発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官 作:戦闘工兵(元)
「−−−どうも解せんな……」
自身の執務室で竹田大尉は手元にある桂木から聴取した身上調書と海軍省人事局からの返信を読み比べながら呟いた。
「…桂木幸一…海兵65期卒。家族構成は東京に父、母、妹。ただし全員が死去。……立ち居振る舞いは正に海軍軍人そのものだった。……それなのに…“存在しない"だと?…解せん…」
短い頭髪が生え揃った頭を掻いていると扉がノックされる。
「−−応」
「−−失礼致します」
入室して来たのは水兵の一人だ。
手には盆の上に乗せた竹の皮で包んだ握り飯を持っている。
「……また…召し上がらなかったのか?」
「はい…もう二日間、何も喫食されておりません」
「…そうか。…ところで熊谷。軍人、軍属の身元を管理する人事局から“存在しない"とは言われたが…彼をどう思う?」
「…立ち居振る舞いは何処から見ても軍人のそれでありました。それは私でも判ります」
「貴様もそう思うか…」
椅子の背凭れへ寄り掛かりながら竹田大尉は腕を組んで溜め息を吐く。
「…実を言えば…俺も不思議で仕方ない。確かに現在は呉鎮守府に所属している筈の大和嬢が海戦で沈んだ、と意味不明の事を申していたが……聴取した戦闘詳報は現実味に溢れるモノだった」
「…烹炊と給仕担当の私としては…一口でも召し上がって頂けなければお身体に悪いと…」
「…そうだな…。……電信室へ伝令を頼む。宛は海軍省人事局へ。“桂木幸一少佐ノ身上詳細ヲ重ネテ調査サレタシ"。以上だ。…向こうの不備も考えられるからな…」
「“桂木幸一少佐ノ身上詳細ヲ重ネテ調査サレタシ"。了解致しました!!」
「応。あぁ…その握り飯、俺にくれ。捨てるのは勿体無いからな」
鎮守府の独房は敷地内の片隅−−そこの地下にあった。
地上へ上がれば独房の前には陸戦隊兵士の詰所があり、脱走等の異常があれば直ぐに対処出来る構造だ。
とはいえ現在、収監されているのは桂木だけである。
「…………」
居住性を度外視した独房内は当然ながら日当たりが悪い。
格子の中は狭く、板張りの床の広さは3畳ほどだ。
その床で桂木は静かに正座しつつ黙考を続けている。
(−−煙草…煙草…煙草が吸いたい……死ぬ…)
−−考えている事は煩悩に塗れたモノではあるが。
腰に巻いていた剣帯、軍刀、煙草にマッチ、二種軍装の上着、白の麻襟、白い麻襦袢、果てはサスペンダーまで取り上げられた。
白い短靴は独房の格子の外で揃えられている。
丸っきり上半身裸の格好だ。
自決防止の為に独房(陸軍では営倉と呼ぶ)へ入る時は紐状のモノやボタンに至るまで全てを取り上げられる。
桂木の場合は、その上で格子の外に武装した陸戦隊の兵士一名が監視に当たっていた。
「−−交代であります」
「−−応。申し送り事項なし。異常なし。以上」
「−−復唱。申し送り事項なし。異常なし。了解」
監視の交代が入り、後任者へ引き継いだ兵士が地上へ通じる階段を昇って行く。
規則正しい足音が去って行き、やがて小銃の床尾を床へ立てる音が鳴った。
「……ふぅ……足を崩しても構わんか?」
「はっ、どうぞ」
流石に起床から昼過ぎまで正座をすると足が痺れて来たのか桂木が兵士へ尋ねる。
許可を出され彼は正座を解き、胡座を掻く。
「……御不便はありませんか?」
「いや、ない。…だが…まぁ…懐かしくはある」
「と、申されますと…?」
「…江田島に居た頃、一度だけぶち込まれた事がある。それ以来、久々に入った」
「…そうでありますか…」
「応。…ずっと五省を心の中で唱えておった記憶がある。……あぁ…後藤の奴も俺の隣にぶち込まれたな…」
無精髭が生えた顔に微笑を浮かべながら桂木は話し相手となりそうな交代の兵士へ声を掛ける。
このような状況だと無性に人と話したくなるモノだ。
「…五省、というのは…?」
「…む…知らんか?」
海兵出身ではなくとも海兵団で話ぐらいは聞いた事はあると思うが、と桂木は考えたが、それを打ち消し、江田島で骨身に染みるまで叩き込まれた言を諳んずる。
「一、至誠に悖る勿かりしか(真心に反する点はなかったか) 一、言行に恥づる勿かりしか(言行不一致な点はなかったか) 一、気力に缺くる勿かりしか(精神力は十分であったか) 一、努力に憾み勿かりしか(十分に努力したか) 一、不精に亘る勿かりしか(最後まで十分に取り組んだか)。…これが五省だ」
海兵では夜間に“自習止め5分前"のラッパが鳴り響くと、生徒達は素早く教本を机の中に収め、姿勢を正してその日の当番生徒が“五省"の各項目に問い掛け、その他の生徒は瞑目し心中でその問いに答えつつ一日の行動について自省自戒したのだ。
「…それが五省、でありますか…」
「応。貴様も一日の終わりに自省自戒してみると良い。なにが悪かったか、なにが足りなかったかを知れば、後に同じ事を繰り返さずに済むぞ」
「はっ!!」
姿勢を正して傾注していた若い水兵の勇ましい返事に桂木が苦笑する。
「そう固くならんで良い。班長には黙っておく、休め」
「…は、はっ…」
そう言われ水兵は躊躇いがちに休めの姿勢を取った。
「貴様…生まれは何処だ?名前は?」
「はっ。生まれは広島であります。柳瀬晃文(やなせあきふみ)一水であります」
「広島か…となると…海兵団は…呉、大竹、安浦のいずれかだな」
「はい、大竹海兵団であります」
「……歳はいくつだ?…17…ほどに見えるが…」
「17であります。15で入団致しました」
(特年兵……か。…若い…若過ぎるな…)
太平洋戦争が開戦した後、帝国海軍は特別年少兵(特年兵)制度を設けた。
特年兵は海軍の下士官兵を補充する為の志願兵制度で応募資格は14歳から16歳。当初は3年間の教育・訓練の後に第一線部隊へ配属する予定であったが戦局の悪化により期間が1年半に短縮され、多数の特年兵は実に15、6歳の若さで最前線に立ったのである。
(……奴等…生き残っただろうか…)
桂木は大和に乗り組んでいた若い−−まだ幼いと言った方が正しいかも知れない特年兵達の事を思い出した。
「…柳瀬…貴様は何故、海軍を志願した?」
「はっ、御国の為に−−」
「−−嘘を吐くな。…違うだろう?腹を割って話せ」
「は、はい……海軍の制服が…その…格好良かったからであります…」
「くくっ……やはりな…」
素直な返事に満足してか、桂木が苦笑を漏らすが、逆に柳瀬と名乗った特年兵は恥ずかしいのか顔を紅潮させる。
「し、しかし御国の為という理由もあります!!」
「…あぁ…貴様を笑った訳ではない。気を悪くするな。俺も似たような理由で海軍に入ったのだ」
「……は?」
「海兵での面接試験では意気軒昂と“御奉公の為"と答えたが…本心の根っこには“軍艦に乗り組み、航海をしたい"というのがあった。まぁ…御奉公も嘘ではないがな」
「そうでしたか……」
「応。16の時分の話だ。まさか…27の若造がいつの間にか少佐とは…人生判らんモンだ。…同期の奴等も随分と居なくなってしまった…」
奴等は先に九段の鳥居をくぐってしまったな、と桂木は戦死した同期達や部下達を思い出す。
いつからだろうか。「靖国で会おう」が合言葉になったのは。
(…池田…内山…伊東…岩佐…山下…皆……)
「…桂木少佐…?」
不意に黙っていた桂木がなにかを静かに歌い出した。
それは“同期の桜"である。
(…あぁ…そういえば出撃の時も桜が綺麗に咲いておったな。…桜は咲くと直ぐに散ってしまう……悲しい程に美しかった……)
一息に歌い終わった彼は溜息を吐き、俯いてポツリと呟く。
「……何故……俺だけが……」
“武蔵”乗組員だった方(レイテの海戦の時の階級は二等兵曹。配置は第一主砲)にインタビューした経験がありますが「何故、私が生き残ってしまったのか…」と呟いておられたのが印象に残っています。