発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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 開いた口が塞がらないとは正にこの事だ、と桂木は混乱の極みにある思考の片隅で自身の状態を何処か第三者の視点から見るように判断する。

 

「ーー突っ立っていては話も出来ん。掛けろ桂木」

 

「ーーは、はっ!」

 

 眼前の海軍大臣ーーブーゲンビル島上空で戦死した筈の山本五十六が穏やかな口調で桂木にソファを勧める。

 

 それに彼は思わず連合艦隊司令部附の士官だった頃のような勢いで返答すると山本やソファに腰掛けている南雲と山口は揃って苦笑いを零す。

 

 山本が上座にある一人掛けのソファへ腰掛けたのを見届けた桂木が彼等へ倣い、吊るしている軍刀の鞘を握りつつ石突を絨毯が敷かれた床へ立てながら南雲と山口の対面にあるソファに腰を下ろした。

 

「…なんと言えば良いか…やはり…久しい、としか言えないな」

 

「はっ…長官…お久しゅうございます…」

 

「おいおい、俺は長官ではないぞ。大臣だ」

 

「失礼致しました。申し訳ありません」

 

 誤りを指摘された桂木が頭を下げると三名の苦笑いが更に深くなる。

 

「…失礼ですが長ーー大臣達は何時からこちらに?」

 

「約四年前ーーいや、それは正しくないな……」

 

 桂木の質問になんと説明すれば良いか、と山本が顎を指が三本しかない左手で擦りながら考え込む。

 

「俺は確かにサイパンで腹を切り、介錯で副官に頭を撃って貰った。だが気付けば……宮中で一航艦の司令長官に補職される為の式の最中だった」

 

「俺も南雲さんと似たようなものだな。 飛龍が雷撃処分されて加来くんと一緒に沈んだと思えば…新編される一航艦に二航戦が編入すると聞かされてた。アレには驚いた」

 

「二人の言う通りだ。ブーゲンビル島の上空で敵機に襲撃された所までは覚えてる。気付いたら一航艦の新編っていう過去の頃に戻ってた。まぁ過去と言っても、こっちの世界じゃ暦は“照和”だったが」

 

 南雲、山口、山本が順繰りになって説明をするが桂木はいまだ混乱から立ち直れていない。

 

 その様子に気付いたのか山本が彼へ視線を向けつつ穏やかな口調で声を掛ける。

 

「まぁ一服やれ。少しは落ち着くだろう」

 

「はっ……では失礼して…」

 

 桂木からしても喫煙の許可は心底有り難い事だった。次から次にこうも予想の埒外な事ばかりが続けば煙草の紫煙でも吸って落ち着かなければ到底思考は安定しない。

 

 頭を下げると彼は軍装のポケットから愛煙の煙草である誉とマッチを取り出し、一本を銜えて軍刀を肩で支えつつマッチを擦り、煙草に火を点ける。

 

 火を消したマッチを眼前のローテーブルの机上に置かれた灰皿へ投げ捨て、紫煙を細く吐き出せばーー山本の言葉通り、少しではあるが思考は落ち着いた。

 

「ところで…日本がどうなったかどうか…お尋ねにはならないのですか?」

 

 唇の端をすぼめて紫煙を吐き出し、桂木が眼前の彼等へ問い掛けると三名は顔を見合せーー少しの苦笑いの後、沈痛な面持ちを顔へ張り付ける。

 

「…分かりきった事だろう」

 

「MIで…いやハワイが失敗した時点でな…」

 

「絶対国防圏が破られた後は……想像したくはないが……言葉は悪いが…散々だったのだろう?」

 

「ーーはっ……お察しの通りであります」

 

 桂木は彼等の言葉を肯定した。桂木本人も昭和20年4月7日までの記憶しかないが、あの後を想像するのはさして難しくはなかった。

 

 間違いなく沖縄は陥落し、米軍は本土に上陸し、壮絶極まる地上戦が行われるーー桂木の想定はそうだった。

 

「ーー話を戻そうか。あの時と同様に対米戦の風潮が強くなり、同じ轍を踏まぬよう必死に開戦の回避を模索していた頃だ。あれが始まった」

 

