発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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 主計科の手隙の者達が総出で作業を行っていた。

 

 昨日のスコールが嘘だったように晴れ渡る空の下、彼等は雑毛布を地面へ敷き、その上に胡座を掻いて一心不乱と鎮守府敷地内の弾薬庫から搬出したばかりの弾薬を磨いている。

 

 ひとつの挿弾子へ5発ごとで纏められ、紙箱に計15発が納められている三八年式実包を点検し、錆や汚れの有無を確認しつつ油を付けた布で磨き上げる。

 

 点検と磨きが終わった弾薬は三個ごとに纏めると油紙で包み、元の紙箱へ納めてから傍らの木箱に整頓して置いていく。

 

 作業を続ける彼等の中には熊谷一主の姿もあった。

 

 彼も日々の作業へ駆り出され、忙しい毎日を送っている。

 

 一見すると地味な作業であるがとても重要な作業、とは昨日の視察で訪れた桂木の言葉だ。

 

 彼曰く、敵前に上陸した部隊の生死はこの作業に携わっている者達の目利きと手入れの細かさにかかっているという。

 

 もし錆びた銃弾を見逃し、発砲の段になって不発となったらーー反撃の応射を敵に許してしまう。故に貴様等の作業には上陸部隊の生死が掛かっている。奮励努力せよ。

 

 そう桂木は作業に携わる者達へ訓示したのだ。

 

 熊谷一主は仲の良い者ーー海兵団同期であり、陸戦隊の柳瀬一水を思い浮かべる。

 

 あいつも陸戦隊の兵舎で小銃の整備と背嚢の中身の整理に追われているだろう、と考えながら彼は手元に山と積まれた銃弾を再び磨き出した。

 

 

 

 鎮守府敷地内にはトラック泊地陸戦隊の一個中隊が鎮守府の警備と万が一の際の防衛の為に詰めている。

 

 一個中隊195名の士官、下士官、兵達は普段、敷地内に建てられている兵舎で寝起きしており彼等の主武装となる小銃や擲弾筒、軽機関銃等もこの兵舎の中に納められていた。

 

 トラック泊地を防衛する大隊規模の陸戦隊ーーその銃隊(陸軍での歩兵)第一中隊第一小隊の第二分隊に属する柳瀬一水は分隊が集団生活を営む居室の中で室内の壁際に設けられた小銃を保管する銃架から持ち出した自身の三八式歩兵銃を部屋の長机の机上で丁寧に分解清掃している。

 

 他の分隊の者達も彼と同様に歩兵銃の分解清掃に余念がない。

 

 機関部を分解し終わった彼は洗い矢の先端に油を浸した布切れを差し込むと、銃身内へ挿入する。

 

 銃身内の汚れを落とす為に何度も繰り返し往復させていると柳瀬一水の隣で小銃の遊底を磨いている青年が彼へ声を掛ける。

 

「ーー柳瀬、マメにな。輸送艦(フネ)ん中でも整備はすっけどもな」

 

「ーーはい佐藤水兵長」

 

 太い眉と酷い訛りが特徴の水兵長が日焼けした顔に笑顔を張り付けながら柳瀬へ視線を向けつつ銃の整備を続ける。

 

「ぐいら鉄砲(てっぽ)がぼっこれたら一巻の終わり……けんのんたがりみてぇにマメにな?」

 

「あの……佐藤水兵長…大変申し上げにくいのですが…その…訛りが酷くて…なんと仰っているか…」

 

田舎者(ざいごったろ)で悪ぃな!?からこびすっど、ぬさぁ!」

 

 佐藤水兵長が握り拳を作り、それを振り上げてみせると居室内の者達は、また始まったとばかりに苦笑を始める。

 

「ーー佐藤、貴様の訛りは酷くて俺にも分からん。日本語かどうかも怪しいくらいだ」

 

「水谷二曹ぉ…」

 

 丸顔の二等兵曹が銃剣を研ぎつつ柳瀬一水の援護射撃をすれば、訛りの酷い水兵長が肩を落とした。

 

