発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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 現在時刻0430

 

 桂木幸一の朝は早い。

 

「−−……ふぅ……」

 

 長官私室に設けられた簡易の洗面所で歯を磨き、顔を洗い終えた彼は脱衣籠の中へタオルと寝間着を放り込む。

 当番の兵が後で取りに来て、それらを洗濯に出すのだ。

 

 体操服に着替え、片手に軍刀を持ちながら長官室を後にする。

 

 外の運動場に出ると東の空が段々と白んで来ている。それに目を細めながら桂木は体操服の上着を脱ぐと身体を動かし始めた。

 

「−−おはようございます長官!!」

 

「−−おはようございます!!」

 

「−−応…おはよう…」

 

 準備運動がてら体操をしていると特年兵である柳瀬と熊谷が宿舎から駆けて来て桂木へ朝の挨拶をする。

 

 二人が海軍体操を済ませるのを認めてから彼等は運動場を走り出した−−

 

 

 

 

 

 

「−−はぁはぁはぁ…っ!!」

 

「−−はぁはぁゲホッゲホッ……」

 

「……貴様等……相変わらず体力が無いな…」

 

 地面に両手を突いて荒くなった息を整える特年兵達へ視線を遣りながら桂木は軍刀の白刃を振るい、形稽古の最中だ。

 

 袈裟懸け、逆袈裟、刺突等と斬撃の基礎を反復に反復を重ねて身に付ける。

 

 白刃を振るう度に鋭い風切り音が鳴る。

 

「…実際に相手が欲しい所だ。陸戦隊に相応の者は居らんか−−…いや…貴様等とも良いかもな。どうだ?」

 

「しっ真剣で、でありますか…!?」

 

「稽古や試合は真剣にするモノだろう」

 

 なにを戯けた事を、と桂木が二人へ横目を遣ると−−

 

「「−−−!!!?」」

 

−−なにやら柳瀬と熊谷が震えていた。

 

 はた、と気付いた彼は剣を振るうのを止め、軍刀を腰の剣帯へ吊るしていた鞘へ慣れた手付きで納める。

 

「…言っておくが本身でする訳ではないぞ。それでは人死にが出るではないか。しっかと防具を着けて竹刀を用いての試合だ」

 

 そう述べると彼等は、これ見よがしに安堵の溜息を吐いた。

 

 その様子を見た桂木の内心で少しばかりの悪戯心が疼く。

 

「まぁ…剣道ではなく棒倒しでも良さそうだな…久々に暴れたい」

 

 “棒倒し"。その言葉を聞いた二人は怯えで身体を震わせるのを通り越して顔面蒼白となった−−

 

 

 

 

 

−−−高らかに“戦闘用意"の喇叭が鳴る。

 

 それを合図にして紅白両軍の参加者達が身構える。

 

 そして−−遂に“撃ち方始め"の喇叭が鳴り響いた瞬間、両軍から鬨の声が轟いた。

 

 一斉に両軍から敵方の棒を倒そうと攻撃隊が放たれた矢の如く飛び出す。

 

 それを阻止しようと棒の周囲を固める防衛隊が防衛線を展開させた。

 

 紅軍の先発した攻撃隊の数名を殴り倒し、己が身を盾にして防衛線を築いた防衛隊へ殴り込んだのは白い鉢巻きを巻いた長身の男。それは桂木だ。

 

「ち、長官を止めろ−−ぶっ!?」

 

「こ、ここを通す訳には−−ガハッ!!?」

 

 勇んで彼を押し止めようと陸戦隊の士官、下士官、兵士が躍り出るが−−あっという間に地面へ殴り倒された。

 

 掛かって来た順に片端から殴られる者達は揃って鼻血を流しながら倒れ伏す。

 

「−−失礼っ!!」

 

 見ていられないと防衛隊を率いる士官が桂木の頬へ握り締めた拳を叩き込む。

 

 中々に腰の入った一撃だったが−−それを喰らった桂木は、にやっ、と口角を吊り上げ、お返しとばかりに士官の頬へ拳を叩き込んだ。

 

「ひっ…ひいっ…!!」

 

 その光景を半ば強制された形で参加した紅軍所属の防衛隊の一員である柳瀬と熊谷が震え上がる。

 