 山本が視線を桂木へ向けつつ更に説明を続ける。

 

「事の始まりは照和16年4月23日だ。大和田通信所が東太平洋方面で米海軍の交信が急に慌ただしくなったのを傍受した。暗号文ではなく全て平文で発信されていた為、解読は容易だった。内容は驚くべきもので米海軍の太平洋艦隊が真珠湾で壊滅した、というものだ」

 

「当時、連合艦隊司令長官だった大臣がこれは異常と判断し、軍令部総長を通じて全艦隊に警戒を命令なされた」

 

「それが23日の0500。そして0830。四国沖、そして房総沖を航行中の民間の漁船が沈んだという報が届けられた。一隻だけではなく十隻以上の漁船が一斉に、だ。当時、海は時化てはいなかった」

 

 三名の説明に聞き入っていた桂木の耳朶を打ったのは扉をノックする音だった。

 

 部屋の主である山本が応と答え、入室を許可すれば静かに扉が開けられる。

 

「ーー大臣、お持ちしました」

 

「あぁ、済まんな軍務局長」

 

「ーーおおっ、久しいな桂木」

 

 黙考を続けていた桂木だったが急に自身の名を親しげに言われーーそれも聞き覚えのある声が耳朶を打った為、まさかと思いつつ視線を向ければーー

 

「ーーい、井上次官っ!?」

 

 驚きの余り桂木は立ち上がると狼狽気味に入室してきた人物の名を叫んでしまい銜えていた煙草が床へ落ちてしまう。

 

「声が大きい。少しは落ち着け。煙草、落ちたぞ」

 

「も、申し訳ありません!」

 

 慌てて桂木は床に落ちた煙草を拾い上げ、それを灰皿へ押し潰した。幸い、絨毯は焦げ付いてはいなかった。

 

 入室して来たのは軍務局長の職に着任している井上成美だった。六月に入り、衣替えとなった二種軍装の階級章は中将となっている。

 

「大臣、こちらに置いておきます」

 

「あぁ」

 

「では、まだ仕事がありますので失礼します」

 

 退室した井上を見送った桂木は再び混乱の渦中へ戻ってしまったようで立ち上がった格好のまま扉を見詰めていた。

 

 少し悪戯が過ぎたか、と山本は何度目になるか判らない苦笑を零しつつ桂木へ座るよう告げる。

 

 気付いた彼が恥ずかしさから少し頬を紅潮させながらソファへ腰掛けるとローテーブルの机上に二冊の本が鎮座しているのが眼に入った。

 

「ーーこれは?」

 

「戦闘詳報だ。見ての通り……いずれも軍極秘に指定されておる」

 

 山本の言葉通り、机上に鎮座する表紙の色は赤。日本軍では、軍機=紫、軍極秘・極秘=赤、秘=ピンク、部外秘=白と機密書類の表紙を種別毎の色で指定していた。

 

 赤は即ち軍極秘か極秘。そして二冊の表紙には軍極秘の印が捺されており、物々しい雰囲気を醸し出している。

 

「説明するよりも戦闘詳報を読んだ方が細部は判るだろう。時間はある。読んでくれ」

 

「宜しいのですか?」

 

「貴様も中将ーーそれも司令長官だ。緒戦の散々たる結果を見ておけ。そして敵が何なのかも知っておけ」

 

「…拝見致します」

 

 桂木が軍極秘に指定された二冊の戦闘詳報の一冊を手に取った。

 

 それは表題が手書きの分厚いものだ。

 

軍極秘

第一艦隊機密第六號 照和十六年五月十日

 

第一艦隊戦闘詳報 第六號

 

四国沖海戦ニ於ケル 自照和十六年四月二十三日

          至照和十六年四月二十四日

 

第一艦隊司令部

 

 

 表題の文字を視線でなぞった後、桂木はゆっくりと表紙を捲った。




万が一、桂木長官がケッコンカッコカリなんてする場合は並み居る猛者達に立ち向かわなければならないーーそんな感じがしてなりません。

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