発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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トラック泊地鎮守府の造りは妙だ、と桂木は案内を受けつつ感じた。

 

(…奥行きが広いな……まるで大人数の収容ないし勤務の可能を前提に造ったようだ…)

 

 カツカツと短靴の規則正しい足音を響かせながら廊下を歩いていると不意に竹田大尉が立ち止まった。

 

「−−後で御案内申し上げようと思いましたが…こちらが長官室になります」

 

 竹田大尉が“長官室"と書かれたプレートを打ち付けた扉のドアノブを引いて開ける。

 

 内部にはアンティーク調の家具、装飾品が並び、ソファやローテーブルまであった。

 

 入室して直ぐに目を引くのは、真正面に鎮座する執務用の大きな机だ。

 

 その机上にはデスクペンやインク壺、硯に筆、等々の筆記具が置かれている。

 

「奥の扉は長官私室に繋がっております。御覧になりますか?」

 

「いや…後で構わん。…予想はしていたが…やはり長官にもなると待遇が違うな…」

 

 士官であった桂木も個室はあったが、この長官室に比べれば猫の額ほどの広さと言って良い。

 

 長官室に足を踏み入れた桂木は自身の腰の高さ程度の本棚の天蓋を撫でてみた。

 

「…ふむ…掃除はされておるようだが…」

 

 白い革の手袋を嵌めた手で撫でると、なぞった跡が残った。うっすらと埃を被っていたようだ。

 

「…申し訳ありません…定期的に掃除はさせておるのですが…」

 

「まぁ長いこと着任する者が居らんかったからな…。挨拶が終わったらマッチと……チンケースか何かを頼む。少し掃除がしたい」

 

 桂木がここで言う“マッチ"とは海軍隠語で雑巾を指す。火を点けるマッチと同音で実にややこしい。ちなみに食器マッチとなると布巾の事になる。

 そして“チンケース"は石油缶等の上蓋を取り払い吊るし紐を付けた簡易のバケツの事だ。

 

「い、いえっ!!命令を頂ければ我々が−−」

 

「これから俺が使う部屋なのだ。掃除をするのは当然の事だ。……手数だが灰皿を二つほど持って来るよう主計に伝えてくれ」

 

「は、はぁ…了解しました…」

 

 その灰皿二つは間違いなく長官室の執務机と私室で使う物だろう。

 

 書類や壁紙が煙草のヤニで黄ばみ、何かの拍子で煙草の火種が床に敷かれた絨毯へ落ちて焦げ付かないか心配である。

 

 余談だが帝国海軍では士官向けのマナーを規定した“礼法集成"という物があり、煙草の喫煙マナーまでが掲載されている。

 

 抜粋すれば以下の通りだ。

 

 一、喫煙は場所と場合とを問わず、随意にこれを為すは宜しからず。これを嗜む者あるも、また嗜まざる者も少なからず。故に、公会その他群衆の場合など他人に煙気を及ぼす所においては努めて喫煙を慎むべし(所構わずの喫煙は他人の迷惑となるので慎むこと。特に集会や人込みでは避けるよう注意せよ)。

 

 二、特に喫煙場所を設けある時は、けしてその場所以外においては喫煙すべからず(灰皿等がある場所以外での喫煙はしてはならない)。

 

 三、尊長と対する時は、決して己まず喫煙すべからず。また途上喫煙するにより、相知の人に遭遇る時は礼を行うに先だち煙草を口より取り去るべし。しかれども途上の喫煙はなるべく避くるを可とす(目上の人の前では吸ってはならない。知人と会った時にはタバコを口から取り去るようにすること。また路上喫煙はなるべく避けよ)。

 

 まぁ現代の喫煙者諸氏からすれば当然と言えば当然のマナーではある。

 

 然れど帝国海軍軍人全てが軍服を着ていない平時においても、このマナーを徹底したか、と問われれば微妙な所だ。

 

 しかし軍服を着ていれば周囲から目立つ為、風聞が悪くなる振る舞いは避けたであろう事は間違いない筈である。

 

「取り敢えず掃除は後にして……案内の続きを頼む」

 

「はっ、こちらです」

 

 一旦、長官室を後にした彼等は廊下を再び歩き出した。

 

 竹田大尉の後を付いて行くと、やがて鎮守府の裏手へ出る。

 

「竹田大尉。屋外だが…何処まで行くのだ?」

 

「はっ。この先に港湾と船渠施設があります。そちらへ御案内申し上げ、演習中の者達を御紹介致します。御足労をお掛けしますが……」

 

