発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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※作中にて特攻に関する描写が出て参りますが、これは本作登場人物達の私見であって実際の方々の思想信条とは一切関係ない事を留意してお読み下さいませ。




30

 霞が関の外務省庁舎内を進むふたつの人影は海軍の二種軍装を纏う将官だ。

 

 それらは職員の制止を振り切り、大臣室を目指している。

 

「ーーお待ち下さい山本大臣!外務大臣は本日、出張で留守にーー」

 

「ーー朝に登庁してから庁舎を出ていないのは既に調べがついている。時間稼ぎは無駄な事だよ」

 

「事務員の君では話にならん。さっさと道を空けたまえ」

 

 それらの人影の正体は海相である山本五十六、そして彼に随伴する海軍省軍務局長 井上中将だ。

 

 彼等は受付の事務員の制止をどこ吹く風とばかりに無視しながら一路、大臣室を目指して突き進むーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー出撃は明日(みょうにち)1500。作業に掛かれ」

 

 山口総長が締めの言葉を口にした瞬間、会議室に列座していた者達が一斉に立ち上がり了解の旨を告げる。

 

「ーーではこれで作戦前の打ち合わせを終了とする。桂木中将以外は各個に別れ」

 

 上座の山口と南雲へ敬礼した後、高級士官、将校達が連れ立って会議室を後にする。

 

「貴様らも先に艦に戻っていてくれ。大丈夫だ」

 

 一航艦の幕僚である参謀達に南雲が解散を促すと彼等は渋々といった様子で上座の司令長官や軍令部総長、下座の桂木へ敬礼すると書類を纏めて会議室から退出した。

 

 上座の二人は溜め息を吐き出すと腰掛けている椅子の背へ深く凭れ掛かりつつ桂木に近くへ来るよう手招きする。

 

 首肯した桂木は彼等が腰掛ける椅子の隣へ席を移動した。すると南雲がポケットから引き摺り出した煙草を銜えてマッチを擦って火を点ける。

 

「桂木も遠慮せずやれ。山口も一服どうだ?」

 

「頂きます」

 

 差し出された煙草を受け取った山口がそれを銜えると南雲が手ずから火を点けてやる。

 

 目上の二人が煙草を喫したのを認めた桂木も煙草を銜えてマッチで火を点けると彼等の眼前へガラス製の灰皿を滑らせた。

 

 先程までの喧騒が嘘だったかのように静まり返る会議室の中で居残った三名の海軍将官達はプカプカと紫煙を燻らせる。

 

 銜えた煙草が半分ほど灰と化した頃、南雲が灰皿の端へ煙草を叩き付けつつ口を開いた。

 

「桂木。貴様は疑問に思わんのか?」

 

「なにが、でしょうか?」

 

「おとぼけはなしだ。尋ねたい事があるのだろう?可能な限り答えてやる」

 

 山口も隣へ腰掛ける司令長官に続いて細く紫煙を吐き出しながら桂木へ声を掛けた。

 

 桂木は紫煙を鼻腔から吐き出し、溜まった灰を灰皿の端へ煙草を叩き付けて落とすと改めてそれを指の間に挟む。

 

「…ケ号作戦ですが……成功の可能性は…正直に申し上げて途轍もなく低いものです。簡素ながら頭の中で状況を想定しての演習を行いました。勿論、交戦するであろう敵戦力は不明の為、推定の域ですが。我が方の勝率は…大雑把でありますがパーセントにすれば20(ふたじゅう)いくかどうか」

 

「ふむ…桂木。…この作戦が終わったら中央の第一部に来んか?部長のポストを用意するぞ」

 

「勝手に引っ張るな。こいつは我が一航艦に招く。最初は戦隊司令だが行く行くは長官を任せたい。どうだ桂木?」

 

「いえ、私如きよりも相応しい方がいらっしゃる筈です。加えて私は一海軍軍人に過ぎません。人事は省の命令に従うのが道理であります」

 

 桂木がにべもなく言い返せば、二人は残念至極、とでも言いたいのか揃って肩を落とす。

 