「ーーだが、整備はしっかとやっとけよ。上陸して撃ち合いが始まった途端に撃てませんは困るからな」

 

 銃剣の刃の具合を確認しながら水谷二曹が下級者全員へ注意を促した。

 

「ーー俺は今まで上陸を二回やった。最初はマレー半島、お次はブルネイだ。鮫頭の半魚人みたいな兵隊共が海岸線の高所に陣取って上陸した俺達に銃弾をスコールみたいに降らせてきやがった」

 

 彼は独り言ちつつ再び銃剣を砥石で研ぎ出すと分隊を見渡し、彼等へ告げる。

 

「ーー遺書は書いておけ。後悔せんようにな」

 

 

 

 

 

 鎮守府庁舎内の会議室には作戦に参加する艦隊の司令長官、戦隊司令や参謀長、参謀などの主だった高級士官達に加え、上陸部隊となる陸軍の連隊長、陸戦隊司令が集っていた。

 

 枯れ草のような国防色の軍服を纏う陸軍将校が海軍の軍事施設の中で純白の軍服へ身を包む軍人達の中に紛れているのは何処と無く違和感があるーーそれは本人達も感じているだろうが、これは陸海軍合同での作戦だ。

 

 作戦に参加する以上は互いに確認すべき事項が幾多もある為、違和感云々をほざいている暇は寸暇すらない。

 

 トラック泊地鎮守府を預かる桂木もこの会議に参加している。自身よりも年長ばかりの高級士官が集う会議で不精と思われる格好は甚だ宜しくない。普段以上に髭はしっかり剃り、軍服の皺等の身嗜みにも気を付けた。

 

 幅の広い長机を挟んで陸海軍双方が別れて腰掛けているのだが、桂木の対面に腰掛けている連隊長は彼の眼光の鋭さに何処か畏縮をしているようだった。

 

 居並ぶ高級士官、将校達の上座に腰掛けるのは軍令部総長山口中将、横須賀鎮守府司令長官にして本作戦の為に再編された第一航空艦隊司令長官を務める南雲大将、そして長官である彼を支える黄金色の参謀飾緒を肩から下げている幕僚達である。

 

「ーー本作戦はケ号作戦。“乾坤一擲”から取った名称となる。作戦細部については……作戦参謀」

 

「はっ!」

 

 山口総長に促された中佐の肩章を付けた細顔の参謀が席から立ち上がると南雲らへ敬礼し、指示棒を片手に机上の太平洋が描かれた大きな海図を指した。

 

 その動きを注視しようと室内の高級将校、士官達が一斉に海図へ視線を向ける。

 

「ケ号作戦の細部についてご説明させて頂きます。まず始めに作戦目標としては北太平洋における深海棲艦の大泊地と化している二大拠点の占拠を企図しております」

 

 二大拠点の占拠ーーつまりは本作戦において二つの戦略上重要な拠点の占拠を同時に行う、という事を暗に告げられた彼等が生唾を飲み込んだ。

 

 そして北太平洋における敵の二大拠点、という言葉を聞いた誰かが唇を震わせつつ声を上げる。

 

「…二大拠点とは…まさかだが…」

 

「…ミッドウェー…そして…ハワイ…」

 

 作戦に参加する艦隊の要人の誰かが発した一言で場が騒然となる。

 

 それを眺めていた南雲や山口は泰然としつつも防諜が機能していた事に満足した。彼等の記憶にあるミッドウェーの時は作戦の前から水兵達の間でさえも、次の目標はミッドウェー、と噂が立っていたのを考えれば今回は満足に値する事だったようだ。

 

 山口と南雲は眼に見えて動揺している将校や士官達を尻目にチラリと桂木へ視線を向けた。

 

 彼は同席している動揺する士官達を無視し顎へ手を遣りつつ考え込んでいる様子だった。

 

 ほぉ、と二人は彼の様子を見て感心した様子だ。

 

 肝が据わっているのは結構な事と更に満足した二人の将官は微かに緩んだ表情を引き締め直し、南雲が握り拳を作るとそれで強く机を叩く。

 

