発:海軍省 宛:トラック泊地鎮守府司令長官   作:戦闘工兵(元)

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 海軍省大臣室。

 

「−−これで詰み…俺の勝ちだ」

 

「−−…参りました…」

 

「−−さて…大臣。次は私が御相手致しますよ」

 

「−−応。掛かって来い」

 

 純白の第二種軍装に身を包んだ壮年−−もう老人と言った方がしっくり来るかも知れない−−の三名が将棋を打っていた。

 

 彼等はそれぞれ海軍の大臣、次官、将官の身分を拝命している者達だ。

 

「各鎮守府からの報告はどうだ?」

 

 パチンと駒を動かした大臣が対局相手の次官へ問い掛ける。

 

「何処も似たようなものです。一進一退の膠着状態、と言った所ですな」

 

 次官も大臣の動きに対応しながら先手を打つべく駒を移動させる。

 

「戦局よりも……こう言っては語弊があるが…とにかく俺が心配なのは艦娘達の扱いを各鎮守府司令が心得ておるかだ。戦力の低下という事もあるが…」

 

 二人の対局を横から観戦しながら茶を啜る将官が次官へ苦言を呈した。

 

「あぁ…それは尤もな心配だ。俺ですら、そう思っている」

 

「報告は電文か直々の詳報提出だけですからな。…やはり査察や視察を増やした方が無難かと思われます大臣」

 

「…そうだな…。…互いが情愛を持ち、それに裏付いて手を出すのは構わん−−が……」

 

「目が覚めるような麗しい乙女ばかりです。…間違いを犯す者がいないとは…到底思えません」

 

「あぁ…全くだ。その点、懇ろに頼むぞ?」

 

「お任せを」

 

 大臣が将官へ視線を向けつつ命令した。

 

 それへ了解の旨を伝えた瞬間、扉がノックされる。

 

「−−失礼致します」

 

「応。…人事局長か。なにかあったか?」

 

 綺麗な立礼を済ませて入って来たのは海軍省人事局の局長だった。

 

 将棋を打つ三名が対局、観戦しているソファまで歩み寄ると彼はファイル状に纏めて綴じられた電文を手渡す。

 

「それは?」

 

「この二日間、トラック泊地鎮守府から再三の身元照会の申請が参りまして…。あまりにもしつこいものですから一応、大臣にも御報告申し上げようと…」

 

「身元照会?…読んでくれんか?」

 

「はっ」

 

 将棋を打つ大臣に代わり、模様を観戦していた将官が代わりにファイルを受け取った。

 

「発:トラック泊地鎮守府 竹田技術大尉。宛:海軍省人事局。本文:以下ノ者ノ身元照会ヲ願ウ。桂木幸一少佐。海兵65期−−…桂木だと…?」

 

 桂木という姓に読み上げていた将官が電文を食い入るように見詰め−−果ては対局中だった大臣と次官までもが将棋を打つのを止める。

 

「ど、どうかなさいましたか?」

 

 只事ではない雰囲気を感じ取ったのか人事局長が三名へ順繰りに視線を送っていると唐突に大臣が立ち上がる。

 

 それに驚いたのか人事局長が身体をビクリと震わせた。

 

「−−人事局長。済まんが…少し部屋の外で待っていてくれんか?直ぐに呼ぶ」

 

「は…はっ、了解致しました!」

 

 穏やかな微笑を浮かべながら大臣は局長へ頼み込んだ。

 

 彼が一旦退室した瞬間−−室内に残された大臣と次官は足早に電文を持つ将官へ歩み寄った。

 

「…どう思う?」

 

「これだけではなんとも……」

 

「えぇ、同姓同名の可能性があります。…せめて生年月日や軍歴が判れば…」

 

「…そうだな−−いや…貴様、奴の生年月日を知っていたか?」

 

「海兵65期という事は13年卒業です。そこから逆算すれば大方の生まれ年は判りますよ」

 

 顔を寄せ合う三名が送られてきた電文を何度も読み返しつつ言葉を交わす。

 

「…だが…もし本人だとすると……」

 

「えぇ。軍籍どころか戸籍までありません」

 

「…そこは……まぁ言葉が悪い上、違法行為だが…改竄だな」

 

「大臣なのですから改竄などと物騒な事を申さないで下さい。せめて改訂とでも…」

 

「…いずれにせよ書き換えるのは確定として−−まぁ、それは我々が知る桂木幸一かどうかによりますな」

 

 どうすれば良いかと唸る三名。

 

 ふと何かを思い付いたのか次官が声を上げる。

 

「−−ならば…学術試験を受けさせては?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に鍵が外される。

 

「−−…釈放か?…それとも銃殺か?」

 

 無精髭が生え揃った桂木が目許を黒ずんだ隈で染めながら胡乱な視線を向ける。

 

「−−……どうぞ」

 

 この数日で話す機会が多かった特年兵−−海軍陸戦隊の柳瀬一水が格子を開けた。彼の背後には武装した陸戦隊の兵士達が控えている。

 

 4日間、飲まず食わずだったというのに桂木はしっかりと立ち上がる。

 

 開けられた格子を窮屈そうにくぐり、揃えられていた白い短靴を履く。

 

「−−…両手をこちらにへ。両足を揃えて下さい」

 

 靴を履いたのを見計らい柳瀬は背丈の高い桂木へが申し訳なさそうに声を掛けた。

 

 大人しく両手を揃えて差し出し、同様に直立しつつ踵を合わせれば−−桂木の両手首に手錠が、両足首へ足枷が嵌められる。

 

 冷たい鉄の感触が彼の肌を通して伝わった。

 

 控えていた兵士二名が桂木の両脇へ移動し、残った兵士一名が彼の前へ柳瀬一水は背後に回る。

 

「−−前へ」

 

 周囲を固められ足枷をジャラジャラと鳴らしながら前へ進み出す。

 

 階段を昇り切ると−−桂木は久々に太陽の下へ出た。

 

 眩しそうに双眸を細めるが脇の兵士に前進を促される。

 

 先導する兵士の後を大人しく付いて行くと−−やがて鎮守府の建物内部へ入った。

 

(……銃殺ではないのか…いや…絞首刑?)

