発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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閑話 総ての終わりに

『ーー朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告クーー』

 

 昭和20年8月15日正午。青空が何処までも澄み渡っていたーー憎らしい程に。

 

 天皇が軍民へ向けて終戦を伝える玉音放送が全国に流れていた。数百万もの犠牲を払った戦争は終わりを迎えようとしていた。

 

「………」

 

 空襲で焼け野原となった東京の一画。かつての自宅の跡地だけが残る場所に純白の二種軍装を纏った壮年の軍人が正座をしつつ遠くから聞こえる玉音放送へ耳を傾けている。

 

「…終わったぞ……見ているか…和利…」

 

 桂木 和利 陸軍大尉 昭和19年 サイパン島にて戦死。享年25。

 

「ーー和道」

 

 桂木 和道 陸軍中尉 昭和20年 硫黄島にて戦死。享年24。

 

「ーー和男」

 

 桂木 和男 陸軍少佐 昭和20年 沖縄にて戦死。享年27。

 

「ーー和成」

 

 桂木 和成 海軍大尉 昭和20年 沖縄周辺洋上にて戦死。享年26。

 

「ーー幸一」

 

 桂木 幸一 海軍少佐 昭和20年 坊ノ岬沖にて戦死。享年27。

 

 この戦争で散華した若者達ーー甥達の名前を彼は愛おしそうに紡ぐ。

 

 甥達は立派な若者だった。身内の贔屓目を除いても有り余る程に。

 

「俺は…お前達の眼前に胸を張って進み出られるかな…これでも頑張ったんだぞ?…終戦を一刻でも早く迎えられるように奔走した…」

 

 大佐の階級章が照り付ける日差しで輝く。

 

 彼は甥子達や妻子を戦火で喪った後、終戦工作に奔走した。海軍内の主戦派達を押え付け、説得して周り、関係省庁や政財界の有力者にも協力を働き掛けた。

 

「…帝国は負けた…白村江以来の大敗だ…」

 

 自宅の焼け跡で一人で彼は誰に言うでもなく呟く。

 

「…俺だけが生き残ってしまったな…済まない…お前達を先に逝かせてしまった」

 

 彼の甥子達はいずれも激戦の中で若く尊い命を散らした。

 

 ある者はサイパンで、ある者は硫黄島で、ある者は沖縄で、ある者は特攻で、ある者は大和と共にーー。

 

 皆、祖国を、愛する家族を、美しき山河を護ろうと戦った。

 

俺達(軍人)は恨まれるだろう……だが俺はお前達を誇りに想う…良く頑張ったな…俺の誇りだ…」

 

 やおら彼は軍装の上衣を脱ぎ、それを丁寧に畳むと地面に置いた。

 

「…お前達は小さい頃…良く俺の家に遊びに来たな…夏になると縁側で西瓜を食ったな…食い過ぎて腹を壊したのは誰だったかな?」

 

 彼の脳裏にはまだあどけない顔をした甥達が子犬のようにじゃれて来た思い出が走馬灯のように思い出された。

 

「あんなに小さかった子達を軍人にするのは憚られて仕方なかった…心配だったーーが良く御奉公したな」

 

 軍刀を抜いた彼は、その白刃に純白の布を巻き付ける。

 

「俺も…今そっちに逝くぞ。そしたら…酒でも呑もうか…」

 

 終戦工作では口にする事すら憚られる行いも多数あった。

 

 戦後、逮捕されれば証人となる。

 

 責任を取る立場にある者ながら此処でケリをつけるのは無責任と謗られる所業であろう。

 

 しかし手に掛けた者達の名誉の為にもーー彼は彼自身の命を此処で絶つ他なかった。

 

 少々目立って来た腹に巻いたサラシの脇腹へ白刃の切っ先を宛がう。

 

「ーー日本は負けた…が滅びた訳ではない。この先、苦難の日々が続くだろう。だが…何度でも日本は蘇る。何故なら…日本人が残っているからだーーーー」

 

 切っ先を脇腹へ突き立て、刃を臍の下を通す。

 

「ーーっ……ぐうっ…!」

 

 尋常ならざる痛みが襲うが構わず彼は刃を引き抜き、再び腹へ突き立てた。

 

「ぎっ…!!」

 

 苦痛で目が充血し涙が零れる。切り裂いた腹からは血が止め処なく流れ出る。

 

「ーーっ…はっはっ…!!ぐっ…!!……っ!!!」

 

 仕上げとばかりに彼は軍刀の柄を地面に押し当てーー切っ先を心臓へ突き刺す。

 

「-----」

 

 途端に不思議と身体から力と痛みが抜け落ち、彼は地面に倒れ伏した。

 

「…す…べ…て…おわ…っ…たーーー」

 

 彼が今際に見たのは幻。子供の頃の甥達が駆け寄って来る光景だ。

 

 かつてそうしたように彼は甥達に向けて微笑み、全ての義務を果たしーー逝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー昭和20年8月15日…玉音放送…か」

 

 トラック鎮守府の庁舎内ーーその長官室の主は黒革張りの安楽椅子へ腰掛けつつ預かった備忘録を片手に執務机の机上からグラスを取った。

 

 酒保で購入したウイスキーは国産だという。

 