 ガツンと衝突の音が室内に響き渡り、騒然としていた居並ぶ高級士官、将校達が一斉に南雲へ視線を向ける。

 

「ーー騒々しい、静かにせい」

 

 鋭利な視線を列座している者達へ向ければ彼等は途端に静まり返り、再び会議室に沈黙が落ちる。

 

「ーー作戦参謀」

 

「はっ。では説明を続けさせて頂きます」

 

 南雲が目配せすると作戦参謀が首肯し、手にした指示棒で北太平洋上の二つの島を指し示す。

 

「占拠を企図するのはーーご想像通り、ミッドウェー、そしてハワイ、この二点となります」

 

「ーー尋ねたいのだが、その二点は現在でこそ深海棲艦の泊地となっておるが国際的には未だに米国の領土だ。占拠を成功させたとして米国の反発を招く可能性がある。外交上の問題となってしまうのではなかろうか?」

 

「御懸念は御尤もであります。政務参謀、お願い致します」

 

 作戦参謀が大佐の肩章を付けている強面の政務参謀を指名した。彼は頷いた後に席から立ち上がると列座する士官、将校達を前にして口を開く。

 

「ーー米国との外交折衝については外務省が済ませております。端的に申し上げれば我が軍が占拠する事を了承させました。ただし、これは一時的な占拠となります。然るべき時にはミッドウェー並びにハワイの両島は米国へ返還する事となります。それまでの期間は我が国が両島を保有し、軍事拠点とする事を認めるとの返答であります」

 

「ーーなんだと!そのような事が罷り通ってたまるか!!」

 

 再び会議室が騒然となる。

 

 異口同音と彼等が口にするのは本作戦が成功したとしても最終的な結末は帝国が得るモノが何一つとしてない事への不満である。

 

 陸軍の高級将校達が列座する席から一人の将校ーー大佐の階級章を付けた坊主頭の四十路過ぎの将校が肩を怒らせて立ち上がると政務参謀を睨み付けた。

 

「皇軍将兵の屍を積み上げて敵から奪取した拠点をみすみす米国へ引き渡すと言うのか!」

 

「申し上げ難い事ながら……」

 

「ふざけるな貴様ぁ!!それを我が連隊の兵達の前でほざいてみせろ!!俺が連隊の皆を怒鳴り付け、鍛え上げて来たのは米国の為などではないっ!!皆を我が子以上に厳しく鍛え上げたは偏に皇国の未来の為である!!それを…それを…!貴様は日本男子としての誇りはないのか!!いつから米国の手先となった!!」

 

 激昂の余り陸軍大佐の眼から涙が零れ落ちる。

 

 彼は東北は仙台の第2師団隷下歩兵第4連隊を預かる連隊長だ。

 

 奇しくも彼は仙台の出身であり、郷土の護りに就く連隊を預かった時は天にも昇る気持ちだったという。

 

 彼が連隊の将校や兵士達へ課す訓練は厳しかったが、同じ郷土出身という事や平時は非常に気さくで大らかな人物故に郷土出身の下士官、兵士達は連隊長を親しみを込めて“オヤジ殿”と呼んだ。

 

 厳格な軍紀を誇る帝国陸軍としては問題となる呼び名なのではあるが、彼はそれを非常に喜び、むしろ“俺が連隊長をしている期間、俺を呼ぶ時はオヤジ殿と呼ばなければ応答せんぞ”と下命する始末だ。

 

 苛烈を極める訓練を課したが、それ以上に目に入れても痛くないほど可愛がった連隊の兵を徒に喪う事となる事実故にオヤジ殿と呼ばれる連隊長は彼等の親に代わって眼前の政務参謀を睨み付けた。

 

「ーー菅生大佐殿、でありましたか。仰る事は一々御尤もなれど、まだ作戦の説明の途上であります。どうか御着席下さい」

 

 一触即発の空気が室内に流れる中、静かでいて冷静な声が響いた。

 