 

 足枷の鎖を鳴らしつつ歩く桂木はどんな最期を迎える事になるかを考える。

 

 ふと陸戦隊の兵士達が立ち止まり、とある部屋の扉を開けた。

 

「−−お連れしました」

 

「−−応」

 

 兵士に促され桂木が室内へ入ると竹田大尉が待っていた。

 

 室内には机と椅子、そして壁掛け時計しかなく殺風景な印象を受ける。

 

「−−お待ちしておりました」

 

「…遺書を書く猶予をくれるのか?有り難い事だが…生憎と遺書を読む家族はもう居らん。KAも居らんしな…」

 

「…は…?」

 

「遺書よりも髭剃りや身形を整えさせてくれ。見苦しい姿を曝したくない」

 

「お、お待ち下さい桂木少佐!!」

 

「……なんだ?」

 

 目許が隈で黒ずみ、無精髭が生え揃った姿のまま睨めば迫力は満点だ。

 

 自身よりも背丈が高い桂木に鋭い視線を向けられ、竹田大尉は一瞬だけ尻込みしてしまう。

 

「な、何か勘違いをされているようですが…そのようなつもりは毛頭ございません」

 

「…では何故、俺をここへ連れて来た?」

 

「−−おい」

 

 竹田大尉が兵士達に指示すると彼等は直ぐに桂木を拘束していた手錠と足枷を外した。

 

「…なんのつもりだ…?」

 

 手錠を外され自由になった手首を擦りつつ桂木が竹田大尉へ問い掛ける。

 

「海軍省より通達がありました。それも海軍大臣直々の」

 

(…海軍大臣…米内大臣…か?)

 

「お掛け下さい」

 

 竹田大尉が椅子を引き、桂木へ着席を促した。

 

 促されるまま彼が腰掛けると竹田大尉が机上へ用紙と削られた数本の鉛筆、そして消しゴムを置く。

 

「…学術試験でも受けさせられる気分だ…」

 

「その通りです。貴官にはこれから数学、歴史、物理、化学と漢文を含む国語、地理、そして英語は和訳、作文、文法を解いて頂きます」

 

「…まるで海兵の学術試験だな。…あの時は5日間連続だったが…」

 

「説明を続けさせて頂きます。先程申し上げた学術試験を終えたら50分の休憩を挟み、砲術や水雷術等の術科の問題、戦史に続き、海戦術の基礎概念や原則、ならびに戦術・戦略についての問題を解いて頂きます。説明は以上となりますが…御質問は?」

 

「あぁ…その言葉を今か今かと待っていた。何故、こんな事をせねばならん?それが質問だ」

 

「…海軍大臣直々の下命です。御承服下さい」

 

「……命令には逆らえんか…」

 

 どんなに不平不満があろうと“命令"の一言で承服せざるを得ないのが軍人の性だ。

 

「…なにか召し上がりますか?長丁場になりますので…腹に入れておいた方が宜しいかと存じます。軽食ならば直ぐに用意させますが−−」

 

「−−煙草」

 

「……は?」

 

「煙草だ…煙草をくれ。誰か持っておらんか?」

 

 何も飲食していないにも関わらず桂木は煙草を所望した。

 

 その言葉を聞いて室内にいる彼以外の者達が呆気に取られる。

 

「…は、はぁ…私は吸わないのですが……おい、水谷二曹。貴様は吸う筈だな?差し上げろ」

 

「は、はっ」

 

 桂木をここまで連行して来た陸戦隊の二等兵曹が慌てて軍装のポケットを弄り、中なから煙草とマッチを引き摺り出した。

 

 紙のパッケージを開け、一本を引き抜いて桂木へ渡す。

 

「どうぞ…光ですが…」

 

「構わん…煙が出るならなんだって良い−−あぁ済まん」

 

 二等兵曹がマッチを擦り、その火を差し出して来る。

 

 短く礼を述べ、銜えた煙草へ火を点けると桂木は久々に紫煙を肺へ送り込み、ややあって盛大に吐き出した。

 

「…あぁ…旨い…」

 

 余程、旨いのか恍惚にも似た表情を浮かべたまま桂木は喫煙する。

 

 やがて煙草も短くなり−−その時を見計らい何処から持って来たのか煙草を渡した二等兵曹が灰皿を差し出した。

 

 それに煙草を揉み潰しつつ肺へ残っていた紫煙を全て吐き出した桂木は改めて裏返しになっている問題用紙へ向き直る。

 

「宜しいですね?まずは数学から参ります。……始めっ!!」

 

 竹田大尉の号令を切っ掛けに桂木は問題用紙を表へ返し、鉛筆を取った。


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