 だが桂木らしいと彼等は苦笑を零し、南雲が口を開いた。

 

「それにしても……貴様の独擅場だったな。不覚にもゾッとした」

 

「南雲さんに同じくだ。何故、大臣が貴様を重宝して可愛がっていたのか良く判った。確かに将帥の片鱗が見え隠れしておる」

 

「…持って生まれたのか…そうなるよう鍛えられたのか…はたまた、そうならざるを得なかったのか…」

 

 並んで腰掛ける二人は揃って後頭部で両手を組みつつ天井を見上げながら眼を細める。

 

「なぁ桂木。貴様が疑問に思っておる事は想像に難くない。何故、この時にこのような無謀とも取れる作戦を断行するに至ったのか……まぁ当たらずと言えども遠からずって所か」

 

「概ねはその通りであります」

 

 山口が横目に桂木を窺えば、彼は確かに首肯した。

 

「ふむ尤もだ。加えて言えば本作戦は投機的に過ぎる、とも思っておるだろう?」

 

「…確かにミッドウェー、ハワイ、この両島を占拠すること能うならば北太平洋の戦局は我が方に有利となるでしょう。然れども作戦の断行はやはり無謀と小官は愚考致します」

 

「その心は?」

 

「両島へ同時攻撃の実施による我方の戦力分散。それによる打撃力の欠乏。彼我の戦力差不明ーー特に交戦するであろう敵艦隊及び地上軍、航空の兵力ならびに戦力の詳細不明。よしんば占領に成功したとしても兵站の確保が非常に困難」

 

「確かに。だが確かな事がある。間違いなく…“姫”や“鬼”が待ち受けている。それは確信して良い」

 

「…過去に交戦があった敵艦ーーいえ個体という表現が適当でしょうか。確か…」

 

 桂木が以前、眼を通した資料の中身を思い出していると山口が紫煙を吐き出しつつ短くなった煙草を灰皿へ押し潰した。

 

「以前に交戦した個体は便宜上、泊地棲姫、南方棲鬼、飛行場姫、等と名付けた。もっとも一体ではなく種族なのかもしれないのだがな」

 

「金剛達や赤城、加賀を中核とした艦娘達と再編された艦隊が海空からの総攻撃で姫や鬼、それに随伴する深海棲艦をなんとか倒している。豪州軍は港湾棲姫と我々が呼んでいる個体に手を焼いているとの事だ」

 

「…そのような存在が待ち受けているとすれば更に勝率は低くなります。圧倒的な打撃力を有する人間大の兵器とでも言えば良いのか…表現に困りますが…独自に思考し行動する兵器というのは存在自体が脅威であります」

 

 桂木の言葉に二名の将官は頷き同意する

 

「お二人は特攻をご存知でしょうか?」

 

「あぁ、井上さんから詳細は聞いているよ。俺の同期の大西が発案者だそうだな」

 

「航空機の搭乗員に例えるが、一人の搭乗員を育て上げるまでには莫大な時間と費用がいる。貴重な戦力の徒な浪費であり正に戦術の外道中の外道だ。……だが恐ろしいにも程がある」

 

 南雲は戦争末期における特攻戦術を批判しつつもそれを恐ろしいと言う。

 

 山口は頷くと口を開く。

 

「井上さんに聞いた話だが中盤にはVT信管とか言う近接信管が米海軍で運用されたそうだな。それの効果がどれほどかは兎も角、近距離で炸裂するのを考えれば“弾幕”と表現するに相応しい猛烈なものだろう。高性能な電探により捕捉され、艦隊の直掩機による迎撃を運良く掻い潜り、10機近くが大中小口径の砲からなる弾幕へ突入したとして敵艦に突っ込めるのは内の2…いや1機が突っ込めれば御の字だ」

 

「だが撃墜されるにしても敵艦に突っ込んだとしても双方に共通する事がある」

 