 桂木に殴り倒された士官は唇の端から血を流して倒れ伏していた。

 おそらくは口の中を切った−−いや、もしかすると歯が折れたのかも知れない。

 それほど容赦ない逆襲を桂木は士官へ叩き込んだのだ。

 

「−−さて…」

 

 桂木が一歩前に出た瞬間、彼を取り囲んでいた防衛隊の者達が一歩後退る。

 それに遅れてしまい柳瀬と熊谷が取り残され−−桂木に目を付けられてしまった。

 

「ほぉう?…柳瀬と熊谷か……掛かって来ると良い。容赦なく俺を袋叩きに出来るぞ?」

 

 拳をバキボキと鳴らしつつ彼は怯える二人の特年兵を見下ろす。

 

 鋭いにも程がある視線、今にも舌舐めずりしそうに口角を吊り上げた獰猛な微笑。

 

 二人の特年兵達は互いを庇うように抱き締め合い、降伏の意を示すように地面へ膝を突いた−−−

 

 

 

 

 

 

 

−−−そんな光景が二人の脳裏にありありと浮かんだ。

 

 そもそも、棒倒し自体が“国家公認の大乱闘祭"と言って良い催しだ。

 

 殴る、蹴るは当たり前。骨折、打撲、流血の負傷者が出るのも当然である。

 

 唯一の救いと言えば概ねだが2分間の制限時間が設けられている事だ。

 

 何故、制限時間があるか?

 至極簡単な理由からである。

 

 試合の時間が長引けば長引くほど−−死人が出る恐れがあるからだ。

 

「−−どうだ?楽しそうだろう?」

 

 子供のような邪気のない笑顔を浮かべ桂木が特年兵達へ問い掛けた。

 

 いくら棒倒しがストレス発散−−ぶっちゃければ日々、イビられている者達が公然と憚る事なく上官を殴り飛ばせ、足蹴に出来る行事だとしてもだ、一歩間違えれば大怪我に繋がってしまう。

 下手をすれば死が待っている(とはいえ、今まで死人が出ていないのが奇跡とも言える)。

 

 柳瀬、熊谷からすれば恐ろしい事この上ない。

 

 一斉に二人は激しく首を横へ振り、ご遠慮申し上げます、と声高らかに拒否した。

 

「…むぅ…まぁ…棒倒しに興じる暇はないか…」

 

 特年兵達の拒絶ぶりを見た桂木は、雨で折角の遠足が延期になった子供のように残念がるが、それでもなんとか納得したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「−−失礼します!!横須賀より輸送船団が到着!!物資搬入終了致しました!!」

 

「−−船団護衛の任に付いていた海防艦7隻中3隻はそのまま当鎮守府帰属となります!!」

 

「−−御苦労。申請した通り鵜来型海防艦が3杯だな。…船団へ電文を打て。“補給感謝ス。航海ノ無事ヲ祈ル"。以上だ」

 

「−−“補給感謝ス。航海ノ無事ヲ祈ル"、了解!!失礼致します!!」

 

「−−失礼致します!!」

 

 申告に来た士官二名が報告書を桂木へ渡して退室する。

 

 その報告書を流し読んだ後、桂木はデスクペンと印鑑を取って署名、捺印を済ませた。

 

「…鵜来型海防艦…鵜来(うくる)、奄美(あまみ)、新南(しんなん)…これで近海の警備行動や哨戒任務へ宛てられる」

 

 海防艦とは沿岸や領海の警備、船団護衛、対潜哨戒等を主任務とする艦の事だ。

 

 ただし艦の大きさや武装等による分類は特に決まりは無く、小型艦から巡洋艦や戦艦のような大型艦の物まで多岐に渡る。

 

 だが共通点として任務の性質上、武装・装甲を重視し、速度・航洋性を犠牲にした艦が多い。

 

 日本海軍においては大戦末期、戦局の悪化が著しくなった際に輸送艦の被害が鰻登りとなっていた為、小規模な造船所でも建造可能、また更に急造が可能になるよう小型化(概ね700トン級)、構造等の簡略化を徹底した新しい海防艦が短期間で設計され、100隻を超える艦艇が建造された。

 

 これは戦中を通して日本海軍が最も多く建造した艦種となった。

 