 既に数杯を煽ったがーー中々イケると個人的な評価を下したそれを再び煽る。

 

 空となったグラスを机上へ戻した彼は備忘録を静かに閉じ、机上へ置く。

 

 ーー酒をやると煙草も吸いたくなる。

 

 机上の片隅に置いた煙草を取り、一本を銜えるとマッチを擦り火を点けた。

 

 マッチを手首を振って消火し、燃えさしを机上の灰皿へ投げ捨てる。

 

「ーー…義樹の叔父御は…どうしたかな…」

 

 実父の弟にあたる男ーー同じく海軍に奉職していた叔父を唐突に思い出した。

 

 ーー最後に会ったのはーー

 

「ーー嗚呼…そうだ…」

 

 ーー俺が大和へ乗り組む前……親戚の家の庭先だったなーー

 

 あの柔和な叔父が顔を真っ赤にするほど怒り、自身の頬面へ拳を振るったのは驚いたーーそれを思い出した彼は殴られた左頬を軽く擦る。

 

 無様に倒れはしなかったが次の瞬間には叔父が胸倉を掴み、揺すりながら涙を流しつつ訴え掛けて来たのを思い出した。

 

 ーー皇国へ忠を尽くさんとする態度は誠に立派。

 

 ーー然れど無策に命を散らす事が果たして真に忠となるのか。

 

 ーー考え直せ。今なら俺が中央へ手を回してなんとかしてみせる。

 

 

 確かにあの時はーー空襲で両親、年の離れた可愛い妹を纏めて喪い、冷静では無かった。

 

 ほとんど志願する形でーーもっと言えば脅迫にも似た言で当時所属していた横須賀鎮守府の上官へ直訴した記憶が彼にはある。

 

 

 若気の至りと言えばそれまでだがーーと彼は次いで叔父へ言い放った一言を思い出した。

 

 

 ーー私が征かずして誰が征くのです。

 

 叔父を見下ろし、唇の端から血を流しつつ静かに言い放った言葉は彼を黙らせるのに最高の一撃だった。

 

 男泣きを始めた叔父が胸倉を掴んでいる腕を外し、彼は被っていた軍帽を脱ぐと叔父とーー親戚の家の仏間にある多数の位牌へ向かい深々と最敬礼を済ませた。

 

 そして軍帽を再び被った彼は二度と振り向く事なく家を後にしたーー。

 

「……………ふぅ」

 

 ほとんど吸わなかった煙草を悔恨と共に灰皿へ押し潰した。

 

 もっと他の別れ方があった筈だ、と彼は思いつつ背凭れへ体重を預けて天井を見遣ったーーその時、不意にカタッと音が鳴る。

 

「ーーあん?」

 

 音が鳴ったのは背後の刀掛台。

 

 それへ視線を遣るとーー軍刀がひとりでに小刻みに揺れている。

 

 椅子から立ち上がった彼が軍刀を掴むーーその瞬間、動きが止まった。

 

「……奇怪だな」

 

 持ち主の預かり知らぬ所で動くとは何事か、と心中で文句を吐きつつ鞘を払った。

 

 あの浜で自身と同様に転がっていた軍刀。

 

 手入れの際、これが関孫六だと気付いた。

 

 真珠湾攻撃で戦死し九軍神の内の一柱となった海兵同期、そして件の叔父が所有していた愛刀と同じ銘だ。

 

 何かしらの縁を感じる軍刀を再び鞘へ納めた彼はそれを再び刀掛台に戻した。

 

 再び勝手に動き出す事は無かった。

 

 机上のウイスキーの瓶を取って乾いているグラスへ琥珀色の酒を半分ほど注いだ。

 

「…日本が戦に敗れたとしても…例え軍が滅びたとしても…例え文化、誇り、価値観、その悉く否定されたとしても…国さえ滅びなければ、いずれの日にか再び皇国は立ち上がる。未曾有の国難は幾度もあった。この敗戦もそのひとつに過ぎん。…後世を生きる者達(諸君)には迷惑千万だろうが希望ぐらい抱かせてくれ。勝手気儘に過ぎるが……それぐらいしか出来んのだ」

 

 何処ぞの軍務局長が聞けば、根拠薄弱と怒鳴られてしまいかねない事を彼は酔いが微かに回り始めた口から吐く。

 

 

 

 

「ーー俺達が今際に何を見…」

 

 沈み逝く巨艦が起こした爆発で打ち上げられた空は鼠色だった。

 

「ーー何を想い…」

 

 離れ行く本土へ向かい静かに涙を流しながら敬礼する水兵を思い出した。

 

「ーー何を願ったのか…」

 

 腹を切った一人の分隊士が介錯を頼み、その首を抜き取った軍刀で一息に落とした記憶が甦る。その死に顔は笑顔だった。

 

「ーー…言葉にならない、文字として残されないそれを受け取る術を持つのは後世を生きる者達(諸君)だけだ。……適当な言葉が見付からない上、月並みだが……そうだな……宜しくお願いするよ」

 

 一人しかいない室内を見渡しつつ手に持ったグラスを掲げーー彼は一気にウイスキーを煽り、それを机上へ軽く叩き付けて置いた。

 


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