発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官 作:戦闘工兵(元)
トラック泊地鎮守府の庁舎の地下一階には資料室という物がある。
“資料室”という言葉では気軽に入室出来るイメージを持ってしまうが実際の所、入室が可能な者は制限されている。
この部屋へ入室出来る者は基本的に鎮守府司令長官のみだ。それ以外では特例として、その職に着任した者の許可を得た者のみ入室が可能という非常に制限が課された場所となっている。
主な理由としては、やはり“防諜”が挙げられるだろう。
保管されている資料は閲覧の制限が課され、保管期限も定められたーー所謂、機密と呼ばれるそれが大半を占めている。
余談だが大日本帝国には“軍機保護法”という法令が存在した。
陸海軍大臣の定めた軍事機密に対する、漏洩、探知、収集等についての罪が規定されており、最高刑には死刑も設けられていた法令である。
では“軍事機密”とはなんなのか。
それは同法の第一条である『作戦、用兵、動員、出師其ノ他軍事上秘密ヲ要スル事項又ハ図書物件』という内容が全てを物語っている。
従って情報漏洩を防ぐ為に新聞や雑誌に掲載する写真等にも検閲の手が入り、大佐以上の高級将校、複数人以上の参謀が写っている物や軍旗の写っている写真等は掲載不可だった。
海軍でも日米開戦の四年ほど前となる昭和12年に海軍省令第二十二號において『艦隊、艦船、航空機、部隊ノ行動其ノ他軍機軍略ニ關スル事項ヲ新聞紙ニ掲載スルコトヲ禁ス』という令が公布・施行されている。
陸軍でも同様の命令が同年の陸軍省令第二十四號で公布ならびに施行されたが、双方とも特例として予め陸海軍大臣の許可を得た物に関してはこの限りではなかったようだ。
意外かもしれないが地図や天気予報も軍事機密に指定される。
地図は軍略上、必要な物と認識は容易だが、何故、天気予報も機密扱いなのかと疑問に思うことは想像に難くない。
天気予報はその地域、あるいは広域における当日から数日先までの天気、気圧、気温、降水確率などを予測する物である為、航空作戦を計画、実施する際に作戦の成否が関係する事から戦時では秘匿されるのだ。
そのような些細な事まで機密に該当すると保管されている資料は莫大な量となる。
実際、トラック泊地鎮守府の資料室も鍵が取り付けられた書架を開けると中に納められている資料が雪崩の如く溢れ出て来そうだ。
機密の五段階における“軍機”、“軍極秘”、“極秘”、“秘”、“部外秘”の内、この資料室にあるのは機密でも重要性は下に位置する秘および部外秘しかないのだが、それでも機密は機密に当たる為、粗雑な扱いは出来ない。
(ーーとはいえ、もう少し整理しておけ……これは一年前に保管期限が過ぎてるぞ)
そう鎮守府司令長官兼ねて艦隊司令長官の職に着任した桂木は資料室内で嘆息する。
彼はトラック諸島近海における哨戒任務の計画の為に敵ーー深海棲艦の特徴等が記載された『深海棲艦 艦種別記録』という名の資料を探していたのだが、本来の目的を保留して資料室の保管状況を確認していたのだ。
(ーー保管期限が過ぎた物は軒並み処分させるか)
保管期限が過ぎた機密情報の迅速かつ確実な処分も立派な防諜である。
手にした保管期限の過ぎたファイルをやや乱暴に部屋の中央に鎮座している小さな机の上へ放り投げた彼は目的の資料を改めて探し始めた。
資料室に置かれている書架は防諜の為、全てに鍵が取り付けられ、外観からは何の資料が収納されているか判別を困難にする目的で金属製となっている。
とはいえ分類毎に書架は分別されている為、資料が納められているであろう場所を特定するのは比較的容易だ。
桂木は『深海棲艦関連』とプレートが打たれた書架の前で立ち止まると鍵を差し込んで解錠し、扉を横へ滑らせた。
指先と目視で納められているピンク色や白ばかりの背表紙の題名を確認していきーーやがて目的のそれを発見すると棚から抜き取り、再び書架を封印する。
資料を小脇に抱えつつ、先程机上へ放り投げたファイルも回収すると出入口の横の壁に吊るされた資料持ち出し記録の帳面へ二つの題名と持ち出した自身の官姓名を記入した。
最後に火気点検を済ませーー何も異常が無い事を認めた彼は部屋の電灯を消し、資料室を後にする。
「ーー今、戻った」
「ーー提督、お帰りなさいませ」
本日の秘書艦である赤城が長官室へ戻った桂木を出迎えた。
「済まないが、この資料を焼却処分しておいてくれ。保管期限が過ぎていた」
「畏まりました。確かにお預かりします」
「その内、資料室の整理もせんとならんな。軽く見ただけでも保管期限の過ぎた物がいくつか目に入った」
「そうでしたか……艦娘の私達で手空きの者がいたら取り掛からせましょうか?」
「それには及ばん。哨戒任務をこなしている
処分する資料を赤城へ手渡した彼が自身の執務机へ歩み寄り、椅子へ腰掛けると作りかけだった哨戒任務計画へ再び取り組もうとした時ーー長官室の扉がノックされる。
「ーー応」
「ーー長官、失礼します」
入室して来たのは通信科の士官だった。彼は室内における敬礼の礼式通りの敬礼を行い、桂木の軽い首肯による答礼が終わった後に頭を上げると執務机へ歩み寄った。
「ーー海軍省より長官宛の電文であります」
「確かに受け取った。下がって構わん」
「はっ!」
再びの敬礼と答礼が行われ、通信科の士官は長官室を退室する。
それを見送った桂木は彼から受け取った電文の本文を読みーーあ、と気の抜けた声を発した。
「ーーどうかなさいましたか?」
桂木らしからぬ声を聞いた赤城が声を掛けると彼は顔を強張らせつつ彼女へ視線を滑らせると口を開く。
「……どうやら……親補職式を受けなければならないようだ……宮中で」