 それは着席しつつ両腕を組んだ桂木だ。

 

 思わず、全員が若い海軍中将へ視線を向ける。

 

「ーー貴官は……あぁ、新聞でお顔は拝見しております。桂木中将“閣下”でありましたか?」

 

 激昂する連隊長の隣に腰掛ける別の陸軍将校が殊更“閣下”を強調して桂木の名を呼んだ。

 

「はい、私が桂木であります。貴官は……あぁ確か…中川原大佐殿でありましたか」

 

 桂木が陸軍将校の官姓名を口にすると言い当てられた大佐が驚愕を顔に張り付けて固まった。

 

「…名乗っておりませんが…何故…」

 

「昨晩中、この会議に参加するであろう我が海軍の高級士官、陸軍将校の全員の名は記憶致しました」

 

 表情ひとつ変える事なく言い放つ彼だが、列座する陸海軍の高級士官や将校達は全員が内心で仰天する。

 

 彼等を尻目に桂木は改めて歩兵第4連隊長の菅生大佐を見詰める。

 

「菅生大佐殿。改めて申し上げますが、どうか御着席下さい」

 

「しかし…!」

 

「二度は申し上げません」

 

 年長故に口調こそ丁寧だが、有無は言わせぬとでも告げたいのか鋭い視線を彼は大佐へ送る。

 

 年下ではあるが階級は遥かに上位の人物の警告とも取れる言葉と視線を受けて大佐は渋々と席へ座った。

 

「ーーいまだ本作戦の細部は不明なれど確かな事があります」

 

 彼は立ち上がると列座する面々を見渡しつつ静かな声で言葉を紡ぐ。

 

 高級士官や将校達と比べれば遥かに若年の桂木だが、彼等はその引き込まれるような彼の声音を聞いて我知らず桂木の顔を見詰める。

 

「この二点を占拠する事が叶えば本戦役の一大転換となるは明白。我々は歴史が変わるその瞬間に立ち会う事となる。然れどもこの作戦が失敗すればーー」

 

 やおら桂木は身を乗り出し、自身の手で机上の海図を指し示した。

 

「ーー海軍の残存艦艇のほぼ総て、そして艦娘を投入したこの作戦が失敗した後は血道を上げてまで奪取した西太平洋の制海権は再び敵の手に渡る事になる。そうなれば本土まで敵が迫り、海上の交通路は悉く封鎖され、必然的に帝国は自滅の一途を辿る。私は国を……父祖達の魂が眠る日本という国を敵の手に渡したく等はない。そのような事は断じて許さぬ。そう…例え…」

 

 呼吸を整えた桂木が更に続ける。

 

「例え…幾万もの将兵に死ぬ事を命じようとも、幾多の艦艇を海の底へ沈めようともーーこの作戦は成功させねばならんのだ。その結果、後世の歴史家に、徒に犠牲を強いた愚将、との悪評を下されようと一向に構わん」

 

 彼の双眸を見た者達は等しくゾッとした。

 

 眼前の若い海軍中将は、その年齢の者がするには相応しくないにも程がある目付きをしていたのだ。

 

 その双眸へ宿すのは狂気にも似た勝利の二文字のみ。

 

 そして桂木は乗り出していた身体を元へ戻しつつ暫し瞑目するとーーややあって眼を開けた。

 

「ーーとはいえ、主力の艦艇を喪失してしまえば、その後は失敗した場合と同様の結末を迎えるのも明白なのですが。……失礼しました。……参謀、続きをお願いする」

 

 雰囲気に気圧されていた作戦参謀が政務参謀から引き継ぎ、作戦細部の説明は続けられた。

 

 

 

 

 




前世にて敗北に敗北を重ねて最期は水上特攻という作戦にて戦死した桂木長官なので“勝利”にはヒッジョーに拘る側面を持っています。ですが徒に死ぬ事は許さないという矛盾も抱えています。

命令には従うものの「死ぬのならば、せめて意味のある死でありたい」と願う軍人としての性とでも言いましょうか。

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