小テストが終わり、本格的に授業が始まった日の翌朝。
「どうだ、なかなかすごいだろう⁉︎私の愛弟子!」
「……くっ」
「教員免許の無い、第三階梯の魔術師。1週間もの間小テストばかりやっていた時はどうなることかと思ったんじゃが、杞憂だったようじゃの」
「なにせ私の自慢の弟子だからな!」(強調)
セリカは学院長室にて、グレンの自慢をしていた。学院長はセリカの弟子自慢を聞き流しもせず、耳を傾けている。そしてその場に居合わせたハーレイはギリッと奥歯を噛み締めた。
(おのれ、グレン=レーダスめ……っ)
ハーレイの脳裏に浮かぶのは、グレンがやってきて4日目の昼のことだ。あの日、小テストばかりやっていてまともに授業をしないという噂を聞きつけたハーレイは、一言文句を言ってやろうと声を掛けた。
「おい、グレン=レーダス」
—————しかし、グレンは答えない。まるで何も聞こえていないかのようにすたすた歩く。
「おい、グレン=レーダス。聞いているのか?」
—————すたすた。
「おい、無視をするな!」
—————すたすた。
「……いい加減にこっちを向けーーーっ!グレン=レーダスぅぅぅーーー!」
その叫びでようやく気付いたのか、グレンが振り返る。その耳には、見慣れない魔道具が付いていた。
「…あ、何やら喧しいと思えば先輩講師のハーレムさんじゃないっすか。ちーっす!」
「ハーレイ!ハーレイ=アストレイだっ!全く、貴様と言いリーナ=レーダスといいーーー」
そこで、ふと思い当たる。
「……まさか貴様ら、兄妹か?」
「え?今更気付いたんすか?幾ら何でも鈍すぎでしょ。俺がやってきて何日経ってると思ってるんです?」
「ああそうだな‼︎人を小馬鹿にした態度といい名前を間違えることといいそっくりだ!なぜ気付かなかったのだ私はっ!」
すたすた。
「そもそも、—————っておい待て、どこへ行く!」
結局散々追いかけ回した挙句、ハーレイはグレンを見失い、再び声をかけることはできなかった。
(おのれ、グレン=レーダスめ…。いずれこの学院から追い出してやる……っ!)
決意を新たにしているハーレイをよそに、セリカの弟子自慢は続く。
「それでさあ、あいつったらリーナの前で良いカッコしたかったらしくてさあ。3日もかけて独学で錬成を成功させたんだよね。あの時私は悟ったね!魔術の腕はともかく、あの歳で独学で紫炎晶石の錬成を成功させるなんて、この子は間違いなく天才だって!」
「そういえばリーナ君とグレン君は兄妹じゃったの。…あんまり似とらんからうっかり忘れるが」
「義理の、だからな。グレンもリーナも、特殊な生い立ちでな。あまり詮索はしないでくれ」
リーナの羽根ペンが踊る。手記帳と羊皮紙に視認出来ないほどの猛スピードで文字や式が書き込まれる。
小テストの最終的な結果が貼り出された、その翌日。リーナは他の講師の授業では絶対に見せない勤勉さでグレンの授業を受けていた。
「……つーわけで、今日の授業では術式とそれを起動させるための呪文についておさらいしてみたわけだが、【ゲイル・ブロウ】や【ショック・ボルト】みたいな初等呪文一つとってみても、どれだけ緻密に計算されて作られたものか分かってもらえたと思う。まあ、魔力操作の感覚に優れたやつなら一節で詠唱できちまうし、そもそもショック・ボルトの呪文だって俺が学生だった頃と今とじゃ若干の違いがあるから、ぶっちゃけ術式を安全に呼び出せれば何でもいいっちゃ良いんだけどな————」
授業が最後の振り返りに入ったところで、羊皮紙への書き込みが終わる。しかし、手記帳への書き込みは依然として終わらない。
「…はい、じゃあ今日はここまで。あー疲れたー」
グレンがホッと息を吐くのと同時に、リーナの手も止まる。それを見たシスティーナは、普通にドン引きしていた。
(…ここまで、やるの?もう授業の内容がどうとか関係ないでしょこれ………)
リーナがいつもノートとして使っている羊皮紙にはグレンが書いた板書の内容が注釈付きで書かれている。それは良い。システィーナもよくやっていることだ。問題は、彼女が並行して書いていた手記帳の方だった。
(…まさか、グレン先生の台詞を一字一句変えることなくメモするなんて)
リーナの手記帳には、授業中の……否、教室に入ってきてからのグレンの台詞が一字一句違うことなく書き込まれていたのだ。昨日初めて見た時はシスティーナも自分の目を疑った。しかも時折、『ここでショック・ボルトを起動』だの『気怠げに』だの『ここでわたしを見た!』などの注釈まで付いている。リーナには悪いが、これは好きとか兄妹愛とかそういうのを通り越したよく分からない何かだ。正直に言って気狂いの類なのではないかと思っている。
というか、リーナがグレンに惚れ込む理由がシスティーナにはよく分からない。確かにグレンの授業は飽きないし分かりやすい。講師としては途轍もなく優秀だ。だが、彼本人は『初対面の時』に抱いた印象と変わらずロクでなし。しかし、リーナのグレンへの態度は、『兄妹だから』では済ませられない執着を感じる。ここまで惚れ込むからには、過去に何か大きな出来事があったはずだ。
「兄様、手伝うわ。こんな量の本と魔道具を1人で運ぶなんて、あまりにも非効率だもの」
「先生、私も手伝いますね?」
ボケッとシスティーナが考えている間に、リーナとルミアはいつの間にかグレンの側へ。
……なんだかそれは、あまり面白くなかった。
「…わ、私も手伝います。ルミアやリーナばかりに手伝わせるわけにもいきませんから」
勇気を出して、一歩前へ。そう、これは仕方なくだ。親友2人が手伝うと言っているのに自分だけがやらないのは不公平だからだ、とシスティーナは自分に言い聞かせた。
「お、じゃあこれ宜しく!」
そして、現実とは非情なものである。いや、非情なのはグレンと言うべきかもしれないが。
「お、重っ。なんで私だけ⁉︎」
見ると、ルミアは本3冊、リーナは魔道具一式。そしてなぜか自分だけが本9冊。……あまりにもこれは不公平ではなかろうか?
