発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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「−−竹田大尉、失礼致します!!」

 

「−−応」

 

 ノックもそこそこに竹田大尉の執務室の扉を開け、書類を捌く彼の下へ足早に近付いた通信科の少尉が電文を差し出した。随分と慌てた様子である。

 

「どうした、血相変えて?」

 

「海軍省からの返信が参りました!!それも至急電で!!」

 

「なに?」

 

 電文を受け取り、眼を通し始めた竹田大尉の表情が徐々に青褪めて行く。

 

「…“海兵65期ノ名簿ニ桂木幸一少佐ヲ確認セリ"…これは良い…なにはともあれ身元がはっきりしたのだ…」

 

「問題は次の電文であります…!!」

 

 少尉の言葉に首肯した竹田大尉は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がると吠えた。

 

「どちらにおられる!?探せ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ふたじゅ〜し〜ち……ふたじゅ〜は〜ち…」

 

「ふたじゅ…う…きゅう…っ!!」

 

「さん…じゅ…うっ!!」

 

 運動場の外れにある三つの鉄棒に逆さまにぶら下がる三名。

 

 なにをしているか、と聞かれれば逆さ腹筋と平気な顔をして桂木は答えるだろう。

 

 一方、彼に付き合ってしまったのが運の尽きとしか言えない彼等−−特年兵の柳瀬一水と熊谷一主は頭に血が昇ったのか顔を真っ赤にしつつ荒く息を吐いている。

 

「よぉし…良く踏ん張ったな。貴様等は少し休め」

 

「「は…はいっ…!」」

 

 荒い息を吐きつつ二人は挟んでいた鉄棒を膝裏から離して地面へ降り立った。

 

「−−あぁ言っておくが休めとは腹筋を休めという意味だ。腕立てでもしていろ」

 

「「は、はいっ!!」」

 

「軍人たる者、暇を見付けては体力錬成に励め。…俺は懸垂をする」

 

 二人が地面に手を付いて腕立て伏せを始めたのを横目に桂木は両手で鉄棒を掴み、両足をぴったりと揃えつつ懸垂を開始する。

 

「…しかし…貴様等も良く俺に付き合うな…」

 

「私は…錬成の為です…っ!!」

 

「私も…っ!!」

 

 見下ろしながら桂木が声を掛けると二人は無理な笑顔を作りながら返答した。

 

 彼等が懸垂、腕立て伏せを繰り返していると陸戦隊の兵士が運動場を横切って近付いて来る。

 

「−−桂木少佐、こちらに居られましたか!!」

 

「応。……なにか用か?」

 

 懸垂を途中で止め、鉄棒を離して地面へ降り立った桂木は兵士と相対する。

 

「竹田大尉がお呼びであります!!至急、執務室へお越し下さい!!」

 

「…随分と慌てているな…少し待て…」

 

 上半身裸のまま錬成を行っていた為、桂木は手拭いを取って汗を拭った後、麻襦袢と麻襟、上着へ袖を通す。

 

「で、竹田大尉は俺に何の用があるのだ?」

 

「詳細については私にも。ただ“桂木少佐を探せ"と命令を」

 

「そうか…では案内を頼む。−−あぁ…貴様等。済まんが本日の錬成はここまでらしい」

 

 腕立て伏せを続けていた柳瀬一水と熊谷一主に詫びた桂木は兵士の案内を受けて竹田大尉の執務室へ向かう。

 

 

 

 

「−−桂木少佐をお連れ致しました!!」

 

 竹田大尉の執務室へ通された桂木は違和感を感じ少々、顔を顰めた。

 

 出迎えた竹田大尉の表情が強張っているのだ。

 

「…何か用か?」

 

「つい先程…海軍省より返信が参りました。桂木少佐の軍籍が確認されたそうです。…向こうの手違いだったようで…」

 

「…そうか……」

 

 その報告に桂木は表面上は満足しつつも内心には疑問を感じていた。

 

 その疑問は【“ここ"が自分が知っているトラックなのか?】である。

 

 鎮守府内だけで見聞きした事だが、彼が知っている戦時下の独特の空気−−敵襲を想定し、常にピリピリと緊迫している状態ではない。

 

 確かに緊迫感は感じる。しかし彼が知っているそれとは程遠かった。

 

 

 最も彼が疑惑に駆られたのは当初の海軍省人事局からの報告だ。

 

 幾万もの海軍将兵の身元管理を行っている人事局だ。確認作業に手間取り、不備があったのは仕方ないだろう。

 

 しかしだ。桂木は海兵団出身の兵ではない。

 

 海軍兵学校出の歴とした海軍士官である。それも自身が第65期である事も伝えた。

 

 これだけあれば身元照会はあっという間に済む筈だ。

 にも関わらず−−当初は、そんな者は存在しない、とはっきり返って来た。

 

(有り得ん考えだが……まさかな……だが…あの金剛と名乗った娘は……)

 

 自身の考え付いた答えが間違いである事を内心で祈りつつ、桂木は改めて竹田大尉へ声を掛ける。

 

「−−用件はそれだけだろうか?新たな配属先等の命令は?」

 

 身元が判明した以上は新たな赴任や配属先の命令もある筈だ、と桂木は考えた。

 

「はっ。確かにございました。…こちらが海軍省よりの命令書になります」

 

「応」

 

 竹田大尉が桂木へ歩み寄り、海軍省からの電文を手渡した。

 

 それを受け取った彼は内容へ目を走らせる。

 