「はい。“敵艦へ辿り着きこれに損害を与える”という明確な意志…いえ殺意と言えば良いでしょう。ただ投弾される爆弾や掃射される機銃弾とは比べ物にならない恐ろしさがあります。最期の瞬間を迎えるまで機体に抱えた爆弾(二十五番)を目標へ誘導するのですから敵艦乗組員にとっては悪夢だったと想像するのは容易いですーー勿論、人道や戦術を無視すればですが」

 

「まぁ戦勝国の米国は“ただひたすらに日本軍は前途ある若者を命令で強制的に特攻を行わせた。戦術的にも戦略的にも一切の意味はなかった”等と喧伝するだろうな。おそらく、だがね」

「占領政策で一番手っ取り早いのは敗戦国の政治、文化的価値観やらを否定する事だからな。…俺なら特攻なんてのを自ら受けたら恐ろしくて股座のモノが縮こまるぞ。必殺必中の信念を持った死兵が雲霞の如く押し寄せて来るのだ。おそらく味方撃ちをしてでも落とそうとする筈だ。僚艦への誤射よりも突入による損害の方が大きいーー桂木、悪いが煙草くれ。山口にやったのが最後だった」

 

「誉ですが宜しいですか?ーーどうぞ」

 

 桂木が隣の南雲へ煙草を差し出す姿を横目に捉えながら山口は黙考する。

 

(ーー賽は投げられた………が、やはり足りん。足りんよなぁ。見返りが帝国が南方資源地帯の占有だけじゃあ到底足りんよ。吹っ掛ける訳じゃあねぇが…追加注文(おかわり)が必要だなぁ。大臣の手腕に期待するしかないねぇ)

 

 

 

 

 

 

「ーーお邪魔するよ」

 

 職員が制止するのを聞かず海相を務める山本が手ずから大臣室の扉を開け放った。

 

「ーーや、山本大臣!」

 

「ーーやぁ松原大臣。ご機嫌如何かなーーっと、そんな挨拶するほど仲が良い訳じゃあないし暇もないんだった」

 

 山本はニコニコと好々爺のような笑顔を張り付けながら入室する。その後ろには能面の如き無表情ーーただし眼光は鋭い井上中将が続いた。

 

「な、何用でしょうか?」

 

「とぼけなさんな。海軍省(ウチ)から外務省(そちらさん)に米国への折衝案をワシントンの大使館宛に打電するようお願いした筈なんだが……井上くん、何日前だったかな?」

 

「六日前です」

 

「そうそう。六日だよ、もう六日も経っているんだ。向こうからの返信を一日千秋の思いで今か今かと海軍省の大臣室で待っていたんだよ私は。さっぱり音沙汰がないもんで出向いて来たんだ」

 

「そ、それは御足労をお掛けして申し訳ありません」

 

 笑顔を崩さず山本は部屋の主の許可を待たず、応接用のソファへ足を組んで腰掛ける。

 

 外務大臣は特段暑い訳でもないのに額から冷や汗が止まらない様子で背広のポケットから取り出したハンカチで汗を拭う。

 

「ところで…返信は来たかな?」

 

「は、はい。昨晩に参りまして、ただいま解読と平文へ直す作業を実施している所であります」

 

「あぁ…そうか東京と向こうでは時差があったね。ならば夜に来ても仕方ないが……全く報告がない、とはどういう料簡かな?電話の一本でも貰えれば嬉しかったんだけどね」

 

「それは……」

 

「あぁ勘違いしないで欲しい。私は怒っている訳ではないのだよ。ただ“何故にどうして報告が遅れたのか”という理由を尋ねたいだけだ」

 

 笑顔を崩さない山本に対して外務大臣の表情は凍り付いていた。

 

 吹き出る汗を拭う中、彼はソファへ腰掛ける山本とその背後に侍る井上へ頭を下げる。

 

「こ、こちらの不手際でした。誠に申し訳ありまーー」

 

「いやいや、謝罪は必要ないよ。井上くん、私は謝罪を要求したかな?」

 

「いいえ。大臣は説明を求められました」

 