 トラック泊地鎮守府に新しく配備された海防艦3隻もその艦種となる。

 

 鵜来型海防艦。機関は22号10型ディーゼルエンジン2基2軸の4,200馬力。燃料は重油だ。速力は最大で19.5ノット。航続距離は16ノットで5,000海里。乗員は150名。

 

 主な武装は45口径12センチ高角砲が連装1基、単装で1基の計3門。25mm三連装機銃が2基。九四式爆雷投射機2基。三式爆雷投射機16基。爆雷投下軌条2基。爆雷120個。

 

 対潜能力に重きを置いた武装である事は見ての通りだ。

 

 だが、これらの海防艦の殆んどは、戦争の後期から末期に掛けて南方や日本近海で通商破壊戦を展開する連合国軍潜水艦、航空機に対抗し輸送船を護衛して苛酷な戦いを繰り広げたモノの終戦までに完成した海防艦171隻のうち72隻が失われるなど甚大な損害を受けている。

 

 それだけの損害を出して奮闘したにも係わらず圧倒的物量の連合軍の前に戦争末期には日本の海上輸送はほぼ壊滅する事となった。

 

 開戦前、日本は対米開戦の場合には南方の資源に立脚した長期持久体制を取ることを構想していたのだが、こうした構想を立てたにも係わらず、開戦前の日本海軍において、南方で獲得した資源を日本本土まで輸送するシーレーンを確保する為の防衛戦略が検討される事は皆無であった、と言っても過言ではない。

 

 本腰を入れて防衛戦略の立案を図ったのは戦争の後期−−つまり本土へ向かう輸送船団の大半が沈められるようになってからだ。

 これでは遅いにも程がある。

 

「…同じ轍を踏んで堪るか」

 

 灰皿を持って黒革張りの安楽椅子から立ち上がった桂木は窓辺へ歩み寄り、ガラス窓を開けると煙草を銜えてマッチで火を点ける。

 

「−−司令官さぁん、失礼するのです〜」

 

「−−応」

 

 肺へ送り込んだ紫煙を吐き出しつつ長官室の扉越しに聞こえる独特の間延びした幼い声へ返答すると扉が開いて、小柄な少女が室内に入って来た。

 

「竹田さんから工廠の開発状況に関する報告書なのです」

 

「あぁ…ありがとう、電ちゃん。机に置いてくれ」

 

「はい、なのです。…司令官さんは、またお煙草なのですか?」

 

「…まぁね…私は飯を喰わずとも平気だが、これがないと死ねる自信があるよ」

 

 竹田大尉からだという報告書を桂木の執務机の机上へ置いた秘書艦の駆逐艦娘の電は窓際で煙草を燻らせる彼の背中を眺めつつ声を掛ける。

 

「美味しいのですか?」

 

「私のような者からすればね。まるで甘露だ」

 

「…羊羹やお饅頭に比べたら美味しそうには見えないのです」

 

 菓子と比べたら煙草の立つ瀬がないと思い、桂木は苦笑を零す。

 

「まぁ…アレらと比べたらね。尤も、私は菓子が苦手だが」

 

「えぇっ!?司令官さん、お菓子が嫌いなのですか!!?」

 

 あんなに美味しいのに、と素っ頓狂に驚く電へ更なる苦笑を零しつつ桂木は短くなった煙草を灰皿へ押し潰す。

 

「言葉が悪かったかな…“苦手"なだけだ。まぁ好きではないのだが“食べる事"はちゃんと出来るよ」

 

「変なのです…」

 

「江田島−−海兵に居た頃は羊羹を10本ほど一気に平らげられたんだがねぇ……まぁ若かった上に毎日の訓練が大変だったから腹が減ってたんだろうな。倶楽部では食っちゃ寝や囲碁、将棋、読書ばかりしていた記憶がある」

 

「くらぶ…?」

 

「そう倶楽部。要は外出時に遊びに行く所だ」

 

 倶楽部とは一種の下宿制度の事である。

 

 週末の束の間の休暇となった時、江田島の民家や食堂が好意で兵学校生徒達の為に開放し、我が家にいるかのように寛いで過ごせるように、と心配ったのだ。

 

 そのような憩いの場所を彼等は倶楽部と称した。

 