「ちょっとっ!なんで私だけこんな扱いなのよ!」
「リーナは妹。ルミアは可愛い。お前は生意気。以上」
「こんのバカ講師……っ!リーナからも何か言ってやって!」
「それはわたしよりも頼ってもらえたことの自慢かしら?……酷いわ」
「怒るところが違う⁉︎」
「あー手ぶらは楽だわー」
「あっ、ちょっと待ちなさい!」
「……なんかいいな、こういうのも」
「おやおや、夕陽に向かって黄昏ちゃって。青春してるなぁ」
「うっせー、ほっとけ」
放課後。グレンとセリカは学院の屋上にいた。
グレンの授業は生徒達に大好評。『あのリーナが真面目に授業を受けている』という噂が広まり、学生どころか若い講師さえも見にくるほどだ。そのせいで半端な授業をする訳にもいかず、普段ならこの時間には家で授業の用意をしているのだが…。なぜか、今日はここでのんびりしたい気分だった。
「どうやら頑張ってるみたいじゃないか。安心したよ、私は。てっきりサボりまくった挙句に自らクビになろうとするかも、なんて考えていたくらいだからな」
「リーナの前でそんなことできるかっての。俺はあいつの兄貴だぞ」
「まったく、お前のそういうところは変わらないな。……ところで、耳に付けているそれは何だ?」
セリカが指摘したのは、グレンの右耳に付いている魔道具だ。耳の穴を塞ぐようにして付いているそれは、まるでアクセサリーのようにも見えるが…。
「…ん、ああこれか。盗聴器」
————空気が凍った。
「……今、なんて?」
「だから、盗聴器だよ盗聴器。いやー、本当は両耳に付けたかったんだけどさ、この間これ両方付けて歩いてたらユーレイ先輩の声にまったく気付かなくってさー。仕方がないから右耳だけにしておいた」
「《まあ・とにかく・爆ぜろ》」
「ぎゃああああーーーーッ⁉︎」
爆発。セリカが適当な三節詠唱で唱えた攻性魔術が、グレンたちのいる屋上を爆破する。
「……ってお前、いきなり何すんだ⁉︎危うく死ぬとこだったぞ!」
「黙れこの変態。そもそも誰を盗聴してるんだお前は?」
穏やかな先程までの雰囲気が一転。屋上がセリカの威圧に支配される。
グレンは悪びれもせず、臆することなく答えた。
「決まってるだろ。……リーナだよ。一年もかけて作ったってのに、結局同じ場所に通うんじゃ大して意味もない気がするんだけどな」
「……何の為に?」
「……決まってんだろ」
グレンはくわっと目を見開き、
「リーナに変な虫がついてないか確認する為だ!」
そう、宣った。
セリカはフッと微笑む。その顔はまるで聖母のよう。
「あのな、グレン。別にリーナに男ができたからって、あいつがお前の事を嫌うわけないだろ?不安なのは分かるが、別にそこまでしなくても……」
「なんか可哀想な奴見る目でこっち向くのやめろよ!…あと俺の授業があいつにどう思われてるのか確認する為でもある」
「……だからって魔道具まで作るか、普通?盗み聞きくらいならただの魔術でいいものを」
「馬鹿野郎!そんなことしたらマナ欠乏症で最悪あの世行きだチクチョーっ!」
「四六時中盗み聞きするつもりか⁉︎必死だな馬鹿弟子⁉︎」
「どうしたの、リーナ?さっきから様子が変だよ?」
「いや、何でもない……何でもないのよ……」
「やっぱり何か変ね……何がおかしいのかしら」
いつも通り放課後に、集まった3人。だがどういうわけか、リーナの様子がいつもと違った。いきなり赤くなったり、クスクス笑ったり。どう見てもいつもと違う。
————そして、彼女の耳には、見慣れない魔道具が付いていた。
取り敢えず、盗聴器について補足。普通の魔術でも盗聴は出来なくもないが、魔導器を使った方が消費マナという点で効率が良いというオリジナル設定。