「うん、そうだな。しかし日本語は難しいな…自分が意図している事とは全く別の意味と相手が捉えてしまうとは……」

 

 困ったモノだ、と山本は苦笑しつつ緩々と頭を振る。

 

 その時だ。唐突に扉がノックされ、背広姿の男が入室して来た。

 

「失礼致します。駐米大使からの電文をお持ちしまーー」

 

「遅いぞ馬鹿者!」

 

 入室したばかりの男性職員へ大臣からの叱責が飛ぶ。

 

 ビクリと身体を震わせた職員を横目に山本は立ち上がると微笑みを浮かべたまま彼へ歩み寄った。

 

「御苦労様。その電文はウチで要請した件についてのものだ。渡してくれないかな?」

 

「は?…は、はい」

 

 男性職員が眼前の山本へ平文へ直された用紙を手渡した。

 

 それに礼を述べた山本は平文へ視線を落としーーやがて笑い声を漏らし始める。

 

「はっははは。これはこれは…井上くん、きみも読んでみたまえ」

 

「拝見致します」

 

 山本が傍らに侍る井上へ用紙を手渡すと彼もそれに視線を落としーーやがて苦虫を噛み潰したかのような表情を作る。

 

「ーー松原大臣。駐米経験はおありかな?」

 

「は?いえ…ドイツとイギリスは大使としての赴任はありますが…」

 

「なるほど。私はハーバード大学への留学と大使館付武官として二回の駐米を経験しているよ。仮想敵国だったからね…我が国と米国の圧倒的な物量差、それを支える工業力に衝撃を受けたものさ」

 

「はぁ…」

 

 なにが言いたいのだろう、と外務大臣が内心で小首を傾げていると山本が顔に張り付けていた微笑みを引っ込めて彼へ鋭い視線を遣る。

 

 突然の豹変に外務大臣が尻込みする中、山本が口を開いた。

 

「アメリカ人と上手く付き合う為には自己主張せねばならん。それも積極的にな。聞き上手なだけでは相手の勢いに呑まれてしまい何も言う事が出来ん。悪い言い方になるがアメリカ人の大多数は自分の主義主張こそが全てにおいて正義だと考える傾向にある。故にごり押しとも言える遣り方で通そうとするぞ」

 

「な、何を仰りたいのですか…?」

 

「いやなに…だから小心者に駐米の大使館勤務は難しい、というだけの話だよ。ーーあぁ、駐米大使がどうのと言っている訳じゃあない」

 

 暗に自身が赴任を命じた大使を侮辱されるが大臣は山本の迫力に圧されてしまい何も口にする事が出来なかった。

 

 彼は続けて口を開く。

 

「おそらく大使館でこちらの折衝案は“誤訳”されてしまったのだろうね。下手にへりくだるとこんな返答が来る訳だ。読むかねーーいや、私の反応でおおよそは予測出来るだろうから不要か」

 

 山本は傍らの井上から電文の本文が記されている用紙を片手で受け取るとそれを無造作に握り潰して床へ投げ捨てた。

 

「ーー大臣、白紙一枚と鉛筆を貸して貰えないだろうか」

 

「は?あっ、は、はい」

 

 山本の言葉を聞いた大臣が急ぎ執務机の抽斗から白紙を取り出し、次いで机上の片隅に置かれた鉛筆を取って彼の下へ歩み寄る。

 

 それらを受け取った山本は傍らの井上へ手渡す。

 

「翻訳の必要がないように此方で書かせてもらおう。井上くん、出来るだけ強い口調でお願いするよ?向こうがぐうの音も出ないようなモノを書いてくれ」

 

「お任せ下さい。合戦(いくさ)には弱いですが論理的(ロジカル)な口喧嘩には定評がありますので」

 

 

 

 

 

 

 

 泊地に停泊する艦隊が出港する前夜はお祭り騒ぎと言っても過言ではない。

 

 鎮守府敷地内に建てられた陸戦隊の兵舎から桂木がいる庁舎内の長官室まで笑い声が届いていた。

 

