発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官 作:戦闘工兵(元)
艦これのアンソロやイラストで提督の制服(詰襟の一種、二種)の下に着るシャツがワイシャツになっていたりしますが、帝国海軍的にはダメだったりします。カラーも原則禁止となっており、これは襟を付け替える英国式の名残だとか。
襟や胸ポケットがないシャツに付け襟をして着用していたとの事です。
ちなみにズボンは腰に巻くベルトではなくサスペンダーで留めておりました。
大和型戦艦一番艦 大和。
桂木はその艦を初めて見た時、素直に美しいと思った。
それが例え兵器という戦争の道具だとしてもーー例え、何千人もの将兵を海の底へ引き摺り込むだろう巨大な棺桶だったとしても彼は美しいと感じた。
桂木がその巨艦の砲術士官として着任したのは昭和17年2月ーー大和が連合艦隊旗艦となった直後だ。
そして同年の3月30日に桂木は初めて搭載された世界最大の巨砲が火を吹く瞬間を主砲射撃指揮所から目撃した。
主砲が射撃される前に艦内退去のブザーが数回鳴り、長音一声の後ーー桂木の視界が真っ赤と燃え上がる。次いで空気の壁にぶち当たったかのような衝撃に襲われた。
それが発砲の衝撃波だと彼が気付いたのは装薬の燃え滓が坊主頭に落ち、熱さを感じてからだ。
熱さを感じたのは被っていた戦闘帽が発砲の衝撃で顎紐が切れてしまい吹き飛んでいたからだった。
無様な格好で先任の砲術士官達に笑われたのも良い思い出となっている。
その時は約三年後にこの艦と運命を共にするとは思いもしなかったがーー
「ーー中将?桂木中将?」
傍らに寄り添う大和が自身を見上げている事に桂木は気付いた。
室内へ視線を巡らせれば艦娘達も心配気に彼を見詰めている。
「何処かお加減でも?」
「あぁ…いや、大事ありません」
「どうぞお掛けになって下さい。さぁ」
大和が桂木の背中へ手を添え、椅子へと導く。
大人しく導かれた椅子へ腰掛けた桂木は指先で目頭を揉む。
「何かお飲み物でも…?」
「いえ……お気遣いなく」
見苦しい姿を晒してしまった事を自省した彼は落ち着こうと深呼吸を数度した。
すると彼の眼前の机上にガラス製の灰皿が置かれた。
その灰皿を置いた手から上へ視線を滑らせていけばーー大和が微笑みを浮かべている。
「ーーどうぞ」
「何故、煙草を吸うと?」
「煙草の匂いと指です」
意味が判らず眉根を寄せていると彼女が桂木の右手の人差し指を指し示す。
「根本まで召し上がるようですね。黄ばんでおりますよ」
思わず桂木は右手を注視した。彼女が指摘した通り、人差し指と中指で煙草を挟み喫煙する為か黄色く肌が変色している。
「……素晴らしい観察力だ」
「ありがとうございます。さぁどうぞ」
「…では申し訳ありませんがお言葉に甘えます」
長官室で吸い損ねた煙草を取り出し、皺が寄ったそれを伸ばしつつ銜えるとマッチを擦って火を点ける。
紫煙を深く吸い込み、天井へ向かい吐き出せばそれが傘のように広がった。
大和はその形の良い鼻で広がった紫煙の香りを嗅ぐと更に微笑みを深くした。
「……誉、ですね」
「えぇ。良くお分かりになりますな」
普段通り、桂木は指先へ煙草を挟みながら溜まった灰を灰皿へ叩き落とす。
「ーー煙草がお好きな方達を良く存じ上げておりますからそのお陰です」
大和の言葉を聞いて桂木の頬が微かにピクリと動く。
「その……」
「?」
「その“方達”というのは……」
桂木は緊張のせいで生唾を飲み込むと意を決して口を開く。
「ーー森下参謀長、有賀艦長では…ありませんか?」
彼が放った一言は大和を驚愕させるのに充分すぎる程の効果をもたらした。
彼女は有り得ない事を聞いたと思いつつ桂木を凝視する。
「どうして……どうしてその名を…?」
大和が彼を見詰めつつ疑問を口にする。
「ーーそういう事ですか」
冷静な声が室内に響く。
それは加賀の声だった。思わず、艦娘達や桂木も彼女へ視線を向ける。
「桂木中将。貴方も山本大臣や山口総長、南雲長官、井上局長、そして私達と同じく向こうからいらっしゃった方なのですね」
加賀の一言に艦娘達が息を飲み、次いで椅子へ腰掛ける桂木に視線を遣る。
「何故、そう思ったのですか?」