「構わんよ。参ろうか」

 

 何処までも慇懃な態度の竹田大尉に苦笑しつつ桂木は佩刀した軍刀の鞘を片手で軽く押さえながら歩き出した。

 

「…ところで…命令には所在する艦隊の司令と書かれていたが……ここには現状で何杯がおる?」

 

「はっ。戦艦1、空母1、駆逐艦2となっています」

 

 竹田大尉の毅然とした返答を聞いて桂木は再び疑問を感じた。

 

「一応、聞いておくが…4杯とも航行ならびに戦闘可能か?」

 

「そうでありますが……」

 

 桂木の記憶が確かなら既に海軍の艦艇の粗方は岸壁に係留され対空砲台となっているか、湾内に着底しているかの何れかだ。

 

 竹田大尉へ尋ねるまで所在している艦艇で航行可能かつ戦闘行動が可能なのは駆逐艦、潜水艦、海防艦ぐらいだろうと思っていた程である。

 

(…空母…鳳翔あたりか?…いや…あれもミッドウェーの後、練習空母に……となると艦載機や搭乗員は…。…第一、戦艦だと…?…大和以外で満足に走れる艦は……)

 

 黙考を続けながら歩いていると桂木の鼻に嗅ぎ慣れた潮の匂いが漂って来る。

 

「−−あれが港になります」

 

 竹田大尉が立ち止まった。

 彼の横に立った桂木は港が緩やかな斜面の真下に造られている事に気付く。

 

 横須賀や呉、佐世保ほどの大規模な物ではないが埠頭やデリック、倉庫が整備されている港湾施設は中々どうして見事だ。

 

「−−で、肝心の艦は何処にある?」

 

 丘の上から俯瞰するモノの黒鉄の軍船の姿は何処にも見受けられない。

 

「御心配なく。“皆、元気で朗らかな娘(こ)"ばかりですので。さぁ参りましょう」

 

 そう言いながら微笑んだ竹田大尉が先導して丘を降り始めた。

 納得がいかない桂木だが首を傾げつつも彼の後を追う。

 

 途上、丘のあちこちに築かれたトーチカの内部から海に向かって顔を覗かせる砲身や、草木で擬装し土嚢を積み上げて簡易の対空陣地とした対空機銃や高角砲の群れが目に入る。

 

「−−竹田大尉。港湾付近には何れ程の火砲がある?」

 

「はっ。連装ならびに三連装の九六式二十五粍高角機銃が30。単装、連装の四〇口径八九式十二糎七高角砲は10門。そして沿岸砲として七年式三十糎榴弾砲が6門であります」

 

「…随分と数が揃っておるが…問題なく可動するのだろうな?敵襲来の段になって使えないのは困る」

 

「御安心を。日々、整備を実施の上、定期的に敵襲来を想定しての演習を行っております。弾薬も相当数を備蓄しておりますので」

 

「そうか……」

 

 しかし水際での迎撃が間に合わんかったら敵上陸の後の地上戦の怖れがあるな一−と、桂木は心中で付け足した。

 

「…聞くのを忘れていたが現在におけるトラックの兵力と軍属や民間人の数は?」

 

「所在する兵力は陸戦隊:950名、海軍設営隊:600名、通信隊:45名、航空隊ならびに気象班を含む基地要員が118名、海軍特別警察隊:24名。軍属・民間人は3000名超であります」

 

「把握した…」

 

「私が申すべき事でもありませんが全指揮権は長官に委ねられます」

 

「了解しておる。粉骨砕身で努力しよう」

 

 二人が丘を降りつつ遣り取りをしていれば、やがてコンクリートで地面を舗装した港湾へ辿り着いた。

 

「…この倉庫は……工廠か?」

 

「はい。私が造船、造機、造兵の各部を統括しております」

 

 搬入出口の分厚い金属の扉が開け放たれた扉から内部を覗くと中には資材が山積みされ、工員達が忙しそうに駆けている。

 

「…まさか工廠まであるとは思わなんだ…」

 

「まぁ横須賀や佐世保の工廠に比べれば雲泥の差でありますが…」

 

「設備の整った本土の工廠と見比べる方がどうかしておる」

 

「ごもっともで…」

 

 苦笑を零した桂木に釣られ、竹田大尉も微かな苦笑を顔に浮かべた。

 

「…本土と言えば…補給路が寸断されておるにも係わらず、良くここまでの物資を備蓄しておるな…」

 

「…寸断?…いえ、月に数回程度ではありますが本土からの物資搬送は輸送船や輸送機で参ります」

 