 それを彼は咎めようとは微塵も考えていない。

 

 むしろ、もっとその喧騒が大きくなるほどーー酒盛りをしているのだろうが翌日まで酒が残るような体たらくとならぬようにではあるものの節度をもって楽しんで欲しい、とすら考えていた。

 

 出港ーー投錨している艦隊が錨を上げれば、上陸部隊となる彼等にとって本日の夜だけが心から楽しめる最後の夜となる。

 

 加えて言えば、これが人生で楽しめる最後の夜、となる者も出て来るだろう。

 

 戦地で充分に本領を発揮できるよう、そして土壇場となって後悔をせぬよう、桂木は消灯時間を無視して羽目を外して良い、と下達した上、当直士官や陸戦隊の指揮官達へそのような現場を目撃しても一切咎める事なきようにと前もって告げたのだ。

 

 彼等が楽しむのは結構な事だ。

 

 命を賭して銃弾飛び交い、砲弾が雨霰と降り注ぐ鉄火場へと身を投じるのだからーーと桂木は考えつつ銜え煙草のまま腕を組み、机上の用紙を睨み付ける。

 

「ーー皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ。…伝統と言ってしまえばそれまでだが…確かにマンネリズムである事は否めないな…」

 

 彼は紫煙を唇の端から吐き出すと眉間に刻まれた縦皺を更に深くする。

 

 さて、どうしたものかーーそう考えていると長官室の扉が静かにノックされた。

 

「ーー応」

 

 入室の許可を出すと扉が静かに開けられた。

 

 用紙へ遣っていた視線を正面へ直すとーー扉の前に佇む浴衣を纏った長い黒髪の女性が彼の視界に映る。

 

「失礼致します」

 

「長門さんーー何か御用でしょうか?」

 

「いえ…窓から灯りが見えたものですから、まだ執務をなされておられるのかと思いまして…」

 

「ご覧の通りーー執務らしい執務は昼間に終らせましたよ」

 

 入室して来た長門を気遣い、桂木はまだ長い煙草を机上の灰皿へ押し潰しながら彼女に答える。

 

「ですが…その…お顔が険しいですが…」

 

「…少しばかり面倒な事を山口総長と南雲長官から頼まれましてね」

 

 執務机まで歩み寄った彼女へ桂木は机上の用紙を摘まみ、それを長門に見せる。

 

「ーー皇国ノ興廃……Z旗ですね」

 

「えぇ。お二人が言うには、いつも同じ文句では将兵の士気が上がらぬから別の文句を考えるか何か付け足してくれ、とのことで」

 

「…それは…責任重大ですね」

 

「私のような若造に何を求めておられるのか……我が事ながら首を傾げるばかりですーーあぁ、どうぞお掛け下さい」

 

 用紙を机上へ戻しつつ彼は手振りで長門に応接用のソファを勧めた。

 

 彼女が頭を下げた後、素直に腰を下ろすのを認めつつ桂木が椅子から立ち上がる。

 

「何かお飲みになりますかーーとはいっても粗茶しか満足に出せる物はありませんが」

 

「いえ、どうかお構い無く。…桂木中将に少々お尋ねしたい事がありましたので…」

 

 内心で小首を傾げる桂木は対面に腰掛けると彼女へ視線を向ける。

 

「私に尋ねたい事とは?」

 

「はい。ーー不躾ですが、桂木中将は私に…“戦艦 長門”に乗り組んでいた事はございますか?」

 

「…えぇ。砲術士官として乗り組んでおり日米の開戦は長門艦上で迎えました」

 

 その言葉を聞いた長門は、やはり、と思いつつ口を開く。

 

「道理で…初めて貴方と海軍省でお会いした際、以前に何処かでお会いした事があるような…懐かしい気持ちになりました…やはりそうでしたか…」

 

「…実を申せば私はーーというより幼い時分から近所の男子達にとっても戦艦 長門は帝国の誇りというべき存在で艦の写真が新聞や週刊誌に掲載されると切り抜きをしておりました」

