おーばーろーど ~無縁浪人の異世界風流記~   作:水野城

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2章 縁
道中


 エ・ランテルから西に向かいエ・ペスペルを抜け、小さな町を通りそのまま北上すれば王都リ・エスティーゼが見えてくる。

 その北にも多くの大都市があり、西には海沿いにいくつかの港町もあった。大都市にはそこを治める貴族の名が付けられており、王都は都市と都市とを結ぶ、大国全土の伝播経路でもあるのだ。首都としての役割を十二分に果たしていた。

 ゴンベエはその話をブレインから聞き、いつか海の方にも行ってみようかと考えながら、のんびりと街道を進む。急ぐ必要もない旅であるので、通常の倍は時間をかけて気楽に歩む。

 

 空は澄明な青一色であった。

 

 左手に広大な草原が広がっている。ゴンベエはそれを眺め、ユグドラシルの光景を思い出した。不自然な、コピー&ペーストされた風景ではない。それぞれの草の長さはまちまちで、自分たちの成長を競っているかのようである。風が吹けば一斉に揺れるのではなく、風の動きに合わせて波のようにうねる。

 

「手付かずの自然が多いのだな」

 

 ゴンベエはブレインに言った。

 

「この辺りは深い森が広がっている。そこにはモンスターが住んでいてな」

 

「ほー」

 

 鼻から抜けるような返事である。ゴンベエは興味の無さげに後ろを振り向いた。そこにはブレインの言う深い森が広がっている。奥の方は木々が生い茂り、光が届いていないのか、暗いものだ。その中から誰かに見られたような気がした。いや、見られたと言えば語弊があるかもしれない、正確には敵意。明確な殺意が込められた視線であったのだ。

 

「どうした?」

 

「さあ、のんびり行こうか」

 

 誰であろうか、ゴンベエは見当が付かない。人に恨みを買うような事をした覚えはないが、知らず知らずの内というものがある。

 ゴンベエは気を引き締め、いつでも戦える心構えになった。もっとも上辺だけは悠々たる風情である。もう森の方を見向きもしない。森の中に潜むというのなら、暗殺者の類だろうか。雇われか、恨みを持つ本人か、気配は一人しかしない。野盗の偵察という線も考えられる、だとするとこの先で待ち構えているだろう。だが偵察が殺意など向けるであろうか。

 

 街道を暫く進む。もう草原は見えなくなっているが野盗の類は見られなかった。代わりとばかりに、色とりどりの花が顔を出した。

 ゴンベエは立ち止まると繚乱と咲いている花々を眺めた。辺りを見渡すように首を回す。風光明媚で風情ある景色に、浮ついた心地になってしまう。ゆっくりとその中に入った。散策でもするかのように群生地の中を抜け、ぽっかりと開いた場所に出ると、すっと膝を畳み、頬杖をして寝そべる。

 

 ブレインはまた始まったと肩を落とした。こうなれば梃でも動こうとしない、王都まで時間がかかるのはこの為だ。何か興味の引く物を見つければ、ゴンベエは立ち止まりそれを心行くまで味わわない限りは、進もうとも退こうともしない。

 仕方がないのでは辺りを見渡す。何処か野営の出来る場所を見つけて、テントでも張らなければ今夜寝る場所に困ってしまうだろう。街道沿いの近くに張ろうと、ゴンベエを放って戻っていった。

 

 放ったかされたゴンベエは何をするのでもない、何もしないのである。服が汚れるのも気にせず、寝そべり花を見る。赤、青、黄もあれば言葉に出来ない色で着飾った花もある。その彩りが彼を飽きさせない、瞳に映る度に嬉々として吟味した。

 生涯を暗い空の下で過ごしてきた自分には味わった事の無い体験である。今日一日は暇なく過ごせそうだと考えていると、街道の方から馬車を曳く音がした。音の移動からして、王都から遠ざかって行くようだ。行商人だろうか、音からして急いでいる様子であった。

 

「ゆっくりと、花を観る暇さえないのか」

 

 この世界に来て随分と多感になっていた。

 詠嘆とする光景を見て、他の人々は何とも思わないのだろうか。近くの花を引っ張り、鼻先に持って来ると匂いを味わう、虫が集うわけだ。いつか家を持てば、庭先に小さな花壇を作りたくなってしまう。