「……そうか……」

 

 返された答えを聞き、桂木は何となくではあるが一種の納得に近いモノを得た。

 

 それは自身に起きた一連の出来事を説明するのに充分なモノだ。

 尤もいまだに仮定の域を脱していないのだが。

 

「…何か気掛かりな点でも…?」

 

 沈思黙考する桂木に気付いた竹田大尉が彼へ声を掛ける。

 

「…いや…なんでもない。案内を続けてくれ」

 

「はっ。演習は終わっている頃合いですので参りましょう」

 

「応」

 

 工廠の搬入出口を後にした二人が再び歩き出す。

 

(…しかし…何処にも艦艇の影が……沖に停泊しておるのか?……ここからは見えんが……)

 

 お上りさん宜しく港湾のあちこちへ視線を向ける桂木を見て、随伴する竹田大尉は首を傾げた。

 

「…あの長官。本当に何かございましたら、どうか御遠慮なくお申し付け下さい」

 

「有り難い申し出だが…それよりも−−」

 

 艦は何処に、と桂木が言葉を繋げようとした瞬間、彼の口上を遮って素っ頓狂な声が響く。

 

「−−Wow!!あの時の少佐さんネ〜!!」

 

「……あん?」

 

「おぉ…彼方から出向いて下さいましたな…丁度良かった。金剛嬢、それと皆さんもこちらへ!!」

 

 聞き覚えのある高い声が桂木の耳朶を打った。

 

 見れば彼等の進行方向の先から改造した巫女服姿−−以前、金剛と名乗った妙齢の女性が駆けて来る。

 

 その後ろには女学生風の水兵服(ジョンベラ)を着た二人の少女と弓道の赤い胴着を纏った妙齢の女性が後続していた。

 

「は〜い、皆さん整列して下さ〜い」

 

「…………」

 

 竹田大尉が近付いて来る彼女達へ対してパンパンと軽く両手を叩いて整列を促す。

 

 まるで遠足の引率の教師のようだと桂木は思ってしまう−−が傍目から見れば、そうとしか見えない。

 

「え〜金剛嬢は既にお会いしておりますが、他の皆さんはまだだと思いますので御紹介致します。長官」

 

「お、応」

 

 竹田大尉に促され、桂木は一歩前へ出た。

 

 すると当然の如く彼女達の好奇の視線が彼に突き刺さる。

 

「こちらが此度、本鎮守府の長官に着任された桂木幸一中将であります」

 

「…桂木です」

 

 市井の婦女子へ接するように桂木は敬語混じりに立礼する。

 

「Oh…提督という訳ですカー。ヨロシクオネガイシマース♪」

 

「…宜しく」

 

 朗らかに挨拶をする金剛へ彼は軽く会釈する。

 

(…彼女…以前、自分が戦艦の金剛であると言っていたが……いや…流石に…まさかな…)

 

 邂逅を思い出した桂木は、彼女が発した言葉をいまだ信じられずにいる。

 尤も信じろ、ということが土台無理な話だ。

 

「では皆さん、自己紹介をお願いします」

 

 竹田大尉が彼女達に促すと濃い茶髪の前髪をクリップで留めた少女が前へ出る。

 

「暁型3番艦の雷(いかづち)よ。雷(かみなり)じゃないわ。そこん所も宜しく頼むわね?」

 

「−−−−」

 

「ほら…今度は電よ」

 

「…いっ電です…どうか宜しくお願い致します…!」

 

 雷と名乗った少女と同じ髪をバレッタを使い項(うなじ)あたりで留めた少女が怖ず怖ずと自己紹介をした。

 

 ついで胴着を纏った妙齢の女性が一歩前に進み出る。

 

「−−航空母艦 赤城です。空母機動部隊の主力として快進撃を支えます。提督、本日より宜しくお願いします」

 

 礼を尽くして赤城と名乗った女性が桂木へ一礼した。

 

「彼女達が長官の麾下へ入る艦娘達であります。長官、着任の倣いとして一言お願い致します」

 

 直立不動の姿勢を保っている桂木へ竹田大尉が着任の挨拶を願うと彼女達は傾注の姿勢を取りつつ彼を注目する。

 

「−−−−−−」

 

 だが−−桂木は一言も喋らず、ただ直立不動の姿勢を保ったままだ。

 

 それに竹田大尉や彼女達が首を傾げていると−−桂木が微かに唇を動かす。

 

「−−…………え?」

 

 発した言葉は金剛との邂逅の際より遥かに素っ頓狂で滑稽だったが。


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