 

「…誇り、ですか…」

 

 自嘲の微笑を浮かべた長門に桂木が疑問符を浮かべる。

 

 そして彼女は唐突にソファから立ち上がると窓辺へ歩みを進めた。

 

「…そんな賛辞やビッグセブンという称号は私には相応しくない」

 

「…何故?」

 

「ロクな戦果も上げられず、祖国を護りきれなかった巨艦(木偶の坊)…それが私です。そんな軍艦に賛辞、称号は相応しくありません」

 

 彼女の静かな独白が室内に響いた。

 

 長門が窓ガラスに映る人間の姿となった自身の姿を眺め見ているとーー背後で腰掛けていた桂木が歩み寄って来た。

 

 窓ガラスに映る彼が傍らまで歩み寄り、そして口を開く。

 

「ーーそのような事は断じてない」

 

「何故?」

 

「私は貴女に勇気を頂いたーー帝都や関東を襲った震災で私の実家は焼失しました」

 

「ーーえ?」

 

 長門が振り返ると自身を見下ろしている桂木の視線と彼女のそれが交差した。

 

「焼け出された私と両親は横浜へ向かいました。親類がおり、そちらに身を寄せようと思っていたのです。しかし親類の自宅も焼けており途方に暮れていた時、沖に艦隊を率いて駆け付けた貴女の姿が見えた。あの時は勇気が溢れました。それだけ取っても貴女には感謝しかない」

 

 語られる彼の話に長門はただ呆然と聞き入るだけだ。

 

 更に桂木は続ける。

 

「…観艦式で海軍への憧れを抱きましたが、現在になって思えば、あの時こそが私が真に海軍を目指そうとした切っ掛けだったのかも知れません」

 

「私はーーいえ、“私達”は特別な事はしておりません。ただ当たり前の事をしただけです」

 

 彼の真っ直ぐ過ぎる視線に堪らず長門は自分の視線を横へ逸らした。

 

「ーーそして…貴女は最期まで真に帝国の…いや日本人の誇りであり続けた」

 

「ーーえ…?」

 

「マーシャル諸島はビキニ環礁…そこでの実験の事です」

 

 瞬間、長門の脳裏にあの光景がーー人工の太陽が空中に発生し、紺碧の海が沸騰した、あの光景が浮かび上がった。

 

 頭痛に耐えるかのように額を手で押さえるが彼女の身体が崩れ落ちそうになったーーそれを桂木が慌てて支える。

 

 冷や汗が流れ落ち、息遣いが荒くなる。深呼吸をする長門が彼へ尋ねる。

 

「ーー何故…何故、その事を…あ、貴方は大和と共に……!」

 

「井上局長よりお預かりした本にその旨が記載されておりました。……嫌な事を思い出させてしまい申し訳ありません」

 

 深呼吸を続けていると彼女の鼻を擽ったのは桂木の軍服に染み込んだ紫煙の残り香だ。

 

 それを吸い込むとーー少しだが落ち着いて来る。

 

 やがて身を離した彼女は改めて桂木を見上げる。

 

「…仰る通り…私は敗戦の翌年に原爆実験の標的艦となりました。…ちょうどよかったのかも知れない。生き恥を晒し続けるよりは……だが叶うならば…戦いの果てに沈みたかった…」

 

 長門が素直な心情を吐露する。

 

「…沖縄を目指す途上で大和や矢矧達が逝き、敗戦を迎えた私は…接収されるまで何も出来なかった。何故…生き残ってしまったのか…」

 

 紅玉を思わせる彼女の瞳が潤み始める。

 

 それを見ながら彼女が口を開いた。

 

「ーーそれでも貴女は最期まで日本人の誇りであり続けた、そう思います」

 

「ーー何故!?何故そう言える!貴方は帝国海軍最後の艦隊の一員として誇りをもって逝った!そう大和に言った筈だ!惨めな敗戦を迎え、生き恥を晒した私の事が…私の気持ちが判ってたまるか!!」

 