 手頃な草を引き抜き、それを口に当てると息を軽く吹く。いつか読んだ、草笛を試してみようと思いついたのだが上手く出来ない。ぷっ、ぱっ、と単音なら鳴る。音色となり一つの曲になることはなかったが、それでも楽しかった。いつか玄人に吹いてやろうと、今日の練習を終えて草を吹き捨てた。

 

 上体を起こし、脚を揃えて胡坐をかくと、目をつむり、風の流れを感じる。周りの草花の声を聞いているかのようで、このまま天上と天下を指差し、釈迦の真似事でもしてしまいそうであった。

 

「人間はこうして、万華を見て楽しんでいられるのに、好んで身を粉にして働きその心とゆとりを忘れようとする。まあ、以前の俺も言えたものではないが………」

 

 自分にはそれしか道が用意されていなかった。望んで進んだ訳ではない。

 だが幸か不幸か、こうしてお天道様の下を自由に歩いて行ける世界に来られた。そしてこの生き方を望んだ。先ほどの行商人も望んでその道に入ったのだから、批判することは出来ない。人には人の美しい生がある。

 

「くわ~」

 

 あくびが一つ出た。昨日は寝ていない、何となく寝る気にはなれなかっただけである。理由などは無い。だから無性に眠かった。花に囲まれた中で寝るのはさぞかし気持ちの良いことだろう。

 

 何か、何となくだが六感が告げた。先ほどと同じ殺気であった。一人になったのを狙ったのであろう。しかし明白な害意があるというのに、襲ってくる気配がなかった。襲ってこないのなら斬らなくて済む。あっちでもこっちでも人斬りを味わった事は無いが、一度だけ味わってみたい気持ちが、心の何処かしらにあった。危険な誘惑であるが、外道に落ちてやるつもりは無い。

 

 いよいよ胡散らしくなってきた。

 

「おい、こっちに出て来いよ」

 

 位置としては背後である。そちらに声をかけた。そちらには背の高い花が生えている、身を隠すのにはうってつけだ。草花を分ける音が聞こえると、姿を現した。

 

「やっぱり気付いちゃってた?」

 

 金髪の可愛い面をした女であった。

 

(おや、こいつは)

 

 ゴンベエは内心で驚いた。無理もない、縄に繋がれて牢獄にでもぶち込まれたと思っていたのだから。そいつはクレマンティーヌ、ゴンベエが墓場で―――直接戦った訳ではないが―――負かせた女であった。

 

 クレマンティーヌはゴンベエの前に回ると、胡坐をかいて座ってみせた。格好は依然見たビキニのような破廉恥な装備、武器を持っている様子は無かったが油断は出来ない。女というのは何処に武器を隠し持っているか分からないものである。

 

「お前か……」

 

 呆れたように言った。まさかこいつだとは思いもしなかった。あっさりと逃げ出して後を追ってきたのなら、随分と深い恨みを買ったものだ。この女だとすると殺気の説明も出来るが、こうして正直に顔を出してくる性格だとは思ってもいなかった。それに、女は友愛の笑みを浮かべているではないか。

 

「久しぶり、元気にしてたー?」

 

 気軽といった感じにそう言った。

 殺そうとしている相手にこの態度は、油断を誘っているのか、とんでもない下手くそか、ころころと忙しい女である。

 

「馴れ馴れしいな」

 

「そう言わないでよ~。殺そうとした仲じゃない、ある意味良い関係でしょ?」

 

「お前……」

 

 呆れて何も言えない、物も言いようだ。

 

「で、何の用だ?」

 

 こうして顔を出した以上、何か用件があるに決まっている。無駄に殺さないで済むのなら、その方が良い。

 

「こう言うのも何だけど、ちょっと助けて欲しいんだよね」

 

 意表を突かれた。さすがのゴンベエもつくづくとクレマンティーヌを見詰めた。

 

「も~う、そんなに見詰めないでよ。恥ずかしい」

 

 クレマンティーヌは、きゃっ、と頬を抑えてみせる。

 

 少々馬鹿らしくなって来ている。この女は、身を隠していた時には明確な殺意があった。ゴンベエは相手の敵意を感じ取るスキルを所持している、そうでなければクレマンティーヌに勘付くはずが無かった。殺したい相手に助けを求めるなど、矛盾している。

 

「昔の同僚に追われててさぁ、それがちょっと危ない連中なんだよね。あたしでも相手にするのはキツくって」

 

