発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官

01

　1928年(昭和3年)12月4日、横浜沖。

「−−船が一杯だぁ…!!」

　この日、計186隻、飛行機130機、飛行船2隻が参加した御大礼特別観艦式が催された。

　大人達の間を掻い潜り、少しでも高い場所から見ようと欄干に攀じ登って沖に集結した大艦隊の様相を眺める少年が一人。

　広がる海原に巨艦が群れをなす様子は壮観とした言いようがない。

「…凄い…写真でしか見た事のない船ばっかりだ…!!」

　感動して独り言を述べる少年の双眸には海原と軍艦のみが映る。

「…海軍…かぁ…!!」

　この大艦隊の様相を見た少年は、年頃の子供らしい夢を描いた。

−−いつか海軍に入って軍艦で海を進もう−−と。

「−−−……うっ……」

　すっかり慣れた潮騒の音、鼻を突く磯の香り。

　それに気付いた彼は双眸を抉じ開けた。

　視界が霞む−−まるで長い眠りから醒めたように。

　何度か瞬きを繰り返せば−−やがて視界が鮮明を取り戻して来る。

「くっ…!!」

　弛緩していた身体に力を込め、両腕を突っ張り身体を起こすと胡坐を掻く。

(俺は…あぁそうだ…大和が沈んで…爆発の衝撃で打ち上げられて…その後は−−)

−−記憶にない。

(…気絶していた訳か……ここは……？)

　深く考え込む時の癖で彼は喫煙しようと軍装のポケットへ手をやり−−布地の手触りで違和感に気が付く。

「…二種…軍装…？」

　軽く眼を見張り、改めて自分の服装を見る。

　浜辺に打ち上げられた所為で砂が付いているが、確かに純白の二種軍装だ。しっかりと少佐の階級章もある。

「……軍帽に…軍刀まで……」

　傍らには白い日覆いが被せられた軍帽、そして軍刀まであった。

　軍帽を取ると付着した砂を叩いて落として、五分刈りの髪が生え揃った頭に乗せて位置を整える。

　剣帯の吊革へ繋がっている通称:太刀型軍刀(制式名:昭和12年制定海軍制式軍刀)も取り、上着を捲り上げて腰へ剣帯を回しバックルを閉じて佩刀する。

「……はぁ……っと…煙草…煙草…良かった…濡れてはいない…濡れていない…？」

　ポケットから目当ての煙草(誉)とマッチを引き摺り出した彼は不思議に思う。

(自分は海に飛び込んだ筈だ。そして漂流していたなら……濡れていて然るべき。…それ以前に何故、軍装が二種へ変わっている…？)

煙草を銜え、マッチを擦って火を点けた。振ってマッチの火を消しつつ彼は尽きない疑問を解消しようと頭を回転させる。

「……フゥー……しかし…なんだか懐かしい感じだな。まるでGF(連合艦隊)がトラックに拠点を置いていた時のようだ。あの時分も良くこうして浜辺で………トラック……!?」

　気付いた事に若い少佐は立ち上がり周囲を見回す。

(…そうだ…何故、気付かなかった…!? この潮の香りに海の色…なにより、ここから見える島の配置は……!!)

　自分の脳裏にかつて何度も訪れたトラック諸島の様子が浮かぶ。

　フィリピンと米太平洋艦隊母港の真珠湾を結ぶライン上に位置するという地理的重要性と太平洋の荒波から環礁によって隔離された広大な内海という泊地能力の高さから“日本の真珠湾”や“太平洋のジブラルタル”とも呼ばれていたトラック諸島。

　それと現在地の地理を照らし合わせると、ピタリと符合する。

「…まさか…ここまで流されて来たのか？　鱶に食われず…？…まさかそんな…第一、海水で肌がふやけていない…」

　有り得ないだろう、と考えるが、現在はそれが最も現実味のある過程だ。

　九州の坊ノ岬沖で沈没した後、漂流し……遥々と海を越えてトラック諸島に。

　普通に考えれば無理がある考え方だが……可能性としては０ではないだろう。

「……兎に角…合流せんとな。…トラックは占領されておらん筈だ……最寄りの部隊まで行くとしよう……小松はまだあるだろうか…」

　彼は立ち上がり臀部に付いた砂を払い、佩刀した軍刀の鞘へ手を添えつつ歩き出した。

「しかし……違和感が………あぁ…手袋。………何故…あるんだ…？」

　煙草とマッチを仕舞ったポケットとは逆のそれに白手袋が入っている事に気付いた彼は首を傾げつつも幸いとばかりに白色革製の手袋を両手に嵌めた。