 兵学校生徒は当然ながら許可もなく外出する事は出来ず、休暇日の外出でも出掛けられるのは江田島や能美島だけ。

 商店での買い物や写真館で撮影する以外では倶楽部しか立ち入る事は出来なかったのだ。

 

 その倶楽部は兵学校が厳密に調査をした結果、学校周辺の民家等が指定され、待ちに待った外出になると生徒達は囲碁や将棋、読書、好意で出された菓子等の軽食を喫食して過ごしたのだとか。

 

「−−そんなに楽しみだったのですか?」

 

「あぁ楽しみだったよ。なにせ学校では毎日のように−−挨拶代わりに殴られたからね」

 

「ふえっ!!?」

 

「本当の話さ。朝に顔を洗おうと洗面器に水を張ったら“水を無駄遣いするな"と殴られ、歯を磨き終わると“もっと丁寧にやれ"と殴られたよ」

 

「はわわっ…!!」

 

 余談だが桂木達、海兵65期は“海軍兵学校創設以来、最も多く殴られた"と言われている。

 

「ただ1号の伍長も憎くて殴る訳じゃないよ。しっかり理由はあるんだ。水を無駄遣いするな、というのは艦で真水は貴重。歯をしっかり磨け、というのは虫歯になると困るからだ。まぁ入学して直ぐは殴られなかったな。懇切丁寧にベッドメイキングや敷地の施設の説明をしてくれた−−が、ある時から鉄拳制裁の嵐が来る訳だ。私もポカポカ殴られたよ」

 

 ポカポカと殴られた、と言うが実際はバキィッの擬音が正しいだろう。

 手抜きなしの鉄拳制裁−−頬に拳がめり込む程の勢いで叩き込まれる訳だ。

 あまりの鉄拳に膝を突く者もいたという。

 

 朗らかに笑いながら説明する桂木だが話を聞く電は顔面蒼白だ。

 

「こ、怖い学校なのです…!!」

 

「いや……なにせ海軍士官を養成する場所だからね。将来は砲弾飛び交う戦場で指揮をしなければならない者達だ。あの程度で駄目だったら話にならんよ」

 

 無茶苦茶な理屈だが、妙に説得力のある事を電へ投げ掛けつつ桂木は安楽椅子へ腰掛けた。

 

「−−資材の在庫管理に関してか…ボーキサイトの不足が目立つな…本土に申請しておくか」

 

「遠征ですか?電と雷ちゃんが行くのです」

 

「…本土からトラックまでの制海権はこちらにあるとはいえ敵潜は脅威だ。…向こうから送られて来る船団にも護衛は付くだろうが……用心はすればするほど良い。目処が立ったら二人に船団へ合流して護衛を頼みたい」

 

「了解なのです」

 

「ありがとう」

 

 快諾する電へ礼を述べながら桂木は竹田大尉からの報告書へ確認した事を示す署名と捺印を済ませた。

 

「しかし…船団の護衛か……やはり3杯では足らんな。近海の哨戒に宛てる艦と船団護衛に回す艦……」

 

「新しく来た海防艦ですか?」

 

「あぁ…やはり足りない。……佐世保と舞鶴に何杯か出番の少ない海防艦が帰属しているらしい。……それを回してもらうか………」

 

 桂木はやおら机の抽斗(ひきだし)から電文の用紙を取り出し、新たな海防艦の受領を願う旨を書き記す。

 

「−−電ちゃん。済まないがこれを電信室へ頼む。後は向こうで処理してくれる筈だ」

 

「判ったのです!!行って来るのです!!」

 

 用紙を受け取った電がパタパタと軽やかな足音を響かせながら長官室を後にする。

 

 それを見送った桂木は、まだ処理が済んでいない書類へ手を伸ばしたが−−

 

「−−あん?」

 

−−ふと気付いた事に手を止めた。

 

 処理が済んだ書類を冊子状に纏めたそれを保管している棚から取り出すと、先ほど処理した竹田大尉の報告書と過去の数値を照らし合わせる。

 

「−−妙にボーキサイトが減っている気がするな……管理の不備か?……後で確認しておこう」

 

 そう決めると彼は冊子を棚へ戻し、再び席へ着いたのだった。




これを書いた2014年当時は海防艦の艦娘が実装されるとは思わなかったのです

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