 なるほど、それで自分より強い相手を頼るという事か。

 

「しかし、何で俺なんだ?」

 

 この女には他に頼れる相手がいないのか、訊くのも野暮であったがゴンベエの気が済まない。

 

「う~ん、頼れる人が居ないって感じかなあ?」

 

 その言葉に嘘偽りは無い。だとするとこの女も無主の荒野を歩く者なのだろう。そう考えると妙な親近感が湧いた。

 

「だが、お前は」

 

 だが、ゴンベエは顔をしかめて言う。

 クレマンティーヌは顔を見せた。美しい面である、そこには殺意の欠片も見受けられない。

 

「俺を殺したいのではないのか?」

 

 ずばりと浴びせてみたが、クレマンティーヌは動じた様子もない。

 

「ふふっ、やっぱり分かっちゃったか~」

 

 小さく笑い、抜け抜けとそう言う。

 

「そうだよー、私はあんたを殺したい」

 

 いつか見た、割れたような笑顔を向けてきた。殺気だ。

 

「本当か」

 

 先に殺さなければ、自分が殺される。殺される道理もないのに、無駄に死ぬこともない。

 

 ゴンベエは応えてやった。

 

「ッ……」

 

 クレマンティーヌは肩をすぼめた。急に現実を見せ付けられたのである。貧民街での恐怖を思い出して、身が凍えた。だが一度死人の領域に足を踏み入れた身で、何に恐怖するという。

 

「ほんと」

 

 クレマンティーヌは大きく頷いてみせた。それは照れた少女の顔であった。

 

「あ~はっはっはっはっはっ!!」

 

 ゴンベエは弾けたような高笑いをあげた。この女は、正々堂々と言いたいことを包み隠さず口にしてみせた。これを真実の告白と受け取ったのである。

 

(この世界はどれだけ俺を楽しませてくれるのだ)

 

 人を殺すために生まれてきたような、信じてはいけない危険な者である。だが信じてみたくなった。

 

(きっと諦めないだろうな)

 

 言われなくとも分かっている。だが生命を狙っている女と旅をするのも、また乙なものではないか。この女に殺されるようなら、自分はその程度の男なのである。どのような形であれ、死ぬことになんら悔いるところはない。それが望んだ生き方ではないか。

 

「さて、本当のことを言ってくれたところで悪いが、俺は眠いんだ。少し眠らせてくれ」

 

 眠気が峠に差し掛かっていた。これ以上は我慢できない。眼の前に、殺そうとする女がいても眠ってみせる気概がゴンベエにはあった。

 

「えっ?」

 

「そうゆう事でな」

 

 唖然とするクレマンティーヌを放って、ごろりと大の字に寝てみせると、忽ちといびきをかき始めた。寝首をかいて下さいと言っているものである、クレマンティーヌは気持ち良さげな寝顔を覗き込んだ。

 

 

 

 

 目が覚めると、生きているのかと手足を動かした。どうやら生きているらしい、空は茜色に染まっていた。随分と眠ってしまった。

 

「おはよ~」

 

 頭上からクレマンティーヌが顔を出した。

 

「お前か」

 

「お前ってなによ? 私を試したんでしょ?」

 

 そうとも言えなくはないが、ただ眠たかった。

 

「ああ」

 

 曖昧な返事をして意味があるかのように振る舞ってみせると、クレマンティーヌは語る。

 

「そんなの面白くも何ともない。もっとシチュエーションを大事にしたいんだよね」

 

「そんなものか?」

 

「そんなものよ」

 

 いつ、どこで、どんな形で死のうが違いはないと思うが、彼女なりの美学があるのだろう。

 

「お前―――」

 

「クレマンティーヌ、そういや教えてなかったよね」

 

 そういえばそんな名前だったなと思い浮かべ、ゴンベエは小さな疑問を口にした。

 

「それは名か? 名があるなら姓もあるだろ?」

 

「前まであったけど、もう捨てちゃった」

 

「つまり、無縁ってことだな」

 

 ますます親近感が湧いてしまう。

 

「それを言うならあんたもじゃない? なに名無しって?」

 

「縁も所縁もない者って意味さ」

 

「そういうこと自分で言っちゃう? ゴンベエちゃんってやっぱりおかしいね」

 

「お前………」

 