【発:海軍省。宛:トラック泊地鎮守府。本文:以下ノ者ヘ下命。桂木幸一海軍少佐ヲ本日0000付ヲ以チ海軍中将ヘ昇進ノ上、トラック泊地鎮守府ナラビニ所在スル艦隊ノ司令長官ヘ任ズ】

 

 酷く感情らしい感情が感じ取る事が難しい見慣れた電文。

 無機質な文字の羅列が並ぶ電文を読み終わった桂木は顔を上げて竹田大尉を見詰める。

 

「…これは…?」

 

 海大を出ていない少佐風情が階級という階段を何段も一息に駆け昇り中将、それも司令。

 その有り得ない命令に桂木は困惑している。

 

「…確実にその電文は海軍省からであります。反復して確認を取りました」

 

「…そうか……」

 

「…なにはともあれ…おめでとうございます“長官"。着任を歓迎致します」

 

 眼前の竹田大尉が短靴の踵を音を鳴らして合わせ、直立不動の最敬礼を桂木へ送り、ややあって控えていた陸戦隊の兵士も彼へ敬礼する。

 

「あ…あぁ……取り敢えず…宜しく頼む…」

 

 困惑しきりの桂木だったがなんとか姿勢を正して彼等へ答礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 返却された剣帯を上着の下へ巻き、軍刀を佩いた桂木が竹田大尉を伴い鎮守府の廊下を歩いている。

 

「−−何処へ行くのだ?」

 

「−−はっ、長官に上番なされたので倣いとして麾下となる者達の紹介をと思いまして」

 

「そうか……」

 

 それも尤もと桂木は思い至り、案内のため先を進む竹田大尉の後を付いて行く。

 

 その途上、桂木の視界の端に酒保の店舗が入った。

 

「竹田大尉。酒保−−…は開いておらんか」

 

「は?…あぁ…何か御用でも?」

 

「うむ……煙草…」

 

 縁日の屋台で欲しい物を指を銜えて見詰める子供のような表情で桂木は呟いた。

 

 どうでも良い話だが日曜、祭日など休日の日は昼間から“酒保開け、武技遊戯許す"という号令が掛かり、日用品や菓子、煙草等の嗜好品を欲する兵士達が群がったそうだ。

 

 桂木の表情を見た竹田大尉は苦笑すると酒保の内側へと入って行き、カウンターの下から帳簿を取り出した。

 

「主計長には内緒にしておいて下さい。小言が煩いので」

 

「バレると思うが……助かる。…誉とマッチを」

 

「はっ、どうぞ」

 

「応、済まんな」

 

 カウンターに置かれた煙草とマッチを受け取った桂木はそれらを軍服のポケットへ仕舞い込んだ。

 

 帳簿へ桂木の官姓名を書き込み、それを元の場所へしっかりと戻した後、竹田大尉は酒保から出た。

 

「ちなみに、本鎮守府では酒保利用の代金は俸給からの天引きとなります」

 

「覚えておく」

 

 俸給の話となるが桂木の以前の階級となる海軍少佐の場合、 月給は約194円、年給は約2330円となる。

 

 そして現在の階級である中将の場合、月給で約483円、年給は約5800円だ。

 

 尤も様々な手当てが付く為、この倍の俸給となる場合もある。

 

 ちなみに昭和18年当時の大まかな物価だが、葉書2銭、銭湯8銭、理髪料金80銭となっている。

 

「−−“貧乏少尉に、やりくり中尉、やっとこ大尉で嫁も貰えん"だな……俺も尉官の時分は遣り繰りしていた。日用品は判るが…軍服や拳銃、軍刀まで自費購入は辛かった」

 

「ははは…確かに。まぁ私はKAが横須賀におりますが」

 

 喫煙室に立ち寄り、戯れ歌を口遊んで自嘲とも軽口とも言えないそれを放った桂木に苦笑しつつ竹田大尉は軍服のポケットから写真を取り出した。

 

「KA(嫁)です」

 

「ほぉう…美人だな」

 

「えぇ。二年前−−私が24、KAが21で一緒になりました。中尉の頃であります」

 

「そうか。エスプレイ(芸者遊び)は控えろよ。KAを泣かせるな」

 

「はっ」

 

 結婚の時に撮ったのであろう写真には一種軍装を纏った竹田と白無垢に角隠し姿の彼の嫁が写っていた。

 

 それを見て桂木は竹田大尉へ釘を刺した。確かに頷いた彼は写真をポケットへ仕舞い込む。

 

「…見合いだったのか?」

 

 先程、購入したばかりの煙草を銜え、マッチで火を点けた桂木は紫煙を吐き出してマッチの火を消しつつ問い掛ける。

 

「いえ、幼馴染であります。恥ずかしい話ですが…幼い頃に、結婚しよう、と約束を…」

 

「何処が恥ずかしい話か。立派ではないか、胸を張れ。そういう相手がいて羨ましい限りだ」

 

 紫煙を唇の端から吐き出しつつ桂木は毅然と返答した。

 

「恐縮であります。…失礼ですが…長官には…」

 

「KAか?いや居らん。見合いの話も……まぁ、あったはあったのだが…全て丁重に断っていたな。…なにせ戦時下だ。いつ死ぬか判らん男に嫁ぐ相手の心情を慮ると縁談には躊躇いがあった」

 

「そうでしたか……立ち入った事をお聞きして申し訳ありませんでした」

 

「いや構わん。……さて、案内を頼む」

 

 桂木は短くなった煙草を灰皿代わりに置いてあった水を薄く張った一斗缶へ放り捨てた。


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