかい?』
「禊くんって同年代の友達って印象があったんだけど……進んでるっていうか、なんかスゲーなって……」
『参考にしてくれてもいいんだぜ』
間違っても参考にしてはいけない。というか、多分それは引き気味の心のこもった「スゲー」だと思う。
喋りながら、のんびり朝食を食べ終わる。食器を片付けだした辺りで、食堂のドアが騒々しく開いた。
「藤丸くんと球磨川くんはいるかい?」
『おはようロマンちゃん』『どうしたんだい、そんなに慌てて』
寝癖でぐしゃぐしゃになった髪を掻きながら、ロマニは肩で息をする。見た目通り、そんなに鍛えておらず体力はあまりないようだ。
「もしかして次の特異点の話ですか?」
藤丸の指摘は
「ああ、少し面倒なことがわかってね……とりあえず、管制室に来てほしい」
書き溜めとかしないタイプなんで、以前の更新ペースに戻せるかが心配