 ゴンベエは素早く立ち上がった。近くでブレインが首を長くして待っているはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜更けの旅人の野営地、そこには無縁の者だけがいるはずだが、今夜は一人増えていた。焚火を挟んで二人の反対側に、クレマンティーヌが座っている。ブレインの用意した食事を何食わぬ顔で味わっていた。ゴンベエはそれとは別に、簡素な作りの木杯を握っていた。そこに並々と注がれた赤い酒は、近くの町に立ち寄った際に買っていたワインである。

 

 ゴンベエの機嫌はすこぶる良かった一方で、ブレインの方は堪ったものではなかった。まさか命のやり取りをした相手とこんなにも早く再会するとは考えもしなかったし、ゴンベエの背中から現れた時には、我が目を疑った。刀をいつでも抜けるようにしているが、まるで歯牙にもかけていない様子で食事をしている。

 

「で、何であったか」

 

 ゴンベエは、ワインをぐいっと呷った。芳醇な香りが鼻を抜ける、歳を取った逸品だ。奮発した甲斐があった。

 

「助けて欲しいって言ったよね?」

 

「そうだった」

 

「旦那、どういう事だ?」

 

 ブレインが事態を飲み込もうと必死になっている。

 

「ああ、付いてきたいらしい。俺達に」

 

「は?」

 

 ブレインは呆気に取られた。自分の知らない内でとんでもない事になっているではないか、蚊帳の外に置かれている気分であった。普通ならこちらに相談の一つでもするようなものであるが、こういう男なのだと納得しなければならない。だがこれだけは別件だ。

 

「止めとけ、こいつはぶっちぎりでイカれた女だ。きっと誰かに命を狙われてるんだよ。助けてやる必要はねえ、因果応報だ」

 

 これだけは受けられない。明らかな面倒事である、ここらでゴンベエの手綱を握らねばならない。クレマンティーヌに聞こえないよう囁いて耳に入れるが、ゴンベエの眼がきらきらと輝き出した。

 

(あ、マズイ)

 

 ダメと言われれば、押し切りたくなる性分だ。眼が光るのは何か妙なことを考える印で、大体ろくなことではない。もう無駄だと判っていても、責め立てるように訊ねた。

 

「こいつを信じるのか?」

 

「ああ」

 

 微笑を浮かべながらゴンベエは答えた。

 ブレインには理解できない。理解してやる気力も湧かない、若干諦めたような顔色でワインを呷った。自棄酒なんて、何年ぶりだろうか。

 

「ブレインはどうだった? 手を合わせただろ?」

 

「う~ん、ブレインちゃんは面倒くさいけど、手の内が判ったから普通に殺せるんじゃない?」

 

 二人はそんなブレインを無視して、談笑に耽っていた。話題は墓場での戦いに移っており、ブレインの強さについて話し合っている。

 

「こ、こいつ!」

 

 ブレインは文句を言ってみるが、それは無視された。

 

「でも、ゴンベエちゃんは不意打ちでもしないと勝てないかなぁ。だって超強いもん」

 

「どうだろうな………」

 

「分かんないのがそんなに強いのにそれを誇示しないことなんだよね。おかげでこっちはもうちょっとで死んじゃう所だったんだからさぁ」

 

 切々と言うのだが、お門違いの文句である。真っ当な生き方をしていれば、まみえることは無かったであろう。

 

「冒険者にでもなればアダマンタイトは確実だろうし、国に雇われれば戦士長クラスは任されるんじゃない? 野良で燻ってるなんて宝の持ち腐れ、ムカつくわ~。神様みたいに振舞ってくれるのなら、まだ許せるのにさぁ」

 

 ほとんど叫んだように、言いたいだけを言う。少し酒が入って饒舌になっていたらしい。この女の本音を、ゴンベエは一言一句聞き逃さず、酒を食らった。

 

 ゴンベエが自らの巨躯を威嚇するように使えば、誰もが近付くことを恐れるであろう。それだけの迫力が彼にはあるが、醸し出しはしない。いつでも眉間に皺を寄せて誰かを睨みつける、そんな殺伐とした生活など好む男ではない。生きるのなら、朗らかに誰に何と言われようが気にせず図太く生きたいと願っている。燻っているなんて微塵とも思っておらず、神様のように振る舞ってやるつもりも無い。

 