「先程、貴方は私達を“世界最強の機動部隊”と仰いました。ですが私達6隻がこうして共に作戦を行った事はありません。“こちら”では、ですが。何を以て私達を世界最強と賛辞したのかを考えると……やはり向こうで
加賀の推理を聞いた桂木は椅子の背凭れへ沈み込みつつ深々と溜め息を吐く。
「ーーえぇ、その通りです。補職されている事を考えれば今後は発言には気を付けなければなりませんな」
「差し支えなければ…こちらへ来る前はどちらに所属していたか教えて貰えるだろうか」
窓辺の壁にもたれ掛かる武蔵が声を発した。
それを受けた桂木が一際深く息を吸い込みーー口を開く。
「ーー昭和20年4月7日までは…大日本帝国海軍 第二艦隊旗艦大和。配置は主砲射撃指揮所。階級は少佐」
今度こそ大和の表情が凍り付いた。
彼女は酸欠の魚のようにただ口をパクパクと動かし、言葉を発する事が出来ない。
それでもやっとの思いで小さな声を絞り出す。
「…嘘…」
桂木は根本近くまで吸い切った煙草を灰皿へ押し潰した後、椅子から立ち上がると傍らの大和を見下ろす。
「いいえ。嘘ではありません」
「し、証拠はーー」
「第一波の攻撃が始まった時刻を答えましょうか?それともーー大和の艦歌を歌ってみせましょうか?」
「ーーえっ」
やや呆然とする大和を尻目に桂木は息を吸い込むと戦艦 大和の艦歌を朗々と歌い上げる。
当然ながら演奏はない。
だが彼女には聞こえた。
連合艦隊旗艦の栄誉を賜り、その司令長官を迎えるに相応しい音色を奏でる為に鍛え上げられた軍楽隊の勇壮な演奏。その軍楽隊が奏でる自身を讃える艦歌の旋律。それが演奏されているのを確かに聞いた。
当然ながら眼前には桂木しかいない。
だが彼女には見えた。
歌詞にもある大和
彼女の口から思わず嗚咽が漏れる。
次いで眦に涙が溜まりーーそれが零れ落ちた。
「…っ…ごめんなさい……ごめんなさい…!」
彼女は自責の念を止める事が出来なかった。
あの日の光景が鮮明に思い出される。
雲霞の如く襲い掛かって来る敵機の群れの猛攻に為す術もなくその巨体へ爆弾と魚雷を浴び続けたあの時の事を彼女は鮮明に思い出す。
海戦の主役が戦艦から航空機へと移り変わっていた事は痛いほど判っていた。
だが、しかし、それでも、もっとやれた筈だーーと彼女は涙が溢れ、みっともなくなった自身の顔を両手で覆い隠す。
「ーー申し訳ありませんでした」
艦歌を歌い上げた桂木が不意に大和へ頭を下げた。
それを聞いた彼女が、えっ、と覆い隠していた手をどけて顔を上げる。
「ーー例え、夢物語と笑われようとも…例え、実現不可能と言われようとも……世界最大の巨砲を積んだ世界最大の戦艦として産み出したからには我々には貴女に期待された通りの働きを発揮する機会を作るべきだった」
「ーーー」
「ーーこれは貴女だけではなく他の艦艇にも言える事ですが…実力発揮の機会すら与えられず、ましてや泊地で出撃の時を待ち続ける日々は辛かったと思う。最期はあのような形での特攻……不本意な事だったろうと察します。…運用した我々に全ての責任があります。誠に…申し訳ありませんでした」
更に深々と頭を下げる桂木を見た大和は涙を拭いつつ彼の両肩へ手を遣り、そっと頭を上げさせる。
「…もっと戦えたはず…もっとやれたはず…あの日を思い出すとそう考えてしまうのが常でした。私こそ…申し訳ありません。…沖縄へ辿り着けなくて…あの時こそ戦艦の本領がーー私の主砲が必要だった筈なのに…」
再び大和の眦に涙が溜まる。それを見てしまった桂木はーーそっと自身の指先で拭ってやる。
止めどなく瞳に涙が溜まる中、彼女は桂木を見上げる。
「桂木中将ーーいえ、桂木少佐」
「はい」
「…貴方にとって…戦艦 大和とは…どのような艦でしたか?」
大和からの問いに彼は暫し瞑目する。
あの紺碧の海に浮かぶ鋼鉄の城と形容するに相応しい巨艦の姿を初めて目撃した日を思い出した桂木は目を開け、大和を見下ろす。
「ーー美しく勇ましい艦でした。例え、爆弾や魚雷を喰らい続け、傷付いても…あの美しさは微塵も変わる事はありませんでした。あの艦に乗り組み、帝国海軍最後の艦隊の一員として出撃し、最後の御奉公が出来たのは私の…海軍軍人としての誇りです」
桂木の返答を聞いた大和は涙を浮かべつつもうっすらと微笑んだ。
それを見た彼はーーやはり大和は美しい、と素直に感じた。