 激昂する長門が彼に詰め寄り、軍服の胸倉を掴み上げる。

 

「判ってたまるものか!…判って……っ!!」

 

 胸倉を掴み上げる腕の力が次第に弱々しくなる。

 

 その手へそっと自身の手を重ねた桂木が優しく指を解く。

 

「…何度でも申し上げますが、貴女は最期の瞬間まで日本人の誇りであり続けた」

 

「ーーっ!」

 

 まだ減らず口を、と長門が再び彼へ憤怒の感情を込めた視線を遣るーーしかし桂木はそれを意に介さず口を開く。

 

「二回です」

 

「ーーえ」

 

 何を、と疑問符を浮かべる彼女を他所に桂木は尚も続ける。

 

「我が国土を、何万もの無辜の民を灼熱の焔で焼き払った原子爆弾。それを貴女は奇しくも同じく二回浴びた。故意に破壊孔を穿たれて尚も浮かび続けた」

 

「あ……」

 

「それは日本の建艦技術が確かなモノであったと裏付けるに充分であり、敗戦で低迷していた国民にとって日本の象徴であった戦艦 長門の勇姿は眩しくーーそして勇気を与えた事でしょう。かつての乗組員として、そして貴女に憧れを抱いていたかつての少年として申し上げます」

 

 桂木が一際深く息を吸い込み、長門をーー日本の象徴であり続けた戦艦を見下ろすと改めて右手を取って自身の両手で包み込む。

 

「ーー艦歴は決して華々しいモノではなかったかも知れない。だが栄光の連合艦隊旗艦を務め、世界のビッグセブンに数えられ、そして日本人の憧れを一身に受け、敗戦で失いかけていたであろう日本人としての誇りを貴女は身をもって取り戻す一助と呼ぶには大きなそれとなった。貴女は最期の瞬間まで日本人の誇りであり続けた。戦艦 長門、貴艦に心からの敬意を表します」

 

 彼の言葉は長門の心奥深くへ突き刺さる。

 

 もはや彼女は溢れる涙を押さえる事が出来なかったーー

 

 

 

 

 

「ーー落ち着かれましたか?」

 

「…申し訳ありません…何度もご無礼を…」

 

 ソファへ腰掛ける桂木は隣に座る長門へ声を掛けた。

 

 それに彼女は鼻を啜りながらも先程までの無礼を詫びるが桂木は緩々と首を横へ振る。

 

「私こそ不躾な事を重ねて申しました。ご容赦下さい」

 

「…では…お相子という事で」

 

「そうですね。そうしましょうか」

 

 手打ちを済ませた二人は、このやり取りが滑稽に思えてしまい揃って苦笑いを零した。

 

「ーーあぁ…ところで」

 

 長門が不意に声を発した。

 

「先程の信号の件ですが…」

 

「…アレは明日の出港までに考えておくように申し付けられているのですが…やはり…さっぱり思い付きません。どうも私には、この手の才能はないようだ」

 

 坊主頭を片手で掻き、心底から困ったような声音を出す桂木がばつが悪そうに眉を寄せる。

 

「あくまで私見なのですが宜しいでしょうか?」

 

 長門が彼へ声を掛けると桂木は無言で続きを促す。

 

「名文である信号の意を全て変える必要はないかと思います。本作戦は正しく此の一戦が皇国の興廃が懸かっているのですから」

 

「ふむ……」

 

「ならば、なにか付け足すのが適当ではないかと。例えば…褌を締めて挑め、とか」

 

 唐突に彼女が放った一言で桂木が吹き出した。

 

 口を押さえて耐えるがーー笑い声が漏れてしまう。

 

「…な、長門さん…確かに心胆を引き締めて事に当たる時はそう言いますが…え、FUは…」

 

「な、なにかマズいでしょうか?」

 

「…おそらく皆が私のようになりますよ」

 

 桂木の反応が意外だったのか長門は呆気に取られる。

 

 尚も笑いが込み上げてくるが彼は深呼吸を数回して精神を安定させ笑顔を引っ込めた。

 

「…FUは兎も角として…付け足す、というのは良い判断かも知れない。…さて…どうするか…」

 

 腕を組んで唸る桂木へ視線を遣る長門が口を開く。

 

「ならばーーこれはどうでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 ハワイ オアフ島より南西へ200海里の洋上。

 

 大日本帝国海軍 第四艦隊 旗艦 蔵王型重巡洋艦一番艦“蔵王”の艦橋ーーその長官席に腰掛ける青年へ海軍大佐の階級章を三種軍装の襟に付けた艦長が声を掛ける。

 

「ーー長官。定刻まで15分を切りました」

 

「応」

 

「ーー第一航空艦隊 旗艦 天城より至急電!“Z揚ゲ”!」

 

「ーー現刻をもって無線封鎖を解除する」

 

 彼ーー第四艦隊司令長官に着任した桂木は東の空がうっすらと白んで来たのを認め、眼を細めつつ首から下げた双眼鏡を揺らして席を立つ。

 

 彼の視線が艦橋に取り付けられた本土と現在の経緯で設定された時計の針へ向けられた。

 

 間もなく時計の針は0430を迎える。

 

 左腕の手首に巻いた腕時計の針を現在の時刻へ改めてきっかり合わせた桂木に新たな報告が齎される。

 

「ーー四航戦 瑞龍より信号!“第一次攻撃隊発艦用意宜シ”!」

 

「応。ーー艦長」

 

「はっ!」

 

「ーー旗旒用意。艦隊各艦各部へ伝えよ。続けて戦闘旗も揚げろ」

 

「了解。航海長、旗旒用意!Z旗ならびに戦闘旗を掲げろ!!」

 

「はっ!」

 

 桂木の命令を艦長以下が順繰りに復唱していく。

 

 やがて艦隊旗艦蔵王のメインマストへ先に掲揚されている桂木が座乗している事を示す中将の将官旗と共に黒、黄、赤、青の四色で染められたZ旗、そして旭日を模した戦闘旗が掲げられる。

 

「ーー旗艦蔵王より旗旒信号!Zであります!」

 

 メインマストに掲げられたZ旗を認めた艦隊各艦の見張員が艦橋へ報告する。

 

「ーー各部へ伝え!!」

 

 各戦隊司令、または各艦長が事前に配布された封筒を千切り、中身の紙片を取り出す。

 

「桂木長官よりーー皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リーー」

 

 彼等が桂木からの訓示を代読する形で読み上げる中、伝声管を通じてその内容が各部へと伝えられる。

 

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リーー」

 

「各員一層奮励努力セヨーー」

 

 訓示が次々と伝達される。

 

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニーー」

 

 上は艦橋上部の主砲射撃指揮所や防空指揮所ーー。

 

「ーー各員一層奮励ーー」

 

 下は艦の心臓部とも言える機関室まで余す所なく訓示が下達されていく。

 

 旗艦蔵王の艦橋で仁王立ちとなった桂木は東の空から顔を出した朝日を見て暫し瞑目する。

 

 そしてーー両目を見開いた彼が眦を鋭利に吊り上げ、攻略目標となるハワイの方角を睨み付けた時、艦隊各艦に伝えられた訓示が最後の部署へ奇しくもほぼ同時に伝達された。

 

 

 

 

 

 

「ーー暁ノ水平線ニ勝利ヲ刻メ!!」

 

 

 現地時間 西暦1945年(照和20年)7月14日 0430。東の空から昇る鮮やかな朝日が彼方の水平線を暁の色へ染め出した。




作戦細部等については次話以降。

桂木長官、艦娘専属のカウンセラーとしてでもやっていけそう。

◆蔵王型重巡洋艦◆
改鈴谷型重巡洋艦の一番艦となる筈だった伊吹が空母へと改装された為、二番艦として建造途中であった蔵王が代わって一番艦とネームシップとなる。他に二番艦 栗駒、三番艦 船形がある。

◆瑞龍◆
雲龍型航空母艦の八番艦。


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