 ワインを飲み干すと、空になった木杯の底を見ながらぼそりと呟いた。

 

「無縁で生きてゆくには、芸が必要だ」

 

 芸とは、剣術、魔術、技術、芸術といった類の総称である。さすらう者が、生きる糧や好きに振る舞う為に用いるものだ。

 

 無主の荒野を歩む者達には上も下も無い。ゴンベエも、あらゆる俗世の権力を拒み、浮世を自由に往来する事を選んだ雑多な人々の内の一人に過ぎない。彼らは世俗の縁を一切切り捨てる代わりに、一切の義務から免除される。無縁で生きるにはそれなりの困難が付きまとう、更には様々な形となって危険が襲い掛かって来ることもあるのだ。それに抵抗し、打ち勝ち、生き抜くためには芸能、知識、武芸などを糧にして世を渡らなければならない。

 

 ブレインは心の中で深く頷いた。彼は剣によって世を生き抜いてきた道々の輩で、芸によって生きる道を見出した内の一人である。この道に踏み込んでから、死生観というものはガラリと変わった。そういった観点で見れば、クレマンティーヌも同じ人種なのかもしれない。

 

 だがここにいる誰も、ゴンベエの心底を知ることは出来ない。あの世界で生きて来た彼の心など、この世界で生きる者達には知りえない境地にあるのだ。

 

 ゴンベエは続けた。

 

「お前の言うように生きることも出来るだろう、お前のような悪党になることも出来ただろうが、俺はこれで満足している」

 

 無縁とは現世との縁を切る、つまりはあの世界との縁は断ち切られる事になる。あらゆる柵から解放される一面、無縁の身となってこの世界で生きて行かねばならない。飢えに苦しもうが、のたれ死のうが、弔ってくれる者はいない。

 無縁で生きるには芸が必要だ。その点、この身体は役に立つし、ブレインという友人も得られた。己には十分過ぎるほどの幸運であった。この僥倖を、誰かの迷惑に使ってやるなど天罰が当ってしまうではないか。

 

 クレマンティーヌは話を聞いて、気が引き締まった想いとなる。無縁という言葉に、解放感を感じると同時に身体中から力が抜けたような、うすら寒い感覚を得たからだ。その言葉には自由と死が背中合わせで確かに存在していた。

 自分はこれからその世界に足を踏み入れるのだ。そう思うと、思わず嬉しくなった。この男を頼って正解だったかもしれない。

 

「待ってくれ、旦那。良く考え直せ」

 

 ブレインが諦め悪く説得を続けていた。

 

「大丈夫だよ、そんなに直ぐに殺したりしないから」

 

 クレマンティーヌは、良い笑顔で抗弁をたれる。

 

「信じられるか」

 

 ブレインがなじる調子で言う。そもそも、クレマンティーヌが本当にゴンベエを殺せるとは思っていない。彼を殺せる者がいるとするなら見てみたいものだと、夢想してしまう。

 

「ブレインちゃんは信じなくてもいいよ。ゴンベエちゃんが信じてくれるだけでいいから」

 

「何だぁ、お前」

 

「バカぁ」

 

「言ったな!?」

 

 ブレインが跳び上がった。クレマンティーヌは案の定、何処からともなくナイフを取り出してみせる。もう滅茶苦茶である。

 

「ま、ま、二人とも」

 

 とゴンベエは手を上げた。男女の突き合いほど厄介なものはない。

 

「ブレイン、酒でも飲んで落ち着け。美味いぞ」

 

「あ、私にも注いでくれない」

 

「馴れ馴れしいぞ、旦那に近付くな」

 

「そう言うなよ、お前にもきちんと注いでやるから座っておれ」

 

 二人が咆え、それをゴンベエが諫める。酒を入れてやれば大人しくなるだろう。

 

 結局、その夜の内に瓶で三本飲み干した。ブレインが酔い潰れて寝転んでいる。ゴンベエは今夜も眠れないだろうなと彼に布をかけてやり、まだ飲み続けているクレマンティーヌの相手をしてやる。

 

 飲み交わす最中に、泥酔したクレマンティーヌが何十度目かの哀訴をした。

 

「私、クレマンティーヌっていうの」

 

「そうかよ、お前」

 

 信じはしたが、当分は許してやるつもりは無かった。ゴンベエがこの女の名前を呼ぶことになるのは随分先の事であろう。


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