発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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「−−ここか……ふむ…横須賀鎮守府(ヨコチン)には及ばぬが…中々、立派だな。…所々、煉瓦が剥がれておるのが気に入らんが…」

 

 軍帽の庇を摘まみ上げ、眼前の赤煉瓦作りの建物を桂木少佐は見上げた。

 

 小銃を立て銃の姿勢を保った水兵が歩哨に立つ営門の横には“トラック泊地鎮守府"の看板がある。

 

 所在を確認した彼は佩刀した軍刀の鞘を押さえつつ短靴の規則正しい足音を響かせながら営門へ近付いた。

 

 彼の姿に気付いた歩哨の水兵が小銃を両手で持ち、捧げ銃の姿勢を取る。

 それへ姿勢を正し、直立不動の挙手敬礼で答礼を行い、額へ翳した掌を下ろすと、ややあって水兵も立て銃へ戻った。

 

「−−桂木幸一少佐だ。ここがトラック泊地鎮守府で間違いないか?」

 

「はっ!!そうであります!!」

 

「司令へ御挨拶を申し上げたい。取り次ぎを願う」

 

「了解致しました!!只今、お取り次ぎ致します!!」

 

 水兵は真後ろにある有線の野戦用電話へ歩み寄り、箱の真横に付いているレバーをグルグルと回し出した。

 

「−−こちら営門であります。ただいま桂木少佐にお待ち願っており、司令へ御挨拶がしたいと……はい…はい…了解であります」

 

 受話器を戻した歩哨が桂木へ振り返る。

 

「許可が取れました。どうぞお進み下さい。担当が御案内申し上げます」

 

「そうか。御苦労…励め」

 

「はっ!!」

 

 労いの言葉を掛けると水兵が再びの捧げ銃。

 それへ軽く挙手での答礼を済ませ、桂木は鎮守府の営門をくぐった。

 

 玄関を目指して敷地内を歩きつつ視線を巡らせる。

 

(…良く整備はされておるようだが…所々、雑草が目立つな…)

 

 細かいチェックだが海兵時代から身の回りの整理整頓や掃除を叩き込まれ、それが骨身に染みている者としては当然なのであろう。

 

 玄関を潜り抜け、ロビーへ立つ。

 

「……ほぅ……懐かしいな…」

 

 初めての来訪だと言うのに、懐かしい、という言葉が彼の口から零れたのは内部構造を見てだ。

 

 玄関の床は板敷き。境界部にある左右のピラスターの間は長い小幅の板を横に張り、その他の部分は小幅板が矢筈掛けに張られている。壁は腰壁を持ち、腰壁部には上下の水平の木部を除いて金色で花模様の金唐紙が張られている。腰壁から上の壁面は曙漆喰と呼ばれる淡いオレンジ色の漆喰が塗られ、ロビーの壁面は上部と下部に蛇腹繰り形が付けられた白漆喰塗りのフリーズが周囲に廻らされて天井は両室とも白漆喰塗りだ。

 

 これは横須賀鎮守府(ヨコチン)の作りと同様である。

 

 陸上勤務で横須賀にいた事のある桂木少佐としては懐かしいのであろう。

 

 同じ海軍とは言え、他人の家に初めて訪れた者が無遠慮にドカドカ上がり込むのは無礼極まりない。

 

 案内や取り次ぎの担当の者がまだ来ないのであれば、暫し待つしかない。

 

 ロビーの端に肘掛けのソファがある。

 

 そこへ歩み寄り、軍帽を脱いで腰掛ける。

 ちょうど良い事に眼前のテーブルには灰皿と陶器で作られた煙草箱、そしてマッチが置いてあった。

 

 ありがたい、と桂木は来客用の煙草へ手を付け、一本を銜えると慣れた手付きでパンッとマッチを手前へ擦り、煙草へ火を点けた。

 

 この男、かなりのヘビースモーカーで“飯は食わずとも死なないが煙草がないと死ぬ自信がある"と豪語した経験がある。

 

 マッチを振って消火し、燃え止しを灰皿へ放り込むと煙草を摘まみ紫煙を一筋吐き出した後、灰を灰皿の端で叩いて落とす。

 

(………誰かに見られている気が……)

 

 煙草を銜えながら微かに感じる自身を見詰めているかのような気配を察知した。

 

(………上?)

 

 スッと頭と視線を気配がする上へ向ける。

 

 それは二階へ通じる階段だ。

 

 その手摺りの向こうで−−何かが動いた気がした。

 

「…………?」

 

 首を傾げる。敵意ではないようだ。むしろ、好奇心のような度合いが強い視線のように桂木は感じられた。

 

 例えるなら、見知らぬ大人が自分の家に来て、何処の誰だろうか、と子供が不思議がって物陰から探るような−−そんな感じだ。

 

 その時、カツカツとロビーへ近付く短靴の規則正しい足音が桂木の耳朶を打った。

 

 吸い掛けの煙草を灰皿へ揉み潰し、起立すると軍帽を被りつつ軍刀の鞘を軽く押さえる。

 

「−−お待たせして申し訳ありません」

 

「いや、大丈夫だ」

 

「竹田信一郎技術大尉(だいい)であります」

 

「桂木幸一少佐だ」

 

 二種軍装に短剣を下げた竹田と名乗った大尉は、桂木と同い年か少し年下に見える。ただし身長は桂木の方が拳二つ分ほど高いが。

 

 習いとして下級者である竹田大尉が短靴の踵を音を鳴らして合わせ、桂木へ挙手敬礼。それへ桂木が答礼して挨拶が終わる。

 

「それで桂木少佐。御用向きは司令への御挨拶と伺いましたが……」

 

「その通りだが……なにか不都合でも?」

 

 竹田大尉がなんとも言えない表情をしている事に気付き、桂木が尋ねる。

 

「実を申せば……本鎮守府の司令は…いまだ着任しておらず……暫定的に私が真似事をしている次第でありまして……」

 

「…そうだったか…」

 

 この返答に桂木は着任すべき司令は船での移動途中に潜水艦からの雷撃、もしくは輸送機で移動中に敵機の攻撃を受けて戦死されたか、どちらかであろうと仮定した。

 

「…では現在の本鎮守府における最上級者かつ司令代行は貴官であるという認識で構わんか?」

 

「はっ、そう認識して頂いて構いません。ここで立ち話をするのも憚られます……応接室へ御案内申し上げます。こちらへどうぞ